15 船外活動実習

 アスカの言葉に喜び、はげまされ、勇気づけられ――

 私の胸の奥には、新しい熱が灯った。

 

 だとしても、それで私が変われたり、私自身が新しい一歩を踏み出せたかと言えば――もちろん、そんなことはなかった。


 私は相変わらず私のままで、私の進路票はもちろん白紙のまま。


 まるで行先のない――たどりつくべき場所のない宇宙船みたいに。

 たとえエンジンに火が灯ったとしても、目的地がないのでは発進することはおろか、宇宙に飛び出すこともできない。


 それでも、現実というのは向うのほうから迫ってくるもので、私は一日一日と近づいてくるその日を前に、憂鬱な気分で日々を過ごしていた。隕石が落ちてくるのを、ただ空を眺めて待ち続けるみたいに。


 そして、ついにその話題がアスカの口から出た時――


 私は、走って逃げ出そうかと思ったほどだった。

 尻尾を踏まれた猫のように、一目散に駆け出したい気分。


 あーあ。

 ついに来たって感じ。


「もう直ぐ、『船外活動実習』ね。私、すごく楽しみにしてるのよ」

 

 お昼休み。

 いつものように、裏庭で二人きりでランチボックスを広げている時に、アスカは楽しそうに言った。おにぎりのご飯粒が彼女の口元についていて、それを取ってあげようかなあなんて考えている時だった。


「ポーラ、どうしたの? すごい顔しているわよ?」

「そうかな」

 

 私は絞り出すように言った。

 おにぎりの粒はいつの間にか取れていた。


「ええ、世界の終わりっていうか――“冷たい方程式”を目の前にした時みたいな、絶望的って顔をしているわ」

「ちょっと気分が悪いのかも。あはは」

 

 私は適当なことを言ってなんとかその場では誤魔化したけど、もはや誤魔化しきれないのは明白。いつその時が訪れたって、おかしくはなかった。

 

 だって、もう直ぐ『船外活動実習』が始まるのだから。


『船外活動実習』とは、文字通り船外活動を行う特別な授業のことで――無重力の宇宙空間で活動をするための実習を行う授業のこと。月にある宇宙港から宇宙船に乗りこんで月の静止軌道せいしきどうに上がり、実際に宇宙服を着用して、その上にさらに船外活動ユニットを装着する、月のハイスクール最大の授業。

 実習には、現役の宇宙飛行士数名が講師としてやって来る。

 

 この実習の成績は私たちの進路にも大きく影響してくるため、クラスメイトたちのやる気は非常に高く、教室のいたるところで実習の話題で持ちきりになるのだから――


 私とアスカの間でその話題が持ち上がるのも、当たり前のことだった。


「『地球帰り』の称号は俺がもらうぜ」

「まぁ、ノリスなら“地球行き”に選ばれるかもなあ」

「セシリーも希望してるけど、このクラスから二名も選ばれるかなあ?」

「地球行きはアームストロングのハイスクールのほうが有利って聞くぜ?」

「コペルニクスからは、まだ地球行きはゼロだもんなあ」

「そんなもん、俺が塗り替えてやるよ」

 

 こんな感じで、クラスでは日を増すごとに『船外活動実習』の話題が飛び交うようになっていた。ノリスたちのグループは、ちょうど地球行きの話題で盛り上がっているところ。

 

 地球行きとは――

 文字通りルナリアンが地球へ降りることができる特別な留学制度のこと。

 

 これに選ばれた生徒は、その瞬間からエリートと呼ばれるようになる。

 もちろん、地球行きに選ばれるための倍率はものすごく高く、数々の難関が待ち受けている。全力でジャンプしたとしても、到底届かない壁がそこには立ちはだかっている。毎年数名、片手を越えることのない人数しか選ばれないうえに、このコペルニクスのハイスクールから選ばれた生徒はまだいない。

 

 ある意味では、無謀に近い挑戦とも言える。

 

 地球行きに選ばれれば、月の代表として地球に降りるためのありとあらゆる支援や援助を受けることができ、学費や生活費、地球に降りるための費用だけでなく、その後の進路や活動に応じた資金提供まで受けることができる。


 簡単に言えば、将来を約束されるということ。

 

 そして、地球から帰ってきたルナリアンは『地球帰り』と呼ばれて、周囲から一目を置かれるようになる。

 

 普段は、地球の人たちのことを馬鹿にして自分たちを特別視しているルナリアンたちも、この地球行きの話題の時だけは地球のことを喜んで語りたがる。

 

 私はそんな調子の良さを横目で見ながら、早くこの話題が教室から消え去ってくれることだけを願っていた。

 

 もちろん、そんなことは絶対にないんだけど。

 そして、その瞬間は唐突で無慈悲に訪れた。

 

 流れ星がいつの間にか現れて、そしていつの間にか消えて行くみたいに。


「えー、来週から『船外活動実習』に入ります。まだ『バディ』を組んでいない生徒は、今のうちにバディを組んでおくように」

 

 シマコ先生がホームルームで告げたその一言で、私はついに終わりが来たことを実感した。


 私という星に、終りをもたらす巨大な隕石が降り注いだことを。


「ポーラ、私とバディを組みましょうよ?」

 

 アスカはごく自然な感じで、それがさも当たり前と言うようにそう提案してくれた。これまで決まったバディがおらず、いつも余りものどうしでバディを組んでいた私には――その一言は、嬉しすぎる一言だった。

 けれど、そんな嬉しさを一瞬で吹き飛ばしてしまうほどの憂鬱さと心苦しさを、私は感じていた。


 私は突然、前も後ろも、右も左も――自分が立っているのか、座っているのかも分らなくなってしまったみたいな感覚におちいった。自分が今いる空間すら見失ってしまったみたいに。


 私は急に息苦しくなって、胸を奥が締め付けられて――心臓を音が激しくなるのを感じた。


 まるで溺れていくみたいな――

 そんな、感覚。


「ポーラ――どうしたの? 私のはなし、聞こえてた?」

「あの、アスカ――バディのことなんだけど、ごめん、私、アスカとバディ組めない」

 

 私は息を切らしながら、一息にそう告げた。

 苦しくて、目の前が真っ白になりそうだった。


 宇宙空間に一歩足を踏み出す自分の姿を想像して、吐きそうだった。


「どうして? ポーラにはもう決まったバディがいるの」

「そう言うわけじゃないんだけど、あのね、私、たぶん『船外活動実習』は受けないと思うから」

「受けないって必修の授業でしょう?」

「そうなんだけど、私は、その――」

 

 私は、今にも泣きそうだった。

 ちゃんと説明をしなきゃいけないのに、どうしてもその言葉が出てこなかった。


 アスカに幻滅されたり、嫌われたり、ガッカリされることが怖くて、そんなことになったらと思うと――私の言葉は喉の奥で迷子になって、いつまでたっても出てこなかった。

 

 出てくる言葉といえば、曖昧あいまいで要領を得ない言葉ばかり。

 そんな意味を持たない言葉たちが、泡のように弾けては消えていく。


 私は、自分の言葉の中で溺れてしまいそうだった。


「――アスカ、バディなら私が組んであげるわよ。ポーラなんかと組んでも成績を落すだけだわ。地球から上がってきたあなたは、宇宙空間にまるで慣れていないんだからバディは慎重に選ぶべきよ」

 

 私たちの話に割って入ってきたのは、セシリーだった。

 セシリーは面倒臭そうに私を見ると、髪の毛を指先で遊ばせる。


「セシリー、バディの申し出は嬉しいんだけど、私はポーラとバディが組みたいの。それに、今は私たち二人で話をしている最中なのよ」

 

 アスカが勝気な表情のセシリーに挑むように言うと、セシリーは私を見て肩をすくめた。そして苛立たしげに目を細めて、少しだけ困ったような表情を浮かべる。


「はぁ。だから、その“泣き虫ポーラ”が宇宙に出られないから――わざわざ、私がバディを組んであげるって言っているんでしょう?」

「宇宙に出られないって――どういうこと? あと、私の前でポーラを泣き虫だなんて言わないで」

 

 アスカは席から立ち上がり、セシリーを真っ直ぐに見てそう言った。

 セシリーも受けて立つといった感じでアスカを見る。

 

 私は、自分の目の前でいったい何が起きているのか良く分らず、こんな私なんかのせいで言い争いが起きているということに耐えられなくなっていた。


「いい? 私は、何にも知らない地球上がりのあなたに、親切で言っているのよ? それに、ポーラが泣き虫で、弱虫だなんてことは、このクラスの全員が知っていることなんだから」

 

 セシリーが意地悪く笑ってみせる。


「私が、何を知らないっていうの?」

 

 アスカが不愉快そうに尋ねる。

 私は、この場から消え去りたかった。

 

 泡になって消えてしまいたかった。


「そこの泣き虫ちゃんは、臆病で弱虫だから――宇宙に出られないのよ。だから、これ以上、ポーラにかまうはやめたほうがいいって言っているの。分った? アスカ、あなたがポーラの隣にいると、ポーラはどんどん惨めな気分になるって言っているのよ」

「宇宙に出られないって――どういうこと?」

 

 アスカが、まるで意味が分らないというように私を見る。

 その表情は驚き、戸惑い、そして曇っていた。

 

 それに、私の口から説明を求めていた。

 

 セシリーの言葉を否定し、打ち消してしまうような説明を。

 私の言葉を。

 

 だけど、私には何一つ説明できることはなかった。

 セシリーの言葉を、何一つ打ち消すことはできなかった。

 だって、その言葉の全てが本当で、真実だったから。


 私はアスカから目を反らしてしまった。

 

 彼女の黒い瞳がとても遠くに感じられて、彼女の持っている特別な宇宙に永遠にたどりつけないような気がして、私は心の底から自分にうんざりした。遠ざかって行こうとするものに手を伸ばすことも、声をかけることもできない自分に――心の底からガッカリした。

 

 私は、もう我慢できずに立ち上がった。

 立ち上がると同時に私の両目から大粒の涙がこぼれたけれど、もう涙を拭ったり、表情を取り繕ったりする余裕はなかった。

 

 どうせ、ここで全てが終わってしまうのだから。


「アスカ、ごめんね。私、アスカとバディ組めない。だからセシリーとバディを組んで。私は、その――ごめんね」

 

 私は、アスカの顔もセシリーの顔をも見ずにそれだけ言って駆け出した。

 全てのことから逃げ出すみたいに。

 

 ああ、もうっ――

 

 ほんと、わたしって、あーあ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます