第61話『XX』

 5月27日、金曜日。

 午前10時。僕は美来と一緒に果歩さんの運転する車に乗って、自宅に向かっている。美来が僕の家で日曜日まで一緒に過ごしたいと言ったからだ。

 安全面を考えたら、美来の家にいた方がいいだろう。マスコミ関係者がいじめられている生徒が美来だと突き止め、家に来るかもしれないことを考えたら、僕の家にいた方がいいかもしれない。よって、僕の家で日曜日まで一緒に過ごすことにしたのだ。

 美来の家を出発してから30分ほどで、僕の家に到着した。


「それでは、美来のことをよろしくお願いします」

「分かりました」

「日曜日の夕方になったら迎えに来ますので。美来、氷室さんに粗相のないように。でも色々と頑張りなさい!」

「……う、うん!」


 色々と頑張りなさいってどういうことなんだろう? 果歩さんに訊こうと思ったけれど、できるだけ早く僕と美来を2人きりにしたかったのか、果歩さんはさっさと車で帰っていってしまった。

 3日しか経っていないけれど、ひさしぶりに帰ってきた感じだ。美来の家の広さに慣れ始めたせいか、僕の家が狭く思える。


「では、さっそく……」


 僕の部屋に入った美来は服を脱ぎ始め、クローゼットに入れておいたメイド服を着る。


「やっぱり、ここではメイド服でないと落ち着きません」

「……そうかい」

「今、コーヒーを淹れますね」

「ありがとう」


 コーヒーを淹れるメイド服姿の美来、といういつもの光景が見られて安心している。せめてもここにいる間は、少しでも美来を笑顔にさせたいな。


「智也さん、コーヒーです」


 テーブルに2つのマグカップを置き、俺と向かい合うようにして美来は座る。そんな彼女のマグカップには……やっぱり紅茶なんだな。これもいつも通り。

 美来の淹れてくれたコーヒーを一口飲むと……やはりこの味なんだな。自宅で飲むコーヒーは。でも、美来が淹れてくれるからか、心なしか美来の家で飲んだコーヒーよりも美味しく感じられる。


「……美味しいよ、美来」

「ありがとうございます。やっぱり、ここで智也さんと一緒に過ごす時間が一番好きです。ずっと一緒にいたいですけど、3日間だけなんですね」

「うん。だからこそ楽しく過ごそうね」

「……はい」


 美来は僕にゆっくりと近づいてきてキスをしてきた。


「智也さん、本当にありがとうございました。智也さんのおかげで、今があると思っています。ずっとずっと側にいてください」


 美来は再びキスをする。紅茶の香りの中に、ほんのりと彼女の甘い匂いが混ざっていて。それが時間を忘れさせてくれるような気がした。


「智也さん。月村さんをここに呼びませんか?」

「僕はいいけれど、美来はそれでいいの?」

「……ええ。週末は月村さんも入れて3人で過ごしたいんです」

「分かった」


 有紗さんも美来のことを真剣に考えていたからな。その想いが美来に届いて、美来にとって有紗さんが心強い味方に思えたのかもしれない。

 有紗さんにメッセージを送ると、有紗さんからすぐに行くというメッセージが返ってきた。



 2人きりの時間はゆっくりと穏やかに過ぎていく。

 そして、午後7時過ぎ。


「ひさしぶり、美来ちゃん、智也君」


 火曜日の朝以来の有紗さんは嬉しそうな様子。僕や美来とひさしぶりに会えたからかな。僕にキスをすると、家の中に入った。


「美来ちゃん、大丈夫?」

「色々とありましたけれど、智也さんがずっと側にいてくれましたから。それでも、学校側のことを聞いたら泣いちゃいましたけどね」

「……そっか」


 有紗さんはぎゅっと美来を抱きしめる。すると、美来は有紗さんの背中に手を回した。


「美来ちゃん。ここまでよく頑張ったね」

「智也さんや月村さんがいてくれたからです」

「日曜日の夕方まではあたしも一緒にいるから。大丈夫だよ」

「……はい」


 こうして見てみると、美来と有紗さんが姉妹のように思える。

 美来の作った夕ご飯を3人で食べる。先週末も同じように過ごしたはずなのに、今は一緒にご飯を食べられることがとても幸せに感じた。


「美来ちゃん、いじめを受けていたなんて嘘みたいに元気に見えるわね」

「そうですね」


 キッチンで夕ご飯の後片付けをしている美来のことを見ながら、僕と有紗さんは談笑する。


「よく頑張ったね、智也君。活躍ぶりは美来ちゃんから聞いているよ」


 美来の家にいたとき、美来がスマートフォンを弄っている場面を何度か見たけど、それは有紗さんと連絡をしていたのか。


「有紗さんの方はどうですか? 特に問題なく進んでいると連絡はもらっていますけど」

「うん、大丈夫よ。いつものように、提出物を作成するために必要な資料が遅れているけれど」

「ああ、いつものことですね」


 その程度なら大丈夫かな。特別に問題がないようで良かった。


「月曜日から行きますのでよろしくお願いします」

「了解。……智也君がいなくて寂しかったよ」


 有紗さんは僕に寄りかかってくる。まさか、有紗さんの匂いが懐かしいと思えるときが来るなんて。


「智也君、あたしのことも褒めてよ。あたし1人でお仕事頑張ったんだから」

「はいはい、よく頑張りました」


 有紗さんの頭を撫でると、彼女はとても嬉しそうだった。


「ふう、後片付けが終わりました……って、智也さん、月村さんとイチャイチャしているんですね。ひさしぶりに会ったんですもんね……」


 美来、僕達のことを見て頬を膨らませている。そして、自分もと言わんばかりに僕のすぐ側に座って腕を絡ませてくる。

 有紗さんも僕のことが好きだと分かってから、3人でゆっくりするときはこうして2人が僕を挟むように寄り添っていたな。

 僕は必ずどちらと付き合っていくかを決めなければいけない。それは、どちらかが僕の横からいなくなってしまうような気がして。そう思うと、たまらなく辛い。


「……智也さん、どうしたんですか? 涙を流して……」

「何でもないよ。ただ、ここで美来や有紗さんと一緒に、ゆっくりとした時間を過ごせて良かったなと思って……」


 その言葉に嘘はない。ただ、胸は締め付けられていく一途を辿る。それは、2人に返事を待たせ続けている僕への報いなのかもしれない。


「時間の許す限り、この週末はここで3人だけでゆっくり過ごしましょう」

「それ、いい考えね」


 2人とも見事に意見が一致したようだ。

 それから、僕、美来、有紗さんは日曜日の夕方まで、必要最低限の外出しかせず、僕の家でゆっくりとした週末を過ごしたのであった。

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