第29話『フレーバー』

 あれから少しの間、僕ら3人は寄り添い合った。

 僕は美来と一緒に夕食の肉野菜炒めを作る。ただし、ピーマンを入れないかどうかが不安なのか、終始、後ろから有紗さんに監視されていた。

 夕食を3人で食べるけど、美来は涙を流すことはさすがになくなった。ただ、その代わりに寂しげな笑顔を見せるようになった。きっと、僕や有紗さんに気遣って笑顔を見せてくれているんだと思うけど、辛い表情をしてもいいんだよ。


「智也さんと一緒に作ったからか、いつもよりも美味しく感じますね」

「うん、僕も美味しいと思う」

「ピーマンが入っていないからまた美味しいんだと思うよ」

「ふふっ、有紗さんは本当にピーマンが嫌いなんですね。苦いですけど、緑黄色野菜ですし体にいいんですよ?」

「……これからちょっとずつ克服できるように頑張るよ」


 あははっ、と有紗さんは苦笑い。この様子だと、当分はチンジャオロース以外ではピーマンを食べることはできなさそうだな。

 夕食を食べ終わると、後片付けは有紗さんがすることに。その間、僕と美来は紅茶を飲みながらソファーでゆっくりとくつろぐことにした。ただし、美来は腕を絡ませて僕にべったりするだけで無言だ。


「……智也さん」

「うん?」

「……人を好きになるのっていいことばかりじゃないんですね」


 そう言われたので、美来の方を見てみるとすぐに彼女と目が合う。すると、美来は儚げな笑みを浮かべた。


「人を好きになることがいいことばかりじゃないか……」


 その言葉が、美来をここまで落ち込ませてしまう原因の鍵になっているのかな。普段、僕に好きだと言ってきて、10年間の愛情を語ることもあるくらいだから、その可能性は高そうだ。


「いいことばかりじゃ……ないのかもね。もちろん、好きな人のことを想えば気持ちが温かくなったり、元気になったりするとかいいことが多いと思うよ。僕もそうだ。ただ、好きだからこそ、普通だと何とも思わないことで傷付いたり、思い悩んだりすることがあるのかも」

「……そうですか」


 はあっ……と深いため息をつく。この様子だと、美来が元気を無くしている原因は恋愛関連って考えて良さそうだ。


「好きになったからこそ、とてもショックを受けるときもあるよね。ただ、それでもいつかは、その人を好きになって良かったと笑えるようになれるといいのかも」


 僕は美来の頭をそっと撫でる。


「智也君、ちょっと来てくれない?」

「はい。ちょっと台所に行ってくるね」

「……はい」


 僕は有紗さんのいる台所へと向かう。

 すると、有紗さんは何やら箱を持って冷蔵庫の前に立っていた。


「あたしももらった酒入りのチョコレートまだ残っているのね」

「あぁ、残ってましたね。そういえば、もらった日に美来と一緒に食べたら、一粒食べただけで、美来は酔っちゃったんですよね。美来、凄く気持ち良さそうな笑顔を浮かべるんですよ。それに、口調もタメ口に変わっちゃって。ただ、美味しいからか何粒も食べていましたけど」


 あの日以降食べていないので、数粒は残っているはずだ。美来がこっそり食べていなければの話だけど。


「そっか。なるほどね……」


 すると、有紗さんはニヤリと笑みを浮かべる。きっと、何か良からぬことを思いついたのだろう。


「有紗さん、何か考えがあるから僕を呼んだんでしょう。まずは僕にそれを話してくれませんか。話さないと、この週末の食事には必ずピーマンを盛りつけますよ」

「話すからピーマンは勘弁して! ……ただ、酒入りのチョコレートを食べたら、何があったのか話してくれるんじゃないかと思って。ほら、お酒が入ると本性を現したり、本音を言ったりすることってあるじゃない」

「酔えば気が緩んで本音が出やすくなるのは本当だと思いますが、さっき僕が言ったじゃないですか。僕達はいつでも美来の話を聞くからって。ただ、このチョコレート、美来は好きみたいですし、酔っているときの美来はとても気分が良さそうでしたから、気持ちを軽くするために食べさせるのであれば……」


 ただ、あのときは元気な美来だったからこその変化であって、今の美来が酒入りチョコレートを食べたら大変なことになってしまうかもしれない。


「よし、美来ちゃんに食べさせてみよう」

「やっぱり止めておきましょうよ。美来の想いが号泣してしまうかもしれません」

「そのときは、さっきみたいに智也君の愛情で美来ちゃんのことを優しく包み込もうよ。あたしも協力するし。それに、このチョコレートが美来ちゃんは好きなんでしょう? 好きなお菓子を食べるとあたしは元気になるよ」

「そうですか。まあ、美来を元気にさせるためにコンビニでお菓子も買いましたしね」


 以前食べたときのように、美味しく酒入りチョコレートを食べてくれると信じてみることにするか。


「まずは1粒だけですよ。それで美来の様子を見てみることにしましょう」

「分かったわ」


 僕は有紗さんから酒入りチョコレートの入っている箱を受け取って、美来の座っているソファーに向かう。


「ねえ、美来。この前、僕がもらってきた酒入りチョコレート、まだ残っているから食べない? 美来、これ好きだよね」

「そうですね」


 美来の隣に座って、箱の蓋を開けてみると中には酒入りチョコレートが4粒。


「4粒ありますから、まずはみなさんで1粒ずつ食べましょう。みんなで食べたいです」

「分かった。有紗さんも1粒どうぞ」

「うん、いただきます」


 僕達は酒入りチョコレートを1粒ずつ食べる。うん、体がポカポカしてきた。この前、1粒食べると美来は顔を赤くさせて、とろっとした表情を浮かべていたっけ。


「これ美味しいよね」


 えへへっ、と有紗さんは楽しそうな笑顔を浮かべて僕達のことを見てくる。そういえば、有紗さんも酔うと笑うか寝るかのどちらかだった。


「そうですね。美味しいですよね。私もこの前、一粒食べて好きになっちゃいました」


 普段通りではないものの、美来は帰ってきてからの中では一番の笑みを見せている。どうやら、チョコレートの甘味とお酒の酔いがいい方へと働いているようだ。


「まさか、このチョコレートを3人で食べるときが来るなんて。想像もしていませんでした。みんなで食べるチョコって美味しい……ですよね……」


 すると、美来の眼が段々と潤んでくる。チョコレートに入っている洋酒のせいで、感情が出やすくなってきているのかもしれない。


「僕も美来や有紗さんと一緒に食べることができて良かったよ」

「……そうですね。残り1粒になってしまいましたが、どうしますか?」

「美来が食べてくれるかな。美来、このチョコレートが大好きなんだろう? 大好きな人が食べる方がチョコレートも嬉しいんじゃない?」


 何だか、小さな子供を説得しているような感じ。ただ、チョコレートを食べて美来は笑顔になったので、最後の1粒は美来に食べてほしいのは本音だ。


「……智也さんがそう言うのであれば」


 美来は素直に最後の酒入りチョコレートを食べる。この前は2粒目を食べると口調がタメ口に変わったけれど、今回はどうなるか。


「……美味しいな」


 美来は依然として目に涙を浮かべているものの、好きなチョコレートのおかげかさっきのような笑みを見せている。


「でも、ちょっと苦味もある。前はこんな風に感じなかったのにな」

「美来……」

「……私、今までにこういう苦さをたくさんの人に味わわせちゃったのかな……」


 すると、美来は涙をボロボロとこぼして、僕の胸に顔を埋めてきた。


「……私、天羽女子にもいられない気がする。もう、どこにいても……私、誰かを傷つけちゃいそうで怖いよ……」


 美来は声を上げて号泣する。

 誰かを傷つけてしまうから、天羽女子にもいられないか。その一言から考えると、今回はこの前のいじめとは違うことで、美来の心を深く傷ついてしまう出来事が起こった可能性が高そうだ。それには恋愛が絡んでいる。


「そっかぁ。詳しいことは分からないけれど、とても辛かったんだね……」


 いつもよりも柔らかい口調で有紗さんはそう言うと、美来のことを後ろからぎゅっと抱きしめてくる。


「でもね、ここは美来ちゃんの立派な居場所だよ。それで、智也君やあたしがこうやってぎゅっと抱きしめるから。実家にいるご家族とか、絢瀬さんとか、羽賀さんとか、岡村さんとか……美来ちゃんのことを大切に想ってくれる人はたくさんいるよ」


 居場所はここにちゃんとあるか。有紗さんの言う通りだな。それに、今の美来に必要なのは彼女が安心していられる場所なんだ。


「有紗さん……」


 すると、美来は有紗さんの方に振り返り、彼女のことをぎゅっと抱きしめた。そんな美来の頭を有紗さんが優しく撫でる。そんな2人を見ているとまるで本当の姉妹のようであった。

 美来に何が起こったのか。キーワードを掴むことができたし、今の美来のこと考えたら、今日はこのくらいにしておいた方がいいだろう。


「早いですけど、あとはお風呂に入って3人で寝ましょうか」

「……そうね。ちょっとしかお酒が入っていないけれど、かなり眠くなってきたし」


 僕も眠いけど……きっと、有紗さんと僕は仕事の疲れもあるからだろう。

 僕らはお風呂に入って、3人一緒にベッドで眠ることに。もちろん、美来を真ん中にして。


「私が眠っている間に、2人が遠くに離れていってしまうことは……ないですよね?」

「何を言っているのよ。むしろ、美来ちゃんの側でゆっくりと寝たい気分。それに、帰ってきたとき、この週末はあたしと智也君がずっと美来ちゃんの側にいるって約束したじゃない」

「そう……でしたね。ちょっと安心しました。じゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ、美来ちゃん」

「おやすみ、美来」


 美来はゆっくりと目を瞑る。洋酒入チョコレートの酔いが残っているのか、程なくして彼女から寝息が聞こえてきた。


「ちょっとずつだけど、分かってきたね」

「ええ。美来が天羽女子に編入したことで、周りの生徒に色々な影響を及ぼし……それらを知ったときに、何らかのトラブルがあってショックを受けてしまったという感じでしょうか」

「だろうね。美来ちゃん、可愛くてスタイルが良くて、とても魅力的だからね」


 性別問わず、美来のことを一目見たら気になる人は多いと思う。

 美来が少しでも笑顔になれるように、明日からも頑張っていこう。そう想いながら、美来の隣で眠りにつくのであった。

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