第62話 矢村さん家にお邪魔します

「貴様かァァッ! 貴様が娘を、娘をたぶらかしたのかァァァッ!」


 鬼がいた。


 ――いや、正しくは鬼のようなオッサンが。


「賀織の電話に聞き耳を立てとった甲斐があったというもの……。ここで会ったが百年目じゃァッ!」

「……いや、初対面ですけど」


 矢村の家にたどり着いた途端、待ち伏せていたかのように玄関から飛び出してきたこのオッサンに、気がつけば俺は胸倉を掴み上げられていた。

 こっちはリュックをしょってるのに、踵が浮き上がるくらいにまで体が持ち上げられている。すんごい腕力だ……。


 肉食獣のような鋭い眼光を、一心不乱にこちらに向けて突き刺して来る、四十代程の筋肉質な人。終業式の日に見かけた、矢村のお父さんで間違いないだろう。

 ――確か、武章たけあきさんだったかな。


 いかにも「厳つい」って感じの角刈り頭と、いわゆるケツアゴ。実におっかない出で立ちではないか……。

 だが、よく見ると彼の格好は上下青一色のパジャマ姿。しかも、目元にはちょっと濃いめの隈がある。

 さっきの口ぶりからして――まさか俺を捕まえるために、健康に支障をきたしてまで待機してたのか? それは申し訳ないなぁ……。


「いやあの、俺の存在があなたの健康を害してしまったのは申し訳ないんですが、こっちはちょいと娘さんに用がございまして……」

「賀織なら今ごろ、母さんと二人で朝メシの片付けをしてるところやァ! なにやらご機嫌そうだったがなァァァ!?」


 武章さんはさらに俺を締め上げようと、両腕に力を込めて来る。うげ、さすがに苦しくなってきたぞ……。

 外見だけで十分チビりそうなくらい恐ろしい彼だけど、あの矢村のお父さんなんだから、話せばきっと分かってくれる――そう思ってた時期が俺にもありました。


 ――人は見た目による。なぜなら、人の顔はその人自身の性格が反映されるから。

 そんな一説を聞いた時は「まさか」と笑い飛ばしていたが、今ならその意味が痛いほどわかる。


「賀織に近づく害虫が、まさかノコノコと自分からやって来よるとは……まるでホイホイされたゴキブリやなァ!」

「ちょ、武章さん落ち着いて――ぐえ!」

「貴様に名前で呼ばれる筋合いなんかあるかァ! 娘を連れ去り、どっかの山奥で淫らな真似でもしようってとこやったんやろうが……そんなたわけた野望もここまでやァァァッ!」


 ……物分かりのよくて優しいオッサンが、こんな般若みたいな顔してるわけがぬぇぇぇッ!

 夏合宿の件をどう解釈したら、そんなエロゲーみたいなシチュエーションに発展するんだよ! こんなえげつない誤解って、そうそうないぞ!?


「――ち、違いますって! 俺達はただ、合宿に……うぐっ!?」

「そんなざれ言を聞きに出張って来たんやない! 娘に近づく男はこうなるんやと、思い知らせるために来たんやけんなァ!?」


 俺の話を聞くつもりは毛頭ないらしく、武章さんは俺の体をガクガクと揺らして、さらなる怒りに眼を燃やしていた。

 ――いやいや、その娘さんは自分から男の集団に突っ込んでたんですけど!? 男より男らしかった時期もあるくらいなんですけど!

 ……この親にして、あの娘あり、か。確かに、ここまで逞し過ぎる親父さんって、今の一般家庭じゃなかなかいないもんなぁ。

 し、しかしこのままじゃあ合宿どころじゃなくなっちまうぞ……! 相手が矢村のお父さんである以上、迂闊な抵抗はできないし……。


「おいお前らァ! このゴキブリ野郎に、娘をだまくらかした罪ってもんを教えてやれェ!」


 その時、武章さんが放ったその一言で――


「へぇい! 親方ァァァ!」

「思い知らせてやりますよォォォッ!」

「賀織ちゃんに近づくたァ、大した度胸だなガキャァァ!」


 ぞろぞろと。そう、本当にぞろぞろと。

 武章さんによく似た、厳ついお兄さん達が、次々に近隣住宅の塀から飛び出してきた! ゲリラかこの人達!?


「貴様がここに来ると聞いて、弟子達を呼び寄せておいた。覚悟は出来ただろうな……?」


 これまでと違い、低く唸るような声で、武章さんは俺を睨みつけて来る。……心の中でも、これだけは言いたい。

 ――出来るわけねーだろ!?


 以前、矢村ん家は大工の家系だと聞いたことはあるが……普通の大工さんは「無実の男子高校生を集団で囲んで脅す」なんて恐ろしいマネはしないだろう。

 ――ヤクザの事務所と間違えたのか? そんな言い方は矢村に失礼だと、わかってはいるが。


 泥棒でも捕まえたかのような、怒りと喜びを内包した笑みを浮かべる、大工さん一同。俺の事情などお構いなしなのは、間違いなさそうだ……。


 別に何か悪いことをした覚えはないんだが、矢村ん家相手じゃ抵抗するにも引け目がある。――これは、いわゆる「年貢の納め時」ってヤツなのか?


「さァお前ら! こいつの罪深さを教えてやれェェェッ!」


 そんな俺の疑問に答えるかのように、武章さんがけたたましい怒号で指示を出す。どうやら、俺の予測は悪い意味で大当たりしそうだ……!


 胸倉を掴まれて身動きが取れない俺に、大工さん達はジリジリと歩み寄って来る。別に何かしたわけでもないが、「もはやこれまでか」と、俺は強くまぶたを閉じた。


 ――次の瞬間。


「うるッさいんよあんた達ィィッ! ご近所様に迷惑やろうがァァァッ!」


 現時点で一番うるさい叫び声が、辺り一帯に響き渡る。その轟音の震源地に、俺を含めた全員の視線が集中した。


 そこに立っていたのは……恰幅のいい、おばちゃんだった。玄関の前で、威風堂々と仁王立ちしている。

 見た感じ、歳は四十代半ば。頭は真っ黒なパーマで、ピンクのパジャマの上に黄色いエプロンを着ている。

 まさしく、「肝っ玉母ちゃん」って印象の人だ。さっきの叫び声も……まぁ、納得できなくもない。


「か、かか、母さん……!?」


 すると、武章さんに異変が起きる。俺を掴む両手がブルブルと震え、顔色は明らかに青ざめていた。

 奥歯がガタガタと音を鳴らし、トラウマの如く染み付いた恐怖心を引きずり出されたような表情になっている。


 彼に「母さん」と呼ばれたおばちゃんは、掴まれてたままの俺を見て、目を見開くと同時に――


「お父さん……まさかとは思うけど……その子に、乱暴なこととか、しとらんやろぅなァァァッ!?」


 ――武章さん以上の威圧を全身から噴き出し、彼を圧倒してしまった。


「ヒ、ヒヒィィ〜ッ!」


 とうとう恐怖に敗れたのか、武章さんは俺から手を離すと同時に、腰が砕けたかのように尻餅をついてしまう。周りの大工さん達も同様だった。


「お、おお奥さん! こ、これには訳が……ヒィィ!?」


 一人の大工さんが、なんとか弁明しようと口を開く……が、その前に自分に向けられた眼光に、全てを封じられてしまった。

 彼は両足をバイブレーションさせながら、情けない格好で後退していく。この光景を一目見れば、おばちゃんがこの大工達からいかに恐れられているかは明白だろう。


「げほっ、ごほっ……!」


 なんとか武章さんからの拷問(?)から解放された俺も、両膝をついて詰まった息を吐き出しているところだ。この場に、両の足で立っていられる男は、一人もいないということだろう。


「ちょっと坊や、大丈夫かい!?」


 するとおばちゃんは、急に心配そうな顔色に表情をチェンジさせて、俺に駆け寄ってきた。……正直さっきの怒号の後だと、恐ろしくて敵わないわけなんだが、今となっては逃げる余裕すらない。

 そして、あっという間に目の前まで来た彼女は、俺の腕を抱き寄せて――助け起こしてくれた。


 ……ぶっちゃけると、死ぬほど安心したわ。母親の包容力って、すごいね……。


「ごめん! ホンマにごめんなぁ! ウチのバカ共のせいで、迷惑掛けて……!」

「……あー、いえいえ。全然平気ですから」


 心底申し訳なさそうに頭を下げるおばちゃんに対し、俺は優しく嘘をついた。

 ――これ以上、ややこしい事態にはさせたくないんでね。正直殺されるかと思ったけど、またおばちゃんの威圧を目にするのも嫌だから。


「それより、賀織さんはいらっしゃいますか? 今日、待ち合わせってことになってたんですけど……」

「ああそうやった! 賀織やったら、今は身支度しとるところやから! もうすぐ来るけん、ちょっと待っとってな!」


 俺はさっさと話を進めてしまおうと、矢村のお母さんらしきこのおばちゃんに、例の件を持ち出した。彼女はおおよその事情は聞き及んでいたらしく、足早に家の中へと引き返して行った。


「ちょっと賀織ィー! もう龍太君、下まで来とるけん、早う降りて来ぃやー!」

「えぇ!? もう来とん!? どないしよ、何着て行ったらええんやろ、えぇとえぇと……!」

「なにモタモタしとん! 彼氏待たせたらあかんやろ! あーもぉなんでもええけん、早う行きやって!」

「か、彼氏って! まだそんなんやないのにっ! あ、ちょ、お母ちゃん待ってやぁぁぁ!」


 なにを話してるのかは知らないが、とにかく、やたらあわてふためいてるってことだけはよくわかった。確かに武章さん達に絡まれたせいで結構タイムロスしてるし、急いでくれると俺としてもありがたい。


 そんな、我ながらせっかちなことを思いはじめた時。ようやく玄関から矢村が飛び出して来た。そして……思わず、目を見張る。

 旅行に使うような黒塗りのキャリーバッグを引き、オレンジ色のフリル付きワンピースを着こなすその姿は……なんというか、従来の矢村自身にケンカ売ってるような格好だ。つばの広い麦わら帽子を被っている所が、男勝りな元気っ子だった頃の「名残」のように感じられてしまうくらいに。


「あ、あぅ……」

「うん、よう似合っとる! これなら行けるで賀織っ!」


 恥ずかしそうに俯く矢村の背を、お母さんは豪快にバシバシと叩いている。聞いてるだけで背中が痛くなるような音なのに、恥じらいながらびくともしない矢村って一体……。


「えっと、その……お、おはよう、龍太」

「お? おぉ、おはよう」


 はにかみながら挨拶してくる矢村。その普段とは全く違う印象に、俺としては戸惑いが隠せない。なんともマヌケな声で返事をしてしまったではないか。


「な、なぁ。似合っとる……? コレ」

「まぁ似合ってるには似合ってるが……。山に行くんだし、もうちょい動きやすい服装でもよかったんじゃない?」


 矢村のことだから、きっとジャージみたいな運動向けの服で来るだろうと思ってただけに、ワンピースは意外だった。


「で、でも龍太、こういうのが好きなんやないん? ほら、あの四郷って子も着とったんやろ?」

「別にアイツが着てたからって、お前も同じのを着なくちゃいけないことにはならんだろ……」


 俺は割と真っ当なことを言ったつもりだったんだが、向こうは何がショックだったのか、酷くしょんぼりした顔になってしまった。その隣で、お母さんはどうしたものかと頭を悩ませている。


「ま、似合ってるからいいんだけどさ」


 ――状況がよく見えないが、なんかフォローした方がよさ気な空気を感じたので、俺は思ったままの美点を口にする。

 すると、俯いていた矢村は急に顔を上げ、パアッと明るい表情に早変わりしてしまう。何と言うわかりやすさ……。


「に、似合っとる、似合っとるんかぁ〜……えへへ……って、あれ? お父ちゃん?」


 ここぞとばかりにテレテレしている彼女だったが、俺の傍で震えている武章さんを見た途端、顔色が変わった。


「か、賀織! いやあの、お父ちゃんはな、例のこの男がお前に相応しいかどうかを見極め――」

「なんでお父ちゃんがここにおるん!? りゅ、龍太に……龍太になにしたんっ!?」


 なるべく穏便に済まそうとしてる武章さん。そんな彼の態度を見てあらかたの事情を察したのか、矢村は血相を変えて父親につかみ掛かる。


「な、なぁ矢村。俺は別に大したことないから、準備できてるなら早く行こうぜ? だいぶ時間食っちまってるみたいだし」


 俺は締まっていた首の辺りをさすりながら、とにかくこの場を脱することを提案した。このままほったらかすと、ロクなことにならない予感しかしないからだ。

 だが、当の矢村は全く耳を貸す気配がなく、締め上げられて皺くちゃになった俺のTシャツを見た瞬間、顔面蒼白になってしまった。


「そ、そんな……! ――お父ちゃん、なんでや! なんでこんな酷いことしたんやっ!」

「す、すまん賀織! だ、だがこれもお前のためで――」

「バカ、バカバカバカァ! お父ちゃんのバカァッ!」


 まるで夫を殺された妻のように泣きわめく矢村。いや、別に俺、怪我すらしてないはずなんですけど……。


「賀織。龍太君、別に怒っとらんみたいやし、ちゃんと謝って許してもらい。ここはアタシがなんとかしちゃるけん、早うお行きや」


 勝手に荒ぶってる矢村に、俺も武章さんも困り果てていたその時、お母さんが助け船を出してくれた。

 暖かい微笑みを向けられた矢村は、気まずそうに武章さんから手を離すと、俺の方に不安げな視線を向ける。


「りゅ、龍太……その、お父ちゃんのこと、ホントにごめん……ごめんなさい」

「いいっていいって。付き合い長いんだし、そりゃこういうことも一度や二度はあるさ。俺も、なんとか仲良くなれるように足掻いてみるから、お前ももう泣くんじゃないぞ」


 ――正直言うと、仲良くなれる自信はあんまりないんだけどね。第一印象が恐すぎるから……。

 ただ、それでもこれくらいのことは言ってやらなきゃ、不安にさせちまうだろうし。デリカシーのなさに定評がある俺でも、それくらいのことはわかるよ。


「龍太……」


 そんな俺の気遣いが、まぁほんのちょっとは嬉しかったのかな。矢村は感極まったような表情で、上目遣いで俺を見詰める。

 そして――何を血迷ったのか、キャリーバッグを捨てて俺の胸に飛び込んできた!?


「おおおおおおッ!?」


 その展開に、大工さん達が一斉にどよめく。ていうかあんたら、さっさと自宅に帰りなさいよ。あからさまに近所迷惑だろ……。


「お、おい……矢村?」

「龍太の――そういうとこ、ホント好きやで。……うん。大好き……」

「え!? あ、ど、どうも……」


 胸に顔が埋まってるから、表情はわからないが……そのあたりが凄く熱い。季節が季節だから、熱中症じゃなきゃいいんだが。

 つーか、こうも真っ向から褒められると、なんかめちゃくちゃ照れるな……。なんか武章さんが「お父ちゃんを見捨てないでくれ!」とかむせび泣いてるけど、正直照れ臭くて、それどころじゃないや。


 ――そんな告白みたいなことを、男の前で言うから武章さんが誤解するんじゃないか。危うく……俺もその気になっちゃいそうだったしな。

 そこんとこ、わかってんのかねぇ……この娘は。


「じゃ、じゃあ行くか! 救芽井も待ってるはずだし!」

「う、うん。お母ちゃん、行ってきます!」

「はいよ。楽しんでおいで!」


 心の中で、矢村の無防備さにため息をつきつつ、俺は出発を促す。彼女も頬を染めながらも了解の意を示し、お母さんも朗らかに見送ってくれていた。

 ……初登場の威風からは想像もつかないスマイルだ。


 俺と矢村は、そんなお母さんに手を振ると、やや早歩きで救芽井が住んでいるという駅前のマンションへ向かった。

 武章さん達に絡まれたせいで随分遅れを取った。急がなきゃな!


「ま、待てや! 一煉寺龍太とやらッ! まだ話は終わっとら……ヒヒィッ!?」

「――お父さん、それにバカ弟子共。ほなウチで話し合いましょか。じぃっくりとねぇ〜……?」


 ――なんか後ろの方で大工全員の悲鳴が聞こえた気がするけど……気のせいだよね?

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