第681話 ど男騎士さんと漁夫の利

【前回のあらすじ】


 エルフリアン柔術とは。

 そんな動乱にあっけに取られているうちに、いつの間にやら女エルフたちの乗る船に近づく影があった。それは鋼の船。蒸気の機関で進むもの――。


 その舳先に立って、海の果てを見据えるのは白髪の老人。

 そう彼こそは――。


◇ ◇ ◇ ◇


「……なに!? いつの間に!!」


「……おいおいおい!! 俺たちがひと悶着していたのはほんの一刻にもみたないってんだぞ!! なのに、いったいこれはどうなってやがる!!」


 伊能ガリバーをふんじばり、そろそろ女エルフ側に加勢しようかとしていた男騎士。そんな彼の目の前で、今、瞠目するような事態が起こっていた。


 通り過ぎるのは鋼の船。

 十分に引き離していたはずのその船は、男騎士たちも気づかぬうちに、それも驚愕するほどの速さで彼らに追いついた。


 追い風はない。

 潮もない。


 ただただ、その巨体を動かすのは、そのもくもくとけたたましく立ち上げる黒煙による動力によるものである。


 蒸気機関を搭載した鋼鉄船。

 潮の流れや風の向きをある程度無視して、大陸を行くことができる人類の叡智を詰め込んだそれの先には、立派な老人が立っていた。


 その男のことを男騎士は人づてに聞いている。


 明恥めいじ政府発足のきっかけとなる江路えろ城無血開城を成し遂げた偉人。かつての幕府の要人たちを今や多く囲い、彼らの世話をしている人徳者。

 そして、幕府転覆の一端を担った偉人たちの師匠。


 最後に、男騎士の命を狙ったとされる男。


「そうは思わねえか、なぁ、ティトくんよぉ」


「……貴様、どうして俺の名前を」


 勝海舟。

 かつて美少女戦士海援隊セーラーソルジャーを率いた幕府要人。

 その男は、船の舳先に二つの足で水平線の先に何かを見ながら、くつくつと堪えるような笑いを見せた。


 この男と男騎士の間に知己はない。

 かつて東の島国の動乱に介入した男騎士たちだが、その頃の彼はただの兵卒である。多少、剣の腕に自信はあったが、リーナス自由騎士団の顔役として、十分な働きをしたとはとても言い難い。


 そんな男を、敵方の大将とも呼べる男がなぜ見知っているのか。


 動乱の折ではない。

 なにか別の縁があるのは間違いない。

 しかしながら、それについて考えれば考えるほど分からなくなる。そもそも、男騎士はその東の島国の動乱以来、この国へと渡ったことは一度とてなかった。


 それがどうしてこのように、その名を知られて命を狙われなければならないか。


「さぁて、お前さん、自分がどうして俺に名前を憶えられているか、とんと自覚がないようだ。しかたねぇ、こいつばっかりは私怨も私怨。俺の個人的な問題から来るもんだからよぉ。アンタにゃ覚えがないのは当たり前だ」


「……私怨、だと?」


「おいおいおい、ティトの奴を恨むなんざおかしな話だぜ。この三国一のおひとよしのいったいどこに憎い所があるってんだ。こいつはな、必要があれば敵ですら助けるような大馬鹿野郎だぞ。おそらく、俺様が会って来た男の中で――まぁ、俺様は除外するが、一番強い男だ。この元大英雄さまが太鼓判を押してやらぁな」


 くかかと乾いた笑いが海原に響く。

 喉を打ち鳴らしたような笑い声は船の横面に押し寄せる波音にも負けずに辺りに響き渡る。不快感の欠片もない男らしいその笑いと共に、ようやく鋼鉄船の主はその視線を男騎士の方へと向ける。


 その表情には恨みはない。

 かてて喜びもない。


 まるでデスマスクのような張り付いた真顔。

 感情の一切をどこかに置いてきたような、老人の呆けたような顔が男騎士を見ているのだった。


「優しさだけが世界を救う訳じゃない。この世の中ってのはな、修羅の如き妄執が時に人の命を救うこともある。そういう風にできている」


「……優しさが世界を救わない、だと?」


「……確かに一理ある話だが。それにしたって、ティトの奴につっかかる理由としては不完全だぜ爺。てめぇ、ティトのなんだってんだ」


「さて、それを語るにはまだ早かろう。レースはまだ、はじまったばかりなのだからな」


 それはそれとして、と、話を区切るやすぐに老人は視線を再び水面に向ける。


 東の果てを睨んで笑う老人。

 その顎先に延びる白い髭をゆっくりと彼が皺の刻まれた手で撫でる。


「まずは第一レース、ぬるぬると勝たせてもらうとしよう。なに、老人には優しくするものだからな。緒戦くらいは譲ってもらっても問題なかろう」


「なっ……」


「この、狸!!」


 ぼうという汽笛の音。

 それと共に、更に鋼鉄船の速度は速まっていく。


 振り返ることもなく、男騎士の前を通り過ぎて行った鋼鉄船。

 それはそのまま第一の島へ。

 まんまと漁夫の利を得る形で、旧幕府の君臣勝海舟は――。


「さて、詰みだ。腕っぷしは回るようだが、頭の方はからきしのようだな、ティト君よ。もう少し勝負事のかけひきというのを君は勉強した方がよろしかろう」


 かっかっかとまた乾いた笑い声。

 船一つ以上の大差をつけて第一の島へと入ったのは老人の船だった。


『ゴール!! GTR第一レース!! 凪の海を踏破する静かなる戦いを制覇したのはやはりこの男!! 鋼の船を蒸気の力で突き動かす!! 咸臨社ァ!! 勝海舟ゥ!!』


 勝負の決着を告げるアナウンスが海に木霊する。

 やられた、と、呟いて尚、まだまだ男騎士たちが乗る海賊船は、島の入り組んだ浜辺にも入り込んでいなかった。


 かくして、GTR第一レースはあっけのない形で幕を引く。


「あの爺。とんだ食わせものだぜティトよ」


「旧幕府側にこれほどの手練れがいたとは。あの性郷どんが警戒するだけはある」


「なによ、それじゃ、私たちの戦いは無駄だってこと?」


「あんな船、いったいどうやって勝てって言うんですか?」


 その味気ない決着とは裏腹に、男騎士たちの心に大きな影を落として。

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