22 リンク

「ポーラ、そこで見ていてね」

「う、うん。わかったー」 

 

 私は無重力空間の中心で浮かんでいるアスカを見て、心細そうに頷いた。


 私の視線の先では、宇宙服と簡易の“船外活動ユニット”を装着したアスカが、両手と両足を動かしながらバランスを取っている。


 船外活動ユニットには、両手と体の幾つかに噴射口があり、そこから推進剤を噴射することで宇宙空間での活動――立体的な機動を可能にする。しかし、船外活動ユニットを自在に使いこなすには相当の訓練が必要で、宇宙飛行士でもかなりの苦戦と何十時間にも及ぶ訓練を強いられる。

 

 案の定、推進剤の調節を間違えたアスカが、くるくると縦に回りながら遠くのほうに飛んで行ってしまう。しばらくすると、“テザー”と呼ばれる命綱がピンと張りつめて、その反動で今度は別の方向に飛んでいく。

 

 まるで、でたらめに投げたヨーヨーみたいだった。


「わわわっ、あちゃー」

 

 私は見てられなくて思わず手のひらで顔を隠した。


「アスカ、大丈夫?」

「え、ええ、なんとか――」

 

 私が呼びかけると、宇宙服の無線を通じてアスカの大丈夫そうじゃない声を伝わってきた。そして、再び無重力空間で姿勢を整えはじめた彼女を見て、私はどうか怪我だけはしないでほしいと願った。

 

 とは言っても――


 本物の宇宙空間での訓練ではないので、そこまで心配や不安があるわけでもないんだけれど。

 

 ここは、確かに無重力空間ではあるんだけれど、建物の中――

 通称、『リンク』と呼ばれる練習場。


 低軌道ステーションの外殻に設置された三十メートル四方の球体状の空間で、申請さえすれば誰にでも貸し出している月面都市の公共施設。

 外から見れば、円盤状の宇宙ステーションの周りに丸いボールがいくつもついているように見え、リンク内部は白いクッション性の素材で覆われている安全な空間。

 

 アスカが私と一緒に行きたい場所があると言ったのが――


 この『リンク』だった。


「リンク? どうしてリンクなんかに」

「もう直ぐ『船外活動実習』がはじまるでしょう?」

「そうだね」

「だから、少しでもクラスメイトに追いついておきたいの。それに、みんなの足を引っ張ったりもしたくないし」

「なるほど」

 

 アスカが言ったことは、たぶん半分は本当。

 でも残りの半分は、やっぱりまた馬鹿にされたり、笑われたくないからだと思う。

 

 自分だけじゃなく、地球の人が馬鹿にされたり、笑われたりすることに、アスカはとても敏感。

 彼女には、いつだって自分が地球を代表しているという自覚がある。


「ね? ポーラはリンクの外で私のことを見ているだけでいいから。それで、なにか気が付いたことがあったら指摘したり、注意してほしいの」


 アスカは、外で見ているだけという部分に力を込めて言った。

 たぶんアスカは、私が宇宙に出られないことを知っている。


 私が、ルナリアン失格だって知っている。

 たぶん、セシリーかシマコ先生に詳しい事情を聞いたのかもしれない。


 アスカはそれを知っていながら、私にガッカリしたりせず、見放したりしたりせずにそばにいてくれて――そして、あえてそのことを尋ねないでいてくれている。

 

 私が、そのことを話すための準備ができるまで待っていてくれているんだ。

 

 そんな準備ができるのかなって私は思ったけれど――

 彼女のその優しさに応えたいって気持ちもあって、私はリンクに行くことを了承した。


「どうかしら?」

 

 リンクの外の休憩室――リンクと繋がっている部屋で、リンクの様子がガラス越しに見える――で、彼女の宇宙遊泳を眺めていると、アスカが不意に尋ねた。

 

 もう一時間以上も無重力空間で悪戦苦闘をしているアスカの口調は、だいぶ疲れている。私は、今日の訓練はそろしろ終わりにしたほうがいいんじゃないと思い始めていた。


「うーん? だいぶ良くなってきたと思うけど、やっぱり重心が安定してない気がする。体の芯? 軸みたいなものを意識して、あと推進剤の使用に無駄が多いのかなあ? 減りがすごく早いよ」

「ええ、分ったわ」

「それより、そろそろ練習は終わりにしたほうがいいんじゃ? 推進剤よりもアスカの体力のほうが切れ気味だよ」

「大丈夫。もう少しだけやれるわ。これでも、体力には自信があるんだから」 


 私のアドバイスになっているかも分らない言葉を聞いた彼女は、姿勢と呼吸を整えて再び船外活動の練習を始める。

 

 私は、彼女のやる気や情熱がいったいどこから来るのだろうと不思議に思いながら、休憩室の手すりを強く握った。


 この手すりを離せば、私の体も自然と浮きはじめる。そして足に少し力を込めれば、あの真っ白な天井まで到達するなんてことはわけもないことだった。

 

 リンクと同じく、この休憩場も――

 もちろん、無重力。


 この宇宙ステーション全体が、無重力に覆われている。

 だから、ステーションを訪れる多くの人が移動用のレバーを掴んだり、壁や床を蹴ったりしながらステーションの中を移動している。


 無重力空間では、その人の移動の仕方や、体の動かし方を見れば、だいたいの人となりが――職業や出身が分ると言われている。性格や血液型、星座、好みの異性まで分るなんても人もいるけど、それは完全にオカルト。

 

 まぁ、それは当たり前と言えば当たり前の話で、宇宙港で人とぶつかったり、あさっての方向に飛んで行ったり、くるくる回ったり、犬かきをしている人のほとんどが――地球から来た観光者。少し訓練を受けた人だとだいぶマシなんだけど、それでも天井にぶつかったり、目算を間違えてカートに突っ込んだりしている。子供たちは案外適応が早いんだけれど、大人になるとどれだけ訓練をしても上手く無重力で行動できないって人はけっこういたりする。


 月では『紐の切れた風船ストレンジ・バルーン』というスラングがあって、それは無重力空間で慌てている人のことを差す。

 もちろん宇宙港は観光客用に整備されていて、歩行用エレベーターや移動用のリフトレバー、マグネットレーンなど――安全な移動ができるように様々な配慮がされている。

 

 月の市民は無重力には慣れたもので、華麗にステップを踏むように小さなジャンプを繰り返しながら進んでいく。ベテランの宇宙飛行士になると、もはや重力があるんじゃないかってくらい自然に移動できる。

 

 そんな中でも、やはり私たちルナリアンは特別で、その移動の仕方は――

 まるで海を泳ぐようなんて形容される。


 海を知らないし、プールにも入ったこともない私たちルナリアンにはピンとこない話だけど。


「やっぱり、ポーラもすごく綺麗に無重力を移動するのね?」

 

 一緒に宇宙ステーションを訪れたアスカの第一声が――やはりそれだった。


「そうかな? アスカもすごく上手に移動していると思うけど」

 

 私は恥ずかしくなってそう返したけれど、その言葉はお世辞なんかじゃなかった。

 アスカは無重力空間でもとても上手に移動をしていて、目算を誤ってカートに突っ込むようなこともなく、スムーズに前に進んで行った。地球にいる時にかなりの訓練をしてきたんだろうなってことがうかがえて、私はその時にも大きな感心をした。

 

 今も、私の目の前ではアスカが必至になって無重力に慣れようと訓練を続けている。

 

 まるで、本当の宇宙飛行士のように。

 自分のたどりつくべき星を知っているみたいに。

 

 彼女は、その星に手を伸ばして――その星をつかもうとしている。

 

 ただ手すりにつかまって、その場に留まろうとしている私なんかとは――


 まるで正反対。

 

 ほんと、私ってあーあって感じだよね。

 あーあ。

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