第389話 逃がし屋さんと怪しいやり取り

【前回のあらすじ】


「他の誰でもない!! お主たちのラブコメを、ワシは見たいんじゃ!!」


 いまいちパッとしない男戦士と女エルフのラブコメに業を煮やした精霊王。

 彼の魂の叫びが、ラブコメしないと出られない部屋に響いたとき――。


「……分かった、風の精霊王よ」


「……確かに貴方の言う通り。私たち、らしくなかったわ」


 本気のラブコメを見せてやる。

 ついに男戦士と女エルフの瞳に、強い覚悟の炎が灯ったのだった。


 ――という所で、今週も逃がし屋さんパートです。


「「いい所なのに!?」」


 いい所だからですよ。


◇ ◇ ◇ ◇


「ざんざんばらりとやっちゃってくれカツラギ」


「……あんたねぇ。いきなり髪切ってくれって、いったいどういうつもりよ。しかも、こんな糞忙しい時に」


「息抜きだよ息抜き。こういう口実でもないとお前は休めないし休まないだろ」


「髪切るとか、こっちとしては全然休まらないんですけれど」


「そいつはすまない」


 丸椅子に座り、絹地のポンチョを着た逃がし屋。


 無精髭を揺らして笑う彼。

 そんな優男を前に、女軍師は鋏を手にして苦い顔をした。


 女騎士とその従士より、連邦騎士団第一部隊団長である老騎士が、騎士団を裏切っているという密告を受けてより一刻。彼は、信頼できる仲間の元を訪れていた。


 女軍師。

 かつて、男戦士の下で共に修業した仲間。

 そして頼りになる同僚。


 そんな彼女に何を言い出すかと思えば、彼はいきなり自分の髪を切ってくれと、よく分からない依頼をしたのだった。


 もちろん――それは老騎士率いる第一騎士団に潜入するためである。

 ぼさぼさの頭と野暮ったく生えた髭。それを変えれば、周りの目を誤魔化すことができる。そのための野暮ったい格好だ。老騎士がどれほど鼻が利くかは不明だが、彼も逃がし屋、その変装には自信があった。


 変装である。


 そして、その共犯者に逃がし屋は絶対の信頼を置く女軍師を選んだ。

 彼女ならばきっとこのことを他言しないだろうと。


 いや、違う――。


「……難しい任務なのね」


「おや。流石は軍師どの、何も言わなくてもわかるかい。話が早くて助かるよ」


「バトフィルドでもわかるわよ。いったい、どれだけ一緒に居ると思っているの」


「リーナス自由騎士団にスカウトされてからだからな。十年の付き合いになるか」


「……そうね」


 女軍師がため息を吐き出す。

 彼女はなんだか渋るようなそぶりで鋏を二・三度動かすと、それを逃がし屋のつむじの辺りへと持って来た。


 じょきりと、思い切りのよい音がする。

 獣の毛のように脂ぎった髪がまとまって落ちると、ポンチョの上を滑り落ちて床へと舞った。それを目で追ってから、また、女軍師は鋏を動かす。


 その動作から徐々に迷いが消えていく。

 すぐに鋏の立てる音が、彼女たちのいる部屋――女軍師に割り当てられた執務室――に満ちていった。


「正直、あまりこういうのは得意じゃないわよ」


「結構。無茶苦茶にカットしてくれた方が、俺だと分からなくなって好都合だ」


「……ハゲたらごめん」


「それは困る」


 そう言いながらも、逃がし屋の声色は軽やかだし、女軍師の様子を伺うようなことはない。ただ、彼女といるこの時間・この空間を楽しんでいるようだった。


 鼻歌でも刻みそうな軽やかさ。

 眠りこけそうな穏やかさ。


 だが決してそうせず、逃がし屋は、静かに彼女が髪を切るのに身を任せていた。


 少し顎を上げて。

 俯いて。

 横を向いて。


 そんな女軍師の細かい注文に、気軽に返事をして応える。

 息の合ったそのやり取りを、もし他に見ている者がいたならば、なんとも不思議な光景だと思うことだろう。


 二人の中には確かな信頼感があった。

 いや、信頼感以上のものが――。


「……指導者マスターをするようになって気がついたの」


「へぇ。そりゃいったい何を」


「弟子の大切さ。やめてよね、カロッヂ。貴方が居なくなったら、ティト指導者マスターはきっととても悲しむわ」


「……その言い方はちょっと卑怯じゃないか?」


 そんなものとっくの昔に俺は知っているよ。

 思いと裏腹に、逃がし屋の口を吐く言葉は皮肉っぽかった。


 それは彼が長らく裏の仕事に携わってきたからだろうか。

 それとも生来生まれついてのものだろうか。


 ゾリと深く髪を切る音がして、あっ、と、女軍師が声を上げる。

 おいおい、なんて間の抜けた調子の言葉を吐き出して、逃がし屋は思わず漏れ出たそんな皮肉を誤魔化した。


 なんにしても、言うべきことではない。


「生きて帰って来なさいよ」


「俺の二つ名を知っているだろう。逃がし屋だ。自分を逃がせなくて、どうやって他人を逃がすことができるよ」


 逃がし屋は女軍師の顔を見ない。

 ただ、その瞬間を楽しんでいる――フリをしていた。


 いつだって、彼はそうである。何故なら、彼はいざとなったら、自らの命を懸けて大切な者を逃がすから。そうあろうと心に決めているから。

 今、彼が生きているのはたまたま運がいいだけ。


 うぬぼれも、少しの誇りも、そして油断もなく――彼は逃がし屋だ。


 けれどもこうして女軍師に髪を切らせる時だけは、彼は一人の人間に戻れる。


「……はい、出来上がり。男前になったわよ、逃がし屋さん」


「……おいおい、こりゃひどい。まだ丸坊主の方がマシだぜ」


「だから!! こういうのは得意じゃないって言ったじゃない!!」


 一人の男に戻れる。

 男はその余韻を楽しむように、女軍師の方を見て――ニヒルに笑った。


「冗談だよ。ありがとう、カツラギ」


「……馬鹿ね、アンタってば昔からそう」


「男はな馬鹿な方がモテるんだよ」


「けど、今はその男前が誰なのかを私だけしか知らないわ」


 お前だけが知っていてくれればいいさ。

 手鏡の中に映る自分の姿を眺めながら、逃がし屋はまたニヒルに笑う。


 悪くない。

 髪型がではない。


 彼女だけが自分が誰かを知っているということが――。


 たまらなく男には嬉しかった。


◇ ◇ ◇ ◇


 髪を切り、顎髭を剃り、兵を買収して装備を譲り受けた逃がし屋は、第一部隊へと紛れ込んだ。


「……流石に騎士団の戦略を担当しているだけはあり文官が多いな」


 連邦騎士団本営。

 そこを活動拠点とする第一部隊は、彼の言葉の通り多くの文官により構成されていた。とはいえ、兵士が居ない訳ではない。


 というよりも正確に言えば――。


(要職に居るのは前線を退いた古参兵って感じだな。若い文官はともかく、奴らは鼻が利きそうだ。あんまり派手に動くと、気づかれるかもしれんぞ)


 第一部隊はなんといっても老将の率いる部隊である。

 故に、彼と付き合いの長い将兵が多くなる。そして、彼の老騎士は幾多の連邦共和国と中央大陸の騒乱を戦い抜いてきた名将であった。


 その旗下に老兵が集まるのもまた道理。


 そう、第一部隊の多くは、頭働きのできる若い文官と、槍働きからは退いたが経験豊富な老兵により構成されていた。戦闘力はともかく、部隊としては実にバランスがよい、非常に組織力の強い部隊であった。


 少しボケている感じのする老騎士。

 彼が率いる部隊だからと油断していると足を掬われそうだ。


 そう逃がし屋が思った時だ。


「おい!! そこのお前!!」


 突然、背中から声を浴びせかけられた。

 自分のことであるとすぐに逃がし屋は認める。その上で、特段落ち着いた様子もなく、さりとて無駄に驚きすぎもせず――いきなり呼び止められたことに心当たりがないというそぶりで、彼はその声の方を振り返った。


 立っていたのは若い文官。

 老兵ではなかったことに、顔にこそ出さないが、逃がし屋は胸をなでおろした。


 若い文官は、羊皮紙を丸めた書簡をいくつか抱えている。


「暇をしているなら、これをバルサ殿の所まで届けてくれないか」


「……はぁ。いいんですか、俺なんかが?」


「なにを言っているこの一大事の時に!! 軍内部に裏切者が居るかもしれないんだぞ!! 時は一刻を争う!!」


 その若い文官の言葉に、逃がし屋は耳を疑った。


 どういうことだ。

 裏切っているのは、第一部隊――この部隊を率いている老騎士ではないのか。


「バルサ殿は内通者を探し出すのに心血を注いでおられる。我ら第一部隊は騎士団の頭脳。なんとしても裏切者をあぶりださねば。身内の恥を、リーナス騎士団の方々にも、ティト殿にも、法王ポープさまにも見せるわけにはいかない」


「……あぁ、そう、そうでしたね」


 ブラフで身内にそのような説明をしているのか。

 それとも、女騎士の情報に何か嘘があったのか。


 これはまだ何かある。

 そう思いながら――逃がし屋は書簡を手にしたのだった。


「確かに、請け負いましたよ。お届けしますこの書類」

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