4 鼻からスパゲッティ

 私は小笠原さんのことを、地球から月に上がってきてしまった不幸な女の子だと思っていた。

 まるで行先の違う便に紛れ込んでしまった荷物のように、何かの手違いでたまたま月に届いてしまったのだと、私は勝手に思い込んでいた。

 

 でも、彼女は間違ってこの月に上がってきたわけでもなく――

 ましてや、不幸の星の下に生まれた女の子でもなかった。

 

 そんな私の勝手な幻想を――しめっぽくてみっともない共感を吹き飛ばしてしまうのような出来事が、その日に起こった。

 

 それはスポーツの授業の時のこと。

 

 私たちは男女に別れて『月面ベースボール』の練習をやっていて、気だるそうにキャッチボールを行っている時――

 ベースボールチームに所属するノリスが、わざわざ女子が練習している場所まで足を運んで、小笠原さんに突っかかっていった。


「なぁ、ベースボールは地球が発祥の地なんだろう?」

「そうよ」

「ひ弱なジャパニーズは『野球』って言うらしいけど、どうせ下手くそが集まっているんだろう?」

「そんなことはないわよ。日本人でも活躍する選手はたくさんいたわ。メジャーリーグで殿堂入りもしているイチロー選手のことは知らないのかしら?」

 

 小笠原さんはいつもの調子で――「それが何か?」「大丈夫、これくらいなんともないんだから?」って感じで、ノリスのケンカ腰で、地球の人を見下した態度をあしらう。

 

 イチロー選手はずいぶん昔の選手だけど、月でもとても有名で人気の選手。

 なので、さすがのノリスも少したじろいだ。


 私もイチロー選手は大好き。

 何度もプレー動画を見て悲鳴みたいな歓声を上げたくらい。


「でも、ほとんどの選手はネズミかモグラみたいなもんだろう? 地球人なんて月面でプレーしたら『デブリ』みたいなものなんだからな」

 

 ノリスのその言葉に――

 小笠原さんだけでなく、二人の会話を聞いている私たちルナリアンにも緊張が走った。

 

『デブリ』。

 

 それは月面で使われる最悪のスラングで、間違っても人に向けて使ってはいけない言葉だった。

 

『デブリ』とは――宇宙に浮遊している隕石の欠片や、衛星やロケットの部品など、“宇宙ゴミ”を指す用語。これを人に向けて使った場合、“役立たずのゴミ”と言ったのと同じ意味を持つ。“生きている価値もない”と言ったも同じ。

 

 男の子が使ったのなら確実に殴り合いの喧嘩に、女の子が使えばグループの追放はもちろん、その後は永遠の仲間外れの対象に――そして、大人が使えばどうなのるか考えるのも怖くなる、そんな恐ろしい言葉。

 

 私は、今にも泣きそな気分で小笠原さんを見た。

 そして、早くこの状況を何とかしてと願いながら、遠くで練習を監督しているシマコ先生を見た。

 

 シマコ先生は「やれやれ」とグラウンドに向けて足を踏みだしたけれど――直ぐにその歩みをとめてしまった。

 私が「どうして?」と戸惑いながら小笠原さんに視線を戻すと、彼女はノリスを真っ直ぐに見つめながら、あの穏やかで力強い微笑を浮かべていた。

 

 でも、その時の微笑は何かをやり過ごすといった微笑ではなく――何かを受けて立つといった微笑だった。


「ねぇ、ノリス――地球の人をネズミかモグラだと思うなら、私と野球で勝負してみない?」

「ハァ? お前と野球で勝負? 笑わせるなよっ。俺は月面ベースボールチームの――四番で、エースなんだぜ? 重力井戸の中でしかプレーできない地球人が敵うわけないだろう」

 

 ノリスは意地の悪い笑みを浮かべて大袈裟に言って見せる。ノリスの取り巻きの男子が――とくにキャッチャーで女房役のコレンがつられて笑った。


「あら、だったら私と勝負するくらいなんでもないじゃない? 勝負の方法は――そうねえ?」

 

 小笠原さんはノリスの安い挑発には応じず、淡々と勝負の内容を説明をはじめた。


「私とノリスが、ピッチャーとバッターを交互に行うの。ストライク3つ――1アウトで1ポイント。ヒット1本でも1ポイント。交互に5打席を打ってポイントの多い方が勝ちよ」

「ハァ?」

 

 そこまで説明を受けたノリスは、自分の挑発や侮蔑をまるで取り合わない小笠原さんに、ついに不満を爆発させた。彼女にまるで相手にされなかったことが相当こたえたのか、真っ赤にした顔を小笠原さんに近づけて睨みつける。


「ふざけるなよっ――地球人。いいぜっ? その勝負、ノッてやるよっ。ただし、やるからには圧倒的な差で俺が勝つ。そのためには、お前の提案したルールじゃダメだ」

 

 ノリスが声を荒げて続ける。


「守備を置いて実戦形式にする。ピッチャーが投げた球をバッターが打ったら、試合と同じように塁に向って走れ。進んだ塁の数だけポイントが入る仕組みだ」

「じゃあ、フライやゴロでアウトではポイントが入らないってことね? ホームランは4ポイントでいいのかしら?」

「ああ、そうだ。それに5打席もやる必要はねー。3打席で十分だ」

 

 ノリスはホームランバッター。

 私も、これまでノリスが描いてきた放物線の数々を、いやと言うほど目にしてる。きっとこの勝負を圧倒的な大差で勝つつもりなんだと気がついて、私は不安で小笠原さんを見た。


 でも、彼女はあの力強く穏やかな微笑を浮かべたまま。

 どうして、そんな笑顔でいられるの?

 

 勝算や自信があるとは、とても思えなかった。

 ベースボールでノリスに勝つなんて無理なのに。

 女の子の投げるひ弱な球なんて、ノリスが全部ホームランにしちゃうよ。


「いいわよ。それで――先行はどちらがやる?」

「俺がやる。お前が1打席で負けを認めたら――まぁ、謝るくらいで許してやる」

「1打席で負けを認めなかったら?」

「二度と俺に偉そうな口を利くなっ。それと、地球人はルナリアンには敵いませんって言いながら――俺に土下座しろ。ジャパニーズは土下座が大好きなんだろう? それともハラキリか? ああっ」

 

 興奮しすぎたノリスは、もはや我を忘れてめちゃくちゃなことを言い始めていた。

 土下座? ハラキリ? そんなこと、日本人どうしでだってさせたりしないはずなのに。こんなのひどすぎるよ。


 シマコ先生は何をしてるの?

 こんなこと早く辞めさせてよ。

 だけど、シマコ先生は二人の様子を見つめたままで、このバカみたいな騒ぎを止めたり、仲裁しようとする気配はまるでなかった。ただ真剣な眼差しで、二人を見つめたまま。


 そして――


「じゃあ、もしも私が勝ったら――ノリスは、私に何をしてくれるのかしら?」

 

 そう言い放った小笠原さんのその言葉は、ノリスの最後の理性の糸を切ってしまうには十分すぎた。


「なんでもしてやるっ。なんでもだっ。お前の言うことをなんだって聞いてやるっ。その変わり――俺が勝ったら覚えておけよっ?」

「ええ、了解。鼻からスパゲッティを食べたっていいわよ。それじゃあ――楽しみにしているわ」

 

 クールにそう言った小笠原さんは――

 ボールを手に取って颯爽とピッチャーマウンドに向かって行った。


 一つに結んだ黒髪をなびかせながら。

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