第697話 ど道化さんと一芝居

【前回のあらすじ】


 勝海舟から現在の東の島国が向かおうとしている未来を聞かされた大性郷。

 命を拾い、再び世に出た理由が分からなかった彼は、ようやく自分が何をしなくてはいけないのかを自覚した。


 袂を分かった旧友。

 それでも、どこかで同じ方向を見ていると思っていた男。

 その男の目を覚まさせるために、彼は再びこの現世へと戻って来たのだ。


「もはや、こそこそと隠れている場合ではござらぬ。この大性郷、捕まることはもとより覚悟の上。そのうえで、ティト殿に力をおかしいたす。そして、このGTRでの戦果を持って、再び性介どんと剣を交えん」


 大性郷は再び、東の島国のために立つと決意した。


◇ ◇ ◇ ◇


 海岸沿いの岸壁には酸鼻な匂いが満ちていた。

 切り捨てられたのは肉塊の魔物。肉スライムの破片の散らばるそこは、からくり娘たちが暗黒大陸の道化と激闘を繰り広げた場所であった。


 今、その場所に、生き物の姿はない。

 死屍累々、息絶えた肉塊の姿があるだけである。

 吹きすさぶ潮風。明朝巻き起こる、内陸と海上の温度差から発生する風に飛ばされて幾つかの肉塊が海へと落ちた。


 岸べりに這い上がってそれらが復活するかと思いきや、そのような気配もない。


 もはや完全に道化のジェイミーは死に絶えたか――。


「と、向こうの皆さんは思っているでしょうね」


 復讐者アベンジャー水運の船の中。


 そこに、栗色の髪をした女の姿があった。

 肉塊の化け物とは程遠い、艶のある肌にくびれた腰つき。

 健康的と言って差し支えないその艶嬢は、桃色の舌先を舐めずって、それから自らが腰かけている椅子の上で足を組みなおす。


 手には道化の面。

 それは肉スライムがつけていたものと同じであった。


「んふふ、肉スライムですか。なかなか面白い素体を手に入れたと私も思っていますよ。惜しいですね、こんな所で消耗してしまうのは。けれども、まぁ、眷属の方はうまく残った。これでからくり艦隊これくしょんと、パイ〇ーツ・マルミエヤン・ドットコムのご一行の目を晦ませたと思えば、安いのではないでしょうか」


 ねぇと問いかけるのは、壁際に立つ男。

 いつの間にか、あの戦場から姿を消していたモノ。あるいは、道化のジェイミーと共に肉塊になり果てたと思われていた男。


 感情のない瞳で仮面の乙女を見返す騎士。

 中央連邦共和国第三騎士団元隊長――ヴァイスである。


 疼くのだろうか、自分の腕を握りしめて彼は胡乱な視線を乙女に向けている。


「あらあら、まだ馴染まないんですか。はやくしてくださいよ。これからパイ〇ーツ・マルミエヤン・ドットコムとの戦いも本格化するんです。そこに、道化のジェイミーを倒したからくり娘たちも絡んでくるんですよ」


「……分かっている」


「本当に分かっているのですか。もっと効率よく動いてくれないと困るのですよ。貴方も私の眷属なのですから、もうちょっとこう、人を欺くということに慣れていただかないと」


 ふふふと笑う栗色の髪の乙女。


 そんな彼女の周りに、侍るようにして現れたのは生気のない顔つきの者たち。どれもこれも、海上で生きるのには十分に逞しい顔立ちをしている。更にその中には、人間に混じって明らかな異形の姿も見受けられた。


「……まぁいいでしょう」


 そう言って第三騎士団元隊長から視線を外す乙女。

 仮面を被り、その面頬の下で口角を釣り上げると、彼女は邪悪な瞳を船倉の中で光らせた。それは、昔日、偽の勇者パーティを襲い、昨晩青年騎士を襲った化け物と同じ冷たいもの。人ならざる何かを垣間見せる不気味な光。


「さてさて、人を欺くにはまず味方から。あるいは身内から。本命のティトさんたちには接触し損ねましたがそこはいいでしょう。ヴァイスくんと知己のあるロイドくんに、暗黒大陸からの刺客は死んだと思っていただければそれはそれで」


「……本当にうすら寒い奴だなお前は」


「それはもちろん私は道化師でございますから。えぇえぇ、権謀術数は多く用いますとも。騎士道など犬に食わせてやればよろしいのでございます。すべて、目的の前には些事というもの。すなわち、私は、もっとも効率よく目的をはたすことさえできれば、それでいいと考えていますよ」


 道化師を自称する栗色の髪の女。

 彼女がスカートをひるがえして立ち上がれば、その背後に侍っていた者たちは一斉に立ち上がり、彼女に向かって敬礼する。


 道化のジェイミィの眷属として昨晩戦った第三騎士団隊長だけが、何かに抗うようにそれに倣わない。そんな彼の姿を哄笑して、道化面の女は続ける。

 いや、違う――。


「まだまだ、私の眷属としての影響が薄いようですね。やはり、裏切ったとはいえ元中央大陸騎士団の矜持という奴ですか。そんなお腹の足しにもならないもの、さっさと捨ててしまうに越したことないと思うんですがね」


「……なんとでも言え」


 こちらこそが道化のジェイミーの本体である。

 そう、肉塊の化け物、肉スライムにより青年騎士を襲ったのはブラフ。

 倒したと見せかけて、油断させるための罠。


 どこまでも狡猾な女道化師は、どこからともなくトランプカードを取り出すと、それをはらりと宙に撒いた。


 五十四枚。

 すべてそれには死神が描かれている。


「さてさて、それでは、この道化のジェイミーが用意した、絶望の喜劇をかぶりつきで見ていただきましょうか。お代は結構、演者あなた方の絶望する顔こそが、私にとってなによりの報酬でございますからねぇ」


 暗黒大陸の脅威はまだ終わってはいない。

 否、よりおそろしく、厄介なものが、男騎士たちを襲おうとしていた。

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