第908話 壁の魔法騎士と六鬼のテーマ

【前回のあらすじ】


 壁の魔法騎士は決して天才などではなかった。

 男騎士のように類い希なる天賦の戦士としての才も持っていなければ、師である冬将軍のように魔法使いとしての才覚を持っていない。ただただ、先人の教えを守り、それを上手く使うことに秀でた、それだけの男であった。


 その道を突き詰め、さらにその先に自分にしかなしえない何かを切り開くということができない。天に愛された者達が当然のようにできることができぬ。才無き者の限界を知る悲しき男であった。


 しかし――。


「冬将軍。俺は貴方やティトのように、優れた才覚がある訳ではない。けれども、だからと言って、それを言い訳にして諦観するような男では決してない」


 凡人には凡人の闘い方がある。

 決して天才の境地に至れぬにしても、闘う心が胸にある。


 天才を手数と切り札の多さで上回る。それが、壁の魔法騎士が選んだ戦い方であり、彼の騎士としてのあり方であった。そして、そのために彼は準備をしてきた。


 陰陽術、六鬼混合の術。

 六つの鬼族の呪いを相克させ、一時的にその身に鬼を宿す秘術。

 再び予見される暗黒大陸との激突に挑んで、彼が用意していた切り札。その一つが切られた時、その姿は桃色の肌と黒い縮れ毛、そして彫りの深い顔に変じた。


 そう。


「……エイドリアァアアアン!!」


 六鬼混合の術。


 六鬼。


 ロッ○ー。


 おわかりいただけただろうか。

 真面目なバトルとおもわせてやっぱりトンチキ。これもパロディ必殺技であった。


「しょうも!! ない!!」


 そんなんいつものことじゃないですか、どエルフさん。


◇ ◇ ◇ ◇


 極寒の地にあってむき出しになった身体。

 瞬く間に汗すら凍り付く。そんな場所にもかかわらず、鬼に取り憑かれた壁の魔法騎士は軽やかなステップを繰り出す。


 男騎士とその姉をして鬼族の呪いの凄まじさは知っているつもりだった冬将軍ではあったが、これはまた異質の凄さである。思わず言葉を失って立ち尽くす冬将軍。

 その前で――。


「……エイドリアァアアアン!!」


 鬼と化した壁の魔法騎士が叫ぶ。


 悲しき鬼の咆哮。言葉の意味は分からぬが、ただならぬ哀惜を秘めている。

 意図せずしてその命を落とした鬼たち。彼らが死の間際に編んだ呪い。鬼族の呪い。相手を己と同じく鬼へと変じさせるその呪いに籠められた怨念。それを考えれば、その悲しみも推し量れようというもの。


 雪に覆われた大地の上を響き渡るその咆哮。

 冬将軍はようやく我に返ると、魔力を発するその手を前に突き出して、鬼へと変わり果てた愛弟子へと向けた。


「ゼクスタントよ。お前のその意気込みは買おう。己の実力を知りながら、それでもそれをどうにか埋め合わせようとする心意気は天晴れである。その上で、このワシも本気でお前に挑もう」


 再び、氷の壁が隆起する。

 鬼と変じた壁の魔法騎士。その周囲にまるでミラーハウスのように取り囲んで乱立する氷の壁。その肌色の身体を映し出して、冷たく光るそれを前に、壁の魔法騎士は再び咆哮を上げる。


 大地を引き裂く怨嗟の声を氷の壁が反響させる。

 無造作に乱立させた氷の柱は、その咆哮のエネルギーを蓄積しては発散し、ものの見事に減衰させた。なんの防備もなく咆哮の直撃を受ければ、鼓膜どころか身体に物理的なダメージを発生させたであろう。

 音響攻撃を防いだ冬将軍が白濁した嘆息を吐き出す。


 さて、これよりどうするかと思ったその時だ。


「……なに!!」


 冬将軍は信じられないものを見た。


 鬼。

 狂気と身を焦がすような暴力衝動をその身に抱えている悲しき種族。その血に抗い人間達と歩み寄ろうとする者達がいる一方で、その本能に逆らうことができず悪逆の限りを尽す者達が大多数を占める暴虐の徒。

 自身もまた、多くの悪鬼と呼ばれる存在を討ってきたリーナスの騎士である冬将軍。そんな彼をして、その光景はまさしく異様と形容するほかないものだった。


 氷の壁を前にして、六つの鬼の魂を宿した壁の魔法騎士。

 彼は唐突に口を開くと――。


「テーテテテーテーテテー、テーテテテーテーテテー、テーテテテテーテッテテー、テーテテテテッテー」


「メロディを口ずさみだしただと!!」


 そう、いきなり目の前の鬼が歌い出したのだ。


 馬鹿な、と、絶句する冬将軍。かつて、彼が目にしてきた鬼たちの中で、このように突然歌い出すような者はいなかった。いや、歌う文化が鬼たちにない訳ではない。人間達と交流を持つ鬼の者達の中には、このような娯楽を嗜むような者もいた。

 けれども、彼らにとって神聖な戦いの場にあって、歌を歌う者など皆無。

 このようなことをする鬼とは出会ったことがなかった。


 これが、六鬼混合の術がなし得る奇跡の一端ということだろうか。

 固唾を呑んで見守る中、またしても鬼は予想外の行動に出た。


「ば、馬鹿な!! 素手での攻撃を主体とする鬼が――手に何か付けている!!」


 そう。

 基本的に徒手空拳。それでなくても棍棒などの武器を好んで使う鬼。

 彼らが基本的に武器を使うことはまずない。よほど知性のある者か、あるいは他の種族の血を受け入れた者くらいである。彼らは基本的に、原始的な種族なのだ。股間やら何やらを隠す程度のことしかしないそういう種族なのだ。


 故に、武器や武具の類いを身につけることなどない――それが常識だった。


 けれども目の前の鬼はどうだろうか。彼は真っ赤に染め上げられた、よく分からないふかふかとした見た目の布を手に被せたではないか。

 篭手にしてはいささか柔らかそうに見える。破壊力などなさそうだ。けれども、妙にしっくりとくる。


 はたしてその布はいったいなんなのか。

 歌といい、装備といい、想定外のことだらけすぎる。


 冬将軍が再び戦慄するその前で――。


「テテッテー、テテッテー、テテッテー、テテッテー、テテテーテテー、テテテーテテッテッテー」


「なぁ、馬鹿な!! あんなほぼ素手と言っていい装備で――!!」


 壁の魔法騎士が変じた鬼は、何を思ったかおもむろに拳を氷の柱に突き出した。


 魔法で生み出した氷である。

 天然の氷とは違い、より固く凝結されたそれを砕くのは魔法でも難しい。

 弱点まで考慮に入れて対処するべき。具体的には、同等の火炎魔法をぶつけるなりして、溶かして壊すのが最適解だろう。


 それをまさか素手で砕いて破壊するとはこれいったい。


 それほどまでにすごい力を、壁の魔法騎士はその身に宿しているというのか。

 信じられぬ。またしても絶句する冬将軍。

 その前で、見る見ると、氷の柱を殴って壊していく壁の魔法騎士。


 乱打。乱打に次ぐ乱打。

 まるで一心不乱に、氷の柱に拳を繰り出すその様は、まさしく狂気。

 どこか疲れた輝きが、その瞳にも宿っていた。


 だがしかし、その目はまだ死んでいない。

 人生に疲れ果て、枯れ果てながらも、瞳の奥底で勝利を信じている。

 きっと勝つことが出来ると信じている。


 はたして、これが六鬼混合の術かと震える冬将軍。そんな寸毫の油断を突いて、一気に距離を詰める鬼と化した壁の魔法騎士。


「エイドリアァアアアアアン!!」


「くっ、まだじゃて!! 喰らえ――氷刃の断頭台!!」


 壁の魔法騎士の頭上から降り注ぐ氷塊。

 その先は、魔法によって鋭く研ぎ澄まされて、壁の魔法騎士の首筋を狙っている。直撃すればまず命はない。身内相手に使うにしても危険な魔法だ。


 しかし、そんな冬将軍必殺の魔法を――。


「エイドリアァアアアアアン!!」


「なっ、ワンパンで!!」


 壁の魔法騎士が軽くパンチで吹き飛ばす。

 そう、まるで、何かの特攻が入っているかのような鮮やかな一撃。

 気がついた時には、冬将軍が作りだした氷塊は粉々に砕け散り、もはや雪と変わらぬような粒子に変わっていた。


 よもやここまでの技とは。

 そして、もはやこれまでか。


 そう、思った冬将軍が観念したように魔法を解く。


「ワシの負けじゃゼクスタント。どうやら、このワシを越えて強くなったようだな。見事な技で――」


「エドリヤァアアアアアン!!」


「げぶぁっ!!」


 降伏を申し出た冬将軍であったが、鬼族の呪いによって一時的に正気を失っている男にその声は届かない。


 暴走モード突入。

 一心不乱に、拳を突き出すパンチの鬼と化した壁の魔法騎士は、師匠の顔面に思い切りのよいパンチをぶち込んで、尚も止まらずに暴走を続けるのだった。


 止むことのない鬼の歌。

 止まることのないパンチの嵐。

 もはや完全に鬼の呪いに身体を蝕まれた壁の魔法騎士。


 ただひたすら、胡乱な目をして、それでも戦い続けるその姿はまさしく狂戦士。いや、哀戦士というべきか。ぼろぼろになりながらも立ち上がって戦い続けることしかできぬ、不器用な男の魂そのものと言ってよい、そんな感じだった。


「エイドリアアアン!!」


「……ひっ、だ、誰か、誰かゼクスタントを止めるんじゃ!! このままでは彼奴は!! 鬼の呪いにその身を食い潰される!!」


 悲痛な叫びが宝瓶宮に木霊する。

 あわや、このまま、壁の魔法騎士は呪いに取り込まれてしまうのか。

 そう、思った時であった。


「ここよ、六鬼ロッキー!!」


「……エイドリアン?」


 その叫び声に、思いがけず応える声があった。

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