6 クロスプレイ

 三順目に入ると――

 マウンドとバッターボックスから伝わってくる緊張はものすごかった。


 その熱を受けてか、観戦をしている私たちも、二人の勝負の行方をただ静かに見守っている。一順目では黄色い声を送っていた女の子たちも、今は口を閉ざして真剣に観戦していた。

 

 お互いのポイントは――


 ノリスが3ポイント。

 小笠原さんが2ポイント。

 

 ここでノリスがホームランを打てば――無条件でノリスの勝利が確定する。

 

 ピッチャーマウンドに立つ小笠原さんは、キャッチャーとサインを交換した後、表情を硬くしたまま大きく振りかぶった。そして、しなやかに腕をふってボールを投げる。


 内角低めのボール。

 一発を狙うノリスは大きく空振りをして、ボールはミットに収まる。

 

 また変化球だった。

 

 三順目になると、小笠原さんがどのような球を投げているのかが分ってきていた。

 彼女が投げているのは、いわゆる『ツーシーム』と呼ばれる球種で――ボールを握った二本の指を、ボールの縫い目にかけて投げる球。基本的には変化球と言うよりも、変化するストレートと言ったほうが正しく、ストレートと同じ軌道と速度で、打者の手前で揺れるように変化する。


 そのため、バッティングの芯を外しやすい。

 ノリスはこれまで二打席とも真芯を外されている。

 

 小笠原さんは、三球目と四球目をボールで外してバッターの様子見をして、五球目は外角の高め。ノリスは三球目、四球目と同じく、これを見送り――判定はストライク。

 

 ツーストライクとなったことで、ノリスは追い詰められた格好となった。

 これで小笠原さんがノリスをアウトにすれば同点となり、小笠原さんの負けはなくなる。

 

 三球目は――

 ど真ん中のストレート。

 

 しかし、これは間違いなく決め球。

 ツーシームであることは、私にだって理解できた。

 もちろん、それはノリスだって同じ。

 

 ノリスは身を投げるように体を前に乗り出して、小笠原さんの投げた球が変化をする前に強引にボールを叩きにいった。乱れた体勢からフルスイングで真芯でとらえたバットは快音を鳴らし――


 ライナー性の打球がレフトの方角に飛んでいく。


「――レフトっ」

 

 小笠原さんが声を上げると、レフトは飛んでくるボールとの距離を見定めて大きくジャンプをする。四メートルほど高く飛んでボールに手を伸ばすが、グラブに弾かれた打球は無情にもグラウンドに落ちていく。


「ああっ、うそっ」

 

 私が声を漏らすのと同時に、即座にカバーに入っていたセカンドがグラウンドを転がるボールを拾い、二塁についた小笠原さんに急いで投げる。

 彼女がボールをキャッチするのとほぼ同時に――ノリスが二塁を踏んだ。


「セーフ」


 判定はセーフで、ノリスは二塁に出塁。

 ギリギリでホームランは防げたけれど、それでも会心のあたり。

 

 これで、ノリスは5ポイント。

 勝負の行方は絶望的だった。

 

 現在の小笠原さんのポイントは2ポイント。

 

 ノリスに勝つにはホームランしかなく、同点にするにも三塁まで出塁しなければいけない。これまでの二打席でスイングを一度もボールに当てていない彼女に、ノリスの剛速球が打てるとは思えなかった。

 

 私の嫌な予感は的中して――

 一打席目と二打席目は空振り。

 

 守備陣は彼女のバントを警戒して前進守備――バントシフトを敷いている為、バントの他にも、ボールをグランドに叩きつけて大きくバウンドをさせるトリッキーな打法なども難しく、私たち観戦側から見た様子でも手詰まりに見えた。


「やっぱり、地球人がノリスに勝てるわけないよねー?」

「当たり前よ。くすくす」

「でも、けっこうよくやった方なんじゃない?」

「ねー」

「けっこうがんばったわよ」

 

 観戦側はすでに終戦ムードで、緊張感の去った安堵の雰囲気が漂っていた。

 

 だけど、ヘルメットの下の小笠原さんの表情は諦めてはいなかった。

 彼女は唇をきつく結んでバットを強く握り――その黒い瞳でノリスを見つめ続けている。全てを呑みこんでしまうみたいな――彼女だけの宇宙が広がっているようなその瞳で、放たれるボールだけを追おうとしていた。


 一瞬の流れ星に手を伸ばすみたいに。

 

 小笠原さんは、一ミリだって諦めていなかった。

 たった一人、地球の代表として月のマウンドに立ち――最後の瞬間まで、一人で戦い抜くことを決意していたんだ。

 

 気がつくと、私は涙を流していた。

 自分がひどく情けなくて、自分がひどく卑怯者のような気がした。

 

 私は、彼女に――小笠原アスカさんに、一人で戦っているんじゃないんだよって伝えたくてたまらなくなっていた。

 

 私は、両手を強く握った。


「――がんばって」

 

 最初は絞り出すような小さな声。

 まわりのクラスメイトが、私に視線を向けるのが分った。


「がんばって」

 

 勇気を振り絞って少し大きな声。

 まだ足りないんだって分っていた。バッターボックスに立つ彼女に声を届けるには、これじゃあぜんぜん足りない。

 

 私は震える足を強く握った拳で叩く。


「小笠原さん――がんばってえええええええ」

 

 そして、大声を張り上げた。

 

 私は涙を流したまま立ち上がり、大声で彼女を応援した。

 クラスメイトたちは驚いてヒソヒソと会話を始める。

 

 知るもんかっ。

 私は、小笠原さんを応援するんだっ。


「がんばれっ、がんばれええええええ」


 私の声援が届いたのか――

 小笠原さんは一瞬だけ視線を私に向けて、あの力強い微笑を浮かべてくれた。

 

 それは、流れ星が願いかける前に消えてしまうほどに短い笑みだったけれど、私は今度こそ、その一瞬の流れ星を見失うことなく――


「勝って」と願った。

 

 ノリスは大きく振りかぶり――

 ど真ん中のストレートを投げる。

 

 小笠原さんは迷いのない美しいフォームで――


 長く持ったバットを大きく振った。

 夜空に月を描くように――


 美しすぎる弧を。


「打てえええええええええええええええええええええええええええ」

 

 私はお腹の底から――

 そして、心の底から叫んだ。

 

 鼓膜を破りそうなほどの快音が球場に鳴り響く。

 打球は、地球まで一直線に飛んでいきそうな大きなヒット。球場の天井の、一番高いところに向かって行く会心の当たり。


 彼女の打球がものすごく速いため、反射板にぶつかってボールが跳ね返る速度もすごく速く――守備陣は落ちてくる打球の行方を見失っていた。


 反射板を利用した打法の、お手本と言えるような打球だった。

 

 ボールが転がったのは――ライトの一番深いところ。

 小笠原さんはその間に二塁を回り、三塁を目指し始めていた。

 三塁まで出塁すれば彼女の負けはなくなる。

 

 勝負は引き分けで終わるのだ。

 私は手を組んで必死にお願いを続けた。


「勝って」、と。

 

 ボールを拾ったライトは三塁に返球をしようとしたが、その時――


「バックホームッ」

 

 ノリスが大声を上げた。

 

 ノリスはキャッチャーの代わりにホームベースでグラブを構え――ライトからの返球が来るのを待ち構えていた。ライトは即座に意図を理解して、本塁に向けて送球を行う。

 

 その間に、小笠原さんは三塁にたどり着こうとしていた。

 ノリスがホームベースについた意図は、本塁を狙おうとする彼女への牽制が大きかったと思うけれど――たぶん、小笠原さんが必ず本塁を狙うと確信していたんだと思う。

 

 その確信の通り、小笠原さんは三塁を踏むと迷うことなくホームベースを目指した。

 

 ライトからの返球が本塁に向って刺すように伸びる。

 月では球の伸びも六倍なので、中学生レベルの肩でもレーザービームと呼ばれる返球を行うことができる。しかし、小笠原さんの足のほうが速く、彼女のほうが一瞬早く本塁に到達すると思えた。

 

 けれど、その時――


 キャッチャーのコレンが小笠原さんの走塁を妨害するように、三塁と本塁の間に立ちはだかった。コレンはノリスと同じチームでずっと女房役を務めている。そのせいか、この勝負でノリスを負けさせまいと行動したんだと思う。でも、それは明らかに冷静さを欠いた行動だった。

 

 私は、呆然とその光景を眺めた。


「うそ? こんなの――ひどすぎるよ」

 

 だけど、小笠原さんが私のそんな気持ちを吹き飛ばしてしまうみたいに――


 宙を舞った。


 走塁妨害をものともせず、両手を広げるコレンの頭の上を――翼が生えたみたいに飛んで、そして華麗に着地を決めてみせた。

 

 それは月面ベースボールの花形の一つで――『忍者』と呼ばれる走塁方法だった。走塁をしながら華麗に宙を待ったり、一回転やムーンサルトをしてみせたりと、観客を沸かせるためのトリックプレー。

 

 それを、地球から上がってきた小笠原さんがやってみせた。


 彼女はコレンを置き去りして本塁を目指す。

 同時に、ライトからのボールが本塁に到達する。

 

 クロスプレイになることは間違いなかった。


「いっけええええええええええええええええええええええ」


 私は自分も小笠原さんと一緒に塁を駆け抜けているような気持ちで、その言葉を口にした。


 彼女に、声援を届けようとした。

 ひとりじゃないよって――伝えようとした。

 ほんのわずかでも、彼女の背中を押す力になりたかった。

 

 小笠原さんが勢いのままスラインディングで本塁に飛び込む。

 ボールをキャッチしたノリスが、素早く身を乗り出して小笠原さんにタッチするために手を伸ばす。

 

 その瞬間――


 二人は激しく接触した。

 土煙が舞うほどにすさまじいクロスプレイ。

 

 ノリスはよろめきながらも、グローブを小笠原さんの体の一部に当てている。

 小笠原さんも、しっかりとホームベースに触れていた。

 

 セーフかアウトか、どちらのタイミングが早かったのかの判定は、審判であるシマコ先生に委ねられると誰もが思った、その時――

 

 ノリスのグローブからこぼれたボールが、二人の間を転がった。

 接触の激しさに耐えきれず、ノリスがグローブからボールを落してしまったのだ。

 

 結果は、セーフの判定だった。


「嘘でしょ?」

「ノリスが負けるなんてありえないでしょ」

「守備妨害なんじゃないの?」

 

 私はそんなどうでもいい言葉たちを無視し、置き去りにして――せいいっぱいの拍手をした。

 

 たった一人で戦い抜いた――

 そして、勝負に勝った小笠原アスカさんに。



「おめでとう。本当に――おめでとう」

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