第57話 いつもと同じ、死んでくれ




馬鹿みたいなことを始めた俺たち。


家に着いた頃には、すっかり遅くなっていた。



ボロいアパート。

薄っぺらい扉。

何度見ても、溜息が出る。


ここにしか、帰る場所は無いけれど。

ここに帰りたい訳でも無かった。



…最近、息を吐き過ぎてる気がするな。

吸わなきゃ…?


…いや、何を言ってるんだろう。

俺は、浮かれてる。

自分でもわかった。



――もう、考えるのは辞めよう。



着替えもせずに、布団に倒れ込む。


幸せと感じてしまうのが、怖い。

慣れてない感情を持つのが、怖くて堪らなかった。



もし、あいつとの関係が終わったら?

もし、あいつから嫌われたら?



嫌な考えは、止まらない。

だから嫌だったんだ。

こんなことなら、独りでいた方がましだった。



何も見たくなくて、目を閉じる。


こんな日は、決まって同じ夢を見る。

それがわかっているから、余計に憂鬱だ。



ゆっくりゆっくり呼吸をする。

きっと今日の夢は、特に酷い。


念のために、枕元に携帯を準備しておく。

すぐに電話を掛けられるように、ある連絡先を開いておくのも忘れない。





――大丈夫、大丈夫…。





ちっとも落ち着かないけど、俺は意識を手放した。







――――――――――――――――――――









「……はぁっ…はぁっ…」



苦しい。苦しい。苦しい。

息が出来ない。


首が痛い。

頭がガンガンする。


なに、何なんだ…っ。



「……死んで…。死んでよ……」



聞き慣れた声。

誰のものか解った瞬間、頭がスッと冷えるのを感じた。


細い両手で俺の首を締めている。

俺の腹の上に座り込んで、動かない。

俯いたことによって長い髪の毛が垂れて、俺の視界も悪くする。

掠れた震えた声で、同じ言葉を繰り返す。


全部、いつものことだった。



「ね…さん…」






俺に死んでくれと悲願しているのは、実の姉だ。





俺の声が聞こえた彼女は、視線を絡ませてくる。

ぐちゃぐちゃになった目。

怒りや苦しみが混ざっている目から、涙が零れ落ちた。



……可哀想に。


こんなに俺を恨んでいるのに、俺を殺せない。

そんな姉が、不憫で堪らなかった。



「 」



何かを呟いた。

確かに目の前の唇は、動いた。


けれど、何を発したのか解らない。

何て言ったんだろう。



ぼんやりとしていると、姉が俺の上から退いた。

向こうへと歩いて行っては、すぐにこちらに戻ってくる。


その手には、包丁が握られていた。





…あ。殺される。






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