第三十二手 意志の相違

 「パチン」

 木駒の打音と共に、敬治は、目を細めて対局者を見た。

 ――もう、詰んでるで――

 それは、相手に投了を勧める睨み。


 「参った。」

 対面の男がそう言うと、後ろから三吉が肩を叩く。

 「お疲れさん。」そう言うと、敬治に封筒を手渡した。

 「いつも通り、報酬は五分五分ごーごーやけど。とりあえず渡すんは二万や。後はわいが、ちゃんと預こうといたる。」

 「ありがとうございやす。三吉兄さん……」


 そう、礼を言って封筒を受け取った時だった。


 「あぎゃあああああああああああ‼ 」

 隣の部屋から、心底恐怖を煽る悲鳴が響く。


 先程自分の相手をしていた男が連れていかれた部屋だ。


 敬治の様子を察した三吉は、まるで朝の挨拶の様な口調で、語る。


 「のう、敬治。

 将棋盤の脚っての

 クチナシって花を意味しとるらしいで、何でか知ってるか? 」

 突然のその言葉に、敬治は先程の悲鳴の動揺を隠す間もなく、三吉を見た。

 「死人に、クチナシ口無しってな。」


 そう言うと、彼はカカカと歯を見せて笑った。

 会心の冗談だったらしいが、敬治は苦笑いを浮かべ、冷ややかな反応しか出来なかった




 敬治は、暗い気持ちのまま、帰路を歩いていた。

 勝利の後は、いつも高揚と興奮を抑えれないものだが、今回は違う。

 東雲の空を眺めると、煙突から上がる黒煙がまるで………

 何かが空に昇って行く様に見えた。


 その後味の悪さを振り払う様に敬治は首を振るう。


 「皆、待っとり。美味いもん、たらふく食わしたるさかいな………」

 そう呟くと、子ども達の喜ぶ顔が浮かぶ。物寂しい初冬の朝風の中、彼は少し歩を早めた。


 「あ、おかえり。敬治兄ちゃん。」

 廃バスの前で、ひまわりが大きな寸胴に火を掛けている。

 「なんや、早いのぉ。」

 その言葉を聞くと、彼女は腰に手を当て、胸を張る。

 「家長である、敬治兄ちゃんのお勤めですからね‼ あったかいお汁を用意してました‼ 」そう言うと、しししと歯を見せて笑う。そして、思い出した様に「あ、そうだ。」と小さくその身体を跳ねさせる。


 「ん? 」その様子に、敬治が言葉少なに尋ねる。

 「昨日ね。キヨ君が来たんだよ。ずっと敬治兄ちゃん待ってたんだけど。」


 「…………キヨか………元気そうやったか? 」

 「うん………なんか、キラキラしたもんいっぱい付けてた。」

 二人は、気まずそうに黙る。

 「ほ、ほらっお腹すいてるやろ? 食べ。」

 その空気を変えようとひまわりは、お椀に具の入ってない味噌汁を入れると、敬治に手渡した。

 敬治は、その温かい汁を飲みながら、清川の事を思い出していた。


―――――

 

 「どういうこっちゃ‼ キヨ。お前正気か‼ 」

 そう迫る敬治に、襟を整えながら、清川は面倒そうに返した。

 「正気や。むしろ敬治。お前、なんで組に入らんねん。組に入ったら、代指しの取り分はグンと上がるで。しかも、後ろ盾も出来て、組の縄張りでは好きにしたい放題や。こんな、ええ話しは無いで? 」


 敬治は、いきり立つ鼻息を抑える様に、その場にドカッと胡坐をかく。

 「ええか。キヨ。ヤクザになるっちゅうんは、今までみたいに将棋の時だけ関わるっちゅう話にはならん。あちらさんの筋っちゅうのは、それはそれは、固くて切れんモンや。やっぱり嫌になったからって、あっさり辞めれるもんとちゃうねんぞ⁉ 」

 珍しく感情を高ぶらせたその敬治の言葉に、清川は冷ややかな笑みを見せる。


 「固いのぉ……敬治。お前あんだけの将棋が指せるのに、なんでもっとこういった事には頭を使えんのや……ミナミから戻って、二ヶ月。何ぼ稼げた? 何ぼ三吉にハネられたんや? 敬治…………お前の今の生き方じゃあ、一生あいつらにコキ使われて仕舞や。わいは、ごめんやで。わいは、あいつら踏み台にしてのし上がっちゃるんや。そんで、わいを孤児や馬鹿にした奴らを見返したる。」


 そう言うと、おもむろに紙煙草の様な物に火を点け、吸い始める。

 その香りに、敬治は眉を数度跳ねさせた。

 「キヨ‼ お前これは‼ 」


 清川は、おもむろに一息煙を吐くと、ニヤッと笑った。

 「せや。あさや。言うとくけど、極上の。やで。組員になれば、米兵からこんなんも手に入れれるっちゅうこっちゃ。」

 敬治は、下唇を噛むと、大きく息を吐いた。その反応に、清川は火を消して笑う。


 「おいおい。敬治。まさか、葉っぱなんか止めぇ言うんやなかろうの? こりゃあアレやで? ヒロポンクスリなんかに比べたら、そりゃあそりゃあ、身体に力をくれるもんなんやで? おかげでわいも、将棋の手が冴えて堪らんで。」

 敬治は、その会話の途中からも首を横に振り続ける。


 「キヨ。ヒロポンも、麻も、わいにはなんも変わらん。そんなもん使つこうて、幸せになった奴なんて、わいは見た事が無い。それは、戦後の弱った人らの心に巣くった恐ろしい化け物で怪物で悪魔や。今すぐ止めえ。」


 その敬治の真剣な眼差しに、清川のこめかみが痙攣した様に揺れる。

 「おどれに、なんで、指図されにゃならんのや………わいは、わいのやり方で、この戦後の敗戦国日本で成り上がっちゃるんや………」


 そして、清川はそのままこの廃バスの集落を出て行ってしまった。

 敬治は、念の為ひまわりにだけはこの事を話し、もし、清川が訪ねて来たならば大麻吸引者の症状に注意する様に伝えていたのだ。



 ――キヨ………お前……このままやったら、戻れへんぞ……――


 「おかわり。いる? 」

 その声に、敬治は「ハ」と意識を現世うつしよに呼び戻した。

 「もらうわ。ひまわりの味噌汁は、五臓六腑に染み渡るで……」


 敬治の心配をよそに、清川はこの後、三吉の傘下として幾度の賭け将棋を勝ち抜いていく。

 それは、敬治や三吉の予想を遥かに上回るもので、次第に組からの信頼は清川に傾き、組員である清川が賭け将棋を任される様になるのは、必然の事であった。



 そして、その事件は………それから八ヶ月後。丁度、敬治がミナミに向かったあの季節と同じ頃。突然に起こった。


 まるで、嵐の様に。

 穏やかな前日を浮かべながら………

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