24 底抜け

 私が、どこにも行きつけず――

 たどりつくべき星を見つけられずにいたとしても、日々はしっかりと前に進んでいく。

 

 月が地球の周りをまわり続けるように、全ての星が自転と公転をしながら宇宙を巡るように――

 

 今日は終わり、明日はやってくる。


『船外活動実習』は目前に迫っていて、アスカの特訓も続いていた。

 彼女は自分に課したハードルを一つ一つ丁寧に超えていき、自分にできることを確実に増やし続けて、前に進んで行った。根気強く、ねばり強く、そして真摯に物事に取り組むその姿は、彼女らしい誠実さと生真面目さに満ちていて――小笠原アスカという女の子が、これまでも同じように多くの問題を、自分に課したハードルを乗り越えてきたことが率直に伝わってきた。


「アスカはすごいね。なんでもできちゃうんだね?」

 

 リンクの帰り道、『チューブ』の中でした会話を思い出す。


「あら、そんなことないのよ」

 

 アスカは彼女らしい謙虚さで言葉を続ける。


「ただ、できなかったり、うまくいかなかったりって――ものすごく悔しいでしょ? だから、徹底的に物事に向き合って解決していくの。宇宙に上がる時だって、はじめは本当にひどいものだったんだから。無重力で犬かきだってできなかったし、訓練の最中に宇宙酔いで吐いちゃったりして」

 

 私はアスカが必至に犬かきをしたり、宇宙酔いで吐いている姿を思い浮かべて困惑した。

 そんな姿のアスカを想像もしたくなかった。


「月のハイスクールに入学する時だって、自己紹介の練習を何度もやったのよ」

「自己紹介の練習?」

「そうよ。教室の扉を開けて、教室の真ん中まで真っ直ぐ歩いて行って、自己紹介をして、お辞儀をして、席に座るところまでを――何度も何度も繰り返すの。お母さんに見てもらって、上手くいかないところ指摘してもらって、何度も繰り返し練習するの。ポーラに船外活動の練習を見てもらっているみたいにね。あー、あの時は本当に緊張したなあ」

 

 私は、アスカが転入してきたときの完璧な自己紹介を思い出した。

 あの落ち着いた態度と、澄ました表情と微笑の裏には、こんなにも多くの努力があったんだと知って驚くしかなかった。


「それにノリスに挑戦を叩きつけるのだって――実は、事前の準備と予行練習をしていたのよ?」

「ええっ、そうだったの?」

 

 私の驚きは増すばかりだった。


「ほんとよ。月ではベースボールが大人気なのも知っていたし、ルナリアンのみんなが、地球の野球を馬鹿にしているのも雰囲気で察していたから――地球から上がってきた私が男の子に負けないくらい良いプレーをしたら、きっと私を受け入れて、仲間に迎え入れてくれると思って、毎日毎日特訓していたのよ。まぁ、あんなケンカ腰になるとは思ってなかったんだけれど」

 

 アスカが苦笑いを浮かべた。


「毎日特訓かあ? 私には考えられないよ」

「小学生の頃、リトルリーグに所属して男の子たちに混ざって野球をやっていたから、そんなに特別なことをしていたわけでもなんだけれどね。お父さんを相手にキャッチボールやピッチングをしたり、素振りを見てもらったり」

 

 私は毎日毎日バットを振ったり、投げ込みをしたり、キャッチボールをするアスカを想像してみた。

 

 うーん?


 ぜんぜんイメージできなくて、私の頭の中の小さな宇宙は混乱してしまった。ビッグバンでも起きたみたいに。


「私って昔からたくさん習い事していたから、なんでもやってみたい、できるようになりたいって気持ちが強いんだと思うわ」

「どんな習い事をしていたの?」

「野球以外では――テニスにバレエ、アイススケートね。水泳もやっていたし、ピアノにヴァイオリン、フルートも。書道は一週間でやめちゃったけど」

「そんなに?」

「ええ。私ってけっこう飽きっぽいところもあって、身になった習い事のほうが少ないのよ? でも、両親が――やってみて合わなかったらやめればいいなんていう甘やかしだったから、私もお言葉に甘えていろいろやらせてもらったの。たぶん、それでなんでもできるようになりたいなんて思うようになったね」

 

 私はアスカの子供の頃の話を聞きながら、その一つ一つに感心しっぱなしだった。

 中でも、特に感心したのは――


「でも、やめるにしたってタダではやめないのよ。自分で、絶対にここまではできるようになってからやめるって決めて――そこができるようになったらやめるの。そうすれば、少なくともそれまでやってきたことは無駄にならないし、私も満足して別の興味に移れるでしょう? そうやって、少しずつできることを増やしていくように心がけているの」

 

 私はアスカのすごさというか眩しさに目が眩んでいた。

 月から見上げる青い地球みたいに、その澄んだ青さや大きさに目を奪われていた。

 

 そして、それと同じくらい――

 私は、自分とアスカを比べてみじめな気持ちになっていた。

 

 私なんかとはぜんぜん違う、地球からやって来た特別な女の子と、ルナリアン失格の自分を勝手に比べて――

 

 一人で勝手に底抜けに落ち込んでいた。

 

 アスカが青くて綺麗な地球なら――

 私なんて岩と砂と穴ぼこしかない月そのもの。


 ううん。


 月なんかですらなく、私は宇宙を漂っている石ころ――デブリと一緒。

 宇宙を漂うだけの、どこにもたどりつかない漂流物。


 はぁ。

 本当、あーあって感じだよね?


 今でも十分すぎるほどに底抜けに落ち込んでいるんだけど――

 さらに私を落ち込ませる出来事が、本日、私の目の前で繰り広げられた。


「ポーラ、本当に今回の『船外活動実習』は受けないの?」

 

 椅子に座ったシマコ先生が、机の向こうの私に向って困ったように尋ねる。


「はい。見学だけさせてください」

 

 私は下を向きながら小さな声でこたえた。

 

 染みの一つもない真っ白な部屋で、シマコ先生と二人きり――まるで空気が無くなってしまったみたいに息苦しくて、私は早くこの話し合いが終わればいいのにって、ただそれだけを思っていた。


「でもね、ポーラ――今回の『船外活動実習』は、あなたの今後を、将来を決めるうえでも、ものすごく重要なのよ? なにも、いきなり宇宙空間に飛び出せって言っているわけではないし、下の年齢の生徒たちと一緒に、宇宙服を着て月面に出る訓練から始め直しても良いのよ?」

 

 私はなんて言葉を返したらいいのか分からなくて、ただ下を向いたまま話が終わるのを待った。手にはたっぷりと汗をかいていて、喉は渇いてしかたなかった。暑いのに寒気を感じていて、私は自分の体がおかしくなっているんじゃないかって思った。


「去年のことを気にしているのなら、精神的なものだろうから大丈夫だと思うわ。カウンセリングでも問題なしって出ているんだし。私たち訓練を受けた宇宙飛行士だって一度はかかる――まぁ、一種の風邪のようなものよ」

 

 シマコ先生は私を励ますように言ってくれたけど、私は上手くその言葉を受け止めきれず、飲み込めずにいた。

 

 シマコ先生が私のことを思って、そして私の将来を考えてそう言ってくれているのは分っていたんだけれど――私はどうしても、シマコ先生の言葉を素直に受け入れることができなかった。自分の心のどこに、その言葉を下ろしていいのか分らなかった。

 

 結局のところ、それは私をこの月の世界に適応させて、地球にせっせとエネルギーを送るための労働力にしたいだけなんじゃないかって――


 そんな馬鹿なことを考えていた。

 

 わかってるよ。

 わかってるんだ。

 

 シマコ先生がそんなひどいをことを考えているわけないって分っているのに、それなのに、私はそんな下らないことを考えて――


 一人で底抜けに落ち込んでしまっていた。

 

 この真っ白な部屋の中で、私だけがこの部屋を汚す染みなんじゃないか、ルナリアンの汚点なんじゃないって思えてきて――私は底抜けに息が詰まりそうなだけじゃなく、どん底ってくらいに気分が悪くなりすぎて吐き気さえしてきた。


「分ったわ。それじゃあ、今回の『船外活動実習』は一応見学での参加ということにしておくわね。でもね、ポーラ? あなたは、もう少し自分自身と――そして、この月という星と向き合ってみたほうがいいと思うわ。目を背けるんじゃなくて、真っ直ぐに。あなたが感じている息苦しさや、理不尽さを、拭い去るためにも」

 

 シマコ先生は怒るでも、叱るでも、さとすでもなく――ただ優しく寄り添うように言ってくれた。


「でも、近いうちにご両親にも来て頂いて三者面談をすることにはなるから――覚悟だけはしておくように」

 

 最後は厳しくそう告げられて――

 私は、やっぱり底抜けに落ち込んだ。

 

 それはもう、どん底ってくらいに。

 

 海の底に沈むのって、こんな感じなのかな?

 ほんと、やれやれって感じだよ。

 

 あーあ。

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