第18話『幸と不幸は紙一重』

 8月30日、火曜日。

 今日の天気は曇り。昼頃から晴れてくる予報にはなっているけど、通り雨が降る可能性があると言っていた。

 昨日の智也さんの話で、桃花さんに対する仁実さんの想いは知っているけど、この空模様を見ていると告白が成功するかどうか不安になってきた。

 昨日に比べると今朝の桃花さんは勇ましい表情をしているけれど、告白をすることに緊張しているのか、朝ご飯にはあまり口をつけなかった。そんな彼女のことを心配してか、


「僕のことは気にせずに、いつでも連絡してきていいからね」


 智也さんが何度もそう言うほどだった。

 昨晩、桃花さんが仁実さんにまた会いたいとメッセージを送った。

 すると、仁実さんは午前中から昼過ぎにかけて喫茶店でのバイトがあるとのことなので、午後2時くらいに仁実さんの家で会う約束になった。なので、午前中は家でゆっくりすることになったけれど、


「きょ、今日もいい天気だね! 美来ちゃん!」

「どんより曇ってはいますが、雨は降っていないのでまだいいかもしれませんね」


 ダメだ、時間が経つに連れて桃花さんの緊張が増していっている。


「み、美来ちゃん!」

「はい、どうかしましたか?」

「私のことを抱きしめてもらっていいかな? そうすれば、少しは落ち着くかもしれないから……」

「智也さんのように、桃花さんにおまじないをかけることができればいいのですが……分かりました」


 私は桃花さんのことをぎゅっと抱きしめた。智也さんのことはたくさん抱きしめているけれど、女性を抱きしめることはあまりないから新鮮。智也さんの匂いもいいけど、桃花さんからは甘い匂いがして好きだな。


「お兄ちゃんに抱きしめられるのもいいけれど、こうして美来ちゃんに抱きしめられるのもいいな。温かくて、甘い匂いがして落ち着くの。私のお母さん似みたいに胸が大きいからかな。おかしいよね、美来ちゃんの方が年下なのに」


 そういえば、こういうのを「バブみがある」って言うって聞いたことがある。智也さんも私にバブみを感じてくれているのかな?


「ふふっ、気持ちが落ち着くのであれば嬉しいですよ。私もこうして抱きしめていると気持ちが落ち着きますよ」

「そうなんだ。ちなみに、胸のサイズは?」

「……最近、Eカップの下着がちょうど良くなりました」


 ちなみに、最近、お母さんの作ってくれたメイド服の胸のあたりがキツくなってきたので、この夏休み中に直しておいたのだ。


「あぁ、だから柔らかいんだね。これならお兄ちゃんも虜になりそう」


 この胸で智也さんのことを……色々と包んだことがあるからね。そのときの智也さんはいい表情をしてくれる。


「……そういえば、桃花さん。お昼ご飯はどうしますか? 私が作ってもいいですし、外で食べてもかまいませんが」

「今日もお外で食べよう。桃花ちゃんにはたくさんお世話になったから、お昼ご飯は奢るよ! あんまり高いものは勘弁だけど……」

「では、お言葉に甘えて。昨日、桃花さんが大学の食堂でお蕎麦を食べているのを見て、そばかうどんを食べたいと思っていたんですよね」

「じゃあ、ひとみんの家に行く途中にお蕎麦屋さんでも行こうか」

「ええ」


 正午過ぎに私と桃花さんは家を出発した。

 曇っているので陽差しはないけど、じめっとしているので今日も結構暑い。天気予報では今ぐらいから晴れてくるそうだけど、分厚い雲を見る限りその予報はハズレかな。

 さっき言ったように、桜花駅近くにあるチェーン店のおそば屋さんでお昼ご飯を食べる。私は鶏南蛮そばで、桃花さんは釜玉うどん。お互いに一口交換したりして楽しかった。どうやら、桃花さんの住んでいる地域にはないお店だったようで、桃花さんは安くて美味しいことに感動していた。

 お昼ご飯がとても良かったのか、仁実さんの家に向かうまで桃花さんは元気な様子だった。


「これでも早めに来ちゃったね」

「そうですね。まだ1時半過ぎですか」


 桜花駅の周りを散策してここに来たけど、それでも待ち合わせ時間まで30分くらいあった。


「早めに来てしまいましたが、仁実さんがバイトから帰ってきているかもしれないので、とりあえず、インターホンを鳴らしてみましょうか」

「そうだね」


 桃花さんは仁実さんの家のインターホンを鳴らした。そういえば、ここで仁実さんが出てきたら、場合によってはすぐに告白する流れにもなる。桃花さん、心の準備ができているのかな。できていなかったら何だか申し訳ないな。

 しかし、そんなことを考えていても、中から仁実さんが出てくることはなかった。


「まだ、帰っていないみたいだね」

「そうですね。30分くらいでしたらここで待ちましょうか。陽も出ていませんし」

「うん、そうしよう。喉が渇いたらあそこにある自販機で飲み物を買えばいいか。ひとみんが帰ってくるまでの間に、告白脳内シミュレーションの最終確認をしようっと」

「そ、そうですか」


 そういえば、私も16歳になって、智也さんと再会したあの日……智也さんが帰ってくるまで、2度目のプロポーズをするシミュレーションを頭の中でしていたっけ。プロポーズをして、智也さんがそれを受け入れて、キスして、そのままベッドで……とか。実際には色々なことがあったけれど、最終的にはその通りになって良かったな。今では智也さんと同棲しているんだもん。


「あれ、2人とも……来るのが早かったね」


 気付けば、昨日と同じようにデニムとTシャツの姿の仁実さんが立っていた。私達がここで待っていることが予想外だったのかちょっと驚いている様子。


「ひ、ひとみん! ちょっと早めに来ちゃった! 途中で、美来ちゃんとお昼ご飯を食べたんだけどね」

「そういうこともあるよね」

「そういえば、ひとみん、お昼ご飯は? 今までずっとバイトだったんだよね?」

「うん、そうだよ。でも、あたしが働いている喫茶店ではまかないが出るから、それを昼食にしたよ。ナポリタンなんだけどね」

「へえ、そうなんだ」


 トーストとかパスタとか、ちゃんとした食事が楽しめる喫茶店もあるよね。そういうお店のバイトにはまかないがあるのかな。


「さあ、中に入って。昨日と同じように温かい紅茶を淹れてあげるね」

「ありがとう、ひとみん」

「ありがとうございます。お邪魔します」


 私達は約束の時間よりも10分くらい前に仁実さんの家にお邪魔する。

 さすがにこれから告白しようとしているだけあって、昨日のように桃花さんは来た途端にベッドに寝転がるようなことはしなかった。私に寄り添うようにして座っている。


「お待たせ。はい、紅茶だよ」

「ありがとうございます」

「……ありがとう」


 小さなテーブルを挟んで、私達と向かい合うようにして仁実さんは腰を下ろした。


「まさか、2日連続で2人が家に来るなんて」

「次に来るのがいつになるのか分からないから、来られるときには来ようかなと思ってさ……ははっ」


 桃花さんの笑い声が切なく響く。仁実さん、今の桃花さんの反応で別の理由があってここに来たって気付いちゃったかもしれない。さっきまでと比べて静かな笑みを浮かべているし。


「モモちゃんや美来ちゃんならあたしはいつでも来てくれていいけれどね」

「ひとみん……」


 そう呟くと、桃花さんは私の服の裾をぎゅっと掴んだ。仁実さんの家に来て緊張が増しているんだな。

 少しの間、静かな時間が流れて、


「あのさ……ひとみん」

「うん?」

「ここに来たのは、ひとみんに大事なことを話すためなんだ」


 すると、桃花さんの顔がみるみるうちに赤くなっていく。寄り添っていることもあって、桃花さんの体が熱くなっているのが分かる。

 桃花さんは仁実さんのことを見つめ、


「私、ひとみんのことが好き。私と……恋人として付き合ってください!」


 自分の気持ちをはっきりと仁実さんに伝えた。これ以上にないくらいに素直な言葉に乗せて。

 すると、再び少しの間、静かな空気がこの部屋を包み込んで、


「嬉しいよ、モモちゃん。あたしもモモちゃんのことが女性として好きだよ」


 仁実さんは優しげな笑みを見せ、桃花さんのことを見ながらそう言った。


「じゃあ……」

「でも、モモちゃんとは付き合えないよ」

「ど、どうして!」


 さっきまでの赤みが、桃花さんの顔からすっと消えていく。

 仁実さんは、それまで桃花さんに向けた視線をちらつかせるように。


「あたしだってモモちゃんとずっと一緒にいたいよ。恋人としての繋がりだってほしいよ。でも、女性同士だとできないことがたくさんあるじゃない。結婚をするとか、子供を作るとか。それに、女性のことが好きだってことだけで心ないことを言う人達だっている。あたしはいいけれど、モモちゃんに辛い目には遭ってほしくないよ。それなら、たまにしか会えなくても、幼なじみとして、親友としての繋がりを持ち続けている方がいい」

「モモちゃん……」


 仁実さんからの眼からは大粒の涙がいくつもこぼれ落ちる。

 少しずつ理解はされてきているけれど、同性愛者ということで非難する人がいるのも事実。仁実さんの言うように、結婚や子供を作ることなど、異性であればできることも同性だとできないことも多々ある。仁実さんは自分と一緒にいることで、桃花さんが辛い目に遭わないかどうかが心配なんだ。


「桃花さん……」


 仁実さんの想いを聞いて、桃花さん……俯いて黙り込んでしまっている。好きだけれど、恋人として付き合えないという答えにショックを受けてしまったのかもしれない。


「でも、安心して、モモちゃん。あたしはこれまでと同じように――」

「私が一番辛いのはひとみんと一緒にいられないことだよ。自分の気持ちを押さえてまでひとみんが苦しい想いをすることなんだよ!」

「モモちゃん……」


 桃花さんは両眼に涙を浮かべながら仁実さんのことを見つめる。


「確かに、女の子同士で付き合うことでできないこともあるよ。心ないことを言われることだってあるかもしれない。それで、私が苦しい想いをするかもしれない。でも、そういうときは今みたいに話し合おうよ。それで、どうすれば一緒に幸せになれるのかを考えようよ。情けないかもしれないけれど、喧嘩しちゃったら……昔みたいにお兄ちゃんに相談するとか色々と方法はあると思うんだ。今回だって、ひとみんに告白したくて。付き合いたくて……お兄ちゃんと美来ちゃんの家に来たんだからさ」


 すると、桃花さんの方まで涙をこぼす。仁実さんへの想いを出すには言葉だけじゃ足りないのだろう。


「……トモくんと言っていることが同じだな」

「えっ……」

「不安はあるかもしれないけど、そのときになったら一緒に考えてしっかりと話し合って、心細かったら周りに相談すればいいって。さすがはいとこ同士だね」


 智也さん、昨日……そんなことを仁実さんに言っていたんだ。智也さんらしいというか。ただ、智也さんの場合は誤認逮捕っていうとても辛い経験をしたから、経験談として仁実さんに今の言葉を言ったのかもしれない。

 すると、仁実さんは桃花さんの側まで近寄って、そっと抱きしめた。


「あたしで良ければ……モモちゃんの恋人にしてください。ずっと……あたしの側にいてください」


 ようやく、桃花さんと仁実さんに笑顔が戻り、ゆっくりと頷いた。


「ありがとう。約束の証だよ、モモちゃん」


 仁実さんからの桃花さんにキスする姿はとても美しいものだった。自分と智也さんがキスしているときもこういう感じなのかなと思いながら、私は2人の恋心が結ばれた瞬間を一番近くで見守るのであった。

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