第二十四話:一分八秒〇一三

 ネットでいろいろ調べたところ、ジムカーナ競技の公式戦JAF公認っていう奴は、ひとりあたり二本の走行回数しか与えられていないらしい。

 まあ、競技ともなればそうだろう。

 限られた時間を有効活用して参加者みんなに等しくチャンスを配るには、走る機会を限定するのも仕方がないと思えるからだ。

 ただ、このG6ジムカーナに参加するようになったいまでも、俺は、その点に関してだけは、理解はするけど納得できてはいなかった。

 数千円というエントリー料を前払いで送り、ひとによってはかなりのロングドライブを強いられた上で、待っているのがたかだか二回の走行チャンスとくれば、正直な話、リーズナブルな趣味とはとても言えない。

 参加者エントラントの確保に四苦八苦している開催者には悪いが、それが嘘偽りのない俺の本音だった。

 事実、地方のミニサーキットなんかだと、ほぼ同程度の支払いで、軽く一時間は走りっぱなしでいられるのである。

 それを知った走り屋連中が、「ジムカーナって、随分コスパの悪い遊びなんだな」ってイベント参加に二の足を踏むのも、それだけ見れば納得すること請け合いだった。

 少なくとも、数ヶ月前の俺であれば、そうした意見に同意したこと疑いない。

 だが最近の俺は、そういった割の合わなさをひっくるめてもなお、このジムカーナっていうスポーツを楽しめるようになっていた。

 一本たったの一分ちょっと。

 わずかそれだけの緊張をほんの数回味わえるだけというこの道楽を、心底味わえるようになっていたんだ。

 もともと俺は、ぶっつけ本番って奴が嫌いじゃなかった。

 むかしから計画的行動ってものが苦手だったし、刹那的な驚きやスリルって言葉に根っから興奮する質だった。

 そもそも人生ってのの大半は、完膚なきまでそういうものだ。

 百パーセント先が読めてるなんて僥倖は、年に数回あればいいほうだろう。

 仮にそこまで大きな話じゃなくても、いまの俺みたいな腕一本フリーランスの漫画家だと、その場その場が決戦場だ。

 あらかじめたっぷり練習のできる未来予想図なんて、用意されたことなど一度もない。

 そういった視点でこれまでのことを整理すると、ジムカーナみたいな短期決戦型のモータースポーツは、実に俺向きな戦場なんだと認めざるを得なかった。

 一歩一歩、経験の階を登って行くにつれ、自分の中に熱い何かが生じつつあるのを実感せざるを得なかった。

 心が躍る──そう自分で主張することにすら、何ひとつ抵抗を感じなかった。

 理性が納得できてないのに、心と身体が軛をちぎって歩き出す。

 実に面白い傾向だと、我が事ながら感じ入った。

 そしてそんな自分自身を噛み締めるのが、めっちゃ面白くてならなかった。

「どうしたの? 急に思い出し笑いなんかしちゃったりして」

 薫子のハスキーボイスが、俺を現世に引き戻した。

 どうやら知らぬ間に、おのれの世界に沈んでたみたいだ。

 テーブルを挟んで向かい合うあいつの瞳が、なんとも怪訝そうな色を湛えている。

「いや、なんでもない」

 咄嗟に苦笑いして、俺は応えた。

「ちょっと自己評価を確かめてたのさ」

「自己評価?」

「まあな。気が向いたら、おまえにも語ってやるよ」

 なお腑に落ちない顔付きを隠さない薫子を尻目に、俺は丼の中身に箸先を向けた。

 白米の上に乗った豚の生姜焼きが、美味そうなタレとともに俺の食欲をそそっていた。

 時刻はおおよそ十二時半。

 俺と薫子は、絶賛昼食の真っ最中だった。

 食事場所は、イオックス・アローザのレストラン。

 他の参加者たちもそれぞれが食い意地を満たすのに懸命で、施設の中はかなりの混雑ぶりを見せ付けていた。

 G6第五戦「トラップRd」の昼休憩は、他の会場と変わらず十二時から。

 もっとも、各自が都合のいい時間帯に食事を済ませるのはまったくの自由だったから、この合間に飯を食わなくてはならないという決まりでは当然ない。

 実際のところ、俺たちふたりがこのレストランに足を踏み入れたのは、俺の午前中の走行が終了した、そのすぐあとのことだった。

 俺がエントリーしているレギュラータイヤの4WDクラスは、走行枠としては、かなりあとのほうとなる。

 薫子のエントリーしているFF3クラスはそれよりずっと前なわけだから、余裕を持って飯を食うのであれば、そいつはかなり合理的なタイミングだと言えた。

「こう言っちゃなんだけど、一本目の君の走りは、あたしの目から見ても悪いものじゃなかったわ」

 ご当地名物ブラックラーメンをすすりながら、満足そうに薫子が言った。

 顔を上げての発言じゃなかったけれど、その目が笑っていることは、俺の位置からでもはっきりとわかった。

 認めたくはないけど、なぜだかそれが誇らしかった。

 ついついこちらも、頬の筋肉が緩んでしまう。

 余談だが、あまり聞き慣れないブラックラーメンというシロモノは、やたらとしょっぱい黒いスープが特徴的な、この地方独特のラーメンだ。

 聞くところによると、ご飯のおかずとして最適化された濃い味付けのラーメンらしい。

 確かに、ひとによっては胸焼けしそうな漆黒のスープと縮れ太麺とにご対面すれば、おのずから白いご飯が欲しくなる。

 食の細い奴にはちょっと負担となりそうな、食うひとを選ぶラーメンだった。

 薫子は、そんないかにもなスープをレンゲで二、三度楽しんだのち、ひと呼吸置いて言葉を続ける。

「なんかこう、乗れてるっていうのかしら。パイロンターンもガンガンに攻めてたし、踏みっぷりもたいしたもんだったし、正直言って感心したわ。以前とは別人みたい」

「どうせ、講師がよかったからだ、なんてオチを付けるつもりなんだろ? 軍曹殿」

 ニヤリと笑って俺は返した。

 会話に集中するため、食べかけの生姜焼き丼をテーブルの上にいったん戻す。

「わかってる。もし今回の俺がおまえの言うとおり乗れてるんだとしたら、その大半はおまえのおかげさ。断じて、俺一人の成果じゃねえよ」

「殊勝な心掛け、ご苦労さん」

 フフッと笑って奴が応えた。

「君のそういう素直なところ、あたし嫌いじゃないわよ」

「漫画家って奴は、いつだって現実主義なのさ」

 そんなあいつに俺は告げた。

「売れる・売れないの原因を錯覚しちまったら、それこそ商売あがったりだからな。認めるところは認めるし、認められないところは認めない。そこんとこのさじ加減をいい加減にしてたら、この時代、職業作家としてはやってけないんだ」

「あらまあ。君って、見かけによらずプロなのね」

「見かけによらず、は余計だ」

 照れ隠しとばかりにひと言吼えると、俺はふたたび丼を手に取る。

 口に掻き込んだ肉と白米とが、異様に美味く感じられた。

 さっきジムカーナの公式戦では二本の走行チャンスしかない、と俺は述べた。

 だがJAF認定の公式戦じゃないG6ジムカーナでは、本番の二本の前に練習走行の枠が一本ある。

 そこで計測された結果は順位の参考とはされないが、参加者側の立場から見ると、一本追加で走られることは、随分ありがたい配慮となる。

 慣熟歩行ではわからないいろんな情報を、実際の走りで確かめることができるからだ。

 ここ「イオックス・アローザ」の戦場は、いわゆるフルパイロン型のコース配置となっていた。

 それはつまり、これまで俺が走ってきたG6の戦場とは違って、敷地内に設けられた既存の施設がラインを制限していないってことだ。

 ただ何にもない駐車場にいくつものパイロンが置かれているだけで、選択ラインの自由度は桁外れに大きなものとなっている。

 今回のコース設定をおおまかに説明すると、それは大きく前半部と後半部とに別れていた。

 会場全体を中央にある排水溝を境に前後で分け、前半部はターンの連続するテクニカルなステージ、後半部はアクセルを踏み抜ける豪快なステージとする、そんな配慮がなされてあった。

 前半部の要石となるのが、広く配された五本のパイロンだ。

 それぞれの配置を時計盤に例えるなら、まず中心部に一本が、そして残りの四本が、二時、四時、八時、十時のところに一本ずつ置かれてあった。

 スタート位置は、七時の場所の外側部分。

 ここを全開で発進したクルマは、まず外周を時計回りに一周したのち、八時のパイロンを起点にして右ターン。

 次いで中心のパイロンを左手に見ながら二時のパイロンまで突進し、今度はそこで左ターン。

 そして十時のパイロンでさらに左ターンを敢行して、今度は中心のパイロンを右に眺めて四時のパイロンへとひたすら直進。

 そこで右側へとターンしたのち、ふたたび外周を時計回りに旋回しながら、後半部の高速ステージに突入していく。

 パイロンで形成された広いゲートを潜った先が、後半戦となる高速ステージだ。

 ゲートを勢いよく突破したクルマは、手前に置かれたパイロンをひとまず右手にスルーして、その奥にある通称おにぎりと呼ばれる三本パイロンを目指す。

 なお、おにぎりという呼び名は、それら三本のパイロンが、握り飯型の三角形を形作っていることに由来している。

 加速しながらそこまで進行してきたのち、クルマは、このおにぎり部分で右へと旋回。

 続けざま、その先にある新たな目標パイロンめがけて猛ダッシュする。

 その位置で求められる動きは、パイロンを左手に見ての百八十度ターン。

 フルブレーキで失った速度をフルアクセルで回復させつつ、今度は逆時計回りにおにぎりを一周。

 間を置かず、先にスルーしたパイロンに向けて全力加速だ。

 そこで左にターンしたあとには、連続するスラロームゾーンが待っている。

 右、左、右、で九十度の左ターン。

 そして、最後のパイロンで左に二百七十度旋回したのち、ゴールエリアへと鼻先を入れる。

 この一連の流れが、今回のコースの概略であった。

 午前中に二回、練習枠と一本目の走行枠とでここを走ってわかったのは、いまの俺にとって、おにぎり直後の百八十度ターンとゴール手前の二百七十度ターンが鬼門だっていうことだ。

 早い話、ここでサイドブレーキターンを上手いこと決められないのである。

 この技を決められるかどうかで、それぞれに一秒近いタイム差ができてしまうわけだから、こいつは死活問題に近いとさえ言えた。

 昼飯を食い終わってからの作戦会議ミーティングで、薫子の奴もきっちりそのことを指摘してきた。

「慣れちゃえばたいしたことのない技なんだけどね。でも逆に言うと、公道じゃあまず使うことのないテクニックだから、君が自分のものにできないのも仕方ないわよ」

「全然慰めになってねえ」

 編集からリテイク喰らった時みたいに、俺はへこんだ。

「こんなざまじゃ、今回も罰ゲーム確定かな。とほほ……」

「あのねえ」

 そんな俺を見て、呆れたように薫子は言った。

「そんな小手先の技術ごときで表彰台が確定するほど、ジムカーナって競技は甘くないわよ。そんなちまちました悩み事より、いまの自分が持ってる最善に至れるよう懸命に努力する。そのことのほうが、君にとってずっと大切なことだと思うんだけどな」

「おまえ、たまにはいいこと言うな」

「たまには、は余計よ。お莫迦さん」

 そう応えながらも、まんざらではなさそうに胸を張る薫子。

「もっとも、仮にサイドターンをバッチリ決められたところで、いまの君じゃあ罰ゲームから逃れることなんて不可能だけどね」

「ちッ、なんだよ、その言い草は。見直して損しちまった」

「それはそれはご愁傷さま」

 そんなあいつが前触れもなく席を立ったのは、その憎まれ口がまさに終わるか終わらないかのタイミングだった。

「どこ行くんだ? トイレか?」

「ソフトクリーム」

 ニッと笑って奴は答えた。

「イオックス・アローザ名物のジャンボソフトクリーム。ここに来たなら、ぜひ食べなきゃ。君も行っちゃう? 本当に美味しいんだから」

「悪いけど遠慮しとくわ」

 ふてくされたように俺は応じた。

「オンナと違って、甘い物は別腹ってわけじゃあないからな」

「あらそう、残念。奢ってあげようかと思ってたんだけどな」

「気持ちだけ受け取っとく」

「オッケー」

 俺に向かってそう告げると、あいつはくるりと背を向けた。

 午後からの走行は、一時からの開始予定だ。

 だがその前に、若干だが慣熟歩行の時間が設けられている。

 薫子に伴われる形で、俺はコースを二度歩いた。

 午前中の手応えが頭と身体から抜けきらないうちに、ゆっくりとその経験をトレースする。

 ステアリングの切り角は、あれで良かったのか?

 アクセルの踏み代は、もう少し増やせなかったのか?

 ブレーキのタイミングは?

 進入のポイントは?

 さまざまな疑問が、次々と頭の中に湧きだしてきた。

 並んで歩く薫子に、何度も似たような質問をする。

 そのたびにあいつは、的確な回答を俺の耳にもたらしてくれた。

 身に染み込んだ奴からの答えが、俺の内部にうっすらとだが経験の層を形作る。

 これが敵から送られた塩だってのが気に食わないではなかったが、そもそもの発端は、俺が無理押しした難題なのだ。

 このやりとりに関して薫子が文句を言われる筋合いなど、これぽっちもありはすまい。

 俺もそのことは重々過ぎるほど認識していた。

 やがて、G6ジムカーナ・午後の部がスタートした。

 先にも述べたとおり、俺の参加しているレギュラータイヤの4WDクラスは、走行枠ではあとのほうだ。

 出番が回ってくるまでには、たっぷり一時間以上の猶予がある。

 その時間をまるっと無駄にしたくはなくて、俺は他の参加者の走行をじっくり観察することにした。

 午前の部ではまだ余裕がなくて、そこまでに至る気持ちの準備が、いささか適わなかったのである。

 排気量の少ないコンパクトカー部門FF1&FF2クラスが終わったあと、しばらくして薫子のエントリーするFF3クラスが回ってきた。

 排気量千六百ccを超える前輪駆動車部門。

 生産年度としては古いクルマだが、あいつの愛車であるDC-2型「インテグラ・タイプR」は、このクラスでの主力と言える。

 俺はギャラリー席の最前列に陣取って、勝手に決めたライバルの走りを、これ以上なく吟味した。

 まだ素人に毛が生えた程度の俺だったが、それでもなお、全身全霊をもって奴の走りを追いかけた。

 それはまさに芸術品だった。

 甲高いエキゾーストとともに飛び出していったあいつのクルマは、眼下に広がる戦場をミズスマシのごとくスイスイと舞う。

 無駄な動きなんて微塵もない。

 まるで達人の剣舞を眺めているみたいだった。

 ターンのひとつひとつが本当に美しい。

 丁寧で丹念で、パイロンのギリギリを、それこそ舐めるように通過していく白色のクーペ。

 切れ味鋭いという表現が、これほど当てはまる走りはないんじゃないだろうか?

 やがて観衆たちの視線を集めつつゴールインする薫子の「インテ」

 その頭上に、気障な格好の名物MCによる結果発表が降り注いだ。

 トップタイム! 一分八秒〇一三! 一分八秒〇一三!

 それを聞いた会場の面々が、一気にざわつきを見せ始めた。

 なぜなら、そのタイムが、格上のクルマである「ランサー」や「インプレッサ」の打ち立てた記録に勝るとも劣らないシロモノだったからである。

 やるじゃねえか。

 口の中で興奮を噛み締めながら、俺は背筋を奮わせた。

 出所不明の負けん気が、魂の奥底に熱いガソリンをぶちまける。

 今度は俺の番だ! 見てろ!

 俺は心で宣言すると、その場でくるりと踵を返した。

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