第20話『晩夏に戻った日常』

 桃花ちゃんと仁実ちゃんは一緒に仁実ちゃんの家へと帰っていった。桃花ちゃんが家にいることに慣れ始めた頃でもあったので、彼女がいなくなったことにちょっとした寂しさを覚えた。

 午後8時半過ぎ。

 夕ご飯の後片付けが終わって、美来と隣り合うようにしてソファーに座る。いつものように僕はコーヒー、美来は紅茶を飲んでいる。


「何だか、ようやく日常に戻った感じです」

「そうだね」

「ですが、ちょっと寂しい気持ちもありますね。それに、この家がこんなにも広かったのかなって思ってしまいます」

「それだけ、桃花ちゃんがここにいることが楽しかったんだと思うよ。でも、2人とも9月の終わり頃までは夏休みで、桃花ちゃんは仁実ちゃんの家にいるみたいから、何度かここに遊びに来るんじゃないかな」

「そうですね」


 そう言うと、美来は嬉しそうな表情を浮かべた。そういえば、美来の姉妹は小学生の結菜ちゃん1人だけだから、特に桃花ちゃんに対しては、お姉さんのような感情を抱いたのかもしれない。


「でも、やっぱり……こうして智也さんと2人きりの時間を穏やかに過ごすのが一番好きですね」

「……僕もだよ」


 いつもの時間に戻ったんだなと実感させてくる。

 気付けば、美来は腕を絡ませてきて僕に寄り掛かってきていた。彼女の温もりが僕の中に優しく染み渡ってくる。


「普段と変わらない感じで今年の夏は終わると思ったのに、まさか最後に桃花さんや仁実さんと関わることになるとは思いませんでした」

「そうだね。金曜日、母親のあの電話がかかってくるまでは僕も普通に終わると思っていたよ」


 しかも、桃花ちゃんと仁実ちゃんがお互いに好意を抱いているなんて。昔の僕も、あのときに電話を出た僕も想像できなかった。


「まさか、智也さんにあんなに素敵な女性達との思い出があるなんて。全く想像できませんでしたよ」

「美来が出会ったのは中学生の頃だし、美来が僕のことを見つけたときには高校生になっていたからね。それまでにも色々なことはあったよ」

「じゃあ、まさか……桃花さんや仁実さん以外にも親密な関係を持った女性がいるというのですか?」

「親密って……大げさだなぁ」


 ちょっとしたことで僕らの関係が揺らぐことはないと思うけど、美来にとっては……幼い頃でも僕と親しくしていた女の子がいたことは大事件なんだろう。自身が小さい頃にプロポーズをするほどの恋をしたことが影響しているのかも。


「桃花ちゃんや仁実ちゃんほど仲良く遊んだ女の子はいないかな。学校関係では羽賀や岡村と一緒だったことがほとんどだったし。女の子と一緒にゲームで遊んだことや、勉強を教えたこともあるけれど、それも羽賀か岡村のどっちかは一緒にいたことが多かったし」

「なるほどです。今後も気を付けなければいけませんね。智也さん、とても素敵でかっこいいですし。昔の智也さんは可愛かったですし」

「気を付けることにするよ。でも、美来がいればどんなことがあっても乗り越えられそうな気はするな……」


 相手がどんな攻撃を仕掛けてきても、身を挺して僕のことを守ってくれるというか。自然と、美来にはそんなイメージを持ってしまっている。本当は逆じゃなければいけないんだろうけど。


「そう思っていただけて嬉しいです。私も同じ気持ちですよ。智也さんといればどんなことでも乗り越えられる自信があります」

「……そっか」

「もちろん、その想いは以前からありましたが、桃花さんや仁実さんが持っていたアルバムとDVDを観て更に強くなりました。智也さんの優しいところは、私が出会うよりも前からずっと変わっていないものだったんだって分かりましたから。幼い頃の2人が智也さんに憧れや、可愛らしい恋心を抱くのも頷けます」

「……そうか。美来もそういった子の1人だけどね」

「ですね。だからこそ、悔しくも思いました。私よりも前に智也さんに恋心を抱いている女の子がいたなんて」

「そっか……」


 そういえば、仁実ちゃんも同じようなことを言っていたな。美来という彼女と会って悔しい想いを抱いたと。


「もしかしたら、2人以外にもそういう人がいるかもしれません。でも、智也さんは私を選んでくれた。私と一生側にいてくれると約束してくれた。それがとても幸せなことであると改めて気付いたんです。智也さん、ありがとうございます」

「僕こそ、ありがとう」


 桃花ちゃんがひさしぶりに僕と会いたいことを知ったとき、正直、美来のことで不安な気持ちが強かった。

 もちろん、美来は不安になったり、嫉妬したりしたこともあっただろうけれど、桃花ちゃんと再会してからの4日間は、美来にとって有意義な時間になったようだ。


「……ねえ、智也さん。たまに2人になる時間はあって、そういうときには口づけをしましたけれど、こうしてゆっくりと2人きりで過ごせるのは4日ぶり……ですよ? だから、その……」


 2人きりの状況になって色々と考えているのか、美来は顔を赤くして、視線をちらつかせている。


「何だか、そうやってもじもじしているなんて美来らしくないね。僕も同じことを考えていたよ。桃花ちゃんの目的が無事に果たすことができて、またいつも通り美来と2人きりになれたら、そのときはたっぷりとイチャイチャしたいって。というか、昨日……寝室で2人きりになったときにそうしようって約束したじゃないか」

「……そうですね。でも、約束していても……実際にそういう状況になるとドキドキしてしまうものなんですよ」


 僕の名前を口にすると、美来は僕にキスしてきた。キスしていく中で自然と抱きしめ合う体勢に。昨日、桃花ちゃんがリビングにいる中での寝室での口づけは興奮したけれど、こうして2人きりでゆっくりできる状況の中でするキスはとても安らぐ。


「んっ……」


 時折漏れる美来の甘い声に僕は心を段々と奪われてゆく。


「今夜はたっぷりとイチャイチャしましょうね! 欲求が溜まっているので、いつもよりも激しいものを希望します!」

「うん、分かった」


 それから、僕と美来はいつもよりも激しく、たくさんイチャイチャした。

 ひさしぶりだったこともあってか、それはとても幸福なもので。美来の笑顔を見る限り、そんな僕の気持ちと彼女の気持ちが重なっていることが分かってとても嬉しかった。


「今日はたっぷりとしましたね」

「ひさしぶりだったからね。僕も止まらなかった」

「ふふっ。約束通り、激しくしてくれて嬉しいです。幸せに包まれました」

「それなら良かったよ」

「……桃花さんと仁実さんは今頃どうしているんでしょうかね。私達のようにしちゃっているんでしょうか」

「そういう風に言われると、何も想像しちゃいけないような気がする。小さい頃から知っているからか。僕からはノーコメントで」


 きっと、楽しい夜を過ごしていると信じよう。具体的に何をしているかなんて考えたら罪悪感が膨らんでいくだけだ。


「ふふっ、そうですか。じゃあ、いつか2人に訊いてみることにしましょう。付き合い始めてから初めての夜はいかがでしたか、って」

「訊いちゃまずいと思うよ。向こうから話題にしない限りは」

「……そうですね。そういえば、智也さん。これで明日からもお仕事は頑張れますか?」

「もちろん。美来も明日はゆっくり休んで、明後日からの学校生活を頑張ってね。2学期中に確か、声楽のコンクールがあるんだよね」

「ええ、そうです。無理をしない程度に練習を頑張っていくつもりです」

「それが一番いいね。応援しているよ」


 コンクールの予選とか本選、決勝の日には観覧するために有休を取るつもりでいる。何か大きな問題が起こらない限り、おそらく大丈夫だろう。持っている有休の日数にも余裕があるし。


「智也さんは明日もお仕事がありますから、そろそろ寝ましょうか」

「うん、そうだね。じゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい」


 眠る前のキスをして、僕はゆっくりと眠りに落ちていった。いつも通りの日々に戻ったことの安心感と、美来とイチャイチャしたことの疲れがあって眠りにつくのはとても早かったのであった。



 誤認逮捕から始まり、美来と結婚前提の交際、転職や引越し、桃花ちゃんや仁実ちゃんの再会など色々とあり過ぎた今年の夏も最後は穏やかに幕を閉じた。

 9月となり、季節は秋へと移ってゆく。

 社会人である僕にとってはそれまでとほとんど変わらないけど、美来は高校生最初の夏休みが終わって、2学期の学校生活が始まるのであった。

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