第99話 爪痕の姉妹

「それと、もう一つ。鮎子が『新人類の身体』に脳髄を移植したのが十ヶ月前って話……あれは嘘。『十年前』だなんて言われたら、みんなドン引きでしょう?」


 畳み掛けるかのように放たれる、自嘲の色を孕んだ言葉。それを聴覚に受信した瞬間、俺の頭脳は眼前に映る光景の意味を、ようやく理解することができた。

 ……理解してしまったんだ。


「し、ごう……?」

「……そう、その娘は正真正銘、四郷鮎子。私の、大切な家族よ」


 鉄の棺桶に囚われた、緑色に発光する液体の中で眠る少女。抜け殻のようにピクリとも動かないその身体は、生まれたままの姿となっている。

 そして、その容姿は――俺が知る、「四郷鮎子」という少女と瓜二つなのだ。普段の彼女と違い、髪を下ろした状態だったからすぐにはわからなかったが、身体つきや顔を見た瞬間、記憶の糸が条件反射で彼女のビジョンを手繰り寄せていた。


 ……研究所の外で花火に興じているはずの彼女が、この怪しい液体の中で死んだように眠っている。そして、今の所長さんが言い放った一言。

 それらの情報を一まとめにして解釈するなら――


「四郷の本体は……十年も、ここで……!?」

「ええ。信じられないかも知れないけど、あの娘、もう二十五よ。そろそろ、身を固めなくちゃいけない年頃よね」


 俺に背を向けて、自分のベッドに腰掛けている所長さん。その見えない表情と背中には、えもいわれぬ哀愁に通じるものを感じさせた。

 どんな顔をしているのかはわからない。が、冗談めかしたようなことを言っている割には、声のトーンが余りにも低い。どうしようもない現実に対し、開き直っているかのように。


 ――しかし、あの四郷が二十五歳って……マジなのかよ!? いや、そうでなきゃあの写真に説明がつかない……!

 この人は、十年も血の繋がった妹の身体を、こんなところに素っ裸で閉じ込めてたってのかよ! なんで!? なんのために!?


 やがて彼女は身体を捻ってこちらに視線を向ける。その顔は、既に何もかも投げ捨て諦めているかのような、空虚さを漂わせていた。

 この研究所に、そして彼女達姉妹に何かがあるとは、ここに来た時から感じていたことだ。その分だけまだ驚かずに済んでいるが、その代わりに沸き上がりつつある感情がある。


 ――今ならわかる。これはきっと、怒りなんだと。


「あの娘を地獄に突き落としたのも、あんな身体にしたのも、全ては私の仕業だもの。悪を許さない正義のヒーロー様からすれば、格好の悪役よね?」

「……なんだってんだ! 何がしたくてそんなことッ!」


 妹思いの優しいお姉さんなのか。それとも、妹を機械の身体に作り替えてしまう、非情な女なのか。どちらの顔を信じるべきかに迷う俺は、気がつけば眉を吊り上げ、彼女に詰め寄ろうとしていた。

 自分でも、その反応が正しいのかはわからない。もしかすると、これも伊葉さんの云う「独善」の姿なのかも知れない。だが、そうであろうとも、今の俺には叫ぶことしかできないんだ。

 ……少なくとも、妹をこんな姿で、こんな所に十年も閉じ込めている内は。


 だが、彼女は剣呑な態度を見せる俺に怯むこともなく、それが当然のことであるかのように涼しい顔をしている。……いや、涼しくはない。罰を受けて、それを是としている表情だ。

 「仕方ない」といいたげに切なさを滲ませた表情が、彼女の胸中に良心の概念があることを俺に伝えようとしている。それは信じるべきなのか、疑うべきなのか……?


「ふぅ……そうね、そうよね。賭けてみるって、決めたんだものね」

「……?」

「どこから話せばいいのか……。言っておくけど、あんまり面白い話じゃないわよ」


 ――その面白くない話を聞かせるために、あんたはここに呼んだんだろうが!


 ……という気持ちが顔に出ていたのだろう。所長さんは俺の表情に苦笑を浮かべると、「わかったわかった」とうるさげに手を振る。

 怒りは感情のコントロールを狂わせると言うが、確かにコレは制御が難しい。何にこの気持ちをぶつければいいのかもわからないまま、ただ感情だけが燻り続けているのだ。


 その胸中に渦巻く憤怒を押し殺そうと唇を噛み締め、拳を握り締める。その様子をしばらく見守っていた所長さんは、俺の制止を拒むように震えていた身体が止まる瞬間、それまで重く閉ざされていた口を開く。


「私の助手……凱樹とは話したかしら?」

「……? いや、あんまり。顔を合わせたことはあるけど」

「そう。……凱樹とはね、松霧高校で出会ったの」

「松霧高校!? じゃあ、あんた達ってOBだったのか? ……つか、それと四郷のことで、何の関係があるんだよ」

「あるわよ。私の隣に凱樹がいたから、今の鮎子があるんだから」


 最初に切り出されたのは四郷ではなく、あの瀧上さんの話。何の繋がりがあってのことなのかは知らないが、彼を語る所長さんの瞳は、ここではないどこかを見ているようで――少女のような、いたいけな色を含んでいるような気がした。


 ――言われてみれば、この人達の名前、校長室で見たような……?


「凱樹は当時の松霧町では、正義感と腕っ節の強さで有名な子でね。強盗や引ったくりが絶えなくて、治安の悪かったあの町の状勢を、たった一人でひっくり返してしまったのよ」

「あの人が……? まぁ、確かに昔は『ヤクザの詰め所』なんて言われるくらい、治安が最悪だったらしいけど……」

「えぇ。彼が当時の松霧町を実質的に牛耳っていた、ヤクザの組を単身で制圧してからあの町は変わったわ。田舎町には違いないけど、活気は出たし血が流れることもなくなった。名誉町民として賞賛されたくらいなのよ」

「へぇ……」


 あの恐ろしい雰囲気を全身に纏っていた瀧上さんに、そんな背景があったってのか? なんとも不思議な話だな。

 ……でも、なんか変だな。そんなに凄い人なのに、まるで聞いたことのない名前なんだけど。松霧町生まれで松霧町育ちの俺だけど、瀧上さんの話を聞いたのは今が初めてだ。

 所長さんの話が本当なら、誰もがその存在を知っているべきだろう。だが、俺よりは長生きしてるはずの商店街のおっちゃんやおばちゃんや、交番のお巡りさんも、そんなヒーローみたいな人の話をしていたことは一度もない。強いて言うなら、以前の救芽井が扮していた「救済の先駆者」の話くらいだ。


 だが、真っ赤な嘘だとも思えない。実際に戦っているところを見たわけじゃないが、あの眼光の持ち主なら、それくらいやりかねないだろう。あんな眼差し、ちょっとやそっとの修羅場で身につくモンじゃない。


「私は、そんな彼にずっと恋い焦がれて……高一の春先、思い切って告白したの。彼も了承してくれて……本当に幸せだった」


 瀧上さんのことを語るに連れて、次第に若返るかのように「恋する少女」の顔に近づいていた所長さんの表情は、この瞬間にピークを迎える。バスタオル一枚という過激な格好には似合わない、少女としての可憐さがそこにはあった。


「彼と会う前は、機械工学の研究者を代々輩出してる実家の意向に従って、海外の研究所で学んでいたけど……日本にいた両親が実験中の事故で亡くなって、葬儀のために帰国してから、私は失意のどん底だったわ。親戚に厄介払いとして松霧町に転居させられてからは、一緒について来た鮎子だけが心の支えだった……」

「所長さん……」

「ヤクザには身体目当てで狙われるし、鮎子を学校に通わせるのも危険過ぎるしで、本当にあの時は地獄だったわよ。だけどあの人は……そんな地獄を、平和な町に作り替えてしまったの。惚れるのも、無理ないでしょ? しかも妹まで彼に夢中になっちゃって。あの頃は彼を取り合って、いつも大喧嘩だったわ」


 自分の過去を語る彼女の姿は、惚気話に興じる年頃の少女のようで、今までには見たことも想像したこともない姿だった。だが、そこから先のことを話そうとする内、表情に陰りが見えて来る。

 ……始まるんだな。そこから、何かが。


「でも、所詮は彼も生身の人間。何十人も纏まって武装したヤクザには、敵うはずもなくて……瀕死の重傷を負うことも、珍しくなかったわ。彼がヤクザを倒して町の平和を取り戻せたのは、そのための力を私が『造り出した』からなの。……両親が命懸けで完成させようとしていた、肉体ではなく内臓を覆う、鋼鉄の鎧を……」

「……まさか『新人類の身体』か!?」

「そう。機械の身体を手に入れた凱樹は、ヤクザ共を次々に薙ぎ倒して……町の平和を取り返してみせた。私がそのあと告白したのは……彼の肉体を奪った罪を背負うために、一生を賭けて尽くしたかったからなのかも知れないわね」


 所長さんはそこで小さくため息をつくと、俺の後ろで静かに眠る「四郷の本体」へ視線を移す。過去を懐かしみ、羨み、憂いているその眼差しには、例えがたいやるせなさが漂っている。


 ――にしても、四郷以外に「新人類の身体」がいたのは驚きだ。確かに、今の話が事実なら、あの迫力の背景にも繋がるかも知れない。


「鮎子と違って、凱樹には本体がないわ。ヤクザとの抗争で彼の肉体は死を免れない程に損傷していて、もう二度と『人間に戻る』ことはできなくなっている。それでも彼は、私を怨まずに……感謝すらしていたわ。『これで、もっとオレは正義のために戦える』……ってね」

「自分が人間じゃなくなっても、何とも思わなかったってのか……?」

「そうよ。『生まれも育ちも松霧町』の彼にとっては、『悪をくじく力』こそが全てだった。ヤクザを倒して、自分に『それ』が備わってると知った彼は、もっと先へ進もうとしたのよ」

「もっと、先?」


 ここから先の話に、彼があの殺気を纏うようになった経緯があるのではないか。そう予感せずにいられなかった俺は、反射的に身構えてしまう。

 俺自身の訝しむ表情からその内心を悟ったのか、彼女は小さく頷くと、唇を小さく開かせて話を再開した。


「『世界の紛争地帯に流れる血を止めたい』。彼は当時の総理大臣だった伊葉和雅に、そう具申したのよ」

「総理大臣に直接会いに行ったのかよ……どんだけアグレッシブなんだ」

「ホントにね。……だけど、彼は本気だった。それを行える力を持っている分、余計にね。伊葉も松霧町を救ったヒーローの頼みとあっては、無下にできなかった」

「それで……瀧上さんを海外に出したってのか!?」

「支援らしい支援はなかったけどね。少しの旅費と開発費だけを渡して、彼は私達を海外へと送り込んだわ。上手くいけば大々的に世界にヒーローとして報じるけど、しくじれば一部の日本人の勝手な行動として国は関与しない、という条件付きだったけど」

「トカゲのしっぽ切り……ってヤツか」

「仕方ないわよ。下手なことされて国際社会での信用を落とされたら、たまったもんじゃないもの。……だけど、伊葉さんは凱樹のことはかなり買ってたわ。例の条件も、周りを納得させるための建前みたいなものだったみたいだし。――眩しかったんでしょうね。この時世に、あんなに正義感のある人がいるってことが」


 ――眩しかった、か。

 そういえば俺も、「皆の命を助けたい」って奔走してる救芽井を見た時は、遠い空で光る星を見るような気持ちで眺めてたんだっけ。……今じゃすっかり近くに立っちゃってる感じだけど。


「最初の内は、彼は上手くやっていたわ。兵士の武器だけを壊して、民衆を苦しめていた資産家は命を取らない程度に懲らしめて……。彼の活躍を聞き付けたアメリカの軍事機関が、兵器開発の研究対象として目を付けてきたこともあったわ。おかげで、莫大な研究費用が手に入ったんだけどね……」


 その時、彼女の様子に僅かながら変化が訪れる。それまでは嬉々として……とまでは行かなくとも、慕い続けていた瀧上さんの活躍を懐かしむように語っていた声色が、次第に沈んでいくのがわかった。

 ……四郷の本体のことを話した時と、同じ空気を感じる。今の彼女に通じる背景に、近づいているってことか……。


「……だけど、その行為は次第にエスカレートしていった。武器だけではなく命を奪い、自分と同じ……いいえ、自分より年下の子供でさえも、『正義に反する』なら敵として見るようになってしまったの」

「なっ!?」

「人命を優先して、テロリストの殲滅より難民の救出を優先した結果、その見逃したテロリストに、護ろうとした村を全滅させられたのがきっかけだわ。彼は単身で全てを守り切れないなら、守り切れるように『敵の数』を減らそうと考えたのよ。そのために私とアメリカの兵器研究機関に作らせたのが――これよ」


 瀧上さんが纏う、あの例えがたい殺気。その背景にある悲劇を語りつつ、彼女はさっき俺が漁っていたデスクへ向かい、そこから一枚の書類を取り出した。


 その艶やかな手に触れている、書類の正体――それは、あの「新人類の巨鎧体」と書かれた謎の設計図だった。

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