第104話 ヒーローを救うヒーロー

 控室を出た先にある、まるで俺が行き先を見失わないためであるかのようにまっすぐに伸びた、アリーナへと続く廊下。そこへ俺を誘ったのは迫る時間ではなく、さっきまで黙って俺達を見ていた茂さんだった。


 救芽井達にはひとまず観客席に上がってもらっているため、「これから『戦う』奴」のためにある空間に立っているのは、俺達二人だけだ。


「……なんだってんだよ? こんなギリギリな時に」

「すまんな。すぐに終わらせる」


 彼の纏う、今までとはどこか違った雰囲気。それを全身で浴び、自然と俺も身構えてしまう。十九歳という俺に近しい年齢とは不相応に、その面持ちは高貴さを漂わせる一方で、老成した雰囲気も兼ね備えていた。

 彼は俺ではなく、どこか遠いところを見つめるように、しばらくその眼を細め――やがて、ゆっくりと俺の視線に自分のそれを交わらせる。俺のように実際に戦うわけでもないというのに、その眼差しは観客側に立つ者とは到底思えない気勢を帯びていた。


 それから数秒の間を置き、彼はようやく口を開く。


「――いきなりだが、これだけは確認を取らねばなるまい。一煉寺龍太。貴様、あの答えは出しているのか?」

「な、なに?」

「『絶対に人を殺すような奴であっても、死にかけていたら助けるかどうか』……貴様は昨夜、そう聞いたな」

「……ああ」


 そう。俺は伊葉さんに吹っ掛けられたあの問いを、茂さんにも振っていた。

 そして伊葉さんの弁を聞いた上で、彼は「見捨てる」と断じ、「自分の思うままの正義を曲げても、味気なく、つまらないだけだ」と言い切っていたのだ。彼の中では、既に答えをそう決め込んでいるのだろう。

 ……それが、「独善」という名の爆弾を孕んでいたのだとしても。


 しかし俺はまだ、そこにすら至っていない。答えなど考えてもいないし、このコンペティションが終わるまでは、と先伸ばしにもしていた。


「ワガハイは、これでも『人命を救う』ためにある『着鎧甲冑』を預かる男の一人。その責を果たすためならば、理念に背くとしても取捨選択は成さねばならない。その者に改心と更正の余地がないというのであれば、尚のこと。……ワガハイは、そう答えた」

「……」

「貴様は、もう答えは出ているのか? それとも、伊葉和雅の言に従い、答えを出さないままにしているのか」


 ――そこに引け目を感じているからなのだろう。こうまで、彼に呑まれてしまっているのは。

 彼は一度言葉を切ると、苛立ちも見せず、ただ悠然と俺の返事を待ち続けている。

 コンペティションの時間が差し迫っている以上、早く何か答えなければ……と焦ってしまうが、元々決めていなかった答えをいきなり出せと言われて、この土壇場で切り出せるほど、俺はアドリブは得意ではない。


 コンペティション本番を目前に控えた数分のうちに、この空間は再び、息苦しい静寂に包まれようとしていた。


「……出ていない、か。まぁ、それもやむを得まい。ワガハイも、自分の選択が神に誓って絶対のものである――とは言い切れない節があるのだからな」

「……え?」


 そんな静まった空気を打ち破ったのは、その発端でもあった茂さん自身だった。彼は珍しく俺から視線を逸らしたかと思うと、意外な台詞を口にする。


「着鎧甲冑の理念に反した選択である以上、正義として自己の行いを語ることはできまい。それは樋稟の願いを踏みにじることにも、繋がりかねないのだから」

「……」

「だが、万が一そのためにより多くの人間が犠牲になってしまうのであれば、心を鬼にして、かりそめの正義を成さねばならん」

「茂さん……」

「それが間違いと云うならば、後々にいくらでも裁くがいい。ワガハイは自分の選択と責任からだけは、逃げも隠れもせん」


 ――例え間違いである可能性があるとしても、そこにしか正義を成せる選択肢がないのであれば、躊躇いは捨てなくてはならない。


「……だから言っただろう。『自分の思うままの正義を曲げても、味気なく、つまらないだけだ』とな」


 ――正義を曲げれば、犠牲が生まれる。そんな未来ほど味気なく、つまらないものはない。だからこそ、理念もろとも、悪を絶つ。

 それが彼の決断であり、あの答えの意味だったのだと、俺はようやく悟る。


「だが、ワガハイはこんな話をするために、この期に及んで貴様を呼び出したのではない。いささか、前置きに比重を置きすぎてしまったな」

「な、なんなんだよ?」


 そこでやっと、彼の言いたいことが何のごまかしもなしに飛び込んで来る。彼の眼の色が変わった瞬間にそれを感じ、俺も思わず眉をひそめた。


「……では、本題に入ろう。貴様が答えを出さないのは別に構わん。ワガハイでも完全な正解など導き出せなかった課題であり、完全な正解などありえないからこそ、伊葉和雅は永遠に迷い続けることこそが正義だと断じたのだろう。事実、社会的な正義など、時代に応じていくらでも変わるものであろうしな」

「……」


「だが、仮にその『迷い』に惑わされたままでいるとしたなら、救芽井エレクトロニクス――いや、樋稟の悲願を懸けた舞台に立つのは控えてもらわなくてはならない。彼女に選ばれなかった身であるワガハイでも、そこだけは譲れん」


 ずい、と一歩前へと進み出て、茂さんはようやく「本題」を言い放った。その瞬間、彼の纏う気勢が俺の身に覆いかぶさるような錯覚を覚える。

 まるで、彼を追うように吹き抜ける風が、俺の肌を撫でるかのように。


 ――確かに、思い当たる節はある。

 伊葉さんの語る正義諸々への答えなんて、コンペティションが終わってからいくらでも悩めばいい。今は本番が大事。

 頭では、嫌というほど理解しているつもりでいた。


 だが、所長さんから全てを聞いて、伊葉さんが言おうとしていたことに気づいた時、彼の話とこの戦いが簡単には切り離せないものだということを知り、俺の中で確実に何かが変わったのだ。

 七千人以上の人間を虐殺し、国さえ滅ぼし、四郷姉妹を絶望に追いやった「瀧上凱樹」という男。彼を前にして、どこまで自分の――着鎧甲冑の理念を守れるか。伊葉さんは、それを問おうとしていたんじゃないだろうか。

 このコンペティションに勝てば、説得次第で瀧上さんを抑えられるかも知れない。所長さんはそう言っていたが、その可能性が一割にも満たないということくらい、彼の威圧の片鱗しか目の当たりにしていない俺でもわかる。

 もし、瀧上さんが往年の狂気を取り戻し、この研究所の中で猛威を奮ってしまえば……。


「俺は……」


 そう思えば、どれだけ先伸ばしにしようとしても、あの伊葉さんの話が脳裏を過ぎってしまうのだ。

 それは「答え」を出していない俺にとっては不安の元となり、気の迷いに繋がる……。そんな節が、きっと表情に現れていたのだろう。


「――今になって言うことではなかったかも知れん。その非は認めよう。だが、あの娘が『救済の超機龍』と救芽井エレクトロニクスの命運を貴様に託している以上、貴様にも相応の覚悟を決めて貰わねば、ワガハイも安心して見届けることができんのだ」


 茂さんの言うことはわかる。俺だって、こうなった以上は全力でやるつもりだ。ここに来るまで、何度も悩んだり腹括ったりの繰り返しだったし、今だって怖い思いを捨てきれてるわけじゃない。

 それでも、この場に広げられた廊下を渡り出したら、もう止まる気はない。控室で、そのための気合いは注入してきた。


 ――問題は、瀧上さんの動向なんだ。

 彼がこのコンペティションの結末に、どう動くか。場合によっては、伊葉さんの問いに迅速に答えなくてはならなくなるだろう。

 茂さんはこの研究所の真相は知らないはずだが、妹の久水があそこまで察している様子だったのだから、薄々感づいていても不思議ではない。食卓で瀧上さんと肌を合わせた後なら、なおさらだ。


 だからこそ、彼はこのタイミングで俺に問い掛けたのかも知れない。この先すぐに救うか捨てるかの選別を迫られた時、「間に合わなくなる前に」答えを出せるのかどうか。その準備があるかを、確かめるために。


「……もし万が一、我々の知らない何かを貴様が秘密裏に知っていて、そのせいで答えが出せない、というのであれば――それも構わん。だが、その場合は話さないと貴様が決めた以上、貴様自身の解釈でカタを付けておけ。そこから生まれる『迷い』のために、あの娘が悲しむことがないように、な」


 俺からは、特に何も口にはしていない。だが彼のこの発言を聞いて、俺は確信した。

 この人は、わかっている。もう、気づいているんだ。漠然でも感づきつつある救芽井達よりも、遥かに鮮明に。

 全てを見通すように、閉じられる寸前まで細められた眼差し。それは槍のような鋭さを湛えていながら――微塵も威圧感を感じさせず、ただ静かに俺を見つめている。


 俺は――どうするべきなのだろう。どう、答えるべきなのだろうか。


 「迷い」は、人の動きをどこまでも鈍らせていく。答えを確定させないとしても、何も考えないわけにはいかない。茂さんは、そう警告しているんだ。


 ……茂さんのように、「人命」を優先する上で必要とあらば、殺す……? それで、本当にいいんだろうか。


「俺は、俺の答えは――」


『よく見ておけ鮎美! 世界を守るヒーローに盾突いた悪の手先が、どのような末路を辿るのかッ!』


 答えを導き出すために呼び起こされた、記憶の中にある瀧上さんの姿を、恐れていたからかも知れない。

 喉まで、「茂さんと同じだ」という言葉が出かかっていたのは。


 ――だが、実際に声として答えが出る直前に、頭に浮かんでいたのは――


『……失敗しても、いい……負けてもいいから……また一からやり直せばいいから……無事に帰って、またこうして、傍にいて……!』


 ――彼では、なかった。


「――助ける、と思う。茂さんみたいに、ちゃんとした理屈なんてないけど……そうしなきゃ、いけない気がするんだ」


 そして、俺の口からは根拠の伴わない妄言が、放たれる。

 存分にこき下ろされることはわかっている。それでも、一度この思いを「自覚してしまった」瞬間、曲げることはできなかった。

 これを譲ったら、何か――とんでもなく大事な何かを、無くしてしまう。そんな気がして、ならなかったから。


 一方、それを聞いた向こうの反応は、予想とは大きく違っていた。


「……だろうな。それを聞いて、安心した」

「え……?」


 なぜ、そんなことを言うのだろう。自分の意見とは全くの反対のことなのに。根拠なんて、どこにもないというのに。


「その心持ち、貴様の答えとして大切に持っておけ。何があっても決して捨てるな」

「……あ、ああ」

「フッ……ここを出る前よりかは、いい顔になったな。では、邪魔なギャラリーはこの辺りで失敬するとしよう。武運を祈る」


 茂さんは、俺が抱く疑問には何一つ答えることなく、そのまま俺の傍を通り過ぎていく。


 いい顔……とは、なんなのだろう。吹っ切れた、ということなのだろうか。

 言われてみれば――心なしか、身体が軽い。根拠なんてない、単純な俺個人の気持ちを、受け入れてくれる人がいたから……かな。


 俺の答えが正しいと決まったわけじゃない。それどころか、永遠に正解として認められることはないかも知れない。

 だけど――まるっきり間違い、って気にもならない。だったら、間違い故にぶつかる壁に会うまで……走るしか、ないんだよな。


 俺はアリーナへ続く道へと踵を返し、駆け出していく――


 ――前に、悠然と反対の道を歩みつづける、茂さんを見遣る。

 そして最後に一言だけ、本人に聞かれないように……そっと、言わせてもらった。


「ありがとうな。……あんた、俺よりよっぽどヒーローしてるよ。ただ――」


「――ムッヒョオオゥウ! さぁお邪魔虫は消えたァ! 観客席でワガハイのハーレム祭りじゃオラァァァァ!」


 ――それがなければ、な。


 良くも悪くも相変わらずな彼の姿に苦笑を浮かべ、俺は今度こそ振り向かず、ただ前へと駆け出していく。


 この戦いで、あの「少女のような女性」の運命が変わるのだと……心のどこかで、期待して。

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