第79話 ノーヴィロイド
林に空を覆われた山道を抜けると、海を一望できるルートに出る。
太陽の光を鏡写しのように受け止めた、海面が眩しいその世界を俺は今、まったりと堪能していた。いいねー、窓際って。
ちなみに、茂さんは「ワガハイにも『ご褒美』をー!」などと口走ってしまったがために、現在は包帯に包まれた半死体と化している。南無三……。
それから、出発当初はあれだけ騒いでいた三大バーサーカーも、今ははしゃぎ疲れたのか、くぅくぅと寝息を立てている。愛らしい寝顔をタダで見れることだし、ここはそっとしておこう。――ちょっと申し訳ないかも知れないけど。
……しかし、四郷がムチを投棄処分してくれた後も大変だった。あれからも三人ときたら、俺をネタに謎論争を繰り広げてたんだから。
「アタシの方が付き合い長いんやけん、あんた達は引っ込んどけやっ!」
「あらあら、寝言は寝てからおっしゃいなさい。ワタクシは小学生の頃から愛を育んでおりましてよ?」
「……そ、そ、それがどうしたって言うのよ! だいたい、過去の付き合いなんて並べたって何の意味もないじゃない! これから正式な婚約者として、彼と添い遂げていく私の邪魔はしないでっ!」
――俺との付き合いの長さを競ったり。
「ご存知? 世の男性というのは、得てしてグラマラスな女性を好むものですのよ? あなた方のような貧相な体では、龍太様を満足なんてさせられないざます。丈夫な子供も産めるかどうか!」
「ぬ、ぬぁんやってえぇーッ!? む、胸は関係ないやろぉっ! 龍太は胸で人を選ばんのやけんっ! そ、それに世の中には、ちっちゃいのも、その、好きっていう人だって……」
「だ、第一、丈夫な子供を産むのに胸の大きさなんて関係ないわよっ! そんな峯山なんて、歳を取ったらただの贅肉じゃないっ!」
――あろうことか、思春期の男子の前でバストの話題に突入したり。
「知ってる? 龍太君は純愛をテーマにしたゲームを特に好むそうよ。あなた達みたいな爛れた欲望にまみれた人達に、彼を幸せに出来るのかしら?」
「な、なんやってー!? し、知らんかった、龍太にそんな趣味が……。じゃ、じゃあアタシもそれやるっ! 今度貸してや龍太っ!」
「お待ちなさい、それを先にプレイするのはワタクシざます! ――それより『爛れた欲望』とは聞き捨てなりませんわねっ! あなたにだけは言われたくありませんのよっ、この泥棒猫!」
「どっちが泥棒猫よっ!? だいたい龍太君をたぶらかしてベッドにまで連れ込んで……!」
――個人情報を晒して俺まで巻き込んで来たり!?
今まで必死に隠してきたはずの俺の性的嗜好が、まさかバスの中で暴かれてしまうとは。特に矢村に知られてしまったのは痛い! これでパソコンを覗かれたりして逆鱗に触れることになったら……!
――俺は恐る恐る、今は寝静まっている矢村の顔を覗き込む。心底はしゃぎ尽くした、というくらい満足げな寝顔だ。
……これでさっきの暴露大会がなけりゃあ、安心して眺めていられるってのに……。今回のコンペティションが終わる頃には、忘れてくれることを祈ろう……。
「……えっち」
「うえぇ!?」
その時、不意に突き刺さるようなことを言ってきた四郷に、俺は思わず飛びのいてしまった。ちょ、えっち!? 俺がえっちだと!? ――その通りだよちくしょうめ!
前の方の席から身を乗り出して、こちらを見つめる彼女の瞳は、蔑むようにスゥッと細まっている。まるでゴミ捨て場に群がるハエでも見るような目だ……。
「……バスが走ってる途中で、立っているのは危ない。席に戻った方がいい……」
「え、あ、そ、そうっすね……」
そして、至極真っ当な台詞に捩伏せられ、俺は萎んでいくかのように元の窓際の席へと退散していく。うぅ、俺の男としての尊厳はおろか、人としての権利さえいずれは瓦解しそうな気がしてきた……。
「な、なぁ四郷。お前んとこの四郷研究所って、具体的にはどんな研究してるとこなんだ? 競争するって言うからには、救芽井エレクトロニクスと同じ主旨だってのは予想がつくんだけど」
「……それは、向こうに着いたらわかる……」
そこで、この調子だと気まずくてしょうがないから、何か話題を振ろうとしたんだが――バッサリと切られてしまったようだ。……取り付く島もない、とは正にこれか。
セバスチャンさんは運転に集中してるし、他の三人は寝てるし。起きてる四郷がこんな様子では、会話の弾みようがないな……。
――しょうがないから、俺も向こうに着くまでふて寝してやろうか。
そう思って、背もたれに身を委ねて瞼を閉じようとした……その時。
「……でも、退屈なら、ちょっとだけ話す……前情報ということで……」
「――え、えぇ!?」
「……何? そんなに嫌……?」
「い、いやいや! そういうわけじゃないけどさ……」
意外にも、彼女の方から口を開いてきたのだ。俺はその一言でパッチリと目を覚ますと、背もたれから身を起こした。
――わざわざ俺に合わせて話題を出してくれるとは、いい子じゃないか四郷さん。
「で、でも、いいのか?」
「……機密に触れない程度に、最低限のことなら別に。でも、あんまり楽しい話じゃない……」
「――そっか。いいって、それくらい。楽しくないってことは、真面目な話ってことだろ? 聞くよ、俺」
四郷研究所の研究概要か……。まさか本当に答えてくれるとは。向こうのことは何も知らないし、ちょっと聞いておいた方がいいだろう。
「……ボクのところの研究所では、電動義肢の研究が進められていて……」
彼女は一瞬だけ俺の方を見ると、静かに話し始めた。や、やべ、さっそく難しくなってきやがった……。
――でも、今の四郷の目、ちょっと気になるな……。
さっきまでの、養豚場の豚を見るような目とは違う。どこか、はかなげな色を湛えているようにも見えた。
まるで、俺に助けを求めているかのような……?
「……現在では人命救助用の最新鋭義肢として……って、聞いてる……?」
「え!? あ、ああ! 聞いてる聞いてる超聞いてます!」
――気がつけば、四郷は再びムスッとした目線を俺に向けていた。や、やべー、話をせがんでおいて「聞いてませんでしたー」とかクズ過ぎるだろ俺……。
気を取り直して、俺は再び耳を傾けようと彼女の方を見る。そんな俺の反応を見た彼女は、ふぅとため息をつくと、何事もなかったように話を再開してくれた。
――四郷って、普段がほぼ無表情だから、目つきで感情を予測するしかないんだよなぁ……。いつかは、彼女の満面の笑みとか見てみたいもんだ。超レアだと思うけど。
それから彼女のトークは数時間に渡って続けられ、「最低限」という言葉がジョークだとしか思えないほどになっていた。
「……というように、コストの面と使用者のリスクが……って、何を笑ってるの?」
「いや、お前って一見無口にも見えるけど、話すと結構おしゃべりなのかな……ってさ」
「……え……?」
その間、なんだかんだで、彼女は四郷研究所についてイロイロと教えてくれたわけなのだが、小難しい用語みたいなのがちらほら出て来たせいで、話の内容はあまり掴めなかった。
――せいぜい、人間の脳みそを機械の体に移植する技術がある、ってとこくらいかな。俺にも理解できたのは。
それでも、「無口そうな彼女が俺のためにあれこれと話してくれた」ということは、個人的にはかなりの収穫があったように思えた。むしろ、俺の中ではソッチの方が大きい感じだ。
「なんつーかさ、最初に会った時よりか、かなり喋ってくれてるって感じなんだよなぁ。いろいろと教えてくれたってのも嬉しいけど、そのことの方が俺的にはデカかったかな」
「……そんなこと、ない……ボク、話すの上手じゃないから……」
「いやいや、俺としては話が聞けて良かったって思ってるよ。しっかし、そっちの技術にはたまげたなぁ。人間の脳髄を機械に移植する……なん、て……?」
――その時、俺の記憶に何かが引っ掛かる。
人間の脳髄を、機械の体に移す。
そんな技術を四郷研究所が持っていると、確かに彼女は言っていた。
それを改めて認識した瞬間。
何故か、遠くに置いていたはずの記憶の一部が、第六感を通して自らの存在を訴えはじめていた。
……「四郷鮎子には、生体反応がない」。
「あ、あのさ、四郷。実は俺んとこにはさ、生体反応をキャッチするシステムがあって――」
「……そのことなら、救芽井さんに夕べ訪ねられた。生体反応センサーに引っ掛からない、ステルス性のある新製品を試用してるってことにして、ごまかした……」
「あ、そ、そうなんだ……。って、『ごまかした』?」
「……一煉寺さんには、先に話しておく……」
その言い草に違和感を覚えた瞬間、彼女は席から身を乗り出した。
そして、後ろの席に座っている俺に視線をぶつけ――言い放つ。陽の光を受け止める海の輝きを、その一身に浴びながら。
「……四郷研究所における最高傑作、完全機械化義肢体『
「――なっ!?」
……にわかには信じがたい。
だけど、今の言葉が真実でなければ、つじつまが合わなくなるだろう。
だから、今は強引にでも受け入れなくてはならないのかも知れない。
四郷鮎子は……機械の身体を持っているのだと。
そして――コンペティションに置ける対戦相手として、俺と戦うことになるのだと……。
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