2 コペルニクスのハイスクール

 月で生まれて十四歳になった私の目の前には――


 白紙の紙。


 今日も私は、白紙の進路票とにらめっこをしている。

 月面都市『コペルニクス』のハイスクール――真っ白なタイル張りの教室の中は、いつものようにホームルーム前の喧騒。


 清潔感の溢れる、たった今洗濯したばかりって感じの白い制服を着た生徒たち。同世代の、そして第一世代と呼ばれるルナリアンが集まった空間には――私をうんざりさせる独特の雰囲気と空気が、新鮮な酸素と一緒に漂っていた。

 

 ルナリアンの少年少女が集まって勉強をしたり、体を動かしたり、宇宙空間に適応することを学んでいく“月のハイスクール”は、年齢によってクラス分けがされるのではなく、入学時期によってクラス分けがされるため、上下五歳くらい年の離れた子供たちが集まっている。

 これは――月の植民者の家庭環境が各家庭によって大きく違うため、入学には柔軟な方式がとられているためだった。

 

 ルナリアンとは言っても生まれた場所が“月”と言うだけで、両親は地球から上がってきた月の植民者たちなので――人種も、肌の色も、目の色も、髪の毛の色もバラバラな、多種多様な子供たちが集まっている。


 月面開発でリーダーシップを発揮してきたアメリカと日本、両国の植民者を両親に持つルナリアンが多く、その後にロシアやユーロと続く――最近では中国の月面進出が激しく、難民や移民問題で苦しむアフリカや中東の国々も植民政策に力を入れ始めているので、今後十年で月の植民者の出身国の比率は大きく変るだろうといわれている。


 そんな話は、私にはぜんぜん関係のないことなんだけど。

 

 とにかく、世界各国から集められた多種多様な子供たちが、ルナリアンという新しいラベルを張られて棚の上に並べられただけで、こんなにも鼻持ちのならない、傲慢ちきな子供たちになるのかっていう光景が、教室の中で、そして私の目の前で繰り広げられていて――それが私を心底うんざりさせる。


「見ろよっ。『月面ベースボール』で、また地球のノロマなチームがコテンパンにされたぜっ?」

 

 昨晩の試合の結果を報告しているノリスが、わざとらしい大声で言う。そう、わざとクラスのみんなに聞こえるように。


 勝利報告が告げられると、教室中が色めき立つ。

 

 ノリスの勇ましく振り上げられた右手には、試合結果を映す電子ペーパーが握られていて、そこには――


『月面ベースボール――我ら「ルナ・アームストロングス」が、「シカゴ・カブス」に圧勝』と、書かれている。

 

 ちょっと待ってよ?

 私は心から叫びたい気分だった。

 

 今の時期の『メジャーリーグ』はオフシーズンで、ほとんどのメジャーリーガーは、練習もトレーニングもしてないないような休暇時期なんだよ? それに、普段地球のグラウンドでプレーをしているメジャーリーガーたちが、興業と観光を兼ねて月に上がってきてくれただけなんだよ? そもそも本気で勝負なんかしてないし、娯楽の少ない月の市民を楽しませようと、怪我をしない程度に軽くプレーを披露してくれただけなんだよ?

 

 それに、そもそも『シカゴ・カブス』だよ?

 

 万年『ナ・リーグ』最下位の最悪のチームに月面で勝ったからって、何がそんなに誇らしいわけ?

 

 本当に信じられないよ。

 ああ、カブスファンのみなさん、ごめんなさい。

 

 でも、本気で勝負するならホーム&アウェイ方式にして、強豪『ニューヨーク・ヤンキース』に勝つくらいじゃなきゃ、ぜんぜん意味なんてないのに。

 

 月では月面ベースボールが大ブームだから、もちろん月のチームが地球のチームに勝てば大騒ぎするのは分るんだけど――ちなみに、私は『コペルニクス・アルテミス』の大ファン。地元だし。


「地球の奴らは、本当に地面に這いつくばってたな?」

「ああ、やっぱりネズミかモグラだな」

「まぁ、重力井戸の中にいるんだからしかたないぜ」

 

 ノリスの周りでは、試合のハイライト動画を見ながら最悪の会話が交わされて、それは教室中に響いていた。

 

『ネズミ』も『モグラ』も『重力井戸』も――全て地球の人を皮肉った最悪のスラングだ。そんな言葉、絶対に使ってほしくないし、聞きたくもない。


 少し離れたところでは、我がクラスのマドンナであるセシリーがつまらなそうにしていて――そのセシリーの取り巻きたちは、女の子特有の甘い笑顔を浮かべながら、ノリスたちに熱い視線を向けている。

 

 私はもう全てが最悪な気分で、この教室から逃げ出したかった。

 私は耳を塞ぐ代わりに、教室の隅の席でうつぶせになって寝たふりをした。

 しばらくそうしていると、ようやく担任の先生が教室に入ってきてこのバカ騒ぎを鎮めてくれた。


「さぁ、みんな、静かにしてちょうだい。今日は授業に入る前に――みんなに一つお知らせがあるの」

 

 普段なら、他愛もない世間話や月面のニュースなんかを話してくれるシマコ先生だけど、今日は「みんなにお知らせ」なんて言うから――クラスの全員が興味津々でひそひそ話なんかをはじめて、私もつい気になって顔を上げてしまう。


「入ってらっしゃい」

 

 シマコ先生が教室の入り口に向って言うと、真っ白な扉の向こうからやって来たのは――

 

 背が高く、線の細い女の子だった。

 

 真っ白でタイトなハイスクールの制服を、これ以上ないくらいに見事に着こなした私と同世代くらいの女の子。

 裾の長いスカートを華麗に翻してシマコ先生の隣に立った女の子は――席に座っている私たちルナリアンを穏やかに見つめた。月では珍しい長い黒髪を六分の一の重力で遊ばせて、吸い込まれそうな黒い瞳が特徴的だった。


 私は一目見て――その女の子が日本人だってことに気がついた。おもわず、母が教えてくれた、日本女性の伝統である“大和撫子”という言葉を思い出す。そんな感じの女の子。


「地球から上がってきた転入生よ。今日からこのクラスに編入するわ――さぁ、自己紹介をしてもらえる?」

 

 シマコ先生に促されると、地球から上がってきた転入生は静かに、そして慎ましく微笑んでから口を開く。


「初めまして。地球から上がってきた小笠原アスカ、十四歳です。ずっと地球で暮らしていたので、月に上がるのは初めてです。いろいろわからないことだらけでご迷惑をかけると思いますが、仲良くしていただけると嬉しいです」

 

 小笠原アスカと自己紹介をした転入生は、日本人らしい見事なお辞儀をして見せた。


「みんな、今言った通り――アスカは月で暮らすもの宇宙に出てくるのも初めてだからいろいろ教えて、気を使ってあげてね。アスカ、好きな席に座っていいわよ?」

 

 教室の席は自由席なので、シマコ先生は「どうぞ」と手を向ける。

 

 ちなみに、私の定位置は最後列の一番端っこ。

 そして、私の隣はいつも空っぽ。

 それどころか、最後列の席にほとんど誰も座らない。

 

 小笠原さんは、教室の席を見回し――

 一瞬、私と目を合わせた。


「えっ?」

 

 彼女の吸い込まれそうな黒い瞳に見つめらた私は、その瞬間――六分の一の月の重力よりも、さらに重力が軽くなったような気持になった。まだ出たこともない無重力空間に飛び出したみたいに。

 

 私は、いつも空っぽの私の隣の席に――彼女が来るんじゃないかって気が気じゃなくなった。

 

 だけど、


「アスカ――ここに座ったら?」

 

 立ち上がってそう言ったのは、セリシーだった。

 自慢の赤毛を指先で遊ばせながら、今空けさせた隣の席に視線を向ける。有無を言わせないって感じ。女王様然とした態度。


「そこの席、空いているの?」

「ええ。初めての月じゃあいろいろ苦労するでしょうし――私がいろいろ教えてあげるわ」

「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわね」

 

 私は、セシリーの隣の席に座って笑顔で自己紹介をする小笠原さんと、興味津々で彼女の周りに集まるクラスメイトを遠くから眺めて――少しだけ落ち込んでいた。


 なんだろう? 

 差し出した握手を断られてしまったような気持ち? 

 

 セシリーと違って私は何も行動してないんだけど――それでも、ものすごく残念な気分になっていた。この機会を逃したら、きっと私は卒業まで小笠原さんと会話することなんてないだろうって思ったから。


 私がそんなことを思いながら小笠原さんを見つめていると、不意に彼女が私の方を見て――にこりと微笑んだ。


 それは本当に一瞬、流れ星が願いをかける前に消えてしまうほどの短さだったけれど――間違いなく、小笠原さんは私の方を見て微笑を浮かべた。


「――えっ?」

 

 その笑みの意味や理由は分からなかったけれど――

 それでも私は、私の胸の奥に灯った暖かな何かを感じていた。

 

 それは消えてしまった流れ星に手を伸ばしたくなるような、そんな小さな熱。

 

 そんな、何か。

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