『medium[メディウム]霊媒探偵 城塚翡翠』ネタバレありレビュー

『medium[メディウム]霊媒探偵れいばいたんてい 城塚じょうづか翡翠ひすい』いかがだったでしょうか。

 作者、相沢あいざわ沙呼さこの過去作品を何作か読んでから本作に取りかかった、という方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。その方たちには、作者の過去作品を読んでいるといないとでは、本作の衝撃、面白さが数段違ってくるということ、そして私が章題につけた「逆襲」の意味がご理解いただけたかと思います。


 最終話で翡翠ひすいが明らかにする、この作品全体を貫いていた謎の解明。それは殺人鬼であった香月に対して放たれたものですが、作者が翡翠の口を借りて我々読者に向けられたものであることは明白でしょう。特に324ページ、12行目から始まる『日常の謎』についての語り。話の流れからすれば、ここで『日常の謎』のことを語り出すのはいささか唐突に思われます。ですが、これは何もおかしなことではありません。相沢沙呼はこれまで、まさに『日常の謎』を武器にミステリを書いてきた作家ですから、このシーンの翡翠の台詞は、もうほとんど作者自身の代弁というわけです(だから、本作の前に相沢の過去作品を読んできた読者ほど、このシーンに心を揺さぶられるのです。爽快であると同時に、「あーあ、言っちゃったよ」と、ちょっと引き気味にならないでもないですが 笑)。

 それに続き、「探偵が重要な手がかりを教えてくれるのを口を開けて待つばかりで、どんどん大切なことを読み飛ばしてしまう」と翡翠(作者)の読者に対する舌鋒は止まることを知りません。翡翠が事件のからくりをほのめかすたび、香月が「説明しろ」と先を促して「口を開けて待つばかり」なのも、ミステリ作家と読者との関係の明らかなメタファーです。ですが、そこには、「口を開けて待つばかり」の読者の姿勢を批判するだけでなく、「確かに(極力気づかれないようにさりげなく)書いてあるだろ」と、余程目を皿のようにして、注意して本文を精読しなければ気付かない仕掛けをほどこし、「騙してやったぜ」と悦に入り、そこまでして「騙し」に特化した作品をもてはやす、昨今のミステリに対する問題提起も込められているような気がします。それは、この一連の場面での翡翠の言動が、あまりに露悪的に見えるためです。

「読者、私は阿漕あこぎな書き方をやっている。トリックを見破ってみろ」


 翡翠(相沢)の舌鋒が突くのは、ミステリの構造だけに留まりません。最終話の冒頭まで翡翠が演じてきた「霊媒探偵 城塚翡翠」というキャラクター、それまでもが、殺人鬼香月の正体を暴くための「虚像」だったことが明かされます。翡翠がこれまで見せてきた数々の言動に香月はすっかり騙され、彼女の手のひらの上で転がされていたことを知ります。翡翠に転がされていたのは香月だけではなく、読者である我々もそうです。

 登場人物が虚偽を騙り、本来とは全く違うキャラクターを演じていた、というのは、本作に限らず今までミステリで何度も使われてきた手法です。ですが、本作のそれが既存の「騙し」と根本的に違っているのは、城塚翡翠、すなわち作者の騙しの手口が、小説世界を超えた読者の意識に中にまで及んでいたということです。

 どういうことかといいますと、昨今のエンターテインメント作品においては、キャラクタービジネスは欠かせないものとなっています。それはミステリ業界も例外ではなく、特に若者向けのミステリでは、いかに魅力的なシリーズ探偵を作り出すかが、ともすればミステリとしての内容以上に求められているように思えます。そうして生み出された作中の登場人物は、作品内だけに留まることを許されず、作中から単独で取り出されて、グッズをはじめとした様々なコンテンツへと活躍の場を広げています。そのため現在、作品の登場人物という存在は、作品から切り離されても独り立ちできるだけの魅力、個性を求められ、今やキャラクターは作品の上位に位置する存在となっています。「あの作品に出ているキャラクター」ではなく、「あのキャラクターが出ている作品」という言い方のほうが多くなされているのではないでしょうか(作品自体はテレビアニメ1クールで終了しても、登場していたキャラクターはそれ以降も残り続ける、という現象が多くの場所で起きています)。

 そこへ来て、本作の主人公、城塚翡翠です。読んでみて、いかがでしたか。作品から取り出しても独り立ちしていける、十分「キャラクター映えするキャラクター」(変な言い方ですが)だと感じた方は多かったのではないでしょうか(翡翠自身は、その「偽りの翡翠」に対して「人間が書けてなさすぎます」と痛烈な発言をしていますが 笑)。「マツリカシリーズ」のマツリカさんをはじめ、作者はこういった魅力的なキャラクターを生み出すことを得意としています。「相沢沙呼が新しいキャラクターを生み出した!」本作を読み始めた誰もがこう思って、「霊媒探偵 城塚翡翠」が香月とのコンビでシリーズ化されることを疑わなかったのではないかと思います。最終話を読むまでは……。

 つまり相沢は、いち作品内で使い捨てされる登場人物ではなく、あたかもシリーズ化されて商業用に作られたキャラクター、すなわち、昨今盛んに行われている「キャラクタービジネス」という作品外の思惑を「囮」に使ったということです。実際、城塚翡翠は、最終話以前のままの「キャラクター」で、十分シリーズビジネス展開が可能な優秀なキャラクター像を見せていました。このキャラクターを「トリック」の一部として使い捨てるとは、誰も想像だにしなかったのではないでしょうか。

 これをやるには、相当な度胸と覚悟が必要だったはずです。ダミーだけれど、それがダミーだと悟られないように、限りなく本物に近いものを用意する。本作は書き下ろしですが、さらに念を入れるなら、最終話手前までを単体で雑誌連載しておいて、単行本化する際に最終話を付け加える、くらいやってもよかったかもしれません。もしくは、翡翠と香月のコンビで「霊媒探偵シリーズ」として何作か上梓しておいて、最終作でこれをやるとか。引っ張れば引っ張るほど、真相の驚愕度は上がります。ちょっともったいない気もしますね。


 本作を語るうえで、本編以外に触れておかなければならないものがひとつあります。それは、遠田えんた志帆しほの手による翡翠が描かれた美麗なカバーイラストです(遠田志帆といえば、ここ最近では、今村いまむら昌弘まさひろの『屍人荘の殺人』『魔眼の匣の殺人』、古くは綾辻あやつじ行人ゆきとの「Anotherシリーズ」など、ミステリ作品のカバーイラストを多く手掛けている、ミステリファンにはおなじみのイラストレーターですね)。お手元に本がある方は、カバーに描かれたイラストをよく見てみて下さい。ここに描かれている翡翠は、。「シャーロック・ホームズの如く、両手の五指を合わせ」、を両腕に絡ませるようにしています。つまりこれは、本編最終話にて「正体を現わした」状態の翡翠を描いたものなのです。これは凄い。読者がまず本の中で一番最初に目にする「カバーイラスト」が、読後改めて見るとネタバレに等しいシーンを描いているという。「カバーイラストはこれでいこう」と誰が決定したのかは分かりませんが、恐ろしく剛胆な決断です。また、遠田志帆の筆致が素晴らしく、最終話を読むまでは、第三話までの「霊媒師」翡翠が一瞬見せた物憂げな表情を切り取ったかのように見え、しかし、最後まで読んでから見直すと、「霊媒探偵」翡翠としての狡知と表現してもいい余裕の笑みにしか見えません。心理的騙し絵とも呼べるようなイラストです。もし「ミステリカバーイラスト大賞」なるものがあるとしたら、今年度は間違いなく本作が受賞するでしょう。


 最後に、本作が「日常の謎」や「キャラクター」を得意とする相沢沙呼によって書かれたことの意味について考えます。もし本作が相沢以外の、それこそ恒常的に「騙し」のミステリを書いている作家によって書かれた作品だったら、どういう受け止め方をされたでしょう。絶対にここまでの衝撃は受けないはずです。「○○が、またやったな」のひと言で済まされてしまうはずです。翡翠の一連の台詞も、「お前が言うなよ」と逆に読者から突っ込まれてしまうことでしょう。普段こういうものに手を付けてこなかった相沢沙呼が書いたということにこそ、本作の魅力、価値、問題提起はあるのです。普段おとなしい子が、キレたら実は一番恐ろしいみたいな。「まさか、本作を書くために相沢はこれまで、あえてやさしい作風のミステリばかりを書いてきたのか……?」そんな壮大すぎる妄想までしてしまいます。

 読者は作者の投げかけた謎を一顧だにすることなく、ただ「口を開けて待」っているだけでいいのか? 作者は読者に対する「騙し」だけに特化したミステリを書き続けていていいのか? キャラクターさえ魅力的なら(ファンがついて商売になるなら)、ストーリーや謎は取って付けたような他愛のないものでもいいのか? 相沢が見せた人類(ミステリ読者および作家)をより良く導くための光である本作を、我々はどのように受け止めるべきなのでしょうか。我々はメビウスの輪から抜け出せるのでしょうか。


 私は本作は、今後何かしらのミステリ関係の賞を取ると確信しています。もしこの『メディウム』が無冠に終わるようなことがあれば、そのときこそ相沢沙呼はアクシズを地球に落としても許されるでしょう。

 それでは、次回の本格ミステリ作品でまたお会いしましょう。

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