第40話『月夜』
午後9時半。
羽賀や岡村との呑み会が終わって、僕は有紗さんと一緒に自宅に帰る。手を繋いで隣を歩く有紗さんは本当に幸せそうで。こういう笑顔を、美来も早く見せられるようになればいいなと思っている。
「ねえ、智也君。一旦、外に出てくれない?」
「どうしてです?」
「いいから!」
僕は有紗さんに自宅から無理矢理追い出されてしまう。有紗さんが何をしたいのか分からないけれど、虚しい気分になる。
「今日の月は綺麗だな……」
満月に近い綺麗な月が夜空に浮かんでいた。ずっと見ていると、月明かりが結構眩しく思える。
月を眺めた後、インターホンを鳴らし、玄関の扉を開ける。
「おかえりなさい! お酒にしますか? お風呂にしますか? それともあ・た・し?」
とびっきりの笑顔で僕を迎えてくれる有紗さん。
なるほど、これをやりたかったのか。先週、有紗さんと帰ってきたときに美来がやっていたし。
それにしても、お酒、お風呂、有紗さん……か。どれがいいかな。
「とりあえず、お風呂にしましょうか」
「ええっ、お風呂の中であたしと一緒にお酒を呑むんじゃないの?」
「お風呂の中で呑んだら、きっとのぼせて溺れちゃいますよ」
今日はもうお酒は十分かな。お風呂に入ってゆっくりと寝たい気分だ。
「お酒を呑まなくていいからさ、一緒にお風呂に入ろうよ。美来ちゃんとは一緒に入ったことはあるの?」
「いえ、ないですけど……」
「だったら、一緒に入ろうよ。もちろん、それだけで……変なことをしたりしないから」
有紗さんは僕のスーツの袖をぎゅっと掴む。きっと、美来のまだしていないことをして、僕との距離を美来よりも縮めたいと思っているのだろう。
今の美来のことを考えたら、有紗さんとそんなことをしていいのか迷う。ただでさえ、こうして有紗さんと2人きりでいることに背徳感を覚えているのに。有紗さんと一緒にお風呂に入ってしまっていいのかな。
「もしかして、美来ちゃんのことを考えてる?」
「ええ。解決に向けてようやく動き出しましたけど、美来が実家にいる中で僕らがこうしていいのかなって……」
気持ちを正直に吐露すると、有紗さんは優しい笑顔を浮かべ、僕をぎゅっと抱きしめる。
「智也君は優しいね。でも、これはあたしのわがままだから。泊まることも、一緒にお風呂に入ることも。だから、あたしが責任を取るよ」
「有紗さん……」
「だから、一緒に入って」
「……はい」
有紗さんの優しい言葉に甘えてしまう形になってしまった。これでいいのか分からないけれど、少なくとも自分が情けないということだけは確かだった。
「お風呂、湧かしてくるね」
有紗さんは浴室の方に向かっていった。
――プルルッ。
僕のスマートフォンが鳴る。確認してみると美来から電話が来ている。
画面に表示されている『朝比奈美来』という名前を見た瞬間、ブルッと全身が震える。よりによって、このタイミングで美来から電話が来るなんて。
「……もしもし、美来」
『智也さん、今日もお仕事、お疲れ様でした』
「ありがとう。美来の方はどうかな。ひさしぶりの実家だよね」
『……家族が側にいるのは心強いです』
「そっか、良かった」
美来の元気そうな声が聞けたことで、僕は安心する。
「智也君、あと10分くらいでお風呂に入れると思うわ」
「ありがとうございます」
『えっ? もしかして、お家に月村さんが来ているんですか?』
さすがに、今のことで美来に有紗さんが家にいることを気付かれてしまったか。
「うん。今日、仕事が終わった後に羽賀達と一緒に呑んで、それで僕の家に」
『なるほど。土曜日に智也さんのベッドの収納スペースに服を入れているとき、これでいつでも智也さんの家に行っても大丈夫だと言っていましたが、さっそく行ったのですか……』
がっかりしているのか、電話から聞こえてくる美来の声に元気がない。
『もしかして、一緒にお風呂に入ったりしたんですか!』
「……これから一緒に入ります、はい」
『なるほど。では、今度、私が遊びに行ったときは一緒に入りましょう! そのときは智也さんとイチャイチャしたいです。あと、その……月村さんとは、お風呂の中で最後までしないでいただけると嬉しいというか……』
「そんなことはしないよ、たぶん」
僕も有紗さんもお酒を呑んだからな。持っている最大限の理性を働かせて、有紗さんに変なことをしないよう努めるつもりだ。
『ううっ、羨ましいです。今すぐにでも行きたいところですが、もう夜も遅いですし……智也さん、月村さんの綺麗な姿を見ても、どうか私のことを忘れないでください』
「大げさだなぁ。美来のことを忘れるわけがないよ」
『……忘れないでくださいね。では、おやすみなさい』
「おやすみ」
そして、美来の方から通話を切った。
どうやら、僕が有紗さんと入浴することにショックらしい。ただ、有紗さんの気持ちも分かっているからか、ある程度割り切っているようだ。
――プルルッ。
再び、スマートフォンが鳴るけど、今度はメッセージが送られたみたいだ。それを示す緑色にランプが点滅している。
「美来……」
美来から、寝間着を来た姿の自撮り写真が送られてきた。桃色の寝間着が可愛らしい。ピースをしているけれど、頬を膨らましている。今の美来の複雑な心境を表しているように思える。入浴中は気を付けなきゃって今一度思う。
「さっき、電話で誰かと話していたようだけど、羽賀さんから?」
「いえ、美来からでした」
「……何か言ってた? あたしが一緒にいることも話したんでしょう?」
「有紗さんと一緒に入浴することをとても悔しがっていました。それで、今度ここに来たときには一緒に入ろうって」
「そっか。……ちょっと後ろめたさが消えたかな。あたしも、美来ちゃんのことを考えると、智也君と入っていいかどうか迷うところはあったし……」
有紗さんも美来に対する後ろめたさがあったのか。それでも、2人きりで僕の家にいるという今の状況では、僕に抱く欲求の方が勝ってしまうんだな。
「あっ、美来ちゃんの写真だ」
「電話の直後に送られてきたんですよ」
「……そっか」
美来の自撮り写真を見て、有紗さんはさすがにしんみりとした笑みになる。
「もう一度言うけれど、一緒にお風呂に入ることはあたしのわがまま。だから、智也君は気負わなくていいからね」
その言葉に続く有紗さんからの口づけは、いつもよりも優しくて、温かい感じがしたのであった。
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