12 幼年期の終わり


 私とアスカのファースト・コンタクトの翌日から――

 私たちは、毎日一緒にお昼を食べた。


 授業も隣どうしで並んで受けたし、予定さえ合えば登下校も一緒にした。なんだか双子の姉妹のようで嬉しかったけれど、私たちがそこまで親密かと言えば、残念ながらそうでもなかった。

 

 アスカはやはりクールな性格で、やはりおしゃべりという訳じゃなかったし――自分から個人的なことをペラペラと話すような女の子でもなかったので、私たちの会話はそれほど盛り上がったりはしなかった。

 

 私も会話下手というか、かなり引っ込み思案な性格だったので、なかなか踏み込んだ質問ができず――私たちの会話は、なんとなくお互いの輪郭をなぞるだけの、よそよそしいものだった。月から遠い地球を眺めてみると、美しい青いふちしか見えなかったみたいな、そんなもどかしい感じの会話。

 

 それに、アスカは二人きりの時も平気で本を読んだりするので、私たちは無言の時間のほうが多いくらい。

 

 私は、アスカに聞きたいことがたくさんあった。

 アスカに聞いてほしい話だってたくさんあった。

 

 私のことをもって知ってほしかったし――

 アスカのことをもっと知りたかった。

 

 アスカは、どうして月に上がってきたの?

 ご両親の仕事の都合なの?

 地球のお友達たちとお別れして寂しくないの?

 地球に帰りたいって思わないの?

 月にきてどんなことを思ったの?

 私のことを、どう思っているの?

 友達だって、思ってくれているのかな?

 

 私はね――

 月で生まれて来なければよかったって思っているんだよ。

 

 ルナリアンなんかじゃなくて、地球で生まれて――それでアスカと出会えたら良かったって思っているんだよ。それにアスカなら、私をここじゃないどこかに連れて行ってくれるんじゃないかって――

 

 私、そんなふうに考えちゃうんだ。

 

 私のこの身勝手な思いが、自分勝手なわがままが、ほんの少しでもアスカに伝わったらいいなと思って彼女を見つめていると――不意に、アスカは読んでいた本から目を上げて微笑を浮かべた。


「この本――気になる?」

 

 私の思いは届かなかったけれど、私はアスカと少しでもお話ができると思って頷いた。


「これはね、ずいぶん古いSF小説なの。タイトルは――『幼年期の終わり』」

 

 アスカは読んでいた小説を閉じると、本の表紙を私に向けてくれた。


『幼年期の終わり』

 

 真っ黒な宇宙に、大きな星が一つだけ浮かんでいるシンプルな表紙の本。

 その文庫本はとてもボロボロだったけれど、何度も繰り返し読まれてきたことが一目でわかる、どこか温もりを感じさせる本だった。

 

 電子端末で本を読むのが当たり前の月面では、紙の本自体が珍しいということもあって――私は『幼年期を終わり』に興味津々だった。


「どんなお話しなの?」

「そうねえ――」

 

 アスカは瞳を持ち上げて形の良いあごに指を当てる。


「“米ソ”による宇宙開発競争が進んでいる地球に――突然、宇宙船がやって来るの。その宇宙船の主である宇宙人は『これから人類を管理する』と宣言して、私たち人類を統治していくの。人類は地球にやって来た宇宙人――その新しい主を“オーバーロード”と呼んで、オーバーロードは圧倒的な科学技術、未知のテクノロジーで、世界から戦争や、飢餓きがや、疫病えきびょうを無くし、国家を解体して地球を“ユートピア”へと変えていく。そして、オーバーロードに統治された地球に“黄金期”が訪れ――人類はオーバーロードと一緒に進化をしていくの」

「何だか、すごいお話しなんだね? それに、すごく難しそう」

「読んでみると、そんなことないのよ。よかったら、ポーラも読んでみる?」

 

 アスカは文庫本を私に差し出しながら言った。


「でも、読んでる途中なんじゃないの?」

「私はもう五回くらい読み返してるから、興味があるならポーラに貸すわよ」

「ほんと、じゃあ借りて読んでみようかな?」

 

 私はボロボロの『幼年期の終わり』を受け取って、それを慎重にぱらぱらとめくってみた。


 日に焼けたページ。

 端の折れたページ。

 線の引いてあるページ。


 読みこまれてくたびれた色々なページがあったけれど、とても丁寧で大切に扱われていることが伝わってくる暖かみのある本だった。


「とっても大切にしてるんだね」

「ええ。人生で最高の一冊を選べと言われたら、今のところは『幼年期の終わり』を選ぶと思うわ」

「そんなにっ?」

 

 私は、驚いて言った。それに自分の一番好きなものを直ぐに答えられるなんて、そんなところもすごい思った。

 

 私には、自信をもって一番と言えるようなものは見当たりそうもなかった。

 今のところ。


「『幼年期の終わり』の物語ってね、今の地球にすごく当てはまっていると思うの」

「地球に当てはまってる?」

「ええ。今の地球ってのね、ものすごい閉塞感に包まれてて、ものすごく息苦しいのよ。たくさんの国がどんどん貧しくなっていって、それこそ戦争とか飢餓とかが、いたる所で起こっている。お金のある国は宇宙開発に力を入れて、月という新しい開拓先――新しい希望にすがっているんだけれど、それでも、どんどん発展していく月と違って、地球は坂を下るみたいにひどくなる一方。貧富による格差が広がり過ぎて、同じ地球で暮らしているはずなのに、同じ星に住んでいるとは思えないくらいなのよ。残念な話だけれど」

 

 私はアスカの話を聞きながら、私の憧れる地球がそんなにひどいところだってことに大きなショックを受けていた。

 

 月と違ってなんでも揃っていると思っていた、自由に満ち溢れている思っていた青い星が――地球が、そんなに苦しんでいるなんて知らなかった。

 

 私は、その事実をうまく呑みこめずにいた。


「でも、月は違う。月の人たちは、地球に暮らす人に平等に資源が行きわたるように、ものすごく努力してくれている。月には、地球で暮らす人たちがどれだけ使っても使いきれないくらいの資源があって、それをどの国にも――お金持ちにも、貧しい人にも、ちゃんと行きわたるように頑張ってる」

 

 アスカは、彼女だけの特別な宇宙を隠し持った二つの黒い瞳の奥で、彼女だけの星を輝かせながら断言するように続ける。


「私はね、月に上がった人たちが――そして、ポーラたち月で生まれた人たちが、地球の『幼年期』を終わらせてくれるんじゃないかって思っているの。月のお姫さまと一緒に。もちろん、物語に出てくる宇宙人みたいに万能じゃないけれど、それでも地球の人たちとは違う新しいなにかを持っていると思う。私はね、その手伝いができたらいいなと思って月に上がったのよ」

「じゃあ、アスカはご両親の都合とかじゃなくて、自分の意思で月に上がってきたの?」

「そうよ」

 

 彼女は、少しだけ誇らしそうに頷く。


「お父さんとお母さんは、私がもう少し大人になったら――大学生に上がった時や、社会に出るタイミングで月に上がってきたらって提案してくれたんだけど、どうせ上がるなら早いうちからのほうがいいと思って」

「私と同じ十四歳なのに――そんな一大決心を」

 

 私は打ちのめされたように言った。それもコテンパンに。

 私なんて、まだ自分の進路先も決めてないどころか、日々の時間の大半を現実逃避に割いているくらいなのに。


「だってね――大学生になってから上がると、月の『大学カレッジ』って、“地球の派閥はばつ”と“月の派閥”でハッキリと別れちゃうらしいの? せっかく月に上がったのに、同じ地球人どうしでくっついて仲良くやっていても仕方がないでしょう? せっかくなら、月で生まれた人たちと交流して、仲良くならなくちゃ」

「すごいね、アスカは。もう、そんなことまで考えているんだ。それに考えるだけじゃなくて、ちゃんと行動に移して月に上がってきて――ほんと、すごいよ。私、尊敬しちゃうなあ」

 

 私は、眩しすぎるアスカを見つめながら素直な気持ちを吐露とろした。

 私は、こんなすごい女の子が自分の隣にいるなんて信じられなかった。

 それに、私なんかと仲良くしていていいのかなって思ってしまった。


 せっかく月に上がってきて、ルナリアンたちと交流をするのなら――

 私なんかよりも、セシリーたちと仲良くしたほうが何倍もマシなんじゃないかって本気で思った。かなりうんざりしちゃう話だけど。


「そうかしら?」

 

 だけど、アスカはよく分からないって顔をして首を傾げる。

 自分のすごさを、ぜんぜん自覚していないって感じで。


「――私は、私なんかよりもポーラのほうがすごいと思うけれど?」

 

 そして、彼女が続けた言葉を受けて――

 私は今日一番の驚きとともに、悲鳴に近いすっとんきょうな声を上げてしまった。

 

「えええっ?」

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