第41話 玻璃玉売り

 そこから二日ほどで、彼らは目的の郷へ着いた。

 馬車を宿へ預けて、鴒帆は美玻を連れて街へ出た。目抜き通りには両側に、露天が並び、何物かを商っているのが窺えた。だが、目の悪い美玻には、遠目にはそれが何であるのか良く分からない。やがて賑やかな通りを過ぎて、裏通りの細い路地へ入り、鴒帆は何がしかの看板の下がった家の前で足を止めた。

「ここで待ってな。話をしてくる」

 そう言って鴒帆は、扉の向こうに姿を消した。美玻は手持無沙汰に、扉の上に吊り下げられている看板の判読をしようと試みた。そこには、何か水差しのような絵が描かれている。


――玻璃はり……細工……物……かしら。


 誰も見ていないのをいいことに、美玻は目を細めて、ちょっと人には見せられないようなしかめっ面になりながら、その文字を読んだ。

「御姐さん……」

 不意に横から、笑いをたっぷりと含んだ声を掛けられて、美玻は驚いて身を竦める。


――み、見られたっ?


 恥ずかしさに心拍が上がり、頬が紅潮する。気まずさを誤魔化すために、じとりとした不機嫌そうな視線を向け、その声の主を見た。いや、正確には、見上げたというのが正しい。

 自分を「御姐さん」と呼ばわった男は、かなりの長身で、明らかに自分より年は上だった。そして、その見事な緋の髪色に、美玻はまず目を奪われた。鴒帆との旅の間にも、比奈とは異なる茶や緋の髪色を持つ者を見たことはあるが、ここまで鮮やかな色は初めてだった。

「……」

「御姐さん、幸運のお守り、買わない?安くしとくから」

「は?」

 美玻がその髪に見入っていた僅かな隙に、その青年は彼女の眼前に、紐を通した真紅の玻璃玉を付き出していた。陽を弾いてきらりきらりと紅く輝く玉石は、美玻にかつて一緒に旅をした玫瑰まいかいを起想させた。

「……柘榴」

「ああ、残念ながらこれは、柘榴石ではないんだ。玻璃に、赤の顔料を溶かしこんだだけの紛い物だから……でも、綺麗でしょ?本物にも引けを取らない、って言ったら言い過ぎかも知れないけど。他の色もあるけど、御姐さんには紅が似合うと思うなぁ……」

 美玻が返答をしないうちに、青年が手妻てづまのように掌を返すと、その指に、蒼や緑や黄色といった多彩な色の玉の付いた組紐がぶら下がった。


「どう?」

「……うん。綺麗……」

 思わず顔を寄せて玉に見入る。柘榴のことがあるせいか、青年の言う通り、やはり紅い色に心が引かれた。

「……ああ、でもあたし……お金持ってない……んだけど」

「……あ。そうなんだ……」

 美玻が言うなり、青年の手が唐突に閉じられて、綺麗な玉はその指の中に姿を消した。そして、

「……んんーん。じゃ、これあげる」

 青年が、懐から別の小さな紅玉を引っ張り出した。それを、そのまま美玻の首に掛ける。

「あのっ……だから、お金は……」

「うん。これは、僕が作ったやつだから。ほら、ちょっと形、歪んでるでしょ。僕、まだ下手くそだからさ。売り物にはならないモノだから、あげるよ」

「……え、でも」

 青年が、美玻の頭にぽんと手を載せる。そして、髪を梳くように、その指を絡ませながら、髪をくしゃくしゃと弄んだ。

「あの……」

 美玻が困惑を帯びた声を出すと、青年が笑って手を引っ込めた。

「元気の出る、勇気のお守りだから、持っていてくれると嬉しい……そしたら、僕のエニシの糸が君に届くかも知れないから……」

「え?」

「また、会えるようにってことだよ」

「おーい、美玻ぁ」

 扉の向こうから鴒帆の呼ぶ声がした。

「じゃあ、美玻。またね」

「え?」

 鴒帆の声に気を取られた一瞬に、青年の姿は消えていた。幻でも見たのかと思ったが、胸に光る紅い輝きは、そうではないことを告げていた。


『またね』


 穏やかな温かみのある声が、耳に残った。

 そして、どこかでその声を聞いたことがあるような気がした。


『おやすみ』


 美玻は記憶の中から、夢うつつに聞いた幻のような声を思い出す。


――ああ……あの人の声……と似ている?


「……又、会えるかな」

 会って、もう一度その声を聞いたら、はっきりするだろうか。

「またね……かぁ……」

「おい、美玻ーぁ」

「はーい」

 急かすように呼んだ鴒帆に応えて、美玻は店の中に入った。




 そこは、職人たちが忙しくが手を動かしている玻璃の工房だった。

 薄暗い部屋の中で、美玻が鴒帆を探しあぐねて立ち尽くしていると、奥の方から鴒帆が姿を見せた。彼に誘われて工房の最奥へ進むと、そこに気難しそうな顔をした男が座っていた。

「玻璃細工師の千陶セト。俺が知る限りで、一番腕の良い職人だ」

「こんにちは」

 美玻が挨拶をすると、千陶セトはやにわに右の手を広げて美玻の顔を掴んだ。

「……あ……あの……ぉ……」

 まさかとは思うが、このまま顔を握りつぶされたりはしないか。美玻が戦々恐々としていると、無愛想な声で千陶セトが言った。

「三日くれ」

「ああ、構わんよ」

 鴒帆が応じると、千陶セトの手が離れた。

「ええっと……」

 状況が分からずに、きょとんとしている美玻に、鴒帆が笑いながら説明する。

遠見鏡とうみきょうというものがある」

「遠見鏡?」

「遠見のように、遠くのものを見ることの出来る代物でな。玻璃玉を薄く削り出して、それを一尺ほどの円筒の両端にはめ込んで作る。それと同じ玻璃の板を使って、文字を大きく見せる鏡を作ることも出来るのさ。ほれ、この様に……」

 鴒帆が、側に置いてあった薄く円盤上に削り出された玻璃を取り上げて、壁に貼られた紙の細かい文字の上を滑らせる。すると、ぼやけている美玻の視界の中で、その小さな円の中だけ、くっきりとした輪郭を持った明快な世界に変わった。

「これを応用して、お前さんの目が元のように見えるようにする玻璃鏡が出来ないもんかと思ってな」

「そんなものが……作れるんですか」

 前の様に見えるようになるなど、思いもよらないことだった。それが実現するなら……そんな期待に気持ちが高揚する。

「玻璃をこんな風に薄く削り出すのは、まず並みの職人には出来ない。削っている途中で大抵、玻璃が砕けてしまうからだ。だが、千陶セトは、それを三日でやってくれるとさ」

「……あ、ありがとうございますっ」

 美玻が喜色も露わに頭を下げると、千陶セトは、無表情なままではあるが、任せておけというように頷いた。

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