容疑者

 次の日、蜷川の指示通り私達は学校に集まった。教室は一年六組である私と明里のクラス。昨日の片付けで机と椅子が等間隔で並び、元通りの風景だ。その内の一角に私達五人は固まっている。本来なら自宅で過ごしていなければならないこともあり、微妙に周りに気配りしながら登校した。先生に見つかったら間違いなく帰される。


 近くの喫茶店とかの方が良いのでは? と最初は思ったが、話す内容が内容だ。誰が聞き耳を立てているかも分からない喫茶店ではしっかりとした話し合いはできないだろう。それを考えれば、休日で誰もいない学校は絶好の場所。心置きなく話ができる。


 集まるなり蜷川は一番に飲み物は? と聞いてきた。何様だお前は。


 ちなみに、以前なぜセイタン部の三人がこの教室にいたのかを問い質すと、急遽中止になったことで飲食系の教室に飲み物や食べ物が放置されていると思い、タダ食いができると踏んだらしい。ただの盗み食いではないか。お金を出せお金を。


 そういうこともあり、目の前にある自販機で買った飲み物はすべて蜷川の負担である。何で俺が……とか愚痴っていたが、セイタン部の三人がじゃんけんをしたところ蜷川一人が負け、結果こうなった。ざまぁみろ。


「それじゃあ、早速今後の活動を決めようか。まずは犯人がいるとされる文化祭実行委員のメンバーの特定ね。誰か知ってる?」


 手元の缶コーヒーを一口飲み、伊賀先輩の進行で話し合いが始まる。容疑者が文化祭実行委員の中にいるという事から、そのメンバー特定から始めるのが妥当だろう。私は一人思い浮かび名前を口にした。


「私達のクラスは倉澤さんが委員会に入ってたよね?」

「うん。たしかそうだったよ」


 隣にいる明里に確認すると彼女が頷いた。


「今更だが、何でお前がいるんだ? 関係ないだろ」

「本当に今更ね」

「親友の由衣が疑われているんだよ? 家で落ち着いていられないでしょ」

「だったら、この飲み物代自分で出せよ」

「無理よ。だって財布の中身あと三百円しかないもん」

「無理じゃねぇよ! 普通に買えんだろ!」


 ダン、と机を叩く蜷川。いいぞ明里、もっとやって。こいつの困った態度を見ると楽しい。


「祐一、私達は由衣ちゃんのクラスの出し物を勝手に飲み食いしたんだから無関係とは言えないでしょ? どう見てもこっちに非があるんだから。第一、男が百円二百円で文句言うとか情けないわよ」

「静、金の問題に男も女もない。男女平等という言葉を知らんのか」

「使い道が間違ってるわね。こんな状況で平等なんて言葉が当てはまるわけないでしょ。じゃんけんに負けたあんたが悪い」


 そうだそうだ。いっそのことお菓子とかもコンビニに行って買って――。


 途中、私は腑に落ちない部分を見つけたのでそれを指摘した。


「ちょっと蜷川。あんた、なに伊賀先輩の事呼び捨てにしてんのよ。しかも、下の名前で呼ぶとか失礼でしょ。敬語を使いなさい敬語を」

「はあ? 何で俺が静に敬語を使わなきゃならないんだよ」

「だから、先輩なんだから――」

「ああ、いいのいいの由衣ちゃん。私と祐一は、一応幼馴染みなんだ。だから、逆に敬語なんか使われるとこっちが困るわ」


 幼馴染? 


「すごい! 幼馴染みって都市伝説じゃなかったんだ!」

「いや、明里。幼馴染みは普通にいるでしょ。それこそごまんと」

「何言ってるの由衣! 幼馴染み、特に男女の幼馴染みっていうのはお互いの家をまるで自分の家のように行き来して、朝には女の子が起こしに来てくれて朝御飯を作ってくれたり、一緒に登下校する間柄なんだよ? 時には嬉し恥ずかしのイベントが起きたりするんだよ?」

「……」


 あっれ~? 幼馴染みってそんな関係だったっけ? ただ小さい頃から仲が良い二人の事を総称するものじゃなかったっけ?


「いやいや、ないない。私と祐一はそんなことないから。ただ家が近所で昔よく遊んだっていうだけ。朝起こしに行ったりご飯作ったことなんか一度もないよ」


 あっ、よかった。私の記憶違いじゃなかった。てっきり意味が変わったのかと心配になっちゃったじゃない。


 だが、明里は聞こえてないのか、どこか遠い目をしながら浸っている。


「いいな~、私も幼馴染み欲しかったな~。それで、甲子園に連れてって! とか言いたかったな~」


 甲子園? イベントとかで使われる――あっ、あれは後楽園か。甲子園は野球か。でも、何で野球?


 すると、明里の台詞に蜷川が食い付いた。


「ほう。幼馴染みと聞いてそのアニメを連想するとは。お前、基本はできているな」

「ふふん、まあね」

「まあ、飲め。さっきは無関係とか言ってすまなかった」

「ありがとう!」


 ガシッ、と手を握り合う二人。それから、蜷川に差し出された飲み物を明里が嬉しそうに受け取る。


 こいつら意気投合しやがった! 何してんのよ明里、そいつはでしょうが!


「あらあら、二人は仲良くなったみたいね」


 微笑みを浮かべながら伊賀先輩が二人を眺めている。隣にいるりっちゃんもチラチラと落ち着きがなさそうに見ていた。


「由衣ちゃんはしないの?」

「絶対嫌です!」


 断固拒否させてもらう。蜷川と手を握るなんて考えただけでも吐きそうだ。


「そう。よかったねりっちゃん、ライバルが二人も増えなくて」

「ふぇっ!?」


 伊賀先輩に声を掛けられるとりっちゃんは慌てふためき、手にしていた飲み物を落としそうになっていた。顔を見ると塗り潰したかのように真っ赤だ。


「い、伊賀先輩!」

「あはは。でも、うかうかしてたら取られちゃうよ?」

「う、うぅぅぅ……」


 恥ずかしそうに、そして悔しそうな表情をしながらりっちゃんが唸る。明里と蜷川は幼馴染み談義に花を咲かせこちらの会話は聞こえていないようだ。


 今、先輩はライバルとか取られるとか言っていたが……えっ、まさか、りっちゃん蜷川を!? ダメよ! りっちゃん、考え直して!


 思わぬ恋愛図を目の当たりにして私はとても心配になってしまった。別の男なら応援できるが、相手が蜷川ならとてもじゃないが無視できない。早く過ちに気付かせなければ。


「話が反れちゃったわね。元に戻すわよ。由衣ちゃん、あなたのクラスの文化祭実行委員は倉澤さんという人なの?」

「あっ、はい」


 浮きかけた腰を下ろす。本題へと入り、みんなが気を引き絞め始めた。穏やかな雰囲気から一変、張りつめた空気が一気に包み込む。

 

「その人はどう? 怪しいとか思わない?」

「えっ、まさか倉澤さんが犯人なんですか?」

「違うよ。容疑者である文化祭実行委員の人達を全員検証していかなきゃならないでしょ? まず知っている人物から始めた方がいい」


 なるほど。たしかに身近な人物の方が情報がある。何も知らない人物から始めるより効率がいいだろう。


「それで、倉澤さんはどんな人?」

「え~と、クラスの委員長もしていて、頭も良いです。結構強気な性格で、言いたいことはズバズバ言いますね」

「絵に書いたような姿ね。典型というか」

「はい。クラスのみんなも理想の委員長だって言っています。彼女がやらなきゃ誰がやるんだって」


 まあ、大抵は自分がやりたくないからそう言っているのだろうが、委員長を決める時、倉澤さんは自分から立候補していたので彼女自身も自分が相応しいと思っているのかもしれない。背筋を伸ばし、真っ直ぐ上に手を上げた姿は今でも覚えている。


「男か? 女か?」


 蜷川が伊賀先輩に継いで質問してきた。


「女の子よ」

「眼鏡は?」

「掛けてないけど、それが?」

「失格」

「何が!?」

「委員長で女と言ったら眼鏡だろ。アニメでも大抵委員長は眼鏡を掛けている。何も分かっちゃいないな、その倉澤ってやつは」

「どうでもいいとこに食い付くな! 重要なのは彼女の性格でしょ!」


 なぜアニメを基準に考えるんだ。現実を見なさい現実を。


「でも、委員長は違うと思います。たしか彼女は事件が起きた時間、私と一緒にウチの喫茶店で接客してました」


 明里が倉澤さんのアリバイを証明した。それなら彼女に犯行は無理だ。そこには明里だけでなく、他のみんなやお客さんがいたはず。目を盗んで行動するのは不可能だ。


 クラスには倉澤さんしか文化祭実行委員はいない。つまり、クラスメイトには犯人がいなかったことだ。その事実に私は一安心する。一人容疑者が減った。一歩前進だ。


「じゃあ、りっちゃん。あなたのクラスの委員はどう?」

「え、えっと……ひ、一人います」


 縮こまりながらも、りっちゃんが貴重な情報を提示してくれる。


「で、でも、私のクラスの委員もお二人と同じように、教室にいたと思います」

「そういえば、りっちゃんのクラスは何をやっていたの?」


 明里の質問に私も知らないと気付いた。りっちゃんがそれに答える。


「わ、私のクラスは、ヨーヨーすくいです」

「ヨーヨーすくいって、水に浮いてる風船をすくう、あれ?」

「は、はい。子供用のプールを二、三個用意して、そこにヨーヨーを浮かせました。ヨーヨーにはおまけも付けています」

「おまけ?」

「小さい袋に入れた紙を付けているんですが、すくい上げに成功するとその中身を開いて、そこに書かれた商品もあげるというものです。飲み物やお菓子、別の教室の割引券とか」


 わっ、何それ面白そう。行ってみたかったな~。


「それで針宮、誰かそのプールに落ちて濡れた女子生徒はいなかったか?」

「い、いなかったと思いますが……」

「失格」

「だから何が!?」


 思わず再び突っ込んでしまった。どの辺りが失格なんだ。


「それだけの条件がありながらなぜ誰も落ちない。アニメの祭りでは、大抵熱が入った女の子がバランスを崩してドボンだ。そして、身体の線が浮き彫りになる。ごちそうさまだ」


 だがら、何でアニメが基準なのよ! いい加減抜け出せ、オタク!


「りっちゃんのクラスもシロ、と。祐一、一応聞くけどあんたのクラスは?」

「なんだ? その一応とは。まあいい、答えは知らん」

「だと思った。だから一応って聞いたのよ。興味ないことは本当に覚えないよね、あんた」

「どうでもいいことを一つ覚えるなら声優一人の名前を覚えた方が遥かに脳を有効利用している」


 それこそ脳の無駄使いのなにものでもない。蜷川の脳に哀れみを抱いた。こんなやつの脳になったばっかりに自分の力を存分に発揮できないとは、さぞかし後悔しているだろう。


「じゃあ、祐一のクラスは保留にして、と。あとは私のクラスね。私のクラスはたしか二人いたわね。でも、どちらもどこにいたかまでは把握していないわ」

「ちなみに、その二人は男か? 女か?」

「両方男」

「失格」


 またか。もう疲れたのでスルーする。


「その二人はどんな人ですか?」

「おい、無視するな」

「う~ん、そうね……。どっちもイベントが好きなタイプかな。文化祭みたいな、こういう人が集まる所で過剰にはしゃぐ人っているでしょ?」


 先輩も無視。放置された蜷川は、そこは男女だろ、とか呟いている。ホントどうでもいい。


「子供ですか」

「まあ、似たようなものね。でも、今回は自分達が盛り上げるんだってやる気になって立候補。すごい一生懸命にやってたよ」

「あれ? でも、伊賀先輩のクラスって学校の歴史を紹介していませんでしたっけ?」


 そんな二人がいながら、なぜ学校の歴史という地味なものを選んだのか。


「そう。二人はそんな性格だけど、残りのほとんどは正反対でね。どちらかと言うと大人しい感じ。二人はお客さんと交流できる出し物を提案したんだけど、多数決で却下されて歴史に決まったの」


 うわ~、ちょっと可哀想。一番やる気のある二人の提案が却下されて、さぞかし落ち込んだんだろうな~。


「最近はショック受けてたけど、おそらくこんな歴史とか他クラスはやらないのでは? と気付くと、オンリーワン! とか叫びながら復活したわ」


 なんというポジティブ思考!


「で、結果はどうだったんですか?」

「え? 散々だよ。お客さんが来るわけないじゃん」


 あっさりと悲しい事実を述べる伊賀先輩。ということは、その二人はただ空回りしていただけか。誰か! その二人に勲章をあげて!


「で、でも、そんなに文化祭を盛り上げようとしていた人が、さ、刺したりするでしょうか?」


 りっちゃんの指摘は的を得ていた。たしかに、そこまでやる気に満ちていた二人のどちらかが、イベントをぶち壊す殺人なんてことするとは思えなかった。むしろ、殺人を犯した犯人を殺しそうだ。


「私もそう思うわ。アリバイは分からないから調べないといけないけど、印象としてはシロよ」


 これでまた容疑者が減る。とりあえず文化祭実行委員の内、四人は外すことができるだろう。残りは名も知らない者逹。こればっかりは一人一人当たっていくしかない。


「じゃあ、今後はまず残りの委員の特定、それから話を聞く。それでいいかしら?」

「妥当だな。ただ、問題がある」

「問題?」

「そいつらがちゃんと話してくれるかどうかだ。自分が疑われていると思われて素直に話すとは考えられないが」


 蜷川が今日初めてまともな事を言った。それだけで私は驚愕するが、内容は正論だ。


「だが、他に思い付く事もないな。最悪はハッタリでもかまして情報を聞き出す」

「やり方が悪どいわね」


 しかし、妙にしっくりくる。変な表現だが、この男なら脅しとか似合いそうだ。


「じゃあ、さっそく明日から学校で探すわよ。今日は解散しましょ。もうお昼だし」


 先輩の言葉で教室にある時計を見ると、たしかに十二時十分前で正午になるところだった。いつの間にこんな時間が過ぎていたのか。


「分かりました。それじゃあ――」

「待て」


 立ち上がりかけた私に、蜷川がそれを止めた。


「何よ」

「お前、重要な事を忘れているぞ」


 重要? えっ、何か見落としがあったの?


 不安に包まれていると、蜷川が机の上に何かを差し出した。そこには、文字が書かれた紙と黒い機器、ボイスレコーダーだ。


 まさか……。


「さあ、この台詞を言え。もちろん、堀江由衣声で。拒否権はないぞ。条件を覚えているだろ?」


 やっぱりか! ちくしょ~、すんなり帰れると思ったのに!


「さあ、早く! 俺の耳が堀江由衣を欲しているんだ。さっさと読め!」

「わ、分かったわよ。読めばいいんでしょ、読めば!」


 だが、要求が細かすぎて中々オーケーの声が出ず、帰れたのは話し合い終了から四十分過ぎた頃だった。

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