13 毛玉たち

「ただいまー」

 

 放課後。

 

 ハイスクールから帰ってきた私は、お昼休みのアスカの言葉を頭の中で何度も何度も――繰り返し繰り返し考えていた。


 あまりにも深く集中していたので、私は自分の足元をくるくると回る三つの毛玉の存在にしばらく気が付けなかったくらい。両足をぺしぺしと叩かれ、つま先やくるぶしを甘噛みされてようやく下を向くと――


 三匹の猫が「にゃあにゃあ」と鳴き声を上げていた。


「ああっ、“毛玉たち”におやつあげるの忘れてた。トーキョー、ベルリン、コペンハーゲン――ごめんね」

 

 私は慌てて猫缶をキッチンに取りに向かった。


「にゃあにゃあ」

「にぎぁあ」

「ふしゅー」

 

 三匹の毛玉たちは私の足元をくるくると回りながら、今日のおやつにありつこうとめいいっぱい甘えだす。


「ほんと、君たちは都合がいいなあ。ふだんは私が呼んでもまるで相手にしてくれないくせに」

 

 私はお皿の上に猫缶を開けて、それを真っ白なタイル張りの床に置いた。


「にゃあにゃあ」

「にぎぁあ」

「ふしゅー」

 

 トーキョー、ベルリン、コペンハーゲンと名づけられた三匹の毛玉は、一心不乱に猫缶を食べ始める。


 地球への憧れが詰まった猫たちの名付け親は――

 もちろん、私。

 

 私は猫たちのそんな愛くるしい姿を、テーブルに肘をついて眺めた。

 

 月では、ずいぶん前から空前のペットブームが起きている。動物を飼うのが一種のステータスや流行となって、月の植民者たちは競い合うように地球から上がってくる毛玉たちを求めた。

 

 その結果起きたのが――飼い主の手にあまった動物たちの遺棄いきだった。つまり月面都市のいたるところで、捨て猫や捨て犬が現れたのだ。コペルニクスはそうでもないけれど、いち早くペットを解禁したアームストロングなんかは、猫の街なんて揶揄されるくらい、野良猫で溢れ返っているって噂。

 

 そんな状況に怒り心頭したのが――

 月のお姫さまだった。

 

 もともと、月で動物を飼うことに賛成の立場じゃなかったお姫さまは、迅速に動物の遺棄罪やそれに関連する法律を議会で承認させて、月のお役所に動物専門の窓口を設けさせた。そして月の市民に向けて――動物を大切にし、できるだけ動物を保護するように語りかけた。

 

 そんなお姫さま自身も、捨て猫を一匹引き取って育てている。

 クドリャフカという黒猫で、私も一度だけお姫さまに抱かれている姿を見たことがあった。

 

 そんなお姫さまに感化された月の市民たちは、捨てられた動物たちの里親を探すネットワークを直ぐさまつくって行動を開始した。遺棄された動物たちが、一匹でも多く新しい飼い主に出会えるようにボランティア活動をはじめたのだ。

 

 我が家にやって来た三匹の毛玉たちも、そんなネットワークを通じて母が引き取ったものだった。もちろん、私も愛くるしい新しい家族の誕生に、喜んで飛び跳ねた。私自身も「にゃんにゃん」と叫び声をあげたくらい。


「にゃあにゃあ」

「にぎぁあ」

「ふしゅー」

 

 私は、ひょんなことから我が家にやって来た新しい家族たちの頭を撫で、喉の下をゴロゴロしてやった。しかし、毛玉たちはうっとうしそうに私の手をぺしと払いのける。食事の邪魔をするなとばかりに。


「むー、毛玉たちめ」


 やれやれ、本当に都合がいいんだから。

 

 月の市民たちの間では、捨てられた動物を引き取ることが一種の社会貢献になっており、そこら中で動物たちのためのボランティア活動が行われておる。そして、ついに遺棄された動物を何匹引き取ったかを競うような、そんなうんざりする市民まで現れた。

 

 彼らは、動物を保護し、引き取り、育てることがさも当然で、当たり前のように声高に叫び――それを私たちに押し付けてくる。


 それは、まるで形のない正しさを強要されているみたい。

 

 私は、そんな押し付けや強要に息苦しさを感じてしまう。

 月では、そんな目に見えない正しさや、形のないルールのようなものがたくさんあって、私をいちいちうんざりさせる。月面都市の中にいるはずなのに、酸素のない宇宙空間に放り出されたみたいな気分になる。


 捨てられた動物を引き取るという正しさにさえ、それをしなければ月の市民ではないという押し付けのようなものを感じてしまう。


 たぶん、そんなことを考えているのは私くらいだと思う。

 そして、そんなことを考えている自分に、いちいちうんざりするけれど――うんざりすることは他にもある。


 それは月の市民たちが、自分の飼っている動物の名前一つ、自分たちでは名づけられないということ。お姫さまにならってにクドリャフカと名付ける飼い主が多く、月のあちこでは、新しいクドリャフカが誕生している。毎分数匹は生まれているんじゃないかってくらい。最近ではアニメやグッズにもなって、そこら中でクドリャフカが増殖している。『クドリャフカの休日』、『クドリャフカの大冒険』、『それ行け、クドリャフカ』――そんなタイトル。


 猫の名前くらい自分たちでつければいいのに。

 

 それだけじゃなく、お姫さまが身に着けてい洋服やバッグ。使っている化粧品。行きつけのレストランやパン屋。彼女のちょっとした一言や立ち振る舞いや仕草まで。

お姫さまが名づけた猫の名前も含めて――お姫さまの全てを模倣したがる市民たちで、この月は溢れ返っている。


 この月ではお姫さまが全てで――絶対。

 彼女の存在だけで、この月という星が成り立っていると言っても過言じゃないくらい。


 そのことが、私を心底――それはもう、どん底ってくらいにうんざりさせる。

だって、私たちがどれだけ彼女の真似をして、彼女に近づこうとしても、私たちは絶対にお姫さまにはなれないし、彼女のことを一ミリだって理解することはできないんだから。


 最初のルナリアン。

 私たちのルーツといってもいい女性。

 おそらく、私たちの悩みや苦しみを一番初めに乗り越え、克服したた女の子。

 

 ねぇ、あなたは、いったいどうやってルナリアンであるということを受け入れて――どうやって、この月で生きていくという現実と向かい合ったの?

 

 そして、どうやってそれを乗り越えたの?

 

 だって、あなたはたった一人きりで――

 ずっとたったひとりのルナリアンだったんだよ?

 

 ひとりぼっちのルナリアン。

 

 あなたの周りには、誰もいなかった。

 ルナリアンはおろか、友達の一人も。

 

 それどころか、同年代の子供だっていなかった。

 そんな、砂と岩と穴ぼこしか存在しない星に勝手に産み落とされて、両親だって友達だっていないそんな世界で、どうしてそんなに立派に成長することができたの?

 

 どうして、月の市民のために――

 月だけじゃなくて地球のために、そこまで一生懸命に働けるの?

 

 私は、そこまで考えてやめた。

 きっと、お姫さまは生まれながらに特別だったんだ。

 

 私なんかとはまるで違う、本当の意味で選ばれた特別な女の子だったんだ。

 そうとしか思えなかった。

 

 彼女には、生まれながらの勇気が備わっていた。

 それも、この何にもない――砂と岩と穴ぼこだけの星で絶望しないだけの、とびきりの勇気が。

 

 私は、そんな勇気は持ってない。

 私に、勇気なんてあるわけないよ。


「ハイスクールに通っているルナリアンの中で一番の勇気があるのは、ポーラ――あなたよ」


 それでも、あの中庭で――

 アスカが言ってくれたその言葉は嬉しかった。

 

 いろいろなことに落ち込み、うんざりし過ぎている私の心を、暖かななにかで優しく包み込んでくれた。まるで冷たい月の裏側に日の光が差し込んだみたいに。

 

 私は、昼休みのアスカとのやりとりを思い出した。

 そして、何度も何度も、繰り返し繰り返し考えた。

 


 月が――

 

 地球の周りをまわり続けるみたいに。

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