第三十三手 泣いても遅い

 「おう‼ 敬治。ようやってくれたの。ほれ、今日の給料や。ご苦労さんやで。」

 「ありがとうございます。」そう言って、汗を散らして振り向いたのは、昨年とは比べ物にならない程逞しい身駆に成長した敬治の姿であった。


 組の方針で、賭け将棋は清川が主に行う様になり、敬治は知り合いのつてで、この土木作業場で日銭を稼いでいた。

 一日、汗まみれになって、三百円。賭け将棋をしていた頃の稼いでいた銭に比べると、それは雀の涙と言うよりも、もっと寂しいものであった。

 しかし、敬治は受け取った金を大事そうに、そして満足そうにボロボロのズボンにしまった。


 「おい、敬治。今日も指さへんか? 」

 その直後、同じ様に仕事を終えた、中年の男性二人が敬治に声を掛ける。

 「一局、五十円や。どや? 」

 そう言うと、安っぽい板の将棋盤をもう一人の男が取り出す。


 「いいですよ。でも、今日は早ぉ帰ってこい言われてますんで、一局だけですよ? 」

 そう、笑うと敬治は男達に付いて行く。


 土木現場の横に、小さなベンチが有り、いつもそこで対局が行われる。

 「こなぁだは、負けたさかい、今日は取り返させてもらうで。」

 「お手柔らかに頼んます。」

 

 敬治はそう笑うと、駒を進める。

 「しかし、今日も暑いなぁ。」そう言って、男が指した手を敬治は笑顔で見やる。

 ――ひっどい、手やなぁ……――

 相手は、敬治の実力からすれば全く相手にならないといってもいいだろう。

 しかし、敬治は三回に一度は勝ちを譲る様に指していた。

 それが、人間関係の構築だという事を何となく知ったからだ。



 「おほぉ、今日はどうにも上手ぉいかへんわぁ……」

 今日は、勝つ方の日だ。ガキどもは、みるみるでかくなる。その金で、敬治は集落の子ども達に服を買って帰ろうと考えていた。

 「敬治兄ちゃん‼ 」そんな、敬治の思惑を破ったのは、ひまわりの声だった。


 「おお、ひまちゃんやないか。」将棋を指していた男と、見物していた男が、同時にその声の先にそう返した。

 そう、敬治のつて。というのは、ひまわりの働いている飲み屋の事であった。この土木作業員は、そこの常連客だったのだ。

 「どしたんや、ひまわり。」敬治は立ち上がると、ひまわりに方へ向かった。ひまわりが何か話そうとするが、随分と急いできたらしい。息が切れてそれどころではない。

 「廃バスで、何かあったんか? また役所の調査とかか⁉ 」しかし、ひまわりは首を振る。

 仕方ないので、敬治は将棋を指していた男に詫びを入れると、ひまわりを背負って、廃バスの方へ力強い足取りで駆けだしていた。



―――――――


 「け、敬治兄ちゃん。ありがとう。もう大丈夫やさかい。降ろして。」

 廃バスが見え出した土手で、ひまわりが背中からそう呟いた。

 敬治が降ろすと、駆け足で廃バスへ向かいながら、ひまわりが説明した。


 「丁度、さっきね。キヨ君が来たんよ。」

 「キヨが? 」

 彼女は「うん」と呟くと、不安を帯びた瞳で、続ける。

 「それがね? 何やただ事じゃない様子で。」

 「禁断症状か? 」

 その問いに彼女は少し、悩む様な表情を見せると、首を振るう。


 「ううん。言うとる事は、しっかりしとるんよ。

 ただ、異常に外を気にして……」


 「わかった。わいが聞く。

 ひまわり、お前は万が一があるから、話付けようる時は中に来るなよ? 」

 少し、間が空いたが、彼女は「うん」と頷く。


 廃バスに着くと、ひまわりに言われた車両のドアを敬治は開けた。

 直後「ドガンガシャーン」と、中の物が倒れる音が聴こえたので、敬治は叫んだ。

 「わいや。キヨ。敬治や。」

 すると、物音のした方の影からゆっくりとその姿が浮かび上がった。

 「キヨ……」

 頬がこけ、目の下に大きなくまが出来てはいるが……それは紛れもなく自分がミナミで舎弟にしたその男であった。


 「け。敬治………」

 その姿を確認すると同時に、清川は脱兎の如く、敬治に飛び掛かった。

 「ぐあっ、キヨ。止めえ。何の真似や‼ 」

 しかし、その違和感に気付く。初めは襲われたのかと思い、身を緊張させたが、相手の様子がどうにもおかしい。敬治に抱き付いた清川は、まるで女の様に、彼の胸で泣き崩れていたのだ。

 

 「なんや、何があった。」

 「助けてくれぇ。敬治……わい、わい………こ、殺されてまう……」


 敬治は、眉間に皺を刻む。突然訪ねて来た事で、おおよその予測は出来ていた。しかし、どうやらこれは、予想よりも切迫した状況らしい。


 「…………負けたんか? 」

 清川は、泣きながら、一度。頷く。

 「…………幾らの勝負や…………」

 話し辛そうに、清川は何度も嗚咽を挟み、ようやっとそれを口にした。


 「五百万………………」

 「ごっ…………⁉ 」敬治は、思わず言葉を失った。それは、敬治自身体験した事の無い大勝負だ。となると………


 「これは…………地元の組同士の勝負や無いな? 」

 清川は泣きながら頷いた。

 これは、とんでもない大事になっている。敬治は滅多にかかない冷や汗を掌に感じた。恐らくは小さな縄張りでは、ここまでの大勝負にはならない。今回三吉の組は、そうとう大きな抗争に清川を差し向けたのだろう。そこで、敗北したとなれば………清川の落とし前は避けられる筈が…………………


 しかし、敬治は一つ信じられない事が有った。それは、清川が敗けた事だ。確かに自分と指した時は粗がある将棋指しだったが、その上達速度は、敬治でも目を見張るものがあった。正直、この近隣ではまず滅多に負ける事は無いと思っていた。


 『どんな、強い奴でも、いつかは敗け、惨めに死ぬんや。それが勝負の世界や』

 ミナミを去る日。あの老人池谷にそう言われた事を彼は思い出していた。



 「………アホが……葉っぱなんぞ吸うようるけえぞ……」敬治のその声に、清川はより一層強く敬治の胸に顔を埋めて泣く。

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