5 月面ベースボール

『月面ベースボール』は――

 基本的に地球のベースボールのルールと変わらない。


 一塁から三塁、そしてホームベースがあり――ピッチャーマウンドとバッターボックスがある。スリーアウトで攻守が交代し、それを九回まで行う。最終的に得点の多いチームが勝利。1チームの人数は九名。代打や代走などのルールも、ほぼ地球と同じ。


 ただし地球に比べると月は六分の一しか重力がないため――その分、“空中戦”に特化したアクロバティックな競技と化す。月で野球をする場合、ヒットを打った時の飛距離は地球に比べて単純に六倍(本当はもっと複雑なんだけど)になり、そして守備をする時のジャンプも地球に比べて六倍になる。


 もちろん、これではまともな試合にならないため――月面ベースボールは必ず天井のある球場で行われ、天井には『反射板はんしゃばん』と呼ばれる当たった球を跳ね返す板が付けられている。球場によって反射板の向きや形、設置された位置や反発力などは様々で、それが各球場の特徴にもなっている。

 

 ヒットを打っても高く飛び過ぎた球は、もちろん反射板に跳ね返されて落ちてしまう。地球のようにフルスイングでボールをバットに当てただけでは、なかなかホームランにはならない。スタンド席までボールを運ぶには、ライナー性の打球じゃなければならないのだが――ホームランになるライナー性の打球は、高確率で野手陣のジャンピング・キャッチに阻まれる。

 そのため内野安打で確実に出塁、盗塁やバントなどで確実に点を取っていく戦術がセオリーなのだが――プロのリーグでは反射板をうまく利用したり、ものすごいライナーで野手陣を抜いたり、忍者走法で塁を駆け抜けたりと、豊富な戦術で毎回スタンド席の観客を沸かせる。


 地球のベースボールに比べると戦術にバリエーションと工夫があるのが、月面ベースボールの特徴とも言える。そして、地球のチームが月面ベースボールに苦戦にする一番の理由が――この六分の一の重力だからこその戦術の豊富さ。


 地球から上がってきた小笠原さんも、きっとそれは同じだと思う。


 グローブをはめてマウンドに立った彼女は、キャッチャーに向ってボールを投げて感触を確かめる。肩の振り、マウンドの様子、キャッチャーとの連携を一つずつ確認していくのだが、地球との差異に驚いているようには見えず、いつのものように「それが何か?」といった感じだった。


 小笠原さんが球を投げるたびに、一つにまとめた長い髪が揺れる。

 彼女の投球フォームは揺れる黒髪と同じく、ものすごく綺麗だった。一糸の乱れもなく振りかぶり、キャッチャーミットに向かってボールを投げるその姿勢は、とても躍動的でしなやか。指先からつま先まで、体中の筋肉を完璧にコントロールしているみたいに。


 球速もものすごく早く、それは女の子が投げる球の速度ではなかった。

 男子にも負けない快音が――キャッチャーミットの中で鳴る。


 ノリスの表情が変わり、素振りの音にも熱が入った。


「いいぜ、ネズミのジャパニーズ――投げろよ」

 

 バッターボックスに入ったノリスは、バットの先を小笠原さんに突き付けて言った。

 

 小笠原さんは野球帽のツバを直すと――

 静かにうなずいた。

 

 小笠原さんが高く足を上げ、大きく振りかぶる。

 そして、バッターボックスに向って素早く腕を振る。

 

 彼女の指先から離れた白球は真っ直ぐにキャッチャーのミットの中に収まり、気持ちの良い快音を鳴らした。

 

 内角ギリギリを攻めたきわどいボールは――ストライクの判定。

 ノリスはバットを振ることもなく、その球を見送った。

 

 第二球。


 今度は外角の低め。

 快音と共に告げられる審判の判定はストライク。

 ノリスはそれも見送った。

 

 そして、第三球――

 第一球と同じように内角ギリギリの球。


 だけど、今度は少し高め。


 ノリスは狙っていたと言わんばかりに――フルスイングでバットを振る。

 前の二球で見定めたと言いたげな、迷いのないスイングだった。

 

 私は、間違いなくホームランだと思った。

 

 その瞬間、少し高めに投げられた白球は、バットに当たる手前で微妙に軌道を変える――芯を外して撃たれたボールは、大きく天井に向って飛んで行った。


「――クソがっ」

 

 ノリスは手応えの無さに悪態を付きながら、それでも一塁に向って全速力で走る。打球は天井の反射板に当たって跳ね返り、ゆっくりと二塁と三塁の間――ショートの位置に落ちて行った。

 

 反射板に当たって跳ね返ったボールを守備がキャッチすればアウトなので、これで小笠原さんは1アウトで1ポイントを取ったことになる。

 

 私は、ほっと一息つきそうになったが――

 その時、信じられないことが起こった。


 ショートは守備についておらず、落ちてきた打球はグラウンドに転がった。小笠原さんは慌てて自分で打球を取りに走り、それを二塁に向けて投げた。


 私はセカンドも守備を放棄するんじゃないかって、おそるおそるボールを目で追う。だけど、そんな私の心配をよそに、セカンドはしっかりと小笠原さんからの球を捕球して、二塁を踏んだノリスを牽制するようにタッチした。


 ノリスの2ポイント。


「――そんな、こんなのひどいよ」

 

 私は思わず声を漏らした。

 

 しかし、私のまわりの女の子たちは「けらけら」「くすくす」と笑ったり、「ノリス、ナイスバッティングー」と黄色い声を上げている。セシリーだけは、どうでもいいと言いたげに自慢の赤毛を指先で遊ばせたまま。まるで二人の勝負そのものに興味がないみたいだった。

 

 小笠原さんは、困惑したように呆然とグラウンドを眺めていた。

 そして、少しだけ泣きそうな顔をした後、唇を強く噛んで――あの力強い微笑を浮かべなおした。

 

 小笠原さんは、一人で戦わなければいけなかった。

 ここには、彼女の味方は誰一人いない。


 まるで、ルナリアンの中に地球人が混ざるということはこういうことなのだと、彼女にまざまざと思い知らせているみたいだった。

 

 私の目には、自然と涙がたまっていた。

 

 ノリスは不満げにピッチャーマウンドに立ち――小笠原さんはバットを握ってバッターボックスに立った。

 かぶったヘルメットのせいで彼女の表情がうかがえず、私は今彼女がどんな顔をしているのか不安でしかたなかった。


「おい、ジャパニーズ――今謝るならこれで終わりにしてやっていい。土下座じゃなくて頭を下げるだけで許してやるぜ」

 

 ノリスは不機嫌なまま、苛立たしげにそう提案した。


「提案はありがたいけれど――勝負は続けるわよ」

「おいっ、つまらねー意地を張るなよっ。今ので、お前が俺に勝てるわけないって分っただろ?」

 

 ノリスの提案の意味を理解した小笠原さんは、にっこりと笑ってバットをノリスに突き付けた。


「ノリス、あなたけっこう優しいのね? でもね、なにも私は勝ち負けだけで――この勝負を提案したわけじゃないのよ? 私がここで勝負から逃げてあなたに謝罪をしたら――地球の人たちは、勝負から逃げる臆病者だと、意味もなく謝罪をする情けない人たちだと、あなたたちに勘違いをさせちゃうでしょう? このクラスに地球から上がってきたのは私だけで、私はあなたたちの前で地球を代表している。だから――みっともない姿や、情けない姿は見せられないのよ」

「そーかよっ、もうどうなっても知らねえからな」

 

 ノリスは苛立ったままを大きく振りかぶる。

 そして、小笠原さんの立つバッターボックス目がけて剛速球を投げた。


 ど真ん中のストレート。


 バットを長く持っていた小笠原さんは、ノリスが球を投げた瞬間――素早くバットを持ち変えてバントの構えを取った。そして、ギリギリまで引き付けた球にバットを当てて三塁方向に転がすと、彼女は一塁に向けて全速力で駆け抜ける。


 呆気にとられたことと、元からやる気のない守備陣は突然のバントに対応できず――ようやくボールを取って一塁に投げた時には、小笠原さんは楽々と出塁していた。


「これで2対1ね?」

 

 小笠原さんはノリスにそう告げて、ピッチャーマウンドに向かって行った。

 ノリスの表情から苛立ちは消えていた。

 

 二順目は、どちらも不発だった。

 

 ノリスはゴロを打ってアウトになり、小笠原さんはバントシフトを取られて空振り三振だった。

 

 そして、勝負は最後の三順目に移った。

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