第69話 俺は青春が少ない

「どうした龍太ァッ!」


 ――夜の帳に包まれた、一煉寺道院。


 昨年の俺は、そこで地獄を見ていた。


 網目の如く張り巡らされた照明に照らされ、薄茶色のフローリングがまばゆい光沢を放つ。

 その光に背を覆われるかのように、俺は倒れ伏していた。


 別に、好き好んで道場で寝転んでいるわけではない。子供やオバサンが練習した後のフローリングに、顔を押し付けるような趣味はないし。


 ……ただ、体力的な意味でこうせざるを得ないだけだ。


「なにを寝てるんだ! 敵はお前が起きるまで待ってはくれないんだぞ!」

「あ、あぁ……」


 非人道的極まりない怒号に突き動かされた俺は、もはや棒にもならない足に力を込め、フラフラのまま立ち上がる。

 普通に考えれば、最悪でも小休憩くらいは挟んでいい状態だ。まさかこんな状態で続けるはずはないだろう。


 そう思っていた時期が俺にもありました。


「――ぅあたァッ!」

「がッ――!?」


 ――背筋も伸ばせず、猫背のまま辛うじて立っていた俺の水月に、問答無用の蹴りが入り込む。

 俺は悲鳴を上げる暇すら与えられないまま、膝から崩れ落ちた。


「立ち上がる時という瞬間か、いかに無防備かを考えたことはあるのか? その上、お前は反撃の隙を探そうとする余り、肝心な防御自体が疎かになる悪癖がある。そうであるばかりに、今日も全敗に終わってしまったようだしな」

「あ……がっ……!」

「自分の隙を見失っているようでは、相手の隙など突けるはずがない。よく肝に命じておけ」


 文句や愚痴も言えないほどの激痛に苛まれ、俺は相手の顔も見れずに、ただうずくまるばかりだった。

 そして、それから数分が過ぎ、ようやく痛みが引いてきた……という頃には、既に道場には俺しかいなかった。


「ふぅ……イ、イテテ……」


 散々に痛め付けられた体中をさすり、俺は身を引きずるような格好で、道場を後にする。


 ……こんなことが、丸一年は続いていたわけだ。高校一年の春から、ずっと。


 その頃から、俺は兄貴……一煉寺龍亮に、こうして地獄のような修練を強いられていたのだ。


 ――中学を卒業するまでは、なんだかんだで俺には甘かったはずの兄貴。

 そんな彼が、高校入学後に豹変したのは、確か五月半ばの頃だった。


「龍太、特訓しよう」


「――はい?」


 野郎は突拍子もなく、いきなりそんなことを言い出したのだ。気がつけば、俺は夜中の一煉寺道院に連行され、白帯を締めた胴衣を着せられていた。

 その時間帯には、いつも道院に習いに来ていた一般の人達はいなくなっており、完全に俺達兄弟だけの空間に成り果てていた。


「――さ、本気でやらなきゃ怪我するぞ!」

「ちょちょちょちょいッ!? 防具も付けずにいきなり――がふッ!」


 多分、その時が初めてだっただろう。

 兄貴の蹴りをモロに食らい、一発でのされてしまったのは。

 それで今まで受けていたのが全て、「俺のために手加減したもの」だったという事実を、改めて突き付けられてしまったようだった。


 ……まぁ、戦闘ロボットを素手で叩き壊せる超人に、本気で蹴られたりなんかしたら、一瞬でスクラップなんですけどね。


 それ以降、俺はわけがわからないまま、毎晩「特訓」に付き合わされるハメになっていた。

 白帯と黒帯が、防具すら付けないままでガチンコ勝負。結果なんて見えている。


 そうして豹変したわけも特訓をする意味も、まるで理解できず、を尋ねてみても「今は修練に専念しろ」の一点張り。私生活上でも、口を開けば特訓の話ばかりだった。


 ……まぁ、今までが今までだから、何か考えがあってのことなのかも知れない。

 が、それでも「どうしてこうなった」と思わないわけではなかった。


 なぜ今になって、こんなドギツイ「特訓」とやらに身を投じなければならないのか。その意味を考えようとしても、自力で答えが出ることはない。

 ……もしかしたら「技術の解放を望む者達」の一件に関係したことなんだろうか? まぁ、そう聞いても答えが返って来るとは思えないが。


 そして、夜の道場にて相対している中、兄貴が持ち出してきた持論はこうだ。


「お前は体力はないが、技の精度には優れている。むやみに短所を補おうとして中途半端になるよりは、より長所を伸ばして一芸に秀でた拳士になる方がいい」

「それで、この特訓、か……!?」

「そうだ。お前が一度でも俺を投げるか、一発突き蹴りを入れられれば、特訓は即終了。出来なければ、俺が大学を卒業するまで延々と続くことになる」


 ……そう。その特訓が、丸々一年続いたわけだ。後はわかるな?


 いくら技術があったとしても、所詮体力は一般ピープル。技は達人、パワーは人外レベルの鉄人に、どう勝てと。


 どんな角度や間合いから突き蹴りを放っても、受け流され反撃を食らい、どんな素早さで投げ技を仕掛けても、実にアッサリと切り返されてしまう。

 打撃戦に持ち込めば十秒も経たないうちに沈められ、投げ技や固め技に出た時は、いつの間にか俺が宙を舞っていた。


 結局、俺は高校一年という青春の一ページを、兄貴との修練だけでほとんど使い潰してしまった。

 体中のアザを学校で矢村に見られた時は、「自転車で転んだだけ」とごまかすのに必死だったしな……。彼女に相談して、励ましてもらおうって考えもなくはなかったが、兄弟間の話に女の子を巻き込むのも、ねぇ?

 夏休みや冬休みも、兄貴との修練に掛かりっきりで、彼女の相手もそれほど出来なかったし……あぁ、道理で友達できないわけだ、俺。


 そんな俺を「どう鍛えるつもりなのか」は、上述のように何度も当の兄貴に聞かされてきた。だが、「なぜ鍛えなければならないか」は、全く教えてはくれなかった。


 ――そして、その答えに自力でたどり着いた頃には、既に高校二年への進級が目前に迫っていた。


 春休みが終われば、俺は高二に進級し、兄貴は大学を卒業してエロゲー会社へ入るために、家を離れることになる。


 その時が来る数日前の夜、俺は自室のベッドの上で、ふと目を覚ました。


「ん……」


 身体に取り付いていた睡魔が剥がれ落ち、瞼が自然と持ち上がっていく。

 別に嫌な夢を見たわけでも、トイレに行きたくなったわけでもないのに、いつの間にか俺の目は冴えていた。


「なんだ……まだ五時かよ」


 ベッドに置かれていた目覚まし時計の針が目に入った途端、鏡を見なくてもわかるくらい、げんなりした表情になってしまう。

 こんな中途半端な時間に、たいした訳もなく目を覚ましてしまった。明日……というより日が昇れば、また地獄の修練がお待ちかねだというのに。

 二度寝するにも微妙だし、起きたら夜がしんどいし。どっちに転んでもろくな展開が予想できない。


「ハァ……俺が成長してない罰ってとこかぁ? 全く神様も手厳しい――ん?」


 そんな「睡眠」という生存機能にまで悩まされてる自分の脆さに辟易し、ため息をついた時。


 下から――何かが聞こえた。


「……?」


 身体の動きを止めて物音を消し、自分の鼓動を除く、ほとんどの音を静止させた。そして聞き耳を立てると――「何か」の実態が、少しだけ掴めた。


 ……話し声? こんな、太陽もさほど自己主張してないような早朝に?


 そう。音の正体は、紛れもなく会話を交わしている「声」だった。

 天然の物音にしては、音の律動が不自然過ぎる。それによく聞いてみれば、あれは兄貴の声だ。


 ――兄貴が誰かと話している?


 話し声は兄貴のものしか聞き取れない。だが、もう一つを聞き逃しかねないほどの難聴でもない。多分、電話で話してるからなんだろうな。

 盗み聞きなんて良くないし、もう二度寝しちまおう……という考えもあるにはあったが、個人的には会話の内容は気になって仕方がなかった。

 ――ま、まぁ、家族間で電話してるところを、見られたり聞かれたりなんて当たり前だし、別にいいでしょ! と、勝手な解釈を済ませると、俺はそろりと部屋から出る。


 そこからすぐのところにある階段からは、よりハッキリと話し声が聞こえてきた。「何の話をしてるのか」まではわかりかねるが、声色からしてマジメな話をしてることは間違いないらしい。

 ……会社の人とエロゲー制作について話してんのかな? 確かに奴なら、その手の話題にマジになりかねな――


「俺は大マジだぞ、親父」


 ――いぃっ!?


 まさかの通話相手に、思わず階段から転げ落ちそうになってしまう。お、お、親父だとォ!?

 確かに、あの「昭和臭いオッサン」という表現のよく似合う親父が話相手となれば、イヤでもマジにならざるを得ない。俺が思ってた以上に、深刻な話をしてる……のかな?

 しかし、親父と一体何の話を……?


 俺は階段のすぐ下で電話を続けている兄貴の通話内容に、耳を傾けた。スピーカーホンじゃないんだから、兄貴側の声しか聞こえないけども。


『龍太に、一煉寺家の技を全て教える……。本当にそのつもりなのだな』

「ああ。随分と厳しくしちまったが、これであいつもかなりマシになったはずだ」

『マシ……か。本来ならば、あの子には拳法そのものを教えないつもりだったのにな』


 ――んん? もしかして俺の話してんのか?


「……まぁ、な。本当なら、俺一人で一煉寺家の拳法を全て吸収して、龍太には武道自体に一切関わらせないはずだった。少なくとも、四年前までは」

『かつては、裏社会の悪を裁いてきた少林寺拳法の一族だった俺達も、今や普通の道院を持って普通に暮らしている。それも全ては、龍太に平穏な生活をさせるためであったな』

「そうだな……。力の強弱がモノを言う世界で、龍太を苦しめるわけにはいかない。俺だけが強くあればいいんだ……って、ずっと思ってたよ」


 やっぱ、俺の話みたいだな……。元々、拳法を教えるつもりがなかったから、俺には何も知らされてなかったってワケか。

 しかし、四年前って……。まさか、俺が矢村を助けようとしてボコられた時のこと言ってんのか?


「――けど、四年前、あいつが同級生の女子のために、喧嘩して病院送りにされた時、思ったんだ。俺だけが強くても、あいつを守れるわけじゃない。あいつが自分で自分を守れる強さ――護身術を持たないと、俺はあいつを守ったことにはならないんだ……って」

『それで二年間、あの子を道院で鍛えて来たのだろう? お前としても満足のいく拳士になったと聞いていたが?』

「確かに、あの時はな。当たり前だけど、あいつの周りに命に関わるような敵なんていなかったし、最低限、身を守れるだけの技術を教えたから、もう十分だと思ってた」

『去年の正月に一度見せてもらったが、確かにアレは最低限、だったな。突き蹴り、投げ技の精度こそ一煉寺家の拳士に恥じぬ完成度ではあったが、いかんせん基礎体力が伴わなさ過ぎる。よくあれで「技術の解放を望む者達」とやらに勝てたものだ』

「……まぁ、それは着鎧甲冑ってヤツのおかげだったんだろうさ。しかし、母さんには黙っといて正解だったな。もしあの人に龍太のコトが知れたら、俺がただじゃ済まなかったよ。一切拳法を教えず、平和な暮らしをさせてやるはずだった次男に、最低限の拳法で、命に関わる戦いに送り込んでたんだから」

『お前としては、今の龍太が自分の手を離れても大丈夫かどうかを見極める、又とない機会だったのだろうがな』


 完全に会話の内容は把握できないけど……どういう話をしてるのかはおおよそ察しがつくな。

 もしかしたら、この一年間の特訓の意味に繋がってるのかも……?


「……撃たれたあいつが、医療カプセルにぶち込まれて運ばれてきた時、確信したんだ。今のままじゃ、龍太を一人にさせるわけにはいかない。このままじゃ、いつか龍太が死んじまう……ってさ」

『――お前の話を最初に聞いた時は、まさかと思ったが……あの子の傷痕を見てからは、全て信じざるを得なかった。まさかあの龍太が、これほどの傷を負うような戦いをするようになってしまったとはな』

「ああ。その戦いの原因に繋がってる人達と関わった以上、今後一切、あの時のようなことが起こらないとは言い切れない。あいつのことだから、もし助けてと言われたら、どんなに無茶苦茶してでも突っ込んで行くだろうしな」

『それがあの子の良いところではあるが……危険な面でもある。自分の安全を計算に入れない、余りにも愚直な節があるからな。――だからお前は、決めたのだろう? 龍太に、一煉寺家の技を全て叩き込む、と』

「……そうだ。俺ももうすぐいなくなるし、道院も当分は閉鎖することにした。今の俺に兄貴として出来るのは、自分が知ってる技の全てを叩き込むだけだ。厳しくしなくちゃいけないし、龍太にとっても辛いことだと思うけど……。それでも、俺は――俺達は、本当の意味であの子を守るために、伝えるべき力を伝えなきゃいけないんだよ」


 ……なるほど、ね。そういうことでしたか。

 そりゃあ、あんな無茶苦茶してたら心配だって掛けるわな。もうあんな事件が起きても、撃たれるなんてヘマをしないための特訓だったわけか。


 ――全部、俺のためだったんだな。


『お前の言うことは、よくわかった。悔いだけは残さぬよう、気が済むまで「身を守り、生き延びる」ための拳法を教えてやれ。それが、今の俺に言える全てだ』


「ああ……ありがとう、親父」


 最後にしっとりと落ち着いた声でお礼を言い、兄貴は通話を切った。ガチャリと受話器を置く音が聞こえたから、多分その解釈で間違いない。

 俺は兄貴に立ち聞きしていたことを気取られないよう、そっと自室に引き返し……胴衣をクローゼットから取り出した。


 ――何を話してたかは知らないが、何となく俺が「守られてる」って感じの状態だということはわかった。

 クソ強い兄貴が近くにいるんだから、まぁ仕方のないことなのかも知れないが……それでも、俺は男だ。

 もうじき高二になる、って歳にもなって、ベタベタと兄貴にくっついてないと生きられないような奴にはなりたくない。


 ……いいじゃない。そんなに俺が頼りないってんなら、とことん付き合わせて貰おうじゃないの!


 俺は寝巻きを脱ぎ捨て、胴衣を纏い、白帯をギュッと締める。

 全ては、今日の特訓のために。そして、(多分)俺をナメてる親父と兄貴を見返すために……。


 ――仮に、今の俺が昔より随分と強くなっているのだとすれば、それはこんなベリーハード極まりない日々を過ごしていたからに他ならない。結局あれからも、俺は終始兄貴にボコられっ放しだったし。


 そんな俺でも、今は――戦えてる。

 矢村のために、救芽井のために。ついでに多分、俺自身のために。


 それだけのことが出来るようになったってトコは……まぁ、素直に感謝しとこうかな。

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