井戸の底の主

 クイーンリリーに謁見した翌日。

 コギトは、いつものように訓練をして、いつものように『シルバーバトン』の手入れをした。朝食は、昨日も三食出たカレーライスだったが、コギトは文句一つ言わず、むしろとても嬉しそうに食べた。


 「さて……」

 朝食を食べ終え、部屋に戻ったコギトは、忘れ物がないか確認をしてから、旅荷物が入ったリュックを背負って、部屋を出た。

 

 「女将さん、三日間、ありがとうございました。カレーライス、とてもおいしかったです」

 コギトは、女将に礼を言った。

 「いいのよ。めったに来ないお客さんだったんだし」

 女将は、ニッコリ笑って言った。

 「きっと、また来ますね」

 「うん。その時も、カレーライス、作ってあげるから」

 女将は、ウインクをした。

 とても様になっていた。

 

 コギトは、城の前に着いた。門番に挨拶をしてから、ジャケットの右下のポケットからコンパスを取り出して方角を――どの方向が南東なのかを確認した。

 「なるほど、あっちか」

 コギトは南東に向かって歩き出した。

 

 「……そういえば、魔物が出るとか何とかって言っていたけど、どういう事なんだろう?」

 コギトは、南東に向かっている途中に、人に言われた事を思い出した。暫く考えていると、視線を感じた。

 「うん?」

 コギトが視線を上げると、目があった。

 宙に浮かぶ一対の目玉と。

 「うわああああああああああああああああ!?」

 コギトは尻餅をついて、そのまま猛烈な勢いで後ずさった。

 「びゅーん!」

 目玉はどこからか音か声を発すると、コギトに突っ込んだ。

 「っ!」

 コギトは、慌てて右に転がって回避した。六回転して、勢いに乗せて立ち上がり、左腰に吊った『シルバーバトン』を音もなく抜いた。

 コギトは左半身になり、『シルバーバトン』の刀身が身体に隠れるように構えた。無印流剣術むじるしりゅうけんじゅつ基本の構え。

 方向転換した目玉は、またもやコギトに真っ直ぐに突っ込んだ。

 目玉が『シルバーバトン』の間合いに入った瞬間、

 「シュアアッ!」

 コギトは、光の如き速さで右回転斬りを放ち一対の目玉を一気に真っ二つにした。目玉は、灰になって散った。

 「はあ、っはあ、はあ、っはあ、っは……。なるほど、確かに魔物だな、これは」

 コギトはそう言って『シルバーバトン』を鞘に収めた。

 息を整えて、進み始めた。

 

 「こ、これは、確かに……だけど……」

 コギトは、南東の言われたであろう場所に辿り着いた。

 そこには、

 「井戸多すぎるでしょ、これ……」

 全く同じ規格の井戸が、おおよそ三十程あった。

 「どうしよ……。あっ、でもこの世界の音じゃない音が聞こえてくるって言ってたっけ」

 そう言うと、コギトは耳をすまし始めて、

 「――――――……」  

 暫くして、

 「……こっちから雑音が」

 そう言って、進み始めた。沢山ある井戸の中の一つの前で立ち止まった。

 「……ここか?」

 コギトはそう呟くと、井戸の穴に耳をそばだてた。

 「ここだ!」

 コギトは頷きながら言って、しゃがんだ。リュックを下ろして、発煙筒を取り出して、点火する。立ち上がって、

 「そーら、いってらっしゃーい」

 そう言って、目の前の井戸に放り込んだ。

 「1、2、3」

 かつん。

 「……よし、そんなに深くないみたいだね」

 コギトはそう言うと、ひらりと身を乗り出して、井戸の底に落ちていった。

 

 「っと」

 コギトは、片膝を点いて着地した。発煙筒の残骸を拾って、リュックから何も入っていない袋を取り出して、そこに放り込み、またリュックにしまった。

 「ちょっと薄暗いな……」

 コギトは次に、この世界ではオーパーツの部類に入る小型かつ高出力な、掌に納まる大きさのライトを取り出して、電源を入れた。

 井戸の底は真っ直ぐなレンガでできた通路があり、その両脇を太く流れが早い水路が挟んでいた。

 「足元は……うん、ばっちり」

 コギトは満足そうに呟くと、井戸の底を進み始めた。

 

 「……どこまで続いてるんだろう、これ」

 かれこれ一時間、真っ直ぐな通路を歩き続けたコギトは、思わず呟いた。 

 「……」

 コギトは、ライトで照らす場所を、足元から行く先に変えた。

 「あっ!」

 コギトは、思わず声を上げた。光が壁で遮られる、すなわち、曲がり角に突き当たったからだった。

 コギトは、曲がり角まで小走りした。

 「……いやあ、どうやら、ちゃんと進んでたらしいね。よかったよかった」

 コギトが道がどの方向に曲がっているのかを調べると、道は左右に分かれていた。

 「左から調べてみるか。目印は……、これでいいか」

 コギトはそう言うと、道の隅に銅貨を置いて左の道に進んでいく。

 少し進むと、すぐになぜかやけに天井が高い広場に出た。その奥に何かがあった。

 「……何だ?」

 コギトが何かを照らしてみると、それは眠るドラゴンだった。

 全長はおよそ八メートル程で、頭には角が生え、全身を紅い鱗や甲殻が覆っていた。背中に生えた両翼は、身体を覆い隠せる程に大きかった。前脚、後ろ脚共に、とても発達していた。

 「……すごいな、本当にドラゴンだ」

 コギトは、小声で呟いた。ドラゴンの翼と、やけに高い天井を交互に見て、

 「はーん……飛べるようにか」

 それだけ呟いて、踵を返して、音を立てないように注意しながら、広場から出ていった。

 ドラゴンは、それを薄目を開けて見ていた。

 

 コギトは、分かれ道まで戻ってきた。道の隅に置いておいた、目印の銅貨を拾った。

 「さて、次は右の……」

 言いかけて、コギトは素早く振り向いた。その視線の先には、右側の水路が。

 「……何だ?」

 コギトが呟いたその時、

 水路から、巨大な鮫が跳び跳ねて、コギトにまっすぐ突っ込んできた。

 「うわっ!?」

 コギトは、しゃがんで避けた。鮫は、反対側の水路に飛び込んで、一瞬間を開けて、再び跳び跳ねた。

 「っ!」

 コギトは慌てて右の分かれ道に飛び込んだ。コギトが振り向くと、直前までコギトがいた場所が抉り取られていた。

 コギトは立ち上がると、荷物を背負っているとは思えない速さで走り出した。

 その後ろを、水路を伝って鮫が追う。

 「水路が続いている……!仕方がない、戦うか!?」

 コギトはリュックを行く先の通路に投げ飛ばすと、走る勢いを止めずに、跳び上がってから振り返った。二、三歩たたらを踏んで着地し、『シルバーバトン』を音もなく抜く。

 コギトが抜剣した瞬間、鮫が跳び跳ね、コギトに突っ込んできた。

 「ふっ、シュアッ!」 

 コギトは、噛みつきをしゃがんで避けながら鮫の腹を切り裂いた。鮫は、反対側の水路に飛び込んだ。 

 「浅い……っ!」

 コギトは悪態をつきながら立ち上がると、鮫が飛び込んだ水路を睨んで、鮫が襲いかかってくるのを待ち構えた。

 鮫は、コギトの真下から現れた。レンガを噛み砕いて、コギトの真下に潜っていた。

 「っ!?」

 コギトは、慌てて鮫の上顎と下顎を足でつっかえた。すぐに押し込まれていく。

 「つ、うう……!……ディフェンスアップ!オフェンスアップ!」

 コギトは咄嗟に、頭に浮かんだ言葉を早口で言った。

 その瞬間、コギトの身体を一瞬だけ夕日色の光が包み、両足が押し込まれなくなった。

 「く、お……、はっ!」

 コギトは跳び上がって、鮫の顎から逃れた。着地して、鮫の鼻の頭を深々と切り裂いた。

 それに驚いたのか、鮫はそのまま真下に潜った。

 コギトは虚空を切り払い、『シルバーバトン』にこびりついた血と臓物の一部を払った。

 鮫は、二度と姿を現さなかった。

 

 「……ふう、危なかった。」

 コギトは、一息つくと、放り投げたリュックの前まで歩いて、リュックからぼろ布を取り出し、『シルバーバトン』の刀身を拭いた。

 「……」

 コギトは、ぼろ布を見て、

 「これはもう捨てるべきか……」

 名残惜しそうに水路に捨てて、リュックを背負い直した。 

 「さて、行きます……ん?」

 コギトが通路の先を照らすと、小さなみどり色の光が返ってきた。

 「何だ……?」 

 コギトが近づくと、光の正体がわかった。

 コギトは、それを拾い上げて、

 「釣り針?」

 そう呟いた。釣り針は、先端が尖ってなく、翡翠色で、磨き上げた鉱物のような感触だった。

 「綺麗だな……」

 コギトは呟くと、リュックを下ろして、プラスチックの小さな箱(この世界には、既にプラスチックを作る技術が存在している)を取り出して、その中に入れた。

 「さて」

 コギトはリュックを背負い、先に進み始めた。

                 ―続く―

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