第242話 「ありがとう」

 あの戦いから、二週間。

 長らくダスカリアン王国を苦しめ続けて来た、武器密売シンジケートの壊滅という大ニュースは今、国中に轟いている。


 その中でもボスの捕縛という大役を果たしたジェナ・ライアンの活躍は、ひときわ大きく取り上げられていた。

 彼女が女王陛下から勲章を賜る瞬間を激写した一枚が、新聞の大部分を飾っていたことは誰の記憶にも新しい。


 取引先の武装組織とも合流出来ないまま全員捕縛されたシンジケートの構成員達は、約一名を除く全員が投獄され、獄中からは「ここから出せ!」というボスの喚き声がひっきりなしに響き続けているという。


 そんなに彼らに標的として狙われ、日夜怯えていたダスカリアンの女性達はジェナを崇拝し、連日詰め所に押し掛けるファンが絶えないほどになっていた。

 そして、そんな彼女達を抑えるために奔走する男――真壁悠は、毎回靴の底を型どった汚れに塗れていたのである。


 ――戦いが終わり、シンジケートの構成員達の身柄が国防軍に引き渡された後。

 真壁悠の卓越した格闘能力と、現場の保安官が報せた彼の人格を鑑みたダウゥ女王は、彼に対して異例の判決を下していた。

 それは保安局の一員として業務に従事することを条件に、シンジケート構成員達の減刑を検討する、というものである。


 同胞達の罪を一身に背負い、彼らに代わって国民に償い続ける。それが、彼に課せられた罰となったのだ。

 人手不足であるとはいえ、シンジケートの元構成員を保安局に組み込む、という判断には反対の声も多かったが、結局は保安局の監視付きという条件で決定となった。

 現在では研修生という立場で保安官のユニフォームを纏い、城下町の詰め所で慌ただしい毎日を送っている……。


 加えて近頃は、指を絡めて彼を見つめるジェナの瞳に「熱」が篭るようになっていた。

 ボスの銃撃から彼女を庇う際に、真壁自身が発した言葉が原因なのだが――当の本人にはまるで自覚がなく、彼女の視線に気付く気配すらない。


 ――その一方で、転落の一途を辿る者もいた。

 敵前逃亡を犯した特別捜索隊は解散となり、それを指揮していたマックス・ルナイガンも責任を取る形で、部下共々降格処分を受けたのである。

 現在はかつて自分達が見下していた女性兵士達の下で、お茶汲みの任務に就いている。それでも過去の栄光を捨てられないがために失言を繰り返し、度々上官から鉄拳制裁を受けているようだ。


 ……こうして、武器密売シンジケートを巡る戦いの事後処理は着々と進行しつつあった。しかしそれは一人の保安官が、人知れずこの国から去る前兆でもあったのだ。


「さて……。そろそろ時間かな」

「もっとゆっくりしてからでもいいだろうに……。女王陛下も寂しがっておられたよ」

「今生の別れじゃないんだ、いつか――また会えるさ」


 ダスカリアン国際空港。

 そのロビー内で、二人の日本人が言葉を交わしている。

 一煉寺龍太と、古我知剣一。この国の未来のために戦い続けてきた彼らは今、別れの時を迎えようとしていた。


「それに、今は悠もいる。あいつがいれば、俺がいなくても城下町は安泰だろうよ。ジェナのことも、守ってくれるさ」

「随分と信頼してるんだね、彼のこと」

「一度戦えば、な」

「……僕は、戦っても彼の心は掴めなかったよ」

「だったら他のやり方で付き合ってみろよ。一晩中飲んで騒いで殴り合う、とかな」

「ハハハ、結局戦ってるじゃないか」


 笑い合う二人は今、同じ目線と同じ言葉で語り合っている。かつては大人と子供だった、二人が。

 その変化を痛感していた剣一は、嬉しさと寂しさを併せた複雑な表情で、龍太の横顔を見つめていた。


(出会った頃は……考えもしなかった。君と、こうして語らうなんて)


 松霧町という小さな町の中で暮らしていた平凡な少年は、数々の死闘を経て一国を救うヒーローへと成長した。

 彼の人生がこのようになったことは――彼にとって、幸せだったのだろうか。彼が、本当に望んだ未来だったのだろうか。

 失われた左腕を見遣る度に、彼はその疑念に苛まれていた。


 しかし――少なくとも、彼の目に映る青年の横顔は。

 希望に溢れている。自分に絶望した人間が、見せる顔ではない。


(……君にとって、これでよかったのかは……わからない。だけど、女王陛下も元帥も君を信じたんだ。僕も、君を信じてみるよ)


 それだけが、剣一にとっては唯一の救いだった。


「……あ、そうそう。ジェリバン元帥が言ってたよ。奥さんと一緒にダスカリアンに住む気はないか? ってさ」

「俺が『帰る場所』は、あの町だけさ」

「――そうだったね」


 どうやら、三年経っても彼の想いに揺らぎはないらしい。ダウゥ女王にとっては、分が悪い勝負だったようだ。


「あと……これ。ジェナの奴に、渡してやってくれ」

「これは……」


 剣一が、龍太の気持ちを確かめた直後。彼は自身の長髪を纏めていた赤い鉢巻を、するりと解いてしまった。

 艶やかな黒髪が、その弾みで鮮やかに靡く。男の髪とは思えないその動きに、剣一は思わず目を奪われていた。

 そんな彼の意識を、目の前に差し出された鉢巻の存在が呼び戻す。


「……いいのかい?」

「今の俺よりあいつの方が、お守りは必要だからな。救芽井に貰った元気、あいつにも分けてやりたいんだ」

「龍太君……」

「それに、役目を終えた俺に出来ることと言えば、それくらいだし」


 出来ることはやり切った。そう語るように、彼の表情は明るい。

 そんな彼の姿に安堵を覚え、剣一は鉢巻を受け取るのだった。


「……わかった。必ず彼女に渡しておくよ。――それじゃ、元気でね」

「ああ。いつかまた、な」


 そして、小突くように拳を合わせて――龍太は、踵を返して歩き出す。振り返ることも立ち止まることもなく……真っ直ぐに、自分を故国へ運ぶ旅客機を目指した。


 そんな彼の背中を見送り――剣一は、文字通りに胸を撫で下ろす。

 ……今の彼は、不幸なんかじゃない。彼自身の笑顔が、それを教えてくれたのだと。


 ――龍太を乗せた旅客機は、他の便と変わらない速度で滑走路を走り出し――順調に空へと向かいつつある。

 じきに、肉眼では見えない高さまで飛び去って行くだろう。


 剣一は舞い上がって行く機体を、穏やかな微笑みで見上げていた。窓から自分を見下ろす彼の笑顔が、僅かに――見えた気がしていたからだ。


 その頃――彼の感じた通り、龍太は窓から自分を見送る旧友に向け、子供のような笑みを浮かべていた。まるでこの瞬間だけ、遠い日の時代へ遡っているかのように。


(じゃあな、剣一。……しかしあいつ、最後まで見送りに来なかったな)


 だが、ほんの僅か――その笑みには、名残惜しさが残されていた。気にしないようにすればするほど、自分の目に映らない戦友の姿が脳裏を過る。

 激務が続いている以上来れないのは当然だし、「今さら見送りなんていらないわよ、私は寂しくなんてないんだから!」などと言われてしまっては、どうしようもないのだが。


(……ま、しょうがないか。心配だから帰る前に一度、顔を見ておきたかったんだが……悠がいることだし、気を揉むだけ無駄だろ――ん?)


 しかし――その時。


 剣一のように飛行機を見送る人々の中に、やたら激しく動く二人の人影が見えた。

 彼らは人だかりを掻き分け、少しでも飛行機に近づこうとするかのように突き進む。警備員に止められるギリギリまで接近した彼らは――そこまで来てようやく、進撃を止めるのだった。


 その近くにいた剣一は、周囲の注目を集める二人組の姿を目撃し、目を丸くする。

 彼らは、保安官のユニフォームを纏っていたのだ。


「……リュウ、タァァアアアァアッ!」


 その内の一人――ジェナ・ライアンは、喉から先にある身体の芯から、自身の命を噴き出すように叫ぶ。

 周囲の人間が軒並み耳を塞いでうずくまる中――彼女のそばに立っていた真壁悠は、一切表情を揺るがすことなく、その背中を見守っていた。

 彼には、わかっていたのだ。この少女が、自らの殻を破る行動を起こそうとしていることが。


 命を削るような叫びを轟かせ、肩で息をするほどに疲弊仕切った彼女だったが――すでにかなりの高度に達していた飛行機には届くはずもなく。その中にいる龍太も、自分の名を呼ぶ声を聞き取ることは出来なかった。


 しかし。理屈ではなく――直感という、説明しがたい感覚で。

 龍太は、導かれるように見送りの人々を見つめていた。その中に立つ、少女の姿を。


 そして……互いの姿が視認出来ないまま、空と地に分かれて二人の視線が交わる時――


「……『アリガトウ』」


 ――ジェナは。生まれて初めて、「日本語」を使った。


 日本を嫌い続けてきた彼女が、初めて使った日本語は――口にするには照れくさくて、それでいてどこまでも誠実な――感謝の一言だった。


 仕事を抜け出しても。恥ずかしくても。口に出せるような言葉じゃなくても。

 これだけは、言わなくてはならない。

 その強い想いだけが、彼女を突き動かしていたのだ。


「……」


 そして、ダスカリアン育ち故に日本語が不自由であった真壁も……この言葉だけは、よく知っている。物心がついた頃、両親から教わった最初の言葉だったのだから。


 彼女が呟いた言葉は、先程の叫びと比べればあまりにも小さい。例え届けたい相手が近くにいたとしても、聞こえはしなかっただろう。


 だが。


「はは……なんだよ。結局、来てるんじゃねぇか」


 想いは。届いている。

 一煉寺龍太には――届いているのだ。

 不器用ゆえに真っ直ぐな、彼女の気持ちが。


「――来て良かったよ。ありがとう、みんな」


 そして――満足げに微笑む彼が、そう呟いた頃。


「陛下。引き留めなくてもよろしかったので?」

「よくねぇよ。……でも、あいつの邪魔もしたくねぇ。それだけさ」


 ダスカリアンの王室にて――ジェリバン元帥と共に、ダウゥは青く澄み渡る空を見つめていた。

 この空を、あの人が飛んでいる。そう意識する彼女の瞳は、寂しさの色を湛えているようだった。


「それに――いつかまた、あいつには会える。……あの戦いを乗り越えて生きてなきゃ、それを望むことも出来なかったんだ」


 だが、そんな暗い感情に飲まれてしまう彼女ではなく。


 気を取り直すように顔を上げ――公務の際に見せる凛々しさとは違う、溌溂とした「素顔」をさらけ出し。

 想い人がいるであろう大空を、元気に溢れた眼差しで見つめるのだった。


 幼くも活気に満ちていた、あの頃のように。


「だから――『アリガトウ』。リュウタ」


 ――この日。


 特別保安官、一煉寺龍太の任務は完了し――彼は、ふるさとへと帰還するのだった。


 帰るべき場所へ。


 帰りを待つ、人々の元へ。

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