第8話『透明人間』

 9月29日、木曜日。

 昨日で今週の授業が終わり、今日から文化祭の準備が始まる。片付けの日である来週の月曜日まで、いつもと違う時間を過ごすことに。前に智也さんが言っていたように、初めての高校の文化祭は、準備の日である今日から楽しみたいと思います!


「今日と明日は天羽祭の準備の日です。それぞれの担当はもちろんのこと、互いに協力し合いながら、この教室にメイド喫茶を作っていきましょう。あと、部活の方の準備がある生徒は、そちらの準備も頑張ってくださいね。以上、店長からでした!」


 クラス担任の青山里奈あおやまりな先生は、今日からさっそく乗り気になっている。普段はとても落ち着いていて優しい先生だけど。今年で30歳とは思えないくらいに可愛らしい女性だ。黒髪のセミロングだし、制服を着させたら天羽女子の生徒でも通じそうな気がする。卒業するまでには一度見たいな。

 どうして先生が店長に就任したのかというと、9月の初めに、接客担当や料理担当、校内を歩きながら宣伝する担当、どの担当にもマルチに対応する係など、誰が何をやるのかを決めた。そのときに、


『お店なんだから、店長が必要だよね』


 という話になった。生徒は全員担当を持っているし、先生も何かやった方が楽しいということになり、里奈先生に店長をやってもらうことになったのだ。


「先生のメイド服ももうすぐできますから、楽しみにしてくださいね!」

「ええっ、私も着るの?」

「きっと似合うって! 里奈店長可愛いもん!」

「……この歳になって着るのは恥ずかしいけど、みんなメイド服を着るし、せっかくの天羽祭だもんね。楽しみにしているわ」


 里奈先生は少し恥ずかしそうにしているけど、クラスメイトの子が言うとおり、先生は可愛らしいのでメイド服が似合うと思う。


「みなさん。くれぐれもケガなどには気を付けて、準備をしていきましょう!」

『はーい!』


 そして、文化祭に向けた本格的な準備作業が始まる。これから、この1年2組の教室をメイド喫茶にしていくんだ。頑張らないと。

 また、昨日の部活中に、今日はクラスの準備をメインに、明日は声楽部の練習をメインに参加することに決めた。あとは状況に応じて。


 それぞれの担当に分かれて、準備を進めていく。私や乃愛ちゃん、亜依ちゃんも担当する接客は、机などを動かしたり、飾りを作ったり。あとはメイドさんらしい口調での接客の仕方の練習もすることに。いつもはしないことなのか、みんな楽しそうだ。


 あと、私や乃愛ちゃんのスマートフォンに赤城先輩からメッセージが届いた。昨日、花園先輩に告白の返事はいつでもいいと伝えたそうだ。

 今日になって文化祭の準備をしていくうちに、花園先輩との距離がまた縮まっているとのこと。栞先輩の言う通り、普段とは違った時間を過ごしているのがいいのかもしれない。


「順調みたいで良かったね、美来」

「そうだね。文化祭の中で恋人同士になれれば最高だよね」

「例の赤城先輩から現状を教えられたのですね。順調であれば何よりです」


 亜依ちゃんも安心している様子。火曜日の帰りに赤城先輩と花園先輩のことを話したら、今後の動向がとても気になると言っていた。

 そういえば、智也さんにも2人のことを話したら、文化祭をきっかけに距離がグッと縮まるかもしれないって言っていたな。高校時代に、文化祭を通じて付き合うようになったカップルが何組もいたらしい。智也さんが誰かに取られなくて本当に良かった。


「美来、今、氷室さんのことを考えていたでしょ」

「乃愛ちゃんもそう思いました?」

「智也さんのことは考えていたけれど、私ってそんなに顔に出るタイプかなぁ」

「少なくとも氷室さんのことではよく顔に出ると思うよ。当日は最上級のおもてなしをしないとね、美来」

「……そうだね」


 このメイド喫茶でできる範囲でね。

 途中、昼食など適宜休憩を挟んで、クラスの準備を進めていく。特に大きなトラブルもなく、順調にメイド喫茶になってきている。

 ――プルルッ。

 スマートフォンが鳴っているな。確認してみると、声楽部のグループトークに花音先輩からメッセージが1件届いていた。


『みんな、クラスの方の準備は進んでいるかな? もし、順調そうなら第2音楽室でコンサートの練習をしたいな。今から20分後くらいにやりたいです。無理そうな子はメッセージください』


 明日しっかりと練習する予定にはなっているけれど、今日も少しはやっておきたいな。


「乃愛ちゃん。花音先輩からメッセージ来てるよ。20分後くらいに練習しようって」

「どれどれ……本当だ、来てる。今日も練習やるんだ。亜依。美来とあたしは声楽部の方二行くから、ここからいなくなるけれど大丈夫? どのくらいかかるか分からないけど」

「今のところは順調ですし、2人は声楽部の方に行ってきてください。こちらの方で何かあったら連絡しますから」

「分かった。美来、行こうか」

「うん。じゃあ、第2音楽室に行ってきます」


 私は乃愛ちゃんと一緒に教室を出て、第2音楽室へと向かい始める。廊下にも装飾をしているクラスもあって、早くも学校中が文化祭の雰囲気になってきた気がする。教室の扉が開いていると、チラッと中の様子を見てしまう。


「ねえ、美来。第2音楽室に行く前に、美春ちゃんが告白した花園先輩のことを見に行こうよ。練習まで20分くらいあるし」

「実際に一度見てみたいよね。えっと、赤城先輩と花園先輩は3年1組だっけ」

「そうだよ」


 スマートフォンを取り出し、文化祭案内のページで、3年1組の情報を見てみる。ええと、3年1組は、


「外で焼きそばの屋台を出すみたいだね」

「よし、じゃあこっそりと見に行ってみよう! ついでに、試作品とか作っているクラスがあれば食べたい……」


 乃愛ちゃん、食べることが大好きだからね。ただ、準備1日目だし、花園先輩を見ることができる確率よりもよっぽど低い気がする。

 乃愛ちゃんと一緒に昇降口から外に出ると、準備が順調なクラスが多いからか今の時点で組み立てられている屋台が多い。ちなみに、どこかで試作品を作っているような匂いはしてこない。


「……てっきり、何か食べられると思ったのにな」

「それは本番の楽しみにしよう。その代わりに、音楽室に行く途中で、自販機で何か飲み物を買っていこうよ」

「そうだね。じゃあ、焼きそばの屋台を探そうか」

「うん」


 準備の日だけれど、こうして屋台が並んでいるとお祭り会場にいるみたいだ。いつもと違う時間を過ごしているんだなと実感できる。


「美来、3年1組の屋台あったよ」


 こっそりと3年1組のスペースを見てみると、今は屋台の設営をしているようだ。『3-1 焼きそば』と書かれた看板が見える。

 何人かの生徒がペンキを塗っていたり、屋台を組み立てたりしているけれど、花園先輩や赤城先輩の姿はない。


「いないね、美来」

「そうだね。花園先輩ってどこか部活に入っているのかな」

「その話は聞いていなかったね。でも、花園先輩がどこかの部活に入っている話は聞いたことないけれど……」

「私がどうかした?」


 後ろからとても綺麗な声が聞こえたので振り返ってみると、そこにはビニール袋を持った花園先輩が立っていた。こうして実際に間近で見ると、とても爽やかで綺麗な人だ。透明感があるというか。あと、有紗さんに負けないくらいのいい匂いがする。


「綺麗……」

「ありがとう。茶髪のあなたは存じないけど、金髪のあなたは知っているよ。7月に転入してきた朝比奈さんだよね。噂通りのとても綺麗で可愛い子だね」

「ありがとうございます。初めまして、1年2組の朝比奈美来です。こちらの彼女はクラスメイトで、同じ声楽部の神山乃愛ちゃんです」

「初めまして、神山乃愛です」

「神山乃愛……ああ、神山玲奈ちゃんの妹さん! 玲奈ちゃんからたまに妹さんの話を聞いたことがあるけど、あなたのことだったのね。初めまして、3年1組の花園千秋です。天羽祭でうちのクラスはそこで焼きそばを作るから、是非、買いに来てね。今は屋台を作っているクラスメイトのために、お菓子とか飲み物を買いに行っていたの」

「そうだったんですか! 焼きそば好きなので当日は必ず買いに行きます!」

「ふふっ、ありがとう」


 とても上品に笑う人だな。社長令嬢っていうのも分かる気がする。そんな花園先輩のことを乃愛ちゃんはうっとりとした表情で見つめている。確かに、先輩には思わず目を奪われるほどの魅力がある。


「それで、私に何か? さっき、私の名前を言っていたけれど」

「ええと……私達も噂で3年生にとても綺麗な社長令嬢がいるって聞きまして。今日みたいな日は自由に動けますから見に行こうかなって」

「へえ、私の噂なんて流れているんだね。意外だな。社長令嬢か……私は普通の高校生で、普通の高校生活を送っているんだけど。今でもそういう風に見る人はいるか……」


 花園先輩は儚げな笑みを浮かべる。赤城先輩に告白されてから、こういった笑みを見せるようになったのかな。

 もしかしたら、社長令嬢として見られることが嫌だったのかもしれない。とっさに考えた嘘だったけれど、何だか悪いことをしてしまったな。


「先輩、ごめんなさい。その……」

「ううん、気にしないで。入学した頃はもっと言われていたし。ただ、社長令嬢とかじゃなくて、普通の3年生の生徒だと思ってくれていいからね」


 花園先輩は優しい笑みを浮かべている。今のような笑みを見て赤城先輩は花園先輩のことが好きになっていったのかな。


「2人にとっては初めての天羽祭なんだよね。お互いに楽しもうね。えっと、2人のいる1年2組はどんな出し物するのかな?」

「メイド喫茶です!」

「へえ、メイド喫茶なんだ。生徒からもお客さんからも人気だからか、毎年必ずあるの。当日は時間ができたらお邪魔するね」

「はい、お待ちしています。あと、美来とあたしは声楽部にも入っているのでコンサートにも是非、見に来てください。2日とも体育館で午後2時から1時間やりますから」

「うん、分かった。クラスだけじゃなくて、声楽部の方も頑張ってね」

「はい!」

「私達、そろそろ声楽部の方に行かないといけないので、これで失礼します」


 私達は再び第2音楽室へと向かい始める。花園先輩と話していたから、花音先輩が言っていた時間まであと数分くらいしかないよ。


「先輩、綺麗な人だったよね。あれじゃ美春ちゃんも恋をするよ」

「素敵な人だったね。本人は好意的じゃなさそうだけど、お嬢様って感じもして」

「うん。花園先輩はいい人そうだし、美春ちゃんのことをより応援したくなった!」

「そうだね」


 さっき教室でも言ったけれど、この文化祭を通じて恋人として赤城先輩と花園先輩が付き合うようになればいいな。



 この後も、翌日の30日にかけて、私はクラスでのメイド喫茶の準備、声楽部のコンサートの練習をしていった。どちらについても、特に大きな問題もなく進んだ。

 また、赤城先輩から何度かメッセージをもらって、告白する前ほどではないけど花園先輩の笑顔を見られる時間が多くなったとのこと。こちらも順調のようだ。

 あとは、みんなと一緒に文化祭本番を迎えるだけになったのであった。

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