第29話『木曜日のたわわ』
恋人岬にも小さなお土産屋さんがあり、お揃いで持っていると縁起がいいという恋愛成就のお守りがあったのでそれを買った。
30分くらいの滞在だったので、車に戻ってきたときも中はそこまで暑くなっていなかった。クーラーをつけてすぐにホテルの方へと出発する。
「もう、これでホテルに戻るつもりだけど、どこか美来は寄りたいところはある?」
「いえ、行きたいところには行けましたし、素敵な思い出がたくさんできたので……ホテルに戻って、プールや海で遊びたいと思っています」
「うん、分かった。ここからだと、ホテルには……3時半くらいまでには到着すると思う」
それなら、ホテルに戻って部屋で休憩したとしても十分に遊ぶことはできるか。ホテルのプールも午後6時か7時くらいまで遊べるから。
「観光、楽しかったですね。3カ所くらいでちょうど良かった気がします」
「そうだね。移動も車で30分とかだし」
「ですね。まあ、私はもうちょっと移動時間が多くても良かったかなって。そうすれば、智也さんの運転する姿を間近で見ていられるじゃないですか」
僕が運転する姿は昨日もたくさん見てきたと思うし、明日も家の近所にあるレンタカー屋さんまでたっぷりと見ることができるけれど。美来にとっては、旅先で見るのがいいのかもしれない。
「じゃあ、日帰りツアーが予約できなくてむしろ良かったって感じかな」
「もちろんです。むしろ、これからも旅行に行くときはツアーを予約しなくていいんじゃないかと思います」
「ははっ、そっか」
今みたいな僕との2人きりの時間に価値を見出してくれることは嬉しいかな。何せ、今も笑顔で運転する僕のことをじっと見ているし。
「いつかは美来が運転してくれるのかな」
「もちろん、免許を取得したら運転しますよ! そのときは智也さんに快適な移動時間を提供したいと思います! あっ、でも……智也さんに運転の仕方について優しく手ほどきを受けるのもいいかも……」
運転に関する知識や技術を一定以上身につけないと免許を取得できないんだけどね。
でも、美来だったら免許を取れた時点でもう安心な気がする。僕のことで変な妄想をしたり、興奮をしたりしなければ。
「でも、そのときは私よりも子供の相手をしないといけないかもしれませんね」
「……美来は何歳で免許を取得するつもりなんだろう?」
「えっ? できれば18歳で取りたいですけど」
「美来が18歳のときはまだ僕らの子供はいないつもり……だけど」
大学に進学するつもりなら受験、就職するつもりなら就職活動。そのときに妊娠・出産をしていたらさすがに大変だろう。僕も気を付けないといけないな。
「ふふっ、そうですか。さすがに18歳で母親になるのは早すぎますか。幼妻、そして幼母になる覚悟もできていますけど」
幼妻は聞いたことがあるけれど、幼母は初めて聞いたぞ。
「そういったことは、今後、ゆっくりと話し合おうね」
「分かりました」
美来は16歳。今は高校1年生だけど、美来には色々な可能性がある。若くして妻になり、母になるというのも一つの可能性としてはもちろん存在するけど。まずは高校生活を謳歌してほしいのが僕の本音だ。
「話は変わるけど、美来は天羽女子に転校してから……高校生活は楽しい?」
「はい。クラスではお友達もできて、部活では先輩や顧問の先生に色々と教えてもらって。とても楽しいですよ。勉強もついていけていますし……」
「天羽女子でいいスタートを切ることができているんだね。それは良かった」
お土産を買っていくほどだから、学校での人間関係は上手くいっているか。
「楽しい高校生活が送れるように頑張ってね。美来が安心して高校生活を送るためにも、僕はしっかりと働かないといけないけど」
「新しい会社でのお仕事はどうですか?」
「運がいいことに、関わっている仕事の内容が以前と同じだからね。有紗さん達と一緒にやるときもあるから、今のところは大丈夫だよ」
僕が抜けた代わりに入った後輩の子も有紗さんに頼りながらも、色々なことを勉強していっているようだ。
「そうですか。ただ、職場での女性関係には気を付けてくださいね」
「もちろんだよ」
こんなにも可愛らしい未来の妻がいるんだから浮気なんてしない。そういえば、水代さんに女性には気を付けろって言われたな。
「水代さん曰く、美来も女性には気を付けてね。女子校に通っているからかもしれないけれど。何かあったら今までみたいに僕や有紗さん、羽賀とか大人達を頼っていいからね」
「分かりました。ありがとうございます」
そう言うと、美来は運転中なのに頬にキスをしてきた。突然でちょっとビックリしちゃったけれど、嬉しかったので、今回だけは怒らないでおこう。
そんなことを話しているうちにホテルが見えてきた。建物がとても高いこともあって結構遠くからでも見ることができる。
「何だか、ひさしぶりにホテルに戻ってきた感じですね」
「そうだね。半日しか経っていないのにね」
ホテルを出発したのは午前9時過ぎだから、およそ6時間か。昼食を挟んで観光地を3つ回ったからかもしれない。あと、1泊しかしていないのにホテルが見えることで安心感を抱いている。
ホテルに戻って駐車する。そのときにチラッと美来のことを見ると……やっぱり、キラキラとした眼差しを送ってきていた。
今日買ったお土産の中に食べ物や飲み物はないので、お土産は車の中に置いたまま僕達はホテルの中に。
「あら」
受付付近に今朝、大浴場の前で話しかけてくれた相良さんがいた。
「彼女さんと観光されたんですか?」
「ええ。鍾乳洞にロープウェイ、恋人岬の方へ行ってきました」
「そうでしたか。今日はよく晴れていますので、ロープウェイ上の展望台や恋人岬からの景色は素敵だったことでしょう」
「はい! 彼と一緒に素敵な思い出がたくさんできました!」
美来は嬉しそうに僕と腕を絡ませてくる。
「ふふっ、それは何よりです」
「観光から戻ってきたので、部屋のカードキーを受け取りに来ました。昨日から1301号室に宿泊している氷室と申します」
「1301号室ですね。かしこまりました」
僕は相良さんから1301号室のカードキーを受け取り、美来と一緒に部屋へと戻る。
部屋の中に入ると、外出中に清掃の方が入ったからなのかとても綺麗になっていた。
「有り難いね、部屋が綺麗になっているなんて」
「そうですね」
ベッドのシーツや掛けふとんも綺麗になっていて、ゴミ箱も空っぽになっていた。きっと、掃除をしてくれた人がゴミ箱の中を見たときは驚いたかもしれないな。
さてと、今は……午後3時半ちょっと前か。すぐに遊びに行くか、ちょっと休むかどうしようかな。
「智也さん」
美来は僕の名前を呟くと、僕のことをぎゅっと抱きしめてきた。
「どうしたんだい?」
「……やっと2人きりになれました」
「そうだね」
車で移動しているときも2人きりだったけど、こうして誰からも僕達のことを見られることがないのは、観光をしに出発してから一度もなかったか。
「今日、観光をしたことで素敵な思い出がたくさんできました。そして、智也さんにキュンとなることもありました。ですから、ちょっとの間……ここで智也さんと2人きりの時間を過ごしたいです」
「うん、いいよ。じゃあ、温かい紅茶とか飲みながら休憩しようか」
「そうですね。では、さっそく淹れてきます」
今日はずっと観光していたし、部屋でゆっくりとした時間を過ごすのもいいか。昨日ほどじゃないけど、運転してちょっと疲れもあるし。
「はい、智也さん」
「ありがとう」
僕は海を眺めながら、美来の淹れてくれた温かい紅茶を飲む。涼しい部屋の中なら夏でも温かいものはいいな。気分が落ち着く。
「少しの間休憩したら、プールへと遊びに行きましょうか」
「うん、いいよ」
「……ただ、その前に」
すると、美来に力強く抱き寄せられる。そのことで美来の胸に顔が埋もれてしまって、まともに呼吸をすることができない。
「んんっ!」
「……鍾乳洞へ行くとき、智也さんにお仕置きだって言われて、腋を触られて……とてもくすぐったかったんですからね。あのときは私が悪かったというのもありますが……」
「んっ、んっ!」
僕は美来の背中をちょっと強めに叩く。ギブアップという僕の意志を汲み取ってくれたのか、ようやく美来のたわわな胸から解放される。
「はあっ、はあっ……」
呼吸困難で窒息死するかと思った。
たわわな胸は癒しの存在かと思ったけど、使い方によっては凶器にもなり得るのか。この旅行で僕は大切なことを一つ学んだ気がする。
「まったく、智也さんったら。このくらいの苦しみはあったんですよ」
「そうだったんだ。ごめんね。ちょっとしたお仕置きのつもりだったんだけど、辛い想いをさせちゃったんだね」
「……まあ、息苦しくなるほどにくすぐったかったのは事実ですけど、別に嫌ではなかったです」
「嫌じゃないだけ良かった」
「ただ、2人きりになったので思いきり抱きしめたかったんです。ちょっと仕返しを含めて、ああいった抱きしめ方になりましたけど」
美来、とっても満足そうな笑みを浮かべている。どうやら、美来の機嫌が直ったようで良かったよ。
「じゃあ、そろそろ……プールに行こうか」
「そうですか。じゃあ、仕度をして行きましょうか。今日はプールに行って、ウォータースライダーを滑りましょうね!」
「うん」
昨日は浜辺でずっとビーチボールを使って遊んでいたもんな。だから、今日はプールで思いっきり遊ぶことにしよう。
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