第85話 四本の腕を持つ少女

 結局、あの後すきっ腹で自室に戻った俺は、部屋に常備されている通信機から所長さんの指示を受けて、あのダサカッコいいユニフォームを着るハメになっていた。


 別に朝食から逃げなくてもそういう予定ではあったらしいが、格好が格好だから罰ゲームだとしか思えない。そんな俺は、多分相当性格が悪いんだろう。罪を憎んで服を憎まず。悪いのは、勝手に逃亡してメシを食いっぱぐれた俺だ。


 そして入口のロビーに再び全員が集まると、俺達は引率の所長さんに従う形で、再び地下施設へ向かうエレベーターに乗り込んでいた。


「――あ、龍太……君……」

「りゅりゅ、龍太っ……あー、う~……」

「あら、龍太様……」


 その流れである以上、この三人と合流するのは自明の理。うげぇ、気まずい……!


 ――だが、こうなった原因は、全面的に逃げ出した俺にあると言えよう。ケツは自分で拭かねばなるまい。

 ただでさえこの先大変なのかもしれないって時に、こんなことでいちいち迷走してたら、コンペティションどころの騒ぎじゃねぇ! 逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだー!


「あー、その……さっきは、えと、に、逃げちまって悪かった! 本当にすまんッ! だけどああいう展開は食事中にはいかがなものかと愚考しておりましてというかなんというか!」


 そして、大人数が集まる大型エレベーターの中で玉のような汗を噴き出し、何度も頭を下げる俺。端から見れば、恐らくは見苦しさ満点だろう。それこそ、はなまるでも付けられそうなくらいには。


「……も、もぅ。今回だけなんだからね、龍太君。わ、私だって、ちょっとはしゃぎすぎたかなって思うし……」

「――龍太様、どうか頭をお上げくださいまし。それがあなたの御心とあらば、ワタクシはいくらでも待ちましょう。そう、例え、三分の長き時が刻まれようとも……」

「みじかッ!? カップラーメンの出来る間くらい頑張って待ちいやっ!? ――もも、もう、しゃあないから、アタシも許しちゃるけど……その……」


 ……だが、いいこともある。この三人が殊の外、寛容であるということだ。

 必死に頭を下げ続けたおかげか、三人とも渋々という雰囲気ではあるものの、この気まずい空気を払拭するのに一役買ってくれるらしい。「仕方ない、許してやるか」という旨の反応を示すようになってくれたのだ。


 しかし、なんだか矢村の様子がおかしい。何やら不安そうにこちらを見つめている。

 どうしたんだ? まだ何か、俺がやらかしたことでもあるのか……?


「――龍太、二回もご飯食べとらんけど……大丈夫なん?」


 グギュルルルッ!


「ぐへぁァッ!」


 ……ああ、そういうことか。納得したよ。 

 でもね、矢村さん。出来れば言わないでほしかった。気付かせないでほしかったよ。


 この腹の虫が上げる、魂の咆哮に……。


 ◇


 ――午前中は、四郷研究所側の発表会……と言ってたから、恐らくは「新人類の身体」……すなわち「今の」四郷の身体を造っていた場所で発表するつもりなんだろうな。

 俺は心配そうにこちらを見つめている眼鏡美少女から、あらゆる意味で諸悪の根源と目される、その人物の後ろ姿へと視線を移す。


 ――妹の身体を機械仕掛けにする。どんなご立派な理想を立ててそんなえげつないマネをしていたのか、今日こそ説明してもらうぞ。所長さん……!


「どしたん、龍太? なんか、怖い顔しとるで……?」

「ん? ――あぁいやいや、これから相手することになる『四郷研究所の取っておき』って、どんな凄いヤツなのかな〜ってさ」

「そっかぁ……。でも、大丈夫やって! 龍太なら絶対負けん! アタシが保証したるけんなっ!」

「ハハ……おう! ありがとなっ!」


 隣にいた矢村の反応によれば、そんな胸中が表情に出てしまっていたらしい。俺は自分を鼓舞してくれている彼女と手の甲を合わせ、その応援に応えて見せた。

 ……そうか。四郷が「新人類の身体」ってのを知ってるのは、救芽井エレクトロニクス側だと今は俺ぐらいなんだよな。あとは……久水か?

 ――なんにせよ、負けられなくなっちまうな。わざわざ俺なんぞのために、ここまでついて来てくれた矢村のためにも。


 やがて停止したエレベーターの先には――武道館を彷彿させる、広大なアリーナが広がっていた。


 無数のライトに照らされ、無機質ながらもどこか壮大さを感じさせる、今までの工場のような場所とは、一線を画した世界だ。


「広ッ!? なんなんやここッ!?」

「フォーッフォッフォ! 驚きまして? この最深部に当たる階層こそが、四郷研究所の誇る最大規模の地下実験施設、『グランドホール』ざます!」


 ……お前が解説しちゃうのかよ。つか、ネーミングそのまんまだな。あの「メディックシステム」ほどじゃないが。


 しかし最深部、か。確かにそれっぽいくらい人気がなくて不気味なんだよなぁ、ここ。

 野球場並にだだっ広いクセして、観客は俺達しかいないし。


「フフ、梢ちゃんったらせっかちなんだから。さぁ皆さん、こちらへどうぞ! 我が研究所の最高傑作をご覧になって!」


 そんな勝手に説明を済ましている久水を笑って許し、所長さんは仰々しく手を広げて声を上げる。

 そして、俺達をそのアリーナにおける観客席らしき場所へと案内していった。……あのだだっ広いアリーナ全体を使って、パフォーマンスでもやろうってのか?


「おや? 鮎子君の姿が見えないが……」

「あれっ? さっきまでここにいたのに……」


 その時、俺の後ろを歩いていた救芽井と茂さんが急に声を上げて、辺りを見渡し始めた。俺と矢村もその声を聞いて辺りに視線を回すが、どこにもあの透き通るような水色のサイドテールは見えない。


「ホ、ホントや! 四郷のヤツ、どこ行ってもうたんや!?」


 ……確かにいつの間にか姿が見えなくなってるのには驚いたが、彼女が今どこにいるのか、次にどこに現れるかは――もう目星が付く。


「さぁ皆さん、ご覧ください! 我が四郷研究所の誇る、最新鋭義肢体『新人類の身体』のお出ましよッ!」


 そして、所長さんは自分の妹を捜して視線を回している連中に向かって、派手なモーションで腕を振るい、アリーナの中央を指差した。

 これまでのすまし顔からはなかなか想像のつかない、熱の込もった表情と声色に、四郷の所在を気にかけていた救芽井達もさすがに注目せざるを得ない。誰もが、広大に広がる白い大地に意識を奪われていた。


「ちょ、四郷所長! あなたの妹さんがいなくなってるっていうのに――」

「……いるさ。四郷なら、あそこに」

「――えっ?」


 それでも、妹の不在でざわめき始めたこのタイミングで発表に掛かろうとする所長さんに、救芽井は食ってかかろうと彼女の方へ詰め寄っていく。


 俺はそんな彼女を腕で制し、ここから見えるアリーナの最奥に存在する、一つの巨大なシャッター……すなわち、入口と思しき扉が開いていく様を指差した。


「え……うそ。あれ、四郷とちゃうん!?」

「とうとう、見せ付ける時が来たざますね……鮎子」

「そ、そんなっ――嘘でしょう!? 四郷さんがどうしてあそこにっ!?」

「むおぉおおぉ!? 鮎子くゥゥゥゥン!?」


 そこから現れたのは――紛れも無く、四郷鮎子その人。


 冷たい氷のような目つきでありながら、近付くだけで焼き尽くされてしまいそうな赤色を湛えた瞳。その苛烈さを癒すかのように流れる、艶やかな水色の長髪。機械のように無機質な雰囲気を裏付ける、無骨な丸渕眼鏡。

 そして、その佇まいゆえに忘れかけてしまう、「年頃の少女」という彼女の在るべき姿をかろうじて思い起こさせる、一束に纏められた流水のサイドテール。


 俺達の視線全てを一身に受けて、その一人の少女が地平線の如く広がるフィールドへ、自らのか細い足を踏み込ませた。


「四郷……!」


 やがて広々としたアリーナの中心に向かい、悠然と歩いていく四郷。彼女のその姿に愕然となっていた、救芽井や矢村の前に当たる最前列から様子を見ていた俺は、思わず手すりを両手で握り締めていた。

 ……ともすれば、そのまま潰してしまえるんじゃないか、というくらいの力を込めて。


 ――彼女は、自分が機械の身体になったことについて、何も言わなかった。それは、本当に自分から望んだからなのか?

 そして今の自分自身を、彼女は――望んでいるのだろうか?


 そんな込み入った事情をあの娘が話してくれるとは思えないし、むやみに知りに行くような話でもないかもしれない。

 だけど、それでも……納得できる理屈ぐらいは欲しい。普通の――少なくとも俺の神経に準ずれば、正気の沙汰ではないのだから。


『……テスト、開始して。お姉ちゃん……』

「オーケー。さぁ皆さん、始まりますよっ!」


 俺の後ろの方から聞こえて来る、少女の囁くような小声。振り返ってみれば、所長さんはいつの間にかインカムらしき機材を装着しており、アリーナにいる四郷と連絡を取り合っているようだった。


 ……なんだ? これから何が始まるってん――


「わ、わああぁあぁあ! あかんあかん危ない危ないぃぃっ!」


 ――だぁっ!?


 所長さんの威勢のいい声が示す、これから始まる何か。その実態の仮定を脳みそが弾き出すよりも早く、アリーナを凝視していた矢村が悲鳴を上げた。


 慌てて俺も向き直り――思わず目を見開いてしまう。


 すたすたとアリーナ中央に向かい、ただ漠然と歩くだけの四郷。そんな彼女目掛けて、別の出入口から現れた二台の大型トラックが、それぞれから見た反対方向から、挟み打ちにするかのごとく飛び出してきたのだ!


 四郷がその場で立ち止まりさえすれば、猛然とフィールドを疾走するトラック同士がぶつかって終わりだろう。だが彼女は、まるでトラックに挟まれる展開を望むかのように、そのまま歩き続けていた。

 つーか、四郷が仮に止まったら止まったで、トラックの運転手が……!


「ちょっ……なんなんですかアレは!? このまま双方のトラックが衝突なんてしたら……!」

「ご安心なさい。あのトラックはコンピューターで制御された無人車よ。――それに、衝突なんてあの娘がさせないわ」

「な、なんですって……!?」


 俺と同じ疑問を抱いていた救芽井が、焦燥をあらわにして所長さんに迫る。

 しかし、当の彼女は涼しい顔でそれを受け流すと、「そのまま見ていろ」という旨の宣告をした。――無人だって? じゃあ、四郷はあのトラックをどうするつもりなんだ?


 いずれにせよ、俺はその成り行きを、固唾を飲んで見守るしかないのだろうか。

 ……そんな考えが過ぎり、唇を噛み締める力が強まった瞬間だった。


 四郷が、動いたのは。


「……マニピュレートアーム、展開……」


 ――その時、俺は初めて「新人類の身体」というモノを改めて知ることになった。そのくらい、この瞬間に見た光景は、目に焼き付いて離れないものとなっていたのだ。


 突如として彼女の全身から発せられた、青白い電光。バチバチと激しい音と光を引っ切り無しに放ち、俺達の視界をホワイトアウトにせんと輝きはじめていた。


「わ、あぁああぁっ!?」

「きゃああああっ!? こ、これは一体っ!?」


 何が起こったかわからない。視界がまばゆい光に遮断されているのだから。

 下手をすれば今の自分がどこにいるのかさえ見失いかけてしまうほど、四郷の身体が放つ光は強烈なものだった。それでも救芽井と矢村の悲鳴のおかげで、なんとか俺は意識を現実の世界へ引き留めることができたわけだが。


 ……そして、強烈な光に視界を奪われていた俺達も、やがてその輝きが失われていくにつれて、本来の視力へと元通りになっていく。

 だが、それで終わりではなかった。


「うっ……!?」


 四郷研究所という施設の実態。それを象徴付けるかのような少女の姿に、俺達は揃えて息を呑んだのだ。


 青と白を基調にした、曲線的なラインを描くメタリックボディが、アリーナを照らす照明の光を浴びて、さっきの電光にも負けない程の輝きを放っている。レオタードを彷彿させるその身体の形は、完全に以前の四郷のそれを再現しており、そのピッチリ具合は「救済の先駆者」に着鎧した救芽井とは比にならないほどだった。

 ――いや、当たり前か。体の上から着る着鎧甲冑と違って、あっちは「身体そのもの」を変形させているんだから。


 頭の部分だけは人間の時とは変わらないまま……つまりマスクオフに近しい状態ではあるが、焦点を失ったような彼女の瞳からは、かえって人間味を削っているように思えた。


「し、四郷が『最高傑作』って……なんなんや!? どうなっとんこれっ!?」

「……ッ! そういうことね……! 道理で部室の生体レーダーに反応がなかったわけだわ……!」

「――鮎子。大丈夫。何があっても、ワタクシが付いているざます」

「す、す、素晴らしい最高傑作があるとは前々から聞いてたが、ま、まさかこんな……!?」

「お兄様は、こことはほとんどビジネスの話しかされてませんでしたからね。知らなくても……まぁ、無理はありませんのよ」


 「新人類の身体」としての姿を現した四郷に、救芽井達はただどよめくばかりだった。……久水、「無理はない」とか言ってる割には妙に視線が冷たくないか? まぁ、友人を理解されてないとわかったらそういう反応にもなるか……。


「……あれが『新人類の身体』か。しかし、それであのトラックをどうするつもりなんだ? まさか、両方とも素手で止めようってのか……?」

「そんな無粋なマネはしないわよ。それに、そのやり方だと仮に運転手が乗ってたら危ないでしょ」

「なんだって?」

「――ふふ、まぁ見てなさいって」


「……な、なによあれっ!?」


 俺の後ろで含み笑いを浮かべる所長さんの様子を訝しんでいると、今度は救芽井が驚きの声を上げる。


「今度は何――って、マジかッ!?」


 彼女のその叫びに反応して向き直った俺も、思わず声が出てしまった。


 四郷の背中から……腕が飛び出してきたのだ。


 いや――よく見ると腕というより、俺の部屋にあったようなマニピュレーターに近い。だが、大きさやリーチはまるで段違いだ。

 身を屈めた彼女の背から飛び出す、二本の青い機械の腕。それらはまるで弾丸のようにトラックへ伸び――通り過ぎてしまった。


「なっ!? おい、すり抜けちまったぞ!?」


 てっきりあの巨大なマニピュレーターでトラックを受け止めるものだと思っていた俺は、この余りにも危なげな展開に狼狽せざるを得なかった。

 ……だが、所長さんの表情は変わらない。まるでこれが、予定調和であるかのように。


「し、四郷さんッ! 危なッ――!?」


 そして、暴走トラック二台と四郷の距離が更に縮まり、ついに彼女がアリーナの中央――トラックにモロに挟まれる位置まで来たとき、マニピュレーターに変化が起きた。

 救芽井が「危ない」と叫びかけた瞬間、トラックを通り過ぎていたマニピュレーターはいきなりUターンを始め、今度はトラックの背後に向かって襲い掛かった!

 その圧倒的なスピードで空中を駆け抜ける鉄の腕は、トラックが四郷にたどり着くよりも遥かに早く、車体の背部をガッシリと掴んでしまう。


 更に驚くべきなのは、そのパワーだろう。巨大マニピュレーターに掴まれた二台のトラックは、広いアリーナを一直線に走りつづけていたために相当な速度になっていたはず。

 ……にもかかわらず、あの機械の腕に後ろから引っ張られるだけで、みるみるスピードを落とされているのだ。

 四郷に近づいていくにつれてそれはより顕著になり――ついには、四郷の身体を目前にして、完全に停止してしまった。


「ただ力任せに止めるだけなら簡単だけど、それじゃ運転手を殺しかねない。どうせ命を救うなら、全部救ってあげた方がオトクでしょ?」

「し、信じられない……! 四郷さんに、そんなことがっ……!」


 高い速度に乗った大型トラックを、後ろから引っ張る力だけで止めてしまえるパワー。そして、それを可能にする弾丸並のスピード。

 その二つを共有している怪物マニピュレーターを装備した、「新人類の身体」。恐らく機能はこれだけではないのだろうが……いずれにせよ、俺にとっては何もかもが圧倒的に感じられた。


「クク……いいぞ鮎子、その調子だ」

「末恐ろしいな。あれが、『新人類の身体』か……」


 そして、瀧上さんと伊葉さんがこぼす言葉が、更に俺の胸中に眠る不安を刺激していく。


 ――あれが、四郷の力……。俺は、あの娘に勝たなくちゃならないってわけか……!


 気がつけば、手すりを握る両手には更に力が入り、いつの間にか小刻みに震えるようになっていた。


 ……願わくば、この震えは「武者震い」であって欲しい。

 そう祈ったのは、恐らく二年ぶりになるのだろうか。

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