花散る頃に


「君彦さん、ちょっと窓を開けてちょうだいよ」



妻に呼ばれて私は顔を上げた。


病室の窓は大方を桜の枝に塞がれている。

枝越しに見上げた空は薄暗い。



「今日は寒いよ。体に障る」



「だってあんなにきれいなのに。窓越しではもったいないわ」



妻はいやいやするようにかぶりを振った。

お花見に行きたいわ

子供が生まれたらゆっくりなんて出来なくなる


今日は駄々っ子と決めたのか。


苦笑を漏らしながら椅子を寄せ

痩せた手をそっと握る。



「元気になったら一緒に行こう」



実現することのないその約束を

私は幾つしただろう。



「花が散ってしまうわ」



外を舞う白い欠片を恨めしそうに妻が眺める。





私は染みの浮いた互いの手を見つめてから

舞い散る雪に視線を移した。

妻が私を君彦と呼んだのは息子が生まれるまでのこと。

妻はもう私のことが分からない。

目を開ける度にキャストが変わる。

妻が眠る前、私は彼女の息子だった。



「きっと間に合うよ」



妻の為に


私は微笑むことしか出来ない。

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