第十五手 いざ地方予選会場
風の音と、風鈴の音が熱帯夜に混じる。エアコンは、明日の大会に備え、外気温に近い温度で起動していた。
「ねぇ、由紀ちゃん、愛ちゃん……起きてる?」囁くように長谷川が言う。
「はい……起きてます……」返事をしたのは由紀だけだった。
「愛ちゃんはもう寝ちゃったか……」離れた先のベッドに声を掛けるが、返事はない。
「由紀ちゃん、緊張してる?」長谷川が静かに尋ねる。
「はい、大会なんて生まれて初めてなんです。」
「ふふふ、私も……逃げたいくらい緊張してるよ。」
由紀はもぞもぞと隣の布団の長谷川を見て返す。
「意外です……長谷川さんすごい堂々としてるから。」
長谷川は「ふふふ」と笑い「ありがとう」と返答する。
少し沈黙が流れ、風鈴の音が流れ込む。
「由紀ちゃん………愛ちゃんがね?個人の大会でなく、団体の大会にこだわるのって、何でだと思う?」
そう言われ、由紀は確かに不思議に思った。
――そう言えば、去年中国地方大会で個人準優勝って、言ってたな――
「あれね……きっと私の為なんだ……」
意外な言葉だったので、由紀は思わず聞き返した「どういう意味なんですか?」
「去年ね、丁度……今の由紀ちゃんと同時期くらいだったかな?私も愛ちゃんと会って将棋初めてね?でも二人だけだからってことで、個人戦にだけエントリーしたの。そしたら、私一回戦でボッコボコに負けちゃってね。泣く事も出来ないくらい。完敗だった。
でもね……愛ちゃんが決勝で負けちゃった時、すごい泣けちゃって。訳わかんないでしょ?自分負けた時は全然出なかったのに。そんでね?その時言っちゃったんだよね。」
由紀が、布団の中でもぞもぞと動く「何て言ったんですか?」
長谷川は微笑む。
「私も、愛ちゃんみたいに勝ちたい。愛ちゃんと一緒に、全国大会に出たい。ってね、なーんて図々しいこと言うんだろぉって、後で後悔したよ。」
「でもね……愛ちゃん……真面目な顔してね『わかった、来年は皆で優勝しよう』なんて言ったんだよ?変だよね?そんで今年は個人戦も蹴って団体戦一本に絞ってるんだよ?普通逆だよね?……だからね……?私……明日は絶対勝ちたい。」
今までの二人の行動が、言葉が由紀の記憶に流れるようによみがえる。
――そうか……この二人は……――
「あたしも……一生懸命頑張ります……勝ちましょう長谷川さん……!」
「うん……じゃあ、明日に響いちゃいけないから、寝ましょうか。」
達川は、静かに目を開き、二人の反対側に顔を向け「ふん」と鼻息を鳴らした。
運命の朝、珍しく三人は、そろって外出着に着替え、朝食を摂る。
すると、達川の爺さんが、台所から出てきて、三人の後ろに座った。
「由紀ちゃん。自信を持って指しんさい。」
「クマちゃん。一年の成果は必ず出る。去年の分倍返ししてやんさい。」
「愛子……お前は、油断だけはするな。二人をしっかりと引っ張っていくんじゃ。」
三人は、しっかりと頷いてその言葉に答える。
すると、玄関のドアが開く音と、土生のなよなよしい挨拶が聞こえた。
「いよいよだな。」達川が、食器を一か所にまとめる。
「おう、わしが片づけとくけ、行きんさい。」
「ありがとうよ爺ちゃん。」「ありがとうございます。」「行ってきます。」
三人は一斉に、準備していた荷物を持つと、玄関へと赴く。
「やあ、三人ともおはよう。今日は頑張ろうね。」
土生の優しい笑顔が迎える。
「じゃあ、行こうか。階段の下の駐車場に車を停めているよ。」
思ったよりも、会場に向かう車の中で、三人は落ち着いていた。一番その事を実感していたのは、去年緊張しすぎて実力の半分も出せなかった長谷川だ。
――今年は、由紀ちゃんもいるし……
なにより愛ちゃんが味方に居てくれる事が……嬉しい――
「愛ちゃん、随分今日は気合入ってるね。」
助手席にだけ聞こえる声で、土生が達川に囁く。
「あ?いつも通りだよ……でも今年は
「佐竹君。今年は団体にも出るみたいだよ?」
「大将?」土生は、首を振る「いや、副将。大将は
「あぁ?そうか棋王会は、あのお嬢んトコの傘下か。」
「それなら、土生ちゃん。うちは副将にエントリーしてくれ。」
「へぇ~、じゃあ大将はクマちゃんかい?」
達川は、その言葉にニッと八重歯を覗かせた。
「いや……大将は……」
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