第136話 捨石

2~3匹のハエが飛び回り1匹のハエが血に染まる皮膚へ着地するや手足をこまめに掃除する仕草をおこなう



由美、結香が駆け出したわずか数十メートル横には無残に食い荒らされボロキレの様に転がる久恵の死体があった。



かろうじて女性だと判別出来るが親でも分からぬ程に食い尽くされ放置されている久恵の死体。



死臭を嗅ぎつけやって来たハエ共が彼女の死体にたかっていた。



静か過ぎる学校…



気付けば屋上も静まり返っている…



静かな街…



気付けばうるさいくらい鳴り響いていた街中のサイレン音が今では1つも聞こえなくなっていた…



生活音が急激に失われ…



急速に街は沈黙して行く…



グラウンド  13時02分



淳、由美、茜、結香の4人がグランドを全速力で走り始めた。



由美がチラリと横目で見るや進路を変えグランドに進入する老婆が映った。



「…今から軽井沢に5万泊4万日の温泉旅行に行くんですぅ~ デ…デデデ…デデデデデイサービスの沢渡さんも一緒なんで白骨温泉362568452泊1日の塩原温泉りょりょりょこぅ楽しみなんですぅうう…お…おんせん…今日は恒例の鬼怒川温泉旅行なんですぅ…ハはトバスツアーで草の津温泉に行くくくんです…熱海…あつうみ…ままままんざ…湯河原に飛行機で…伊香保に永住してぉんせんのデイサービスで野沢温泉に…」



静かなグランドに響く長々と意味不明な老婆の独り言が続く



握り拳の両腕を腰に添え、前屈みな姿勢で老婆は老婆とは思えない程の脚力とスピードを発揮している。



とても腰の曲がった年寄りとは思えない猛追ぶりだ



また中央に位置する禿頭のおじさん感染者がこちらに気付くや奇声をあげ向かって来た。



いざ正面から向かって来られ由美、茜、結香はビビるが…



足は止められない…



何としても避けて通り抜けなければならない…



自信は無いが捕まれば死が待っている…



少女達は決死の回避態勢を取りながら自ら感染者へと突っ込んで行く



先頭を走行する淳の脳裏に不意に、かわす、攻撃するの選択肢が浮かんだ



淳に一瞬の判断が求められる



かわすか?いや…



後ろの3人は武器1つ持たない丸腰…



俺はこいつを持っている…



なら…



ほんの少しひるませるだけでいい…



こいつがひるみ、こいつらがすり抜ける時間を作れれば…



目の前の相手はとりあえず一匹だけだし…



やる…



淳の脳裏に攻撃のボタンが押された。



正面から向かって来る感染者に淳は直進しながら包丁を右手に持ち替え、アイスピックグリップに握りを変えた。



接近して来る感染者



真っ向から向かい合う淳は走りながら包丁を感染者の顔面へと叩き込んだ。



グサリと片目へ命中し、突き刺さる包丁



感染者は華麗なるスリップ状態からの豪儀な転倒を披露した。



その隙に茜が抜け、結香、由美が倒れた感染者を通り抜けて行く



淳もグリップから手を離し再び走行の速力を強めた。



左右に位置する感染者も4人に気付くや眼の色を変え走り出す。



そして、小門付近をうろつく感染者も人間の存在を捉え血相を変えた。



四方から迫り来る感染者達



由美が一瞬後ろへ振り向くと眼に包丁を突き刺された感染者が起き上がろとしている。



またその後ろには、追いかけて来るあの老婆の姿



またその後ろには…



あいつがいた…



ハンチング帽を被ったあいつが…



塀までの距離およそ5~60メートル



小門から迫り来る感染者とこのまま行けば接触する



振り切るのは難しい…



再び先頭に出た淳が斜めからこっちへ向かって来る感染者に視線を向けた。



唯一の武器を手離したのはマズった…



あいつの動きを止めるにももう武器が無い…



かといって奴をかわして振り切るのも、ちと厳しい…



チィ…しくったか…



これはみんなやべぇー…



どうする…?



これの言い出しっぺは俺だ…



作戦ミスった俺のせいで秀平はおろか…



このままではこいつらまで死なせちまう…



責任感じんじゃねぇかよ…



このままこいつらまで無駄死にさせる訳にはいかない…



茜までも死なせる訳には…



いかない…



しゃーねー



こりゃあ責任取るしかねぇ…か…



淳「あかね」



淳は茜に何やら投げ渡した。



淳「そのまま行け 止まるな」



そして、淳は急激に進路を真横へと変え走り始めた。



由美「え?」



何かをキャッチした茜



茜「ちょ…ちょ…あつし…」



小門から迫る感染者は淳に向け軌道を変え始めた。



後ろから迫る包丁の突き刺さる禿頭と老婆も淳へと追いかけて行く



淳は真っ正面から迫る2体の感染者を避ける様に、今度はUの字を描きターンして走った。



5体の感染者が淳を完全にロックオンし追いかけて行く



由美等から奴等の気を引く為に



囮をかって出た淳



何度も淳へ振り返りながら走る由美、茜、結香



茜「何考えてんのよ…あいつ…」



全てを察した茜の眼に涙が溢れた。



手の内にある車のスマートキーを強く握り締め、腕で涙を拭う茜を由美と結香は目にした。



3人の後ろでは淳を追いかける狂鬼共の姿



必死に逃げ回り鬼ごっこを繰り広げる淳の姿が映った。



無事塀に辿り着いた3人



呼吸を乱しながら再び振り返った時だ



クイックターン、フェイントでかろうじて感染者をかわして行く淳だがついに囲まれ逃げ場を失ってしまった。



ついに動きを止めその場に立ち尽くす淳がいた。



激しく息切れした様子でこっちへ視線を向け



右手で一度



早く行けのジェスチャーで手の甲を振った。



3人の瞳に死を覚悟した淳が映った。



すると



淳の背後から急にハンチングが現れ淳の顔を掴むや



淳の顔が360度回され



淳の頭部が首から引きちぎられた。



一瞬にして首をもぎ取られた淳の首から大量の血液が撒布される。



膝を付き、頭部を切断された淳の身体は無抵抗に地面へと倒れた。



地に鮮血が飛び散り赤く染まる。



その直後に



倒れた淳の死体に



新鮮な生肉に一斉に群れる感染者達



老婆も禿頭も衣服の上から食らいついた。



凄惨な感染者達のランチタイムが始まり、安全圏へと逃れた少女達はそれを目にする。



結香は手を覆い、由美は目を瞑り顔を背けるが



茜は目を背ける事無くただジッと見詰めていた。



馬鹿だし…口は悪いし…浮気性だし…喧嘩っぱやいし…タバコばっか吸ってるし…



最低な彼氏だった…



ムカついて死んじゃえって何度も思った事もあった



浮気を見つける度首でも絞めて殺してやろうと思った事もあった。



でも…こんな別れ方は嫌だよ…



ホントに死んじゃ駄目だよ…



私達の為に犠牲になるなんて



私達にいい所見せても



死んだら何の意味もないじゃん



ホント…



本当に…



茜「馬鹿…カッコなんかつけて…」



小さくそう言葉を漏らす茜の目から大粒の涙が流れ落ちていた。



由美「持田先輩…」



由美はその後が言葉に出せないでいた。



彼がゾンビに食べられているのを見せられた彼女に…



そんな状況で投げ掛ける言葉など由美には浮かばなかった



何て言えばいいのか正しい言葉など見つからなかった。



由美はただ…茜の横顔を見る事しか出来なかった。



更衣室を飛び出し、車に辿り着く間に早くも2人目の犠牲者が出た。



加賀見秀平に続き



内藤淳



男手を失った3名の女子達



茜は両手で涙を拭き、振り返ると塀をよじ登った。



茜「冴木さん 松浦さん 行こう」



由美「持田先輩…」



そして、2人も続いて塀を越え、外へと飛び出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る