【I-004】神器の伝説

 『……という訳であるから、この度は通信という最新技術を披露する絶好の機会に其の方、グランフェルテを使ってやったのだ。今日ばかりは遠慮せず大いに喜ぶが良いぞ』

 ロドルフ・マクシミリアン・エクラヴワ五世大王。実力で覇権を握った初代大王マクシムから受け継ぐその名前のみに頼る甘ったれた独裁者だと、人々は陰ながら非難する。確かに放送機から流れたその言葉は人の上に立つ人格者とはほど遠く、重みもなく只々傲慢極まりない響きばかりを残すものであった。この放送で初めて大王の声を聞く市民も少なくはなかったが、あまりにも"期待を裏切らない"その印象は人々を興醒めさせた。

 しかし大王を批判するような事を表立って口走れば、酒場の内部に数人は配置されているであろう私服兵によってすぐに軽反逆罪で捕らわれてしまう。何も言わず放送機の周りから散ろうとしていた客達を引き止めたのは……対するグランフェルテ皇帝の声であった。

 『誠に、わたくし共のような小国には身に余る光栄であり、恐縮でございます』

 短く、特に変わった言葉ではなかったが、人々の間からどよめきが起こった。

 「これが、そのグランフェルテ皇帝の声?……ずいぶん若い人みたい」

 エマは誰もが思ったことを口にした。皇帝などと言うから、また即位十五周年と聞くからには、エクラヴワ大王に負けず劣らずの年配者を想像していたからだ。 確かにその声からは若者の姿を思い起こさせ、口調もへりくだってはいる。しかし通りが良く、安定して滑舌の良い話振りはどこか大王以上の貫禄さえ持ち合わせ、思わず惹き付けられてしまうような不思議な響きを持つ。エマがシーマに同意を求めようとその横顔を見ると、彼はエマと話す態度を作るどころか剣を磨く手さえ止めて放送に聞き入っていた。

 『はっはっは。本当にその場におるように聞こえるものじゃな。市民にも放送されているのじゃろ?"魔法"を使ったりしている訳ではないんじゃろ、ん?』

 エクラヴワ大王の、側近に話しかけているのであろうか、まるで緊張感のない感想が拡声器から漏れる。

 『わが国最先端の技術を使えば、不可能な事など何もない世がやってくるのじゃよ。どうじゃ?未来が楽しみであろう、グランフェルテ七世殿よ』

 既に放送を聞く人々の興味は帝国皇帝の方に向けられているのだが、一方的に大王が喋るばかりで、グランフェルテ七世はそれ以降の言葉を語らない。それても大王は非常に機嫌の良さそうな声で、続けた。

 『驚くなかれ。近く映像技術というものが開発されて、機械の中に、何と我々が目で見ているものの姿が映し出されるような事も出来るそうじゃ。これを使えば、民の暮らしもより便利になるに違いない。皆の衆、我がエクラヴワの優秀な技術者たちに感謝するがよいぞ』

 エマとリュックは、大王の得意気に語るその声を聞いて眉間にしわを寄せた。正直な所、民としてはそんな余興に勢を出されるより、その為に課される重い税金、食料や衣類など生活必需品の不足…そのような重大な問題を先に解決して欲しかった。だが例え放送を聞いてこぼれた愚痴のような形にしても、同じく必要以上に民の血税を投入して編成されている政府の傭兵たちにそれを聞かれでもすれば…そう思うと軽々しく不満を口になど出来なかった。

 『そのような技術が実現されれば、誠に面白いのう。グランフェルテ七世殿、そなたのその個性的な姿も、ぜひ世界の民に見せてやりたいものじゃ。はっはっは』

 『……』

 大王は笑っていたが、なかなか口を開こうとしない相手に、しびれをきらして笑いを止めた。

 『グランフェルテ殿、何も話さなければ通信の意味がないではないか。今日は特別じゃ、饒舌になってよい。……それともこのような技術が開発されてしまって、今以上に世界に我が属国としての名を広めるのは恥ずかしいか?』

 ふっふっふ……と、嫌らしくも感じる大王の笑い声が響く。

 『……大王陛下、ではお言葉に甘えて……』グランフェルテ七世はようやく口を開いた。『恐れ多くもこのような機会をいただけたのですから、わたくしの質問を通して、是非とも陛下より世界の民に披露していただきたい話がございます』

 『ほう、何じゃ?エクラヴワの技術の進歩についてもっと知りたいのか?』

 大王は、言葉を慎重に選んで発している様子のグランフェルテ七世とは対照的に極めて軽い調子で、彼の次の発言を待った。

 『御国は、先ほど陛下が仰られたように素晴らしく発達した技術があられると同時に、古くから伝わる文化や伝説と言えるものに至るまで、誠に興味深い歴史をお持ちであると聞きます。中でも、<グロワール・ド・ディジョン>――御国に伝わる奇跡の神器の伝説を、ぜひこの場でお聞かせ願いたいのです』

  グランフェルテ皇帝の言う、聞き慣れぬ神器とやらの名に、エマとリュックは頭の上に疑問符を並べた。……しかし、既に愛剣の光り具合よりもこの通信の内容に興味を奪われていた様子のシーマは、その単語を聞くやいなやずっと無表情で聞き入っていた顔を上げ、極めて鋭く反応したようだった。

 『わたくしはこの通りの若輩者でございますから、大変失礼ながらその伝説について、あまり多くを存じておりません。陛下に仕える臣下としても、是非その貴重なお話を拝聴したい所存でございます』

  大王はその台詞を受け、ふうんと納得のような声を漏らした。

  『確かに、あれこそは我がエクラヴワ大王国の名誉の象徴とも言えるもの。既に今となってはその存在すら知らぬ愚かな民も多いと聞くな。グランフェルテ殿、そなたの提案、悪くないではないか』

  エクラヴワ大王はこの通信がグランフェルテ皇帝の記念式典の一環という一応の名目さえ忘れ、自国の力の大きさを、もはやくどいほど民に訴えたいようだった。

 『構わぬ、わしが直々に話して進ぜよう』

 <グロワール・ド・ディジョン>。

  "古き時代の栄光"という名を持つその神器は、世界に秩序をもたらす奇跡の剣として、エクラヴワ大王国の神殿に奉られている。

  その剣は使い手を自ら選ぶとされ、使い手に選ばれし栄誉ある者こそが、世界を治めるにふさわしい者とされる――。

 『我がエクラヴワ大王国こそ、その誇りある剣が永年眠りにつく場所である。そして伝説通り我が国は今や世界の頂点に立ち、今日ある平和な世を築き上げているというわけじゃ』

 大王は誇らしげにそこまでを語った。平和な世、というのはものの言い様である、ただ世界をその強行的な政治で押さえつけている現状を平和と呼ぶべきか……それは放送機の前の多くの市民たちの頭によぎった疑問だった。

 『二百年前に我が祖先マクシムがエクラヴワを建国し、以来、伝説の剣は代々のエクラヴワ大王を使い手に選んできた。……そういえば、それ以前は確か其の方、グランフェルテこそが剣を所有していたそうじゃのう。栄誉の神器は、そなたの先祖には使われたくないと思ったんじゃろうかのう。ふっふっふ』

 露骨な嫌味とともに、またも特徴的な傲慢な笑いが世界に配信された。誰もが見張りの兵の目さえなければ、大王をなじっていることであろう。

 堪え難い屈辱を感じているであろう、対する若きグランフェルテ七世は……しかし驚くほど冷静な声音で、次の話を続けた。

 『陛下、その御国に奉られているという伝説の剣……陛下ご自身が、その勇姿をご覧になったのは直近、いつでございましょうか』

 妙な質問に、それまで上機嫌だった大王も笑いを止める。両者暫しの沈黙の後、グランフェルテ七世の方が付け加えた。

 『……恐れながら決して、陛下のお言葉に異議を申し立てる訳ではございません。ただ陛下が直々にお目に入れていると言う、その神器の輝きを……わたくしも民も目の前に存在するかのように想像する楽しみを、少しでも頂戴できれば嬉しく存じるだけなのです』

 『生意気を言うな、奴隷……少し話の度が過ぎるわ。……わしは剣の使い手なのじゃ。それは毎日のように参拝し、この手に取ってその輝かしい感触を確かめておる。毎朝、神器の奉られる神殿に赴いては今日の平和を願うのが、わしの日課になっておるのじゃから……』

 大王が気分を害した様子に、側近の者が彼を宥める言葉のようなものがかすかに放送に混じる。聴衆の表情にも、徐々に緊迫感が漂い始めていた。……が。

 『陛下、真実を語って頂きたく存じます』

 奴隷と呼ばれる若きグランフェルテ七世が、絶対的な権力を持ったエクラヴワ大王に逆らう術などないはずであった。だが何を思ったのか……彼は大王の台詞を遮るようにそう述べると、前半の口数の少なさからは真反対の饒舌になり更に追求を始めたのだ。

 『ご存知の通りわたくしは年に数回、陛下への謁見のため御国へお伺いいたします。その度、わたくし自身も非常に興味深いものですから、陛下がつけて下さる衛兵や召使によく同じ質問をさせていただくのです。すると彼らは、口を揃えてこう答えるのですよ。神器の神殿は、この宮殿からは些か遠い森の中にあり、その扉には厳重に封印の魔法をかけてあるがゆえに、少なくとも現存している者は誰も実際に神器を見た事はないのであると。何ゆえ、陛下は民に真実をお隠しに……』

 ガシャン!!

 突然、激しい破裂音のようなものが蓄音機から響き、放送を聞いていた民たちは身を震わせた。それはどうやら大王が怒りのあまり目の前の食器のようなものを払いのけ、それが集音機に当たった音のようだった。

 『奴隷……!!貴様、今自分で何を話しておるのか分かっているのか!!姿形からおかしい奴だとは思っておったが、ついには頭までおかしくなりおったか。……もう良い。今更いくら地に頭を擦り着けた所で、もう後戻りは出来んぞ…』

 大王が怒りに震える声で、そのまま配下に命令を出す様子が放送機からありありと伝わってくる。

 『グランフェルテに在駐しておる我が兵たちよ、聞こえておるじゃろう、今すぐその化け物を捕らえよ!!わしも今から向かい、自らその首を撥ねてやろ……』


 『その必要はない。エクラヴワ五世ロドルフ』


 グランフェルテ七世の口調が豹変したのは、あまりにも突然であった。

 『今から遠路遙々お越し頂いても、あいにく留守をしているのでな。それに、あんたがこちらへ派遣したつもりになっている兵や摂政たちは、今では全てグランフェルテの民になっているか……または、とうにあの世へ行っている』

  大王に支配される小国の、慇懃で忠実な臣下に過ぎなかったはずの彼の話し振りは……いつの間にか蓄音機越しにも抑え難いほどの圧力に満ちていた。

 あまりの事態に、放送を聞いていた民たちはおろか……最も為すべきを見失っていたのは、今まで奴隷と遊んでやっている気分でしかなかったロドルフであった。反応のない大王に構わず、グランフェルテ七世は続ける。

 『エクラヴワとグランフェルテは海を挟む距離があるにも拘らず、随分と通信の質が良いと感じなかったか?それは、あんたの自慢の通信技術のお陰ばかりではない。我々は今……エクラヴワ大王国間近の上空にいる』

 放送を聞いていた酒場の人間たちは皆一様に、反射的に窓の外に見えるわずかな青空を覗き見た。エクラヴワからはかなり距離のあるマリプレーシュからは、何も見えるはずはないのだが。

  『あんたの使いが、つい先日持ってきていた最新の飛翔船だ。奴隷に高度な技術を見せびらかして、さぞかし優越感に浸れたことだろうな。……我が国の賢い技術者達が、その時にちゃんと設計図を頭に入れておいてくれていた訳さ』

  悪戯好きの少年のような軽い調子になって、しかし悠々と語る皇帝は、前半とは全くの別人に入れ替わったかのような、咄嗟には理解しがたい恐ろしさを民たちに味わわせる。

 『さあエクラヴワ五世、折角の記念行事だ。取引でもしようじゃないか』

 全世界の聴衆たちのみならず、相手の大王やその脇に控える側近たちまでもがただ息を飲み、魔法でもかけられてしまったかのように微動だにできぬまま、その若者の次の言葉を待つ。

 『今から二十四時間以内に、<グロワール・ド・ディジョン>の眠る場所を明らかにし、神殿ごとグランフェルテ帝国へ引き渡せ。扉の封印まで解いてあれば満点だが、あんたはどうやらその手段を知るどころか、実際にそこを訪れた事もないようだからな……』

 ふん、と短い嘲笑を挟み、大王がいまだ口を開く事も出来ない様子を確かめると、皇帝は続ける。

 『二十四時間以内に、その意思が確認出来ない場合には───

 エクラヴワ大王国領、マリプレーシュ侯国を我が国、グランフェルテのものとする。

  今から丁度二十四時間後…明日夕の刻に、マリプレーシュの首長である侯爵カプールの城に攻撃を開始する』

 戦慄が走った。

 まるで、全世界中の人間が話をする手段を忘れてしまったかのような、徹底した沈黙が訪れた。

 ……やがて、酒場にいたひとりの客が狂ったように叫びはじめる。

 「ど……どういう事だ!マリプレーシュって、マリプレーシュって……!」

 「この街の、城に……!?何故……」

 事態は良く飲み込めていないのに、何故だか恐ろしいほどの寒気がエマとリュックの姉弟を襲う。


 『ま……ま、待てい!!』

 放送機からようやく言葉を発した大王は、しかし酷く取り乱し、その声は裏返っていた。

 『グランフェルテ七世、貴様、そんな事……そんな事が出来るわけがないじゃろう!!我が軍に奴隷ごときが太刀打ちできる訳がないし、そもそも……そう、罰が、罰が当たるぞ!剣は、奇跡の剣は我がエクラヴワに伝わる秘宝……ど、奴隷が容易く手にすることが出来る訳がない!!』

 『罰がねえ……』グランフェルテ七世は半ば呆れたような余裕さえ覗かせて呟いた。『ついさっき自分でした話をもう忘れたか。あの剣は元々うちのものだ。それを返してもらおうというだけの話……人のものを長く借りすぎていた悪い大王さんに、罰が当たる時がやってきたようだな』

 『貴様っ……冗談では済まされぬぞ!』

 『冗談だと思うなら、二十四時間待ってみたらどうだ?あんたの可愛い飼い犬のカプールが、明日のこの時間に元気にしているかどうか確かめてみろ』

 『本気か……いや、正気か、この化け物っ!』

 『以上だ』

 通信は、グランフェルテ側から一方的に断たれ…… 残って半狂乱のように罵言雑言を叫んでいたエクラヴワ大王の声も、やがてその側近によって無理矢理に打ち切られた。

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