第17話『シカク』

 羽賀や岡村との呑み会が終わって家に帰ると、冷蔵庫の中には煮物などの料理が入っていた。

 テーブルにメモがあったので読んでみると、学校の帰りに僕の家に美来が来て僕に保存食を作ってくれたようだ。LINEでお礼のメッセージを送ると、


『煮物などを食べて、バランスのいい食事を取ってくださいね。今日のお仕事、お疲れ様でした』


 というメッセージが美来からすぐに返ってきた。いい子だなぁ。

 小腹が空いていたので、美来の作ってくれた煮物を温めて食べてみたけれど、とても美味しかった。もう既に美来に胃袋を掴まれているな。


『一口食べたけど、とても美味しかったよ。ありがとう』


 というメッセージを送ると、すぐに既読となって、


『そのお礼こそが私の何よりのおかずです』


 という返信が届いた。おかずって元気になるという意味って考えていいんだよね。

 美来のおかげでほのぼのとした気持ちになり、僕はお風呂に入ってすぐに眠るのであった。



 5月17日、火曜日。

 今日は仕事が定時で終わり、何も予定がないのでまっすぐと家に帰るつもりだ。昨日、美来が作ってくれた煮物もあるし、それに合った夕ご飯でも作ろうかな。

 自宅の最寄り駅に到着しても空がまだ明るいなんて。ちょっと幸せな気分になる。

 改札を出て、自宅に帰る途中、


「すみません、ちょっとよろしいでしょうか」


 背後から、男性の声で呼びかけられた。

 立ち止まって振り返ってみると、そこには学校の制服を着た茶髪のイケメン君が立っていた。背は僕と同じくらいか。あと……知らない顔だな。

「どちら様ですか」

 名前を尋ねると、イケメン君はふっと笑って、


「私立月が丘高校に通っている諸澄司もろずみつかさといいます」

「月が丘高校……」


 遠い昔に聞いた高校の名前だ。同級生で1人か2人くらい進学していたな。そして、諸澄司という名前を聞いても思い当たることは何もない。


「何の用かな、僕に」

「その前にあなたも名前を教えてくれませんか。俺は名前を教えましたよ?」


 その言い方が生意気な感じがしたけれど、諸澄君だけが名前を明かして僕が名前を教えないのはフェアじゃないよな。


「氷室智也です。サラリーマン2年目です。それで、僕に何の用なのかな?」

「朝比奈美来さんのことで」

「美来のことだって?」

「ええ、ちなみに俺は彼女のクラスメイトです」


 美来のクラスメイトか。ということは、美来の通っている高校は諸澄君と同じ私立月が丘高校で、そこは共学なのか。


「俺は朝比奈さんのことが好きなんですよ」


 諸澄君は爽やかな笑みを浮かべながらそう言った。唐突に何を言うかと思えば。お兄さん、不覚にもその言葉に心がチクッと痛んでしまったよ。


「どうして、僕にそれを言うのかな」

「土曜日に、あなたが駅の近くで朝比奈さんと楽しく歩かれている姿を見たからですよ。おそらく、あなたが朝比奈さんの言う『運命の人』なのだと。運命の人については彼女の友人から聞きました。昔、自分を助けてくれた人であると」

「美来は学校で僕のことをそんなことを言っているのか……」


 名前は明かされなくても、月が丘高校では僕のことは結構知られているのかも。

 運命の人。その言葉を聞いて、彼は美来がその人のことを好きだと考えた。それで、土曜日に僕とデートをしている美来の姿を目撃して、僕が美来の言う「運命の人」であることが分かったわけだ。


「それで、美来の想い人である僕に、美来のことが好きだと告白してどうしたいの?」

「朝比奈さんとの関係性を確認したいと思いましてね」

「なるほどね。……まあ、まだ恋人同士じゃないよ」

「へえ、意外ですね。昨日と今日の朝比奈さんは……先週までとは驚くぐらいに変わっていましたから」

「金曜の夜に僕と再会したからじゃないかな」


 それ以外の理由が見当たらない。クラスメイトにも分かるくらいに様子が変わったと分かるくらいに、僕と会えたことが嬉しかったんだな。


「本当は昨日の夜にお話ししようとしたんですが、全然現れなかったので、今日もこうして待ってみたんですよ」

「それはすまなかったね。昨日は色々とあったんだ」


 美来の想い人である僕とどうしても話がしたかったのだろう。もし、今日、僕が残業で遅かったら明日もこうして僕を待っていたことだろう。


「話が逸れてしまいましたね。氷室さん、はっきり言いますが……彼女を守るならあなたよりも俺の方が適していますよ」

「それは日頃、学校で美来のことを見守ることができるからかな」

「さすがは社会人だ。理解が早くて助かります。その通りです。それに、俺は彼女と同い年だ。きっと、あなたよりも朝比奈さんと分かり合えると思います」

「僕は今年24歳になるから、彼女とは8歳違うね……」


 それ故に、ジェネレーションギャップを感じてしまうことは、これから何度もあるだろう。同い年だから分かり合えるという気持ちも分からなくはないけれど、それを自信持って言えるのは凄いと思う。


「第一に俺の方が朝比奈さんのことが好きだという気持ちが強いです。だって、氷室さんは朝比奈さんと恋人同士じゃないんでしょう? つまり、朝比奈さんに好きだと伝えていない証拠だ」


 確かに好きだとは伝えていないなぁ。大切に想っているとは伝えたけれど。


「じゃあ、君は美来に好きだと伝えたのかい?」

「……いえ。でも、いずれは伝える予定です」


 伝えたことないんかい。

 予定があるから自分の方が美来への想いが強い……という自分勝手過ぎる理論に呆れてしまう。しかし、本人は真剣そうだから、そこは突っ込まないであげよう。


「つまり、物理的にも美来と距離が近いし、美来への好意が僕よりも強いから、美来には自分の方が相応しいって言いたいんだね」

「そうです。物分かりがいいじゃないですか」

「……褒め言葉として受け取っておくよ」


 まったく、僕のことを恋のライバルみたいに思っているからなのか、諸澄君が発する一つ一つの言葉が随分と尖っている。それに加えて上から目線。


「諸澄君。一つだけ君に言っておくよ。物理的な距離は君の方が近い。日中、美来のことを見ることができる君の方が、彼女を守るという意味では相応しいかもしれない。でも、僕は少なくとも君よりは心の距離が近いと思っているよ。美来のことを大切に想う気持ちは君に負けないよ」


 実際には美来の方が僕にぐいぐいと近づいてきているという感じだけど。でも、10年間も僕に好意を抱き続けていて、僕に2度もプロポーズをするほど。そして、そんな彼女のことを大切に想っていることは本当だ。


「……そうですか」


 諸澄君は笑みを絶やすことなくそう言った。


「しかし、いつまでもそう言えますかね……」

「えっ?」

「朝比奈さんが本当に助けを必要としているとき、僕なら絶対に助けることができる。しかし、あなたは彼女のことを助けることができますかね? 大切に想っているとあなたは言いますけど」

「……どうだろうね。でも、絶対に助けたいっていう気持ちはある。それは美来を大切に想うからこそ抱くのことできる気持ちだと思うよ」

「そうですか。でも、気持ちがあっても実際に助けられなければ意味がないんですよ」

「……何が言いたいのかな」

「俺の方が朝比奈さんに相応しいという一点のみです。では、言いたいことを言えたのでこれで失礼します」


 諸澄君は軽く頭を下げて、駅の方に向かって歩いて行った。

 何というか、色々と好き勝手に言われてしまった感じだ。話してみて分かったのは、彼は自分の方が美来に相応しいと思っており、美来が「運命の人」と称する僕のことを敵視しているということか。あと、


「美来が助けを必要とする場面か……」


 自分の方が相応しいことを強調したくてそう言ったのか。それとも、美来にそういう場面に遭遇しそうな状況がすぐそこに迫っているのか。まさか、既に学校で何かあったのか。

 そういえば、金曜日……寮に帰るのを妙に嫌がっていたな。あれは僕と一緒にいたいという気持ちが強い可能性もありそうだけど。ただ、僕が離れたらどうしようと心配しているのは確かだろう。


「一応、気をつけておくか……」


 美来の様子と、あと……諸澄君にも。美来が僕の家に来ているから、もしかしたら僕の家の場所も知られてしまっているかもしれないし。


『美来、外にいるときは周りに気を付けるんだよ。特に僕の家に行くときには』


 美来のスマートフォンにそんなメッセージを送っておいた。

 すると、すぐに僕のメッセージに『既読』と表示され、


『分かりました。智也さん、そんなに私のことを心配してくださるなんて。私はとても幸せ者です。これからも――』


 それからしばらくの間、美来から愛のメッセージを受信し続けた。これだけ言われ続けるのだから、心の距離は僕の方がかなり近いよね。そう思いながら僕は家に帰るのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る