10 フラワーガーデン

 私たちはハイスクールの廊下を駆け抜けて、目的も分らずに前に進んだ。

 

 私の手を引く小笠原さんの足取りはとてもスムーズで、まるでステップを踏むように軽やかだった。地球から上がってきたばかりとはまるで思えないくらい。私のお母さんとは大違い。


 私たちはほとんど会話をすることなく、ハイスクールの裏庭へと出る。

 どうして裏庭に向ったのか分からなかったけれど、私たちはそれがとても自然なことのように――そのよく手入れのされた花園に足を踏み入れた。


 裏庭とは言ってもハイスクールの中なので、天井も壁もあり、庭というよりは温室のような空間。そこに、色とりどりの花たち――薔薇や百合、チューリップ、パンジー、スミレ、スイレンなどが、まるでステンドグラスに光を当てたように咲き誇っている。


 そんな素敵な場所なんだけれど、あまりにも花の匂いが強いので昼食の時間にこの場所を訪れる生徒はほとんどいない。今も、このむせ返りそうなほどに甘い場所には、私と小笠原さんの二人きり。


 まるで二人だけの秘密の場所みたいに。

 

 私はそれがとても嬉しくて、彼女と一緒にいられるならどんな場所でもいいと思った。


 私たちはそんな花に囲まれた裏庭で、今朝配られた“ランチボックス”を広げた。

 ハイスクールでは、毎朝その日の昼食が配られる。パンやおにぎりと言った簡単な軽食類と、牛乳や緑茶などの飲み物が一緒に入った四角いプラスチックの箱で――私たちはそれをランチボックスと呼んでいる。


「今日はナンとカレーソース? 飲み物はラッシー? バラエティに富んでいるのはいいんだけれど――これは、ちょっとどうなのかしら?」

 

 小笠原さんは広げたランチボックスを眺めて首を傾げる。

 

 私はどこか心ここにあらずでそんな彼女を見ていたけれど、先ほどまで私の手を握っていた手から伝わる――今は離れてしまった彼女の手の温もりが、今も私の心と体を暖めていくのをずっと感じていた。


 それに私は今の状況が上手くつかめず、ふわふわと宙に浮かんだような気持ちのままだった。

 ただ、私の中に灯った熱だけが確かなリアリティをもって――私を現実に繋ぎとめていた。


「あっ、あの、小笠原さん――」

 

 私は何か言わなくちゃと思って口を開くと、同時に小笠原さんも口を開いた。


「ねぇ、“泣き虫ポーラ”って――なに?」

 

 私はいきなり尋ねられて戸惑った。

 けれど、彼女のその表情と黒い瞳があまりに真剣だったので、その質問をごまかしたり、嘘を吐いたりしようと思わなかった。


「私のコールサイン。他にもいっぱいあるよ。“臆病ポーラ”とか、“意気地なしのポーラ”とか、“弱虫ポーラ”とか」

 

 私は、しょんぼりしながら言った。


「ふうん、ポーラはぜんぜん臆病でも意気地なしでも弱虫でもないのにね。きっと一番の勇気を持っているのに、みんなは気がついてなのね?」

 

 小笠原さんは真剣な表情で、そして確信に満ちた調子で言う。


「ええっ? 私に勇気なんてないよ。勇気があるのは、小笠原さんのほうだよ。たった一人でノリスと勝負をするなんて、私には考えられないし――無理だよ」

 

 私が言うと、小笠原さんが不服そうに首を傾げた。

 

 私は急に色々なことを言われて――それも、私に勇気があるなんて言われてだいぶ戸惑い、混乱していたけど、それよりも小笠原さんにポーラと名前で読んでもらえたことが嬉しかった。


 小笠原さんに名前を呼ばれると、私の心臓が飛び出しそうなくらい大きく鼓動する。このまま宇宙に飛び出しそうなくらい。

 

 なんだか、久しぶりにハイスクールで自分の名前をしっかりと呼んでもらえたような気がした。

 

 ポーラ。


 あんまり気に入っていない名前だけど、小笠原さんに呼んでもらえると少しだけ特別な名前のような気がした。


「ねぇ、その――小笠原さんって呼ぶの止めてほしいんだけど?」

「え?」

「アスカでいいわよ」

「ええっ?」

 

 私は、いきなりの提案に驚いた。


「嫌なの?」

「嫌なんて、そんな。でも――」

「私もポーラって呼んでいるんだし、ハイスクールのみんなだってファーストネームで呼び合うのがふつうでしょ?」

「そうなんだけどね――私、お母さんが日本人だからか、初対面の人は苗字で呼ぶ癖があって、それで――」

「ポーラのお母さんは日本人なのね? 素敵。一度お会いしてみたいわ」

「私のお母さんに、小笠原さんが?」

 

 私は急に色々なことが飛び込んできて、わけが分らずに混乱しはじめていた。まるで、たくさんのボールが一度に投げられたみたい。私は一つのボールだってうまくキャッチできないのに。

 

 それに、小笠原さんを家のお母さんに紹介する?

 お母さんがはしゃぎ回ってあれこれ質問をぶつける姿がありありと想像できて、私は恥ずかしくて顔が真っ赤になりそうだった。


「――ちょっと、ポーラ、聞いてる」

「うっ、うん。聞いてるよ」

「初対面ってなに? 私がハイスクールに入学してから、もう一月も経つんだけれど」

「ああっ、ごめんっ。ごめんなさい。そう言う意味じゃなくて、小笠原さんとお話しするのは今日が初めてだから、いきなり名前で呼ぶのは――その、あれで、あの、だから」

「あー、もうじれったいわね」

 

 小笠原さんは面倒くさそうに言って、綺麗な指の先を私の鼻先に当てた。


「私は、ポーラのことをポーラって呼ぶから――ポーラは私のことをアスカって呼ぶ。今、この瞬間からよ。アンダースタン?」

「あっ、アンダースタン」

 

 私は、その勢いと押しの強さにに負けて頷く。

 小笠原さんって意外に強引な性格なんだ知って、なおさら驚いていた。


「じゃあ、改めてよろしくね――ポーラ?」

「うっ、うん。よろしく、お願いします。あっ、あ、アスカ」

 

 私は何だか気恥ずかしくて、小さな声で囁くように彼女の名前を呼んだ。


「聞こえなーい」

 

 小笠原さんはぷいとそっぽを向く。


「おがさっ、じゃなくて――アスカ」

「聞こえなーい」

「アスカっ」

 

 私は声を大にしてアスカの名前を呼んだ。


「もう一回呼んで」

「えー、もう恥ずかしいよ」

「いいから、お願い」

「よろしくねっ――アスカ」

 

 今の私は、たぶんこの月で一番顔を真っ赤にしている女の子だと思う。

 ううん、きっと世界で一番顔の赤い女の子だよ。


 恥ずかしくてどうにかなりそう。


「よろしいっ。こちらこそ、よろしくね――ポーラ」

 

 アスカは満足そうに頷いた後、そっと手を差し出した。

 私も手を伸ばして彼女のひんやりとした手を――だけど、私のことを芯から暖める熱をもった手をつかんだ。

 

 私たちは握手を交わした。

 

 その握手はとても不思議で、よく意味の分からない握手だったけれど――毎日にうんざりしている私をときめかせるには、十分すぎる握手だった。

 

 それは、この月という私をうんざりさせる星で、ルナリアンでいるという現実に心底落ち込んでいた私を引き上げてくれるかもしれない――そんな予感に満ちた握手だった。

 

 私をここじゃないどこかに連れて行ってくれる――

 そんな素敵な予感の詰まった素敵すぎるファースト・コンタクト。

 

 ヒューストン――

 

 こちら『コペルニクス』。



 素敵な、お友達ができました。

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