第126話 鮎美の賭け

 グランドホールの壁を砕き、俺達の眼前に現れたのは――赤褐色に塗装された、無骨な鋼鉄の人形だった。

 ……いや、それは人形と呼ぶには――余りにも巨大過ぎる。


 全長はおよそ十メートル。仏のような整然とした顔に反して、その巨体を覆う荘厳な鎧は、自らの威圧感だけでこのグランドホール全体を飲み込まんとしていた。

 まるで特撮映画から飛び出してきたかのような、典型的な「ヒーローロボット」。

 俺達の眼前に現れた巨人を、身近なイメージで例えるなら、それが一番に当てはまるだろう。シンプルな正方形や長方形で構成された装甲を纏うその姿は、えもいわれぬ古臭さを漂わせている。

 だが、その外見と実態は、決して乗り越えられない絶壁により分断されていることを、俺は知っている。あからさまにヒーローらしさをなぞっているあのデザインは、もはや皮肉以外の何物でもないのだ。


「なっ、な……なんやアレッ!? ロ、ロ、ロボットッ!?」

「まさか……! 和雅ッ! あれは瀧上凱樹が中東に持ち込んだという……!?」

「そんな、バカな……! アレは十年前に大破したはず! まさか――研究所を造った後も、アレを修復するだけの資金が残っていたと……ッ!?」


 取り乱した矢村の声が火付け役となり、客席側にどよめきが広がる。特に甲侍郎さんと伊葉さんの反応が際立っており、彼らの慌てようは、事態の深刻さをより正確に捉えているようだった。


「あ、あ……! あ、うあ……!」


 だが、彼ら以上に――四郷の動揺した様子が尋常ではなかった。


 頭を抱えしゃがみ込み、更にマニピュレートアームで頭上を覆っているその姿は、空襲に怯える子供のようである。

 ――掘り返されているんだろう。十年前の自分を絶望に染めた、悪夢の記憶を。


「――いいえ、『修復』じゃないわ。『改良』よ。十年前の惨劇の中で破壊された後、彼は自らの手であの『新人類の巨鎧体』を修理して――より『凶力』な『正義の代行人』として新たに作り上げた……」


 そして、そんな彼女を抱きしめる所長さんの言葉が、周囲にさらなる衝撃を与える。


「な、なんだとッ!? 研究所を造る分だけならまだしも、アレを修復をするだけの資金など、一体どこから……!?」

「私達がここに研究所を建ててから、七年程過ぎた頃よ。アメリカ陸軍の兵器開発部門から大量の研究費用が秘密裏に送られてきたの。……あんなことになっても、次世代兵器となりうる『新人類の巨鎧体』のデータを、もっと私達に集めて欲しかったのでしょうね」

「なんということだ……! 陸軍の連中めッ……!」

「中東を血の海に変えたあの力が、さらなる脅威を帯びて蘇った――というところか。このまま彼を野放しにしていては、松霧町が滅ぶ程度では済まなくなるッ!」

「このような――このようなことが、許されてなるものかッ!」


 戦いに傷つき、痛ましい亀裂ばかりとなった床を殴り付け、甲侍郎さんが唸る。その拳を僅かに浸す海水は、やがてこの場を含めた地下そのものを全て飲み込んでしまうのだろう。


 「新人類の巨鎧体」が現れた穴から溢れ出る海水の波は、今でこそ緩やかにグランドホールへ流れ込む程度で済んでいるが……彼が本格的にアレで暴れ出すつもりでいるなら、間違いなくこんなものでは収まらなくなる。


「彼は我々をあの必殺兵器で蹂躙するか――もしくは、このまま全員を海に沈める気でいるのかも知れん。あれがもし彼の意のままに動き出してしまえば、この広大な地下室といえど長くは持たん!」

「伊葉様ッ! あの巨大な人型兵器は、奴の切り札だというのですかッ!?」

「……そうだ。あれは凱樹君が中東のあらゆる武装集団を駆逐するために、アメリカ軍と鮎美君に造らせた、人型破壊兵器『新人類の巨鎧体』。国も民もことごとく焼き尽くす、文字通りの『悪魔の兵器』だ」


 茂さんの問いに答える伊葉さんの声は、嘆きと失望の色を滲ませていた。


 「新人類の巨鎧体」を持ち出されたことで、瀧上さんに「引き返す」意思はないのだと、改めて思い知らされてしまったのだろう。

 それ程までに、あの巨人は彼にとっても脅威な存在なのだ。「眼前にそびえる巨人」という「光景」がもたらす苦痛に歪む表情が、それを証明している。


「そ、そんなん……か、勝てるわけ、ないやんっ……!?」

「ど……どうしたらいいのよ、そんなのッ!」


 そして、そんな彼の発言が与えた衝撃も、生半可なものではない。

 過去に国一つを滅ぼしたとも言われる、瀧上さんの所業。その力の根源があの巨人だというのだから、周囲に撒き散らされたプレッシャーも大きい。明確に動揺している救芽井や矢村だけでなく、他の皆もどこと無く焦燥感を漂わせていた。所長さんと「必要悪」を除いて、だが。


「――いずれにせよ、あのようなセンスのない鉄屑に殺される人生などまっぴらざます。伊葉さん、アレに対抗しうる手段はなくって?」


 いや、もう一人いた。どうしようもない変態の割に、誰よりも肝の座っている彼女が。


「陸上自衛隊に協力を仰げば、なんとか対処は出来るだろうが……それは彼の件が明るみになることにも繋がりかねんからな。凱樹君の存在を『なかったこと』にしたい現政府の連中が助けてくれるとは考えにくい。彼に日本で暴れられては存在の否認など結局は不可能なのだが、政府がそれに気づくのは彼が地上に出た後になるだろう」

「何かが起きてからでしか国は動かない……ということでして? 下衆の極みですわね。で、現戦力で勝てる見込みは?」

「皆無、だ。いかに着鎧甲冑や『必要悪』といえど、あの巨人と真っ向から戦いを挑める望みなどあるものか。――だが、君の言う通り、むざむざ殺される謂れもない。全員に、隙を見て撤収する用意をしておくよう伝えてくれ」

「――わかりましたわ。お兄様、よろしくって?」

「……あぁ。癪に障るところはあるが、命あっての物種だ。それに、樋稟や鮎美さんを危険に晒すわけにも行かん」


 茂さんは狂喜の叫びを上げ続けている瀧上さんを一瞥すると、目を背けるように踵を返す。僅かに震えていた彼の拳を見れば、それが不本意な選択であったことは明らかだろう。


 その様子を静かに見つめていた久水は、程なくして手招きするような仕種のサインを見せると、全着鎧甲冑をグランドホールのアリーナから撤収させた。彼女の手に集うように、G型三人と茂さんが客席に向かって跳び上がっていく。四郷も「必要悪」に連れられ、逃げるようにその場を飛び出していた。


「龍太君、私達も!」

「あ、あぁ」


 そして、サインがわからない俺も救芽井に釣られるように、客席へと引き返す。


「ハハハハ……ハハ、ハハハハ! ハハハァアアッ!」


 ――悍ましい程の瀧上さんの「凶気」に、後ろ髪を引かれながら。


 瀧上さんを除く全員が結集した、客席の一部。救芽井に続く形でそこに降り立った俺を一番に出迎えたのは、矢村だった。


「龍太ぁあっ! よがった……無事でよがったぁあ……!」

「おわっ!? や、矢村、落ち着けって。まだ無事に片付いたわけじゃないんだから」

「えぐっ、ひぐっ、そんなん……そんなん言うたってぇえッ……!」


 胸の中でひたすら泣きじゃくる彼女の顔は見えないが――随分と心配を掛けてしまったことだけは確かなようだ。


「龍太様の言う通りざます。矢村さん、安心するにはまだ早過ぎますわよ」


 一方、瀧上さんと、その背にそびえ立つ「新人類の巨鎧体」に鋭い眼差し注ぐ久水は、寸分も気を抜かずに険しい表情を浮かべている。顔だけでなく、全身から噴き出されるかのようなその凄みに、矢村も思わず泣き止み、息を呑んだ。


 久水の視線をなぞった先に見える灰色の狂人は、足元が水で満たされ始めてもなお、その場に立ったまま笑い続けている。アリーナへの浸水が本格化していることに気づいていないのだろうか。

 ――それとも、こんな水ごときで自分は死なない、という自信の現れか。


 そして、多くの人間が固唾を飲んで見詰める中、アリーナに流れ込んできた海水の高さが彼のふくらはぎに達した時――その笑いは、唐突に止まった。

 まるで彼自身が事切れてしまったかと思う程、その瞬間は突然に訪れていたのだ。


 だが、彼の身体は未だに動き続けている。長きにわたり溜め込んでいた力を、解き放たんとしているかのように。

 そう。あの動きは、震えは……命の終わり等とは程遠い、新たな段階への変化の産声。瀧上さんは、やはりアレで俺達を……!


「貴様らをここで滅ぼし、この格納庫から地表に上がり、今一度オレは――『ヒーロー』に返り咲くッ!」


 そんな俺の思考を根こそぎ吹き飛ばすかのように、瀧上さんの雄叫びがグランドホール――いや、この研究所の地下室全てに響き渡る。どうやら、「新人類の巨鎧体」が隠されていた壁の奥は、地上へ繋がる格納庫だったらしい。


 ……それにしても、とんでもない叫び声だったな。もし彼が審判席のガラスを割っていなかったとしても、今の一声で全て砕かれていたに違いない。


 それ程の声量に、あの凍るような殺気を乗せて叫んだのだから、こちらが受けた威圧感も全く洒落にならない。

 俺を含む殆どの面子は思わず後退り、比較的耐性のある所長さんと久水も、面持ちがより一層険しいものになっていた。四郷に至っては、もはや正面を向くことすら困難らしく、姉の豊満な胸の中で小刻みに震えながら、小さく縮こまっている。


 そして、そんな中で唯一、後退りどころか微動だにしない「必要悪」とは、一体何者なのだろう。――あの落ち着きよう……勝ち目でもあるってのか?


「フンッ!」


 そうやって、俺が瀧上さんから目を離していた間にも、彼自身はこの場の全身を滅ぼすための準備を着々と進めていた。

 「新人類の巨鎧体」の、神仏のような穏やかな顔。俺達が怯んだ隙に、そこへ彼が飛び付いた瞬間――澄んだ表情を象った鉄の仮面は、トランクのように上向きに開いてしまったのだ。


 「化けの皮が剥がれた」とは、まさにこのことだろう。


 そして、その言葉通りとも言える世界が、その奥に広がっていた。


「あれは……!」


 ……おびただしい数のコードに繋がれた、ヘルメットのようなモノに――車の座席を彷彿させる椅子が見える。

 大方アレを被って「新人類の巨鎧体」を操作するのだろう。それくらいは、一目見るだけで容易に想像がつく。


「『新人類の巨鎧体』のコックピットよ。凱樹の脳髄を、あの接続機で読み取り、脳波を感知することでイメージ通りに操縦することができる……」


 所長さんの説明も、俺の思考を読み取ったかの如く、予想と完全に合致している。

 ――しかし、今まさに一番ヤバい兵器で暴れようってのに、なんでそんなに冷静でいられるんだ? 「新人類の将兵」の時はあれだけ取り乱していたのに……。


 一方、そうして訝しむ俺を他所に――瀧上さんは、とうとう「新人類の巨鎧体」に乗り込んでしまう。

 座席に腰掛ける彼の頭上に取り付けられていた接続機は、一見サイズが合わなさそうにも見えたが――彼がコックピットに現れると、瞬く間にそれに見合う大きさに変形してしまった。どうやら、装着者に合わせて形状が変わる仕組みらしい。

 傘を広げるように大きくなった接続機は、ガッチリと瀧上さんの鉄兜に嵌まり……やがて、コックピット内のあらゆる場所が発光を始める。


「さぁ――正義執行だ」


 そして、彼の皮肉めいた一言と共に、巨人による殺戮が始ま――


「……?」


 ――らなかった。


「なんだと……これは……」


 低くくぐもったような彼の声色からは、先程までのような高揚の色が失せていることがわかる。彼の思惑に絡んだ状況ではないようだ。

 今まさに動き出そうとしていた瞬間を迎えても、一向に暴れる気配を見せない「新人類の巨鎧体」。その顔面にあるコックピットの中で、彼は首を左右に回していた。

 ――まるで、故障箇所でも探しているかのように。


 そして、そんな彼を静かに見つめていた所長さんは、僅かにため息をつき――


「……効いたみたいね。私の『賭け』は」


 ――哀れむような声で、何かを呟いていた。

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