第64話 俺は、負けんぜ!

  いつものように稽古の見学をする広志に

富田さんが声をかけてくれた。


「益田さん どんなん、具合は?」

「お陰さまで、だいぶ落ち着いてきました」

「僕も、頚椎では、苦労したんで。

 方々の病院へ行ってのう。

 結局岡山で手術したんよ。

 これが、その跡」

 富田さんは、自分の首の手術跡を見せてくれた。

 首の横に、かすかに縦線が残っている。


「大変やったんやあ」

「最初は、びっくりしたでえ。

 なにせ、稽古中に急に腕の力が抜けてなあ。

 竹刀、落としてしもた!」


 広志は、何年か前に偶然、その情景を見たことを

思い出した。


彼は、その時、急に道場の横の通路に

走り出て、確か、竹刀を振ろうとしていた。

あーーああ、あの時の・・・・。


その後、ピタッと稽古に出てこなくなったのが

不思議であったが、これで謎が解けた。

彼は、戦っていたのだ。


 富田さんの剣道は、実に綺麗だ。

自分と体格も似ており

齢こそ、二回りくらい自分より若いが

彼の剣道には、感激すら覚える。

心と技と身体が見事に融合している。


 剣道は、綺麗でも弱くては意味がない。


しかし、強くても汚い剣道は、大嫌いなのである。


「相手を叩きのめすのが、剣道よ」

と、うそぶく人もいたが

広志は、好きになれなかった。


なんとその人が、少年剣道の指導者を

していると聞いた時には

習う少年達が、将来、どのような剣士に

なるのか想像して、胸が痛んだ・・・。


 手術を乗り越えて剣道を続けている方が居る。

それが、広志にとっては、大きな励みであった。


 目が完全に駄目になったらどうしよう・・。

弱気になっている時には、考えたりするが

その不安を振り払い

ええい、行ける所まで行くまでよ!

と、開き直ってみる。


 今度の頚椎も

ええい、行ける所まで行くまでよ!

人生、悲観は禁物!

負けんぞ!負けてたまるか!!

俺は、俺に絶対負けん!!!

自分に言い聞かす広志であった。



 



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