翼に反す呆け師 ~空欄に入るのは魚鳥木のうちどれ?~ ※webを頼りに解いてください

 十二月二十八日。


 「助けてくれ。シャマインでまぅた」


 大好きな女の子からそんなメッセージを受け取ったら、携帯片手にパジャマで駆け出すのが男という生き物だろう。

 顔見知りの多いご近所を、年末の商店街を、百貨店が見下ろす駅前を、俺は全速力で駆け抜ける。


 何があったのか、まるで分からない。

 でも、メッセージの途中で手が止まるような事態。嫌な予感が胸中に渦巻く。

 頼む、間に合ってくれ!


 永遠にも、一瞬にも感じた十分間を経て、俺はログハウス風喫茶店「シャマイン」の木製の階段を駆け上った。


「大丈夫か! 十河そごう!!!」


 どうして悪い予感というものはこうも当たるのか。

 そこには、彼女の変わり果てた姿があった。

 俺は、あまりの衝撃に叫び声をあげて、その場で気を失った。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ……

 …………

 ………………


「……い、七色そらはし! 七色!」


 電撃が肩を揺さぶる。左へ、右へ。後ろへ、前へ。

 俺は重たい目を何とか開くと、そこにはパラレルワールドが待ち受けていた。


 目の前には、ヘッドドレスを付けたメイド服の女性。

 黒髪ロングのクールビューティー、十河そごう沙甜さてん

 十河が着ているシャマインの制服は、もともと俺がいた世界で彼女が着ることはありえない。

 彼女は高貴にして孤高。誰もがかしずく王なのだ。


「やっと目を覚ましてくれたか……。毎度のことながら、お前はなんでそう間が悪いのか」


 頭に霞がかかったようで、何も思い出せない。

 確か俺は、部屋で寝ていた気がするのだが。


 ここは十河がメイドをする世界。

 そのメイドさんが、パジャマ姿の俺を起こしてくれている。


 ならば、俺がご主人様?


 そういうことなら……。

 俺は床に正座をして、折り目正しくお辞儀をした。


「まずは、膝枕をお願いしたいです、メイド様」

「……ご主人。歯を食いしばれ」


 メイドと言えば、基本武装はこれだろう。

 俺は銀のトレーで後頭部を叩かれた。 


「今の衝撃、どこかで……。ああ、思い出した。それで叩かれたせいで記憶が飛んでたのか」


 同じ攻撃を食らったことで思い出すとか。


「今、何と言った?」

「記憶が飛んでた。記憶喪失って怖え。忘れてるって自覚が無い」

「待て、心配でたまらん。細かく思い出してくれ。慌てなくていいからな、頭が痛くなったらすぐやめていいからな」


 十河は涙交じりに俺に寄り添って、手を握り締めてくれる。

 嬉しいけど、電気な。あと、君が主犯だと思うのだが。

 俺は感電痛とぼやけた頭のせいで、頭に浮かんだことを無自覚に話し始めた。


「……ええっと、真っ暗な部屋」

「ああ、抽象的な説明か。いいぞ、続けてくれ」

「俺が開いた扉から光が差し込んで」

「うん……、ん? ちょ……」

「その光に照らされた着替え中の十河が、純白のブラを慌てて隠して」

「きゃーーーーーーーーーっ!」


 鈍い金属音が俺の顔面のあたりから鳴って、すべての記憶がよみがえる。


「……そう、思い出した。今のとまったく同じ力加減で叩かれたんだ」

「もう一度消えればよかったのだ、記憶」

「服着てるんだから。そのベコベコのトレーで胸を隠しても意味無かろう」

「これで貴様は一生分あたしの下着姿を見たと知れ。今後は一瞬たりとも見せん」

「ほとんど記憶に残ってないって。白って言ったけど曖昧だし」


 そう言っておかないと危険だ。なぜかは分からないけど、床に台所用品が散らばっているから。

 俺のそばにある鍋掴みをチョイスしてくれたら被害は可愛いものだが、十河の一番近くに落ちているのは鬼おろしだ。あれはやばい。


「……本当だな」

「ほんと」


 十河の手は、鬼おろしをスルーしてその先にあるものを掴もうとしている。

 でも、アイスピックも殺傷力かなりだよね。何があっても嘘をつき通そう。


「それは残念だ。さっきの下着姿を褒めてくれたら、いつでも見せてやろうと思っていたのだが」

「白い花がたくさんついてた。ちくちくしないの?」

「お前は、将来詐欺に騙されないよう気を付けろ」

「…………ん? ……………………はっ!? 詐欺だ!」

「そこの鍋掴みを手にはめて、頬に当てろ。そっちじゃない、あたしから見て反対側の頬だ」

「これでよろしいでしょうか、メイド様」

「ご主人、スパーリングというものを教えてやろう。ミットをしているからな、痛いものではな……、いっ!」


 ミットを当ててない側の頬を、グーで殴られた。


「痛いよ! 電撃がエフェクトみたいに飛び散ってたし!」

「ミットの前に顔など出すご主人が悪い。では、今度はミットを背中に当てろ」


 俺は生まれ変わっても、メイドさんのサンドバックにだけはなりたくない。

 そう思いながら、床に突っ伏すまでラッシュを浴び続けた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「助けてって、何があったんだ?」


 俺はパジャマ姿で床に寝ころんでいるが、決してだらけた冬休みを満喫する高校生というわけでは無い。その場合は、床暖房かこたつが必要だ。

 本当は寒いから立ち上がりたいんだけど、そうもいかない。

 ボディーへのダメージって、人をダメにするものらしい。


「ああ、ちょっと長くなるが、最初から話そう。そのまま聞いてくれ」

「あと三十センチで膝枕なんだが、そうすると聞き取りやすい」

「大歓迎だ。あたしの膝にはミットがあるから、その上に頭を乗せるがいい」

「ターンエンドです。十河の説明フェイズへ移行してください」


 パニエって言うんだっけ。メイド服のスカートから広がる白い花びら。

 その可愛さを間近で見ることで、今は満足としておこう。


「今日は早朝から屋敷を大規模に片づけていてな、今もサーバント達が汗水流して力仕事に奔走ほんそうしているのだ」

「そうなんだ。年末だもんね」

「もちろんあたしも彼らの手助けをしていたのだが、なにぶん、あれなのでな。仕事が増えるからと屋敷を追い出されてしまったのだ」

「そうなんだ。ドジっ子姫だもんね」


 十河が無言のままミットを頭の下に押し込んできたので、俺は慌てて正座した。


「大変迷惑をかけてしまった罪滅ぼしに、昼食はあたしが準備してやろうと思って食材をここまで運んだのだ。閉店になったのでこの通りだが、ガスも水道も止まっているわけでは無いからな」


 年内閉店にしたのだろう。すべての窓には頑丈そうな木枠がはめられている。

 なので、店内には昼間だというのに明かりがついていた。

 

 しかし、従者に邪魔者扱いされてもそれを悪かったと考えるとは。

 怒らないあたりが十河イズム。やはりやさしい姫様だ。


「で、料理を始めたのだが勝手がわからなくてだな。お前に助けを頼もうと携帯を操作している途中で、食材やら調理器具やらが勝手に落ちたのだ」

「勝手には落ちない。やっちまったんだな」

「みなまで言うな」


 それであんなの送って来たのか。

 お約束を外さない辺りも十河イズム。やはりドジっ子姫様だ。


「その時にマヨネーズを服に浴びてしまったので、建物の灯りを落としてこの服に着替えたのだ。窓はすべて塞がっていることだし、わざわざ狭い更衣室で着替える必要も無かろうとここで服を脱いだ瞬間、変質者に襲われた」

「その変質者、結構いいやつだよ? 昨日も転んだ子供を助け起こしてたし」

「その話で、変質者が昨日も下着を見た件について思い出した。どうして貴様は来る日も来る日も……」

「俺じゃなくてそいつに言ってくれ」


 とんだとばっちりだ。


「変質者は、このベコベコに変形してしまった武器で撃退したのだ。そして着替えを済ませて明かりを点けたら、なぜかお前が床に倒れていたというわけだ。何か言いたいことがあるのではないか?」

「土下座で謝罪したいのだが、今の話の限りではこの惨状の説明がつかん。なにか隠していることは無いか?」


 そう、ちょっと異常な散らかりようなのだ。

 割れた食器類、まるで意味があるかのようにフロア一面に巻き散らかれた食材と調理用具。


「一つだけある。……信じてもらえないだろうが、あたしの正体は……、ドジっ子魔法少女なのだ」

「さあ、全米も泣いて逃げ出す有様だが、どこから手を付けよう」

「スルーするとは冷たい奴だな変質者!」

「うるさいドジっ子姫殿下! 何ヒット叩きだしたらこんなことになるんだよ!」


 にらみ合って、そして思わず吹き出してしまった。

 いつからだろう、彼女は俺に対して王の仮面を外してくれることが多くなった。


 素顔はただのトラブルメーカー。毎日が台風みたいな大騒ぎだ。

 でも、十河のドジは俺が何とかすると誓った気持ちは嘘じゃない。


 笑いどころについては、俺達は同じ感性を持っているようだ。そこが嬉しい。

 軋む体に鞭を打って立ち上がり、床に落としていた携帯で時刻を確認する。今は、九時二十一分。


「やれやれ、まずは片さないと。あと、昼食は何時に出すんだ?」

「十二時には皆が下りて来る。料理と掃除を分担しよう。あたしはどちらを担当したら良いか指示を頼む」


 二時間半か。ギリギリだな。

 ならば最適な分担は、


「お前が掃除をしたら、転んで食器の破片で大けがだ」

「それは知識の範疇はんちゅうだ。お約束と呼ばれる現象だな」

「お前が料理をしたら、スープの中に手首が浮かんでいることになる」

「ぞっとせんな。……こら。さすがにそこまで酷くは……」

「適材適所! 復唱!」

「て、適材適所! ……ならば、あたしの適所は!」


 俺は手早くテーブルを二つくっ付けて、


「ここでラブソングと応援ソングを順番に歌い続けていろ!」

「あたしはお前の栄養ドリンクか?」

「あるいは、メイド十河に膝枕をしてもらうのもいい」

「それでは二人とも作業できんだろうが! いい加減にしろ!」


 おお、突っ込みもばっちりこなすようになってきたね。

 でもトレーは平たい方で、な。

 細い方で来ると、こうやって俺が白目を剥くから。貴重な時間が十分ほど無くなるから。一個ずつ覚えて行こう。


 俺は目を覚ました後、掃除と料理を大急ぎでこなし、何とか時間内に準備を終えることが出来た。

 でもこれは俺の功績じゃなくて、十河の美声のおかげだと思う。


 ……君が見ている。そのことが、俺に力をくれたんだ。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 十二時になると、クワットロ・ペンキーネが揃ってシャマインまで降りてきた。

 皆は俺の姿を見て驚いたものの、十河との関係を過不足なく理解してくれているようで、同級生らしい軽口と共に暖かく俺を歓迎してくれた。


 いや、暖かく、という表現は正しくなかったかもしれない。

 あんなに慌ただしくて騒がしい食卓、暑苦しいと形容した方がぴったりだ。


 十河がお昼を準備する、ということになっていたせいで、四人は涙を流して口々に「姫様の手料理!」と感動を声にしながら勢いよく食べ続け、俺が調理したという説明は誰一人聞いてくれなかった。

 一之瀬など一分少々ですべてを平らげ、時間をかけて作ったのだから味わえと再三忠告していた十河から、デザートとしてトレーを貰っていた。

 とはいえ仕事が山積みとのことで、のんびり者の三木ですら五分ほどで席を立ったのだが、その去り際に、


「感動です! 姫様、お皿も割らずにお料理できるようになったんですね! これならいつでもお嫁に行けますね!」


 などとアサシンクリティカルを放ったせいで、十河は今、俺の横に膝から崩れ落ちている。


「あたしが嫁に行くためには、あと何世紀くらい必要だろうか」

「大丈夫。洗い物で割らなければ、その時点で課題はクリアーだ」

「……ああ、全力を注ごう。あたしは何をすればいい?」

「いや、俺がやるから黙って見とけ」


 アサシンの攻撃、列攻撃に進化してるよ。

 十河を行動不能にした後、俺にはトレーによるダメージが飛んで来た。


「さて、食事の続きをしよう」

「そうだね。あいつらの食べっぷりに圧倒されて、まともに箸もつけてない」


 しかし改めて十河に惚れ直す。

 彼女は、彼らにとって王なのだ。それなのに、食事を終えて仕事に戻る皆を一人ひとり、席を立って見送った。


 食事のマナーなど、一緒に食事をとる者への礼儀に過ぎぬ。

 ならば、これが最も礼に適っていよう。


 彼女は、そう語りながら中座した食卓へ戻ると、改めていただきますと言い直してから箸を取った。


 俺がシマアジの身を皮ごと口にして、なかなかの焼き加減に満足しながらご飯を頬張ると、十河が微笑みながら話しかけてきた。


「七色には甘えてばかりだ。すまんな」

「どしたの、急に?」

「あんなに大変な思いをして調理してくれたのに、あいつらときたらろくに味わいもせんで……」

「あはは! 一之瀬とか凄かったもんな! 箸を一分も握ってなかったと思う」

「笑い事ではなかろう。あたしが命じた作業で大変な思いをさせている以上、そのあたしが早食いをとがめるわけにはいかん。だが、お前は嫌味の一つも言うべきだ」


 十河が俺の為に文句を言ってくれているのは嬉しい。

 でもね、


「俺、嫌じゃないよ? すげえ美味そうに食ってたじゃない」

「しかし、二時間近くかけたものを五分程度で食われては納得いかんだろう」

「料理ってそんなもんだろ。食べてくれる人の五分間の笑顔の為に作るんだ」

「……ちょっと納得がいかん」


 そう言いながら、十河はシマアジの身をゆっくりとほぐし始めた。

 ……いや? 小骨を巻き込んだフレーク的なものを作って遊んでいるように見えるんだけど、ひょっとして。


「そう言う十河はゆっくり食うね」

「も、もちろんだ。これは、七色に対する敬意の……、くっ、感謝の念をだな」

「ひょっとして、焼き魚が苦手とか?」


 俺の言葉に、姫の箸がぴたりと止まった。


「そんな事実は無い」

「綺麗に食べれない。骨がやたら口に入る。ワタが苦手」

「あ、あたしの罰の一つなのだ。仕方なかろう」

「え? ほんとか?」

「…………」

「おいこら。てへっ、じゃねえ。可愛いから許しちまうだろ」


 俺が笑うと、十河は苦笑いで返した。

 そしてようやく完成した、やたらと小さい戦利品を口にすると、


「実のところ、どれが罰やら分からんのだ。焼き魚も、ドジも、長年付き合ってきたから既にそれが当たり前になっている。レトリビューション・チェーンくらい分かりやすければいいのだがな」

「ってことは、やっぱり罰って消えないんだ」

「ああ。だが仕方がない。罪を犯したのだからな」


 十河は飄々ひょうひょうと話しながら、煮物を平らげて満足そうに鼻を鳴らした。

 

「前にも言ったかもしれないけど……、それは無いよな」

「お前が神だったら消すとか言っていたやつか。だが、それでは罰にならんだろう。お前が気に病むことではない」

「だったら、一生懸命やったご褒美に消してあげるとか」


 箸を置いて上品に味噌汁を飲み干した十河が、目を丸くさせて俺を見た。


「おお。それはいいな」

「だから、一生懸命やろう。魚は食べて欲しそうにお前を待っている」


 そう。膳に残っているのは無残な姿をさらした魚だけ。


「思い出した。これは罰だから治らないっぽいのだ」

「……俺が神なら、それでも立ち向かう奴の罰を消してやりたい」

「まいった。お前はいいことを言う。……せめて、こっちを見るな」


 それからたっぷり十五分、俺は食卓を離れることが出来なかった。

 そんな君に、努力賞。

 長い長い食事の時間は、ご飯を作った俺への礼儀だったということにしておこう。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 食後の洗い物は嫌いな人が多いと聞く。

 料理を作ったことに対しては、食べてくれる人の笑顔という見返りがあるので頑張ろうという気になるが、洗い物にはそれが無い。

 だが、俺は毎日夕飯の洗い物を任されているうちに素晴らしい解決策を見つけた。


「なるほどな。確かに、皿が笑っているように聞こえる」

「ように、じゃない。笑ってるんだ。ほれ、しっかり拭きなさい」

「はいはい」


 いつもは食器と楽しく会話しながら過ごす時間だが、誰かと一緒に過ごす時間にするのも悪くないな。

 しかも、相手が十河ならこれ以上のパートナーはいない。

 俺が洗って、彼女が拭いて。たまに電気。

 最高の時間じゃないか。


「俺、幸せ過ぎて喜びのカテゴリーに変な単語が混ざってるんだけど大丈夫かな?」

「何を言いたいのか分からんが……、幸せなのか?」

「うん」

「……なら、あたしも幸せだ」


 他人の幸せが自分の幸せなんて、実にこいつらしい。

 俺が十河のにこやかな顔を眺めながら最後の皿を渡すと、急に表情が真面目なものに変わり始めて、何かを考え込んだまま固まってしまった。


「ん? 拭き方忘れた?」

「どうしてそうなる。……いや、さっき三木に言われたことを思い出してな」

「ああ、洗い物で皿を割らなかったんだから、合格だな」


 サムアップして十河の前に突き付けたが、彼女は首を振って否定する。


「そんな簡単な話ではない。なあ七色、お前、以前あたしをお姉さんと呼んで甘えてきたことがあったな」

「なんだそりゃ。いつの話だ?」

「本屋の帰りだ」

「……ああ! あれはぽんちょのせいでそういうことになっただけで……」

「ぽんちょ? お前はさっきから何を言っているのか分からん。とにかく、具体的にはどのような女性が好みなのだ? それを聞かせて欲しい」

「………………十河が好みですが」


 なんで今更そんなことを?

 俺はお伺いを立てるように上目遣いで返答したのだが、十河が期待していた答えとは違っていたようだ。


「あたしは置いておくとして、例えば、料理はできる女性は良いだろう?」

「ああ、理想のイメージってこと?」

「そうだ」

「………………そんなこと言ってもお仕置きしない人」

禅問答ぜんもんどうにしてまで心配せずともよい。あたしが頼んでいるのだ。お仕置きなどするものか」


 そうは言ってもなあ。

 でも、びしょびしょの皿を右手にふきんを左手に、腰に両手を当てて頑として動かない王を前に逃げることはできなそうだ。


「えっと、あくまでイメージだよ?」

「くどい。頼む」

「料理大好きで、ゆるかわウェーブの栗毛。柔らかい物腰で、笑顔が高じて細い目をした、抱き着き癖のある弟大好きお姉ちゃん」

「スラスラ出て来たな。ええと…………、ま、まるであたしに当てはまっていない」

「だから言うのを渋ったのに」


 俺のクレームも聞かずに、十河は皿を持った方の手の甲を口に当て、何かをもごもごと独り言し始めた。


「変えて行けるもの……、髪、いや、まずは料理、か?」

「そりゃあいい!」


 俺が「まずは料理」という単語だけ耳に拾って大はしゃぎすると、十河はあきれ顔でため息をつきながら、


「そんなに喜ぶなら、明日から料理好きになってやってもよい」

「明日からってなんだよ、それはやらない奴のセリフだ。好物から作ろうと思えば今夜から作ろうって気になるぞ。何が食べたい?」

「イチゴ」

「それは、今食べたいデザートだろう。今夜食べたいものは?」

「花丸のイチゴ」

「外食かい」


 こりゃあ、十河が料理好きになるまで相当かかりそうだな。ほんとに数世紀かかるかもしれん。


「さて、片付けも終わったし、今日は帰ろうかな。この間言ったと思うけど、明日は五代たちと遊びに行くから会えないよ」

「だったら、もう少しゆっくりしていけ」

「この格好じゃ寒いんだって」

「暗号も貰ってない」

「だから、この格好で持ってきてるわけなかろう」


 俺がパジャマのズボンを引っ張ってアピールすると、十河はどういうわけか、上から覗き込んだ。


「うわあっ! なにすんだよお前!」

「本当に持ってきていないか確認しようと……。それより七色。あたしは今、人生最大の危機に直面している」


 十河の体が小刻みに震える。

 その顔には生気がなく、息を吹きかけただけで心臓が止まってしまうのではないかと思う程に青ざめている。


 失礼な。ちゃんと履いてるよ、パンツくらい。

 俺は確認の為に覗き込むと、知り合いにこんにちわと挨拶された。


「は、走ったからか!? こんな、気付かなかったなんて……っ!」

「今、その、下着からはみ……、七色らしきものが、あの……」

「落ち着け十河! 気のせい! あるいはノーカウント!」

「い……、い…………」

「い?」

「いやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」


 トレーが無かったので、十河は手にしていた皿で思い切り俺を叩いた。

 結果、最後の一枚は見事に割れ、三木の見立てによる十河の婚期が数世紀先延ばしになってしまった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 シャマインの二階は、多羅たら高生徒の宿題部屋と呼ばれている。


 各種辞書や参考書が常設されているので、お茶をしながら何人かで宿題を片付けている姿をよく見かけるからだ。

 図書館と違って声を上げてもとがめられることは無いし、分からない所は誰かが教えてくれる。そんな空間には、こんな感じにペンが走る音が似つかわしい。


 俺は辞書の情報を諦め、携帯で暗号の材料を探していた。


「毛布ありがとうな。あったかいよ」

「もう一枚欲しかったら言ってくれ。あと、紅茶も冷めないうちに飲むといい」

「そっちは冷めてからで……、猫なんだ」

「猫舌か?」

「いや、猫の手。熱いの持つの苦手なんだ」


 夕方に帰って来る美嘉ちゃん先生が車で送ってくれるということになったので、俺はこうして、即興で暗号を作っている。

 どうやって作るのか前々から興味があったと言って遠巻きに俺の姿を見つめる十河と会話をしながらなのに、集中して創作に打ち込めていた。


「しかし、もうすぐ二時間か。いつもこんなにかかるのか?」

「早い時は三十分くらいだけど、遅い時は……、メリークリスマス覚えてるか? あれは朝までかかった」

「そ、そんなにかかったのか。あれには感動した。未だに歌を覚えている」

「あはは、頑張った甲斐があるよ。……え? ここに来て……、まじか」

「ど、どうした? 大丈夫か?」

「ごめん、ちょっと黙っててね。……っと、まさか魚へんじゃないなんて……」


 十河がそわそわしているのを感じる。

 さっきから、暗号を作る俺にサービスの限りを尽くしてくれているのだが、今はちょっと迷惑だ。


「あの……、肩を揉んでやりたいのだが、どうだ?」

「そんな過激な低周波治療器、罰ゲームでしかない。……ならいっそ、これを答えにするか」

「お茶のお代わりはどうだ?」

「溢れちゃうよ。でも、だったらどうする? ……待てよ、メジロ?」

「なら、また歌おうか? お前、喜んでくれたし」

「ええい。ここがキモなんだからちょっとは黙っ……、泣くな!」


 俺は慌てて泣き虫な姫様の元に駆け寄ると、顔を上げたまま小さな子供のようにぽろぽろと涙を零す十河が、うわずった声で話し始めた。


「だって……、こんなに大変なんて知らなくて、七色ばかりが大変で、あたしのためなのに……」

「大変じゃねえって。これは俺の趣味なんだから、むしろ楽しい時間なの。文化祭の時に教えたろ? 俺は十河に暗号を解いてもらって幸せなんだ」

「でもあたし……、いっつも、五分とかで解いちゃって……」

「やれやれだな、料理と一緒だよ。俺は、暗号解読してる時の十河の真剣な顔と、読めた時の嬉しそうな顔。それが見たくて作ってるんだからいいんだよ」

「でも……、あたしのために……」

「ああ、お前のためなんだから、自分のためなんだよ」


 俺は、コートのように羽織った毛布から手を出して、パジャマの袖で涙を拭いてあげた。

 指先は感電の痛みで冷たくなったけど、十河の涙は暖かかった。


「というわけで、俺は今、この二時間が無駄になるかどうかの瀬戸際にいます」

「はい」

「だから、しばらくは邪魔をしないでいただきたい」

「……魚がどうの言っていたが、魚鳥木ぎょちょうもくでもするか?」

「人の話を……、いや、ずいぶん古い遊びが出て来たな」


 確か、一人が魚か鳥か木を選んで、もう一人がそれに答える遊びだ。

 魚と言われたらイワシとか。木と言われたらサクラとか。


「大人になってからやると、まるで終わりが見えん。最終的には言った言わないでケンカして終わるのが常だ」

「……鳥は、いるんだ」

「どこに?」

「閃いた。いいか、俺が完成させるまでは一言もしゃべるな。さもなくば、後で部屋に押し入ってすべての下着を確認する」

「ばかも……、んぐっ」


 十河が自分の口を塞いでいる間が勝負。

 鳥と魚、どっちも目白。□の穴埋めにするつもりだったけど、ここに「木」を足せば……。うん。暗号はできた。

 後は、十河が楽しんでくれるように……。


 ぎしと、床を進む音が近付く。俺は清書用にコピー用紙を一枚使って暗号とヒントを書き込んでいった。


「そ、七色? あたし、夕食でも作って……」

「ん。できたよ」


 俺は十河に、出来立てほやほやの暗号を差し出した。

 彼女はいつも有難そうに、嬉しそうに受け取ってくれるのだが、今日は特別殊勝な笑顔で受取ってくれた。が、すぐにその端正な顔が歪む。


「……もったいなくて、読めないよ……」

「泣くな。あと、暗号なんて解いてもらってなんぼなんだよ。料理を作ってもらって食べなかったら意味がないだろう」

「いつも、ちょっとだけ難しくて、でも必ず解読できて、しかも楽しさと、あたしへの想いが含まれている」

「はいはい。今日のは土壇場で一気に面白いギミックを思いついたからね。きっと楽しんでもらえると思う」

「……うん」


 十河は椅子を引いて寄せると、俺の椅子にくっ付けて、そこに腰かけた。

 電気が怖いが、彼女の気持ちを考えたら逃げるわけにはいかない。

 俺は冷めた紅茶を口にしながら、いつもの至福の時間を過ごし始めた。


「魚鳥木? これ、さっきの……」

「そう。これのおかげで面白くなった。言うなれば十河との合作だな」

「なんというか、嬉しいな。……そしてwebか。七色が携帯を使っていたということは、あたしも携帯でいいのだな」

「大丈夫」


 十河はメイド服のポケットから携帯を取り出して、暗号に向き合った。

 その頃には、いつものクールな無表情が返り咲き、孤高の美しさを放っていた。


「魚鳥木申すか。ブリ……、か? 他のは知らんな。……辞書を貸してくれ」

「載ってなかった。当て字が一般的に流通してるみたい」

「それでwebか」


 十河は携帯を操作し続けて、難儀しながらも手掛かりを見つけた。


「あった。魚に翼でツバスなのか。……そうか、ツバス。ならば次は」


 そして、二匹目はあっという間にたどり着く。さて、ここからだ。

 十河のはち切れんばかりの笑顔が既に頭に浮かんで、ついにやけてしまう。


「やはり魚に反でハマチか。なら、魚に呆けるでメジロなのだな……、あれ? 目白だと? いや、絶対にそうだと思うのだが……」

「今度は俺がそわそわすることになるから教えてやろう。今回の暗号はね、その調査で三十分かかってるんだ。魚へんの当て字、多分ないと思う」

「そうなのか?」

「あったとしても、関係ないんだけど」

「意味が分からん。これは出世魚しゅっせうおで間違いないのだな?」

「そうなるね」


 ツバス、ハマチ、メジロそしてブリ。成長すると呼び名が変わる、出世魚。

 三つには魚へんの当て字があるのだが、ひとつだけそれが無い。無いからこそ、面白い暗号に仕上がった。

 しかしこの前も感じたけど、十河は一つ事に集中すると他のものが目に入らなくなるからそそっかしい見落としをするんだな。


「……おや? 今更だが、空欄など無いではないか」


 ほんと今更だな。そしてこれに返事をしたらヒントになる。我慢。


「ここに入る魚は、メジロだ。……空欄。メジロ。……魚、鳥、木…………っ!!」

「ぐはっ! おま、だきつくくくくくくくくくくくっ!」


 俺は笑顔を楽しみにしてたんだ! 抱きつかれたら見えん!

 あと、おまえほんと電気ががががががが!


「七色! 凄いぞこれ! あたしのアイデアが、凄いことになっている! いや、お前の創造力が凄いのだ! 木の上に空欄が! メジロが留まっているとは!」

「そそそそそそそそががががががががが」

「ああ、すまん。嬉し過ぎて興奮した」


 俺はせっかくの笑顔が素に戻ってしまった十河を見つめながら息を整えて、


「せ、正解ででででででででで!」


 再び抱き着かれた。


「なにか、猛烈にお礼をしたい」

「もももももももらららららららら」

「たびたびすまん」

「わ、わざとじゃないよね」


 いかん、声がかすれてる。これ以上はまずい。


「改めて、礼をしたいのだが」

「いつももらってるからいいって。……俺、とがめられることなく十河の顔をじーっと眺めていられる時間がもらえれば他にはいらないよ?」

「……なら、延長でどうぞ」


 そう言って、十河は俺の毛布の中にくるまった。

 痛い。寒い。

 でも、この時間を手放すなんてありえない。


 俺は、はにかんで俯く十河の横顔を、いつまでも見つめていた。


 ………………

 …………

 ……


 うそ。無理。


「そそそごごごごご」

「ん? なんだ?」


 いかん。会話が成り立ち始めてる。

 これを正常な状態と認識されたらまずい。


「ででででででととととととととじじじじじじじじ」

「ああ、レトリビューション・チェーンか。どれ……、捲りにくいな」

「!!!! みみみみみみええええええ!」

「ふむ消えている…………って、また見てたのか貴様は!」


 俺は突き飛ばされて、床に転がった。

 もちろん停止姿勢のことは忘れてないさ。


「あれだけ痺れてたんだ! 何も見てない!」

「では、なぜすっぽんなのだ? やましいところがあるのだろう」

「無い! まったく見てない! ああ、もったいないことしたなー」


 十河が、ぎしりと床をきしませて立ち上がる。


「……本当だな」

「ほんと」

「はあ……。褒めてくれたら、また見せてやろうと思っていたのだが」

「上下おそろいで花がたくさんついてたけど、ちくちくしないの?」

「お前は、将来詐欺に騙されないよう気を付けろ」

「…………ん? ……………………はっ!? 詐欺だ!」


 おれが顔を上げると、二度にわたって詐欺を働いた悪人が不遜ふそんさまで笑っていた。


「ご主人。指をチョキの形にしてみろ」

「はい、メイド様」


 俺は、頭をグーで殴られた。

 じゃんけんに負けたんだ。しょうがないさ。


「まったく……。ほんとに仕方のないご主人様だ」


 でも優しいメイド様は微笑みながら、すっぽんと一緒に毛布にくるまってくれた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 緑の芝生の丘を越えて、巨大な屋敷の裏側に回る。

 ここまで来ると、シャマインからはちょっとしたハイキングという距離だった。


 建物から数十メートル先で丘は急に切り取られ、木で作られた階段が下へと続く。

 足元に気を付けながら下り、最後の段から大粒の砂利へと足を踏み出すと、そこにはマイナスイオンたっぷりの河原が待ち受けていた。


 きっと季節ごとに素敵な姿を見せてくれるであろうその場所は、今日は冬枯れが白と黒とのコントラストを繊細に表現していた。


「そんなに魅入ってくれるとは。あたしもここの景色は大好きなので、嬉しく思う」

「ああ、凄く綺麗だよ、十河」

「ふふっ。……よく、あたしと景色、どっちが綺麗かなどと尋ねる女性がいるが、その心境も今なら分るな」

「……やきもち?」

「いや。困らせたくて、構って欲しくて。そして最終的には、自分を綺麗と言って欲しいのだ」


 十河が白い息の中に淡い微笑を浮かべて俺を見る。

 俺は照れくささに負けて顔をそむけながら、


「安心していいよ。十河の方が綺麗だから」

「そ……う、か。では、その理由も聞いておこうかな」

「だって、あれ。いくらなんでも情緒台無し」


 俺は毛布の中の手を、河原の先へと向けた。

 そこには、少々雑な作りのバーベキュー小屋があった。


「あたしもあれには風情が無いと思うのだが、何度もここでバーベキューなど楽しんでいるうちに椅子を置き、テーブルを置き、屋根を付け、かまどを作ったら調理場と水道が生えてきたのだ」

「最後のはなんだ」


 俺は十河の後を、石ころに足を取られながらついて歩く。

 耳にせせらぎ。枝の鳴く音。

 冷たい景色に、凛とした美しさ。

 ……かつて憧れていた女の子の印象に似ていて、なんだかほっとする。


 そんな女の子は、髪を手で耳に掛ける仕草で氷の横顔を俺に見せると、目線に気付いたようで、春のように暖かな微笑を向けてくれた。


 そうだね。ここの景色と一緒だろう。

 俺は、どんな姿の彼女にも、きっと恋をするんだ。


 バーベキュー場の端に置かれたベンチに、十河が腰かけて隣をポンポンと叩く。

 俺は毛布が汚れるからと遠慮したが、どうせ洗うんだから一緒だと口説かれて、結局腰を下ろした。


 白波が水面の黒に映える。ここからは、川の景色が最高だ。


「お礼になったか?」

「もちろんだ。十河は俺にいろんなものをくれる。最高だ」

「ばかを言うな、あたしの方がたくさんのものを貰っている。……今日も、たくさん貰った」

「……なんかあげたか?」


 川のせせらぎが、小さな声で囁いた十河の声を掻き消した。

 俺は聞き直そうと思ったのだが、嬉しそうに俯く彼女の横顔に見惚れて、つい聞きそびれてしまった。


「さて、では毛布のまま横になれ。そのために連れて来たのだ」

「……うそ。なんか変じゃないか?」

「変じゃないぞ、こうすれば」

「いだだだだだだだだ!」


 十河は、ちょっと強引に俺を横にして、膝枕をしてくれた。

 命にかかわる延髄へのダメージ。逃げなきゃ。


 だがそんな生存本能をマヒさせる十河の笑顔が俺を覗き込む。

 幸せそうに、俺の前髪を指でさらりとく。

 仕方がないので、俺は命の方を諦めることにした。


「お前の希望だが? どうだ、ご主人、幸せか?」

「ししししああああでででですすすす、メイささささまままままままままま」

「ああ、あたしも幸せだ」



続く。

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