第60話 必要悪 〜アステマ〜

 ――どうやら、俺は三次元の異性からは好かれない性分らしい。二次元でも攻略率は微妙だけど。


 今朝の三十キロマラソンで数日分のエネルギーを使い果たした俺は、俯せに伏した格好のまま、午後の講義を受けていた。

 ……後ろから馬乗りになった矢村が、丹念にマッサージしていてくれなければ、おそらくその講義すら受けていられなかっただろう。

 ちょっと居眠りしただけでスタンガンなのに、寝そべった格好での勉強が許されているのは、救芽井の最後の良心――なんだと思いたい。


「はい、『R型』の救急装備は?」

「んぇえぇ〜とぉ……救急パックと酸素パック、それから……えぇーと……」

「――唇型酸素マスク、でしょ! ……全く、相変わらず男の子なのにだらし無いんだから! 私達二人が付き合って一緒に走ってあげてたのに、真っ先にへばったりしてどうするの!」

「いやあの、俺って一応普通の高校生だし、体力あるほうでもないし……」


 言い訳を並べても仕方ないのだが、これは正直どうしようもないと思う。基礎体力なんて、一朝一夕でつくもんじゃないだろうし……。ていうか、二人はただ自転車で俺を追い回してただけじゃないか……!


「しゃ、しゃーないやん。こんなことになるなんて、誰も思うとらんかったし」

「ダメなのよそれじゃ! このままじゃ、このままじゃ……!」


 矢村は俺の肩を揉みながら、擁護の言葉を投げかけてくれる。しかし救芽井は、現状を良しとしていないらしく、焦りの色を表情に滲ませていた。


 ――そんなに嫌ってことなのかな。例の、久水茂って人との結婚が。


 望まぬ結婚、というのがどんな苦しみなのかは、イマイチわからない。そもそも結婚できる人間でもない俺には、遠い世界のお話だと思ってたから。

 ……だけど、目の前であんな辛そうな顔を見せられたら、何かしなくちゃ、って気にはなる。

 それが何なのかもわからない俺だけど。それでも、出来そうなことは全部やってみなくちゃいけないんだろう。


 「人助け」が身上の、着鎧甲冑を任されたからには。


 ――薄々でもそんな気持ちがあったから、俺はここにいるのかも、な。


「……とは言ったものの、オツムも体力も、不安だらけだよなぁ……ん?」


 そんな理想と現実のギャップに辟易していた時、俺の視線がコンピュータの画面に留まった。


 ――黒い電子マップを映したディスプレイに、赤点が現れたからだ!


「救芽井、あれっ!」

「……ええ!」


 俺が声を上げるのとほぼ同時に、救芽井は強く頷いてコンピュータの前に立つ。

 状況を察した矢村が、どこか名残惜しげに俺から離れるのを見届けると、俺も身を起こしてコンピュータの傍に向かう。

 画面を覗いてみると、二本線に挟まれた位置で点滅している赤い点が、必死に自らの存在を訴えていた。……道路にしては、妙に線の幅が狭いぞ。

 まさか、これは……!


「商店街近くの踏切だわ! ここから近い……急いで、龍太君ッ!」

「……あいよっ!」


 ――どうやら、踏切に人が取り残されてる状況らしい。こいつはマズイ、一刻を争う!

 俺は窓の外へ身を乗り出すと同時に、真紅の「腕輪型着鎧装置」を口元に近づける。


「――着鎧甲冑ッ!」


 そして迅速に音声を入力し、赤い帯に全身を巻かれながら、屋外へと飛び出した。

 目の前が真っ赤に染まり、やがて機械的なカメラの視界が完成していく。そのメカニカルな世界を包んでいる、角付きマスクが頭にしっかり嵌まっているのを確認しながら、俺は学校の敷地から全力疾走で脱出した。


『反応の点滅が速くなってる……。アドレナリンの数値がより高まっているみたいよ!』

「つまりヤバいってことか!?」

『かなり、ね。パニックを起こして、正常な判断が出来なくなっていても不思議じゃないわ』


 救芽井は俺に通信で状況を伝えつつ、シビアなことを言ってくれる。ちょっとは気が楽になる話も欲しいんだけどな……。


「――ちっくしょう! ただでさえ三十キロ走で両足ガタガタだってのに! 今度からは最悪でもちゃんと十キロ以内に留めてくれよな!」

『これがうまくいったら、考えてあげる!』

「……上等ォッ!」


 俺は思うように動かない両脚にチョップを入れ、がむしゃらに町内を駆け抜ける。走りやすい道をとにかく進み、道がないなら屋根から屋根へと飛び移る。


 今までの常識全てをひっくり返すくらいのつもりで、俺は「素早く現場に到着する」ことだけを目指した。


 ……付き合いの長い人達が多い、この町の商店街。その少し手前に見える踏切にたどり着いたところで、確かに異常が窺えた。

 四十代くらいのおばちゃんが、踏切のど真ん中で立ち往生してやがる!


 しかも、俺が来た頃にはとっくに警報が鳴っていた。いつ電車が来てもおかしくないぞ!


「あっ――ぶ、ねぇえぇえぇッ!」


 俺は視界の隅に巨大な影が見えた瞬間、けたたましい叫びを上げて、踏切の中へと一心不乱に飛び込んでいた。


 ゴオオオッ! ……という何かが迫る音に総毛立ちながら、俺は焦げ茶色に錆びたレールの上に立つ。

 眼前には、俺以上に脚を震わせている、買い物かごを抱えたおばちゃん。どうやら、恐怖のあまり動けなくなってると見て、間違いなさそうだ。


「……う、お、おおおおおおッ!」


 ――俺は敢えて電車の方を見ずに、おばちゃんを迅速に担ぎ上げ、奥の踏切バーをハードル走のように飛び越える。


 次の瞬間、殺戮マシンになりかけた車両が、俺の背後を凄まじい勢いで通り抜けていくのがわかった。あの轟音が、俺の聴覚を支配しようとしていたから。


 もし電車の方を見ていたら、きっと俺も恐怖で脚が止まっていただろう。そして、二人ともミンチだった。

 自分の鼓動が、バクンバクンと大きく聞こえて来る。それを身体全体で感じることで、「生きている事実」を実感しているような気分になった。


「ぶっ……ふぅ〜……!」


 俺は電車が轟音と共に過ぎ去ったのを見届けた後、それまでずっと止めていた息を、思い切り吐き出した。そして、文字通り胸を撫で下ろす。

 それと同時に、今までの無理が振り返したのもあってか、酷く息が上がってしまった。三十キロ走の後にこの命懸け重労働は、さすがに堪えたらしい。


「ハァ、ハァ、ハァッ……! あ、あのっ、大丈夫、っすか……?」


 俺は両脚を引きずりながら、這うようにしておばちゃんに近づく。俺の背中から離れていたおばちゃんは、緊張から解放された反動ゆえか、やや放心状態のようだった。


『――アドレナリンの分泌量が、通常値に戻って来てる。生体反応も健在よ! やったわ龍太君っ!』

『やったあーっ! 龍太、すごいやん、龍太ぁっ!』


 ……いろいろギリギリだったが、なんとかミッションは成功らしい。通信機越しに、救芽井と矢村の歓声が聞こえて来る。

 ――やれやれ、もうこんなコンディションで仕事したくねぇなぁ……。


「……はっ! あ、ど、どーも、ありがとうございますっ! おかげさまで助かりました!」


 すると、ようやく正気を取り戻したのか、おばちゃんは深々と何度も俺に頭を下げてきた。……悪くないな、こういうの。


「いいですって、このくらい。それより、どうしてあんなところに? 踏切に閉じ込められてたみたいですけど……」

「そ、そうなんです! なんかいきなり白装束の変な人に絡まれて、ここまで投げ飛ばされたんです〜!」


 俺の両肩をガシッと掴んで思い切り揺さぶりながら、おばちゃんはヒステリックに妙なことを口走る。

 ……白装束の変な人?


「僕のことだね」


 ――ふと、後ろから聞き慣れない声が、背中に突き刺さってきた。背筋に伝わるゾクリとした感覚が、俺の第六感を刺激する。


「ひ、ひえぇえぇーっ!?」


 俺の後ろに立っている人物(?)の姿を俺越しに見たおばちゃん。彼女は、まるで連続殺人犯にでも出くわしたかのような悲鳴を上げて、スタコラと逃げ出してしまった。


「……誰だ!?」


 俺は敢えておばちゃんには目もくれず、後ろを振り返りながら身構える。俺のお得意、カウンター重視の護身術「少林寺拳法」の構えだ。


「そんなに身構えることはない。少なくとも、僕は敵じゃない」

「あんたは……!?」


 ――おばちゃんが話していた通り、確かに「変な人」だ。

 機動隊が着ているような出動服の上に、ふくらはぎまで届くほどのマントを纏っている。しかも、西洋騎士の兜みたいなマスクまで被っていた。

 何より怪しいのは、その全部が真っ白な塗装で統一されていることだろう。見るからに変態だな……。


 だが、さっきのおばちゃんの話を聞く限りでは、まともな奴じゃなさそうだぞ……!


「おばちゃんを踏切に放り込んだって奴……なのか? どうしてそんなこと!」

「君を試す必要があってね。大丈夫だよ、いざという時は僕が自分で助けるつもりだったからさ」


 白装束の野郎は、おびれることなくヒラヒラと手を振る。「そんなキレんなよ」とでもいいたげな口調だな。


 ……何が「大丈夫だよ」だ! こっちは危うく、それで試される前に死ぬところだったんだぞ!

 ――いや、それより、試すってどういうことなんだ!?


「あんた、一体何者なんだ!?」

「うーん……そうだねぇ。役割に基づいたあだ名を付けるなら、『必要悪アステマ』ってところかな?」


 なんだそりゃ。本名を名乗る気はゼロってか。まぁ、そんなナリで本名とか名乗られても、格好がつかないとは思うけど。

 ……それにしても、この喋り方、どっかで聞いた覚えがあるんだよなぁ。こんな声は初めて聞いたけど。


「『救済の超機龍』……。初めて見たけど、聞いた以上のポテンシャルだねぇ、『龍太君』。これなら、きっと『安心』だ」

「――!? あんた、なんでコレのことを!? しかも、俺の名前まで!」

「そのうち教えてあげるよ。『果報は寝て待て』って言うでしょ? それじゃ!」


 ――なぜか俺と「救済の超機龍」の名前を知っていた「必要悪」とやらは、普通の人間では考えられない跳躍力で、家屋の屋根に登ってしまった。


「ま、待てっ!」

「君はずいぶん疲れてるんだろう? 動きを見ればわかる。今日は早く帰って、ぐっすり寝た方がいい。またいずれ、会うだろうしね!」


 しばらく俺を見下ろしていた「必要悪」は、妙に親しげなことを言いながら、俺がやったように屋根から屋根へ飛び移りながら去っていく。


「待てって言ってんだ――あぐっ!?」


 奴が言っていた通り、バテバテになっていた俺はそれ以上追うこともできず、力尽きて膝をついてしまった。


「……願わくば、二度と会わないほうがいいんだけど、な……。そうだろ? 和雅さん」


 ――そんな「必要悪」の一言など、知るよしもなく。


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