第56話 『真琴』





「…その言葉、取り消し無しな」


「…えっ」



…顔が近づいてくる…。



そう思った時には、もう口と口が触れていた。


喋りかけていた言葉は、拓夢の唇に溶けていく。



熱い。熱い。熱い。


拓夢が触れてきては、熱を与える。

でも、きっと俺の体温の方が熱い。



頭が馬鹿になりそうだ。



ぼんやりとしていく中で、3回目のキスだっけ…と考える。


舌が、入ってくることはない。

その代わりに、何度も唇を咥えられる。



「……っ…」



声が出そうになった。

必死になってそれを抑えながら、息を吐く。


そんな俺を、拓夢はじっと見つめてくる。



「…吐息、えっろ」



そう言って、俺の唇を小さく舐めた。



「――っ…!!」



…もう限界だった。


勢いよく拓夢を突き飛ばして、立ち上がる。



「…帰る」



一言そう告げると、俺は公園の出口へと歩き出した。

こんなに恥ずかしいだなんて、聞いてない。



「じゃあ、俺も帰る」



そう言って、拓夢は俺の隣に並ぶ。


俺は、逃げたのに。

これじゃあ、意味が無いじゃないか。



「なぁ」


「…なに」


「連絡先、教えて」



…そういえば、連絡先も知らなかったな。


言われて初めて気づいた。

携帯を取り出し、互いに連絡先を登録する。



俺の携帯に『拓夢』と記された名前が増えた。

それをじっと見つめる。



…これだけで、こんなに嬉しくなるなんて。


自分の気持ちに気づくと、厄介だな…。



溜息をついて、拓夢の携帯を覗き込む。

そこには、『まこと』と記されていた。


…あ、俺の名前嘘のままだ。



「…俺の名前、それじゃない」


「…え?」


「…平仮名じゃなくて、漢字の真琴」


「………」


「真実の真に、楽器の琴で、真琴」


「……そうか」


「…嘘ついて、ごめん」


「いや、いいよ」



『真琴』と訂正される名前。


なんか、前にもやった会話だな…。

けれども俺は、それを誰との会話かを思い出す前に、考えることを辞めた。





ぼーっとしてると、駅に着いていて。

送ろうとするが、それを頑なに拒む俺に諦めた拓夢が「じゃあな、何かあったら絶対連絡しろよ」と言って帰っていく。


その後ろ姿を見ているだけで、熱くなっていく体。

そんな俺を、冷たい風が撫でて行っては、熱を冷やしていった。




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