第100話『シード』

 種田さんによる調書を読み終わった後、私と浅野さんは佐相繁に取り調べをするために取調室へと向かう。


「羽賀さん、浅野さん。佐相繁を連れてきました」

「ありがとうございます」


 佐相繁が警察官によって連れて来させられてきた。白いワイシャツ姿の彼はやさぐれた様子。しかし、私のことを見た瞬間、逮捕されたことが気に食わないと言わんばかりの不満げな表情に変わる。


「まさか、私が羽賀君と浅野君に取り調べをされるとは。墜ちたものだな」

「そう言うのであれば、こういうことをしなければ良かったではありませんか。私を逮捕させ、浅野さんに謹慎処分なんてことも……」

「可愛い愛娘のためにやったんだ! それの何が悪いんだ!」


 娘のことになると我を忘れてしまうんだな。娘に対する愛情が深いことは父親として立派なことだとは思う。


「愛する娘のためであったとしても、父親として、警察官として……無実の人間を逮捕するのは間違っていますよ。その結果、娘さんもあなたも逮捕されてしまいました。幸い、娘さんは氷室を逮捕させたのはいけないことだと自ら気付いてくれましたが。愛娘のために何かしたいのであれば、もっと違う方法があったでしょう」

「くっ……」


 愛するが故に、娘のことを絡めて言われると黙ってしまうのだな。覚えておこう。逮捕されても、佐相繁はなかなかやっかいな人物だろうから。


「佐相さん。あなたは娘の柚葉さんから、氷室智也を無実の罪で逮捕してほしいと頼まれました。黒幕『TKS』からTubutterによって送られた2枚の写真と、朝比奈美来さんが受診した病院で発行してもらった診断書を、氷室が美来さんに強制わいせつをしたという証拠とし、裁判所に逮捕状を発行してもらいました。間違いありませんか?」

「……間違いない」


 あっさりと認めたな。まあ、柚葉さんが自ら告白した録音データもあるから、否定する気はないのかもしれない。


「なぜ、柚葉さんに協力したのでしょうか。先ほどもいいましたが、他にも方法はあったはずです。朝比奈さんの御両親と話すこともそうですし、あなたが話したいと言えば氷室も誠実に対応したと思いますよ」

「……先週の木曜日くらいから、柚葉の様子が変わったのだよ。学校で何かあったのかと私が訊いても柚葉は何も答えてくれなかった。ただ、妻は柚葉から話を聞いていて……氷室智也と朝比奈美来のせいでこうなったんだと言っていた」

「その話を聞いて、柚葉さんが氷室と朝比奈さんに恨みを抱いていると思った。そして、例の計画を柚葉さんから聞いたとき、協力しようと決めたのですね」

「そうだ」


 また、そのような柚葉さんの心境を黒幕『TKS』は知っていたはず。そこにつけ込むようにして、Tubutterで2人に復讐できると理由づけて、犯行の計画を指示した。


「黒幕『TKS』については?」

「今日の午前中の報道で初めて知ったよ。ただ、今思えば、2枚の写真のデータをどうして柚葉が持っていたのか。当時は何も考えていなかったが、黒幕が存在し、Tubutterで写真のデータを受け取っていたのだな」

「朝比奈さんの診断書については?」

「……柚葉から、朝比奈さんはいじめでケガをしているから、どこか病院で受診しているだろうと言われたのだ。だから、朝比奈さんが受診した探し回って、ようやく見つけた病院で診断書を発行してもらったのだよ」

「それが火曜日のお昼頃のことだったのですね」

「ああ、そうだ」


 今の話を聞いていると、黒幕『TKS』は美来さんが受診した病院までは知らなかったのだな。診断書を発行してもらうのが目的なので、受診した病院を知っていれば、病院名を教えるはずだろう。


「捜査を私に任せることにしたのは?」

「柚葉に言われたんだ。捜査は羽賀君にした方がいいと。私も君は優秀だし、娘と結婚させるなら君のような人間の方がいいと思って、以前からたまに君のことは娘に話していた」

「……なるほど」


 私のことを柚葉さんに話していたから、私に捜査をしてほしいと柚葉さんから言われても佐相さんは黒幕の存在を考えなかったのか。結婚云々については……興味ない。今のところは。


「佐相さんが黒幕の存在を今まで知らなかったことくらいで、それ以外のことは羽賀さんと一緒に捜査をして分かったことや、柚葉さんが今朝言っていたことと同じですね」

「そうですね……」


 どうやら、氷室を逮捕させたことに関して、佐相さんは柚葉さんの指示に従って動いただけのようだな。


「私を逮捕し、浅野さんを無期限の謹慎処分にした理由は何なのでしょうか。我々は、送検期限である逮捕後48時間に迫っていたこと。柚葉さんに捜査が及ぶ可能性が出たことが原因で捜査妨害をしたと考えています」


 黒幕『TKS』からの指示の可能性も考えたが、佐相さんは『TKS』のことは知らなかったので、おそらく独断で私と浅野さんを捜査から外したと思われる。

 佐相さんは私のことを見てゆっくりと頷く。


「羽賀君の言うとおりだよ。あの公園で言ったように、昨日の夕方に私の言うことに歯向かっただろう。そのときに、羽賀君を逮捕し、浅野君を捜査から外させなければ、もしかしたら氷室智也が送検されない可能性が出てくると踏んだのだ」

「そして、少しでもスムーズに私を公務執行妨害の罪で逮捕させるために、私の知らないところで、氷室の事件の捜査指揮を私から自分に移したということですか」

「その通り。だが、最後のチャンスとして娘と会わなければ、逮捕だけは避けてやろうと考えた。しかし、君達を見張っていた捜査官から、私の娘と会っていることを知り、裁判所に君の逮捕状発行を請求したのだよ」


 そこの判断基準も柚葉さんなのか。どこまでも親バカな人間だな。


「それだけ、柚葉さんを逮捕させたくなかったのですね。氷室のことをどうしても送検し、起訴まで持って行きたかったと。どれだけ、警察を……そして、司法を私物化しているのですか。あなたのやったことは、警察という組織や司法に対する信頼を著しく損なう行為です。どんなに恨んでも、法を犯すことは許されませんよ」


 先ほど、氷室が警視庁前でマスコミ関係者に言ったように、一個人の恨みによってこれだけ多くの人に迷惑をかけたのだ。彼には厳しい法的処分が下されることだろう。


「ふっ、ふふふっ……」

「何かおかしいことを言いましたか?」


 そう問いかけると、佐相さんは蔑むような笑みを私に向けてくる。


「……君はいつまで、自分の持つ正義を貫き続けることのできる警察官でいられるかな? 上の方にいる大抵の人間は、何かしらの不正を働いても表には出さず、都合の悪い部分には目を瞑っている。だからこそ、今の警察も……そして、社会全体も成り立っているのだ。正直者は馬鹿者なのだよ。それが分かっていない。だから、そんな人間は上の立場になれないんだ。君は正しいと思ってやったのかもしれないが、それは警察という組織を崩壊しかねないことだと分かっているのかね?」

「崩壊に結びつくような種は、あなたを含めた警察官がこれまでに蒔いたものでしょう。私はその不正という種を掘り起こし、発芽しないように正当な方法で燃やすだけです。あと、今の言葉、他にも不正が眠っていると受け取ってかまわないですね?」

「……好きにすればいい。ただ、羽賀君。今回のことで、君は警視庁内に……しかも、上層部の人間を中心に敵を作ってしまったことを忘れないでおくんだな」

「覚えておきますよ」


 その敵というのが、佐相さんのようにこれまでに不正を働いてきた警察官ということか。おもしろい。佐相さんの逮捕をきっかけに、他の警察官の不正も暴こうではないか。氷室も私が不正を暴いてくれると言ってくれたのだからな。


「最後に1つ佐相さんに言っておくことがあります。仮にあなたが無実の氷室を逮捕させたという不正を隠し通せたら、警察という組織は守ることはできるかもしれません。しかし、あなたの一番近くにいる娘の柚葉さんのことを、果たして救うことはできたのでしょうか。父親であるあなたの不正について世間にバラすとまで言った柚葉さんの気持ちを、あなたは守ることができたのでしょうかね……」


 きっと、できなかっただろう。仮に氷室をこのまま起訴することができたとしても、柚葉さんはおそらく苦しむことになっただろう。


「あなたは、柚葉さんに何があっても救う覚悟で協力したんですよね? 例え、氷室が起訴され、有罪になったことで罪悪感を抱いて苦しむ柚葉さんを前にしたとしても……」

「……氷室智也は無実になったのだ。今となってはそれは愚問だよ、羽賀君」

「これは失礼。ただ、これで柚葉さんに教えることができて良かったではないですか。法に触れるほどの不正を行なうといつかは逮捕される。そして、事実に抗うといつかは痛い目に遭うと。それを教えることのできる父親はなかなかいませんよ」

「……ふっ、昨日言った私の言葉を見事に返されたな。逮捕という形で。本当に部下として持ったら嫌な警察官だよ、君は。優秀で、何があっても不正を暴こうとする。君こそ本当の警察を崩壊に結びつかせる種だと私は思っているよ」

「もし、不正が蔓延っているなら、現在の警察組織が崩壊するのも悪くないと思いますが。あと、あなたにはもう関係ないことですよ、佐相繁元警視」

「貴様……」


 佐相さんは目を鋭くさせて私のことを睨んでくる。今のような状況になったのは私のせいだと思っているのだろうか。馬鹿馬鹿しい。大口を叩く小者だったな、彼は。


「これで、あなたに対する取り調べは終わりです。君、彼を独房に」

「はっ!」


 そして、佐相さんは警官に連れ出される形で取調室を後にした。


「羽賀さん……」

「今回、氷室のようなことが起こってしまいました。しかし、私達は警察官の不正を明らかにして、逮捕させることができました。他に不正があるのなら、今がそれらの不正を明らかにするチャンスです。佐相さんの言うように、今回の事件をきっかけに私は要注意人物としてマークされるかもしれませんが」

「……そうですか。でも、私は羽賀さんが正しいと思っています。なので、その……一緒に不正を明らかにしていきましょう」

「そうですね。でも、それはこの事件を解決してからですね」


 例え、私1人になったとしても捜査し続けるつもりだが、浅野さんがいてくれるのは心強い。

 ただ、浅野さんに言ったように、まずは今回の事件を解決しなければ。次は娘の柚葉さんの取り調べを行なうことにしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る