第197話 どエルフさんと真の相棒

【前回のあらすじ】


 男戦士と女エルフの活躍により、ダークエルフは負けを認めてその場を去った。

 はたして残された男戦士たちだったが――けど、その前にと女エルフが振り返る。


 彼女はきょとんとした男戦士の頬を、力いっぱいに張ってみせた。


◇ ◇ ◇ ◇


 鍛え上げられた戦士の体だ。

 女の平手打ちを食らったところで、体力が削られるわけがない。


 しかし、目の前の女エルフが流す涙は、彼の心を確実に削った。いや、抉った。


「――どうして、その呪いのことを私に黙っていたのよ」


 声色は落ち着いているが、その底にはふつふつと滾るような怒りが潜んでいた。

 言葉の通り、女エルフは男戦士がその呪いについて――自ら鬼族の呪いを受けている身の上であるということを黙っていたのを咎めていた。


 ただ、怒りの源泉は違う。

 そのような危険な呪いを話してくれなかったからではない。

 騙された、図られた、担がれた、そんなことに起因する憎悪の感情なぞ、この二人の間には起こるはずもない。


 それは男戦士がそのような辛い身の上を隠していたということに対する純粋な心配、そして、相棒であると自認している自らに対する不甲斐なさからくるものだった。

 やりようのない不甲斐なさに、また、女エルフの瞳の端から涙が溢れる。

 気位が高く尊厳に満ちたエルフが、こんな風に人前で涙を流すことは、珍しいことであった。


 それほどまでに強く、女エルフは男戦士のことを思っている。


 同様に、男戦士もまた、女エルフのことを大切に思っていた。


「――言えば、きっと君に、不要な迷惑をかけてしまうだろうと思って」


「不要な迷惑ってなによ!!」


「――それは」


「そんなことで私が貴方のことを見捨てると思ったの!? そんなことで、貴方のことを恐れるとでも思ったの!? 馬鹿じゃないの!! そんなの、そんなの」


 思うわけないじゃない。

 最後の言葉は、嗚咽が混ざって言い切ることができなかった。


 ついにその場に泣き崩れた女エルフ。

 顔を男戦士の頬を打った手で覆い、溢れ出る涙をなんとか防ごうとするも、指の合間からそれは染み出るように零れ落ちていく。


 彼女にとって、男戦士の隠し事はそれほどの衝撃だったのだ。

 自らの半身くらいに思っている男である。奴隷商人たちに捕らわれそうになったところを救ってくれた命の恩人であり、村に籠っているだけだった自分を広い冒険の世界へと導いてくれた先導者であった。

 そして何より、お互いの背中を預けられる、相棒であると思っていた。


 それだけにそんな彼が、今日の今日まで、鬼族の呪いという忌々しい呪いを受けて、それを隠して、背負って、生きてきていたことが悲しかった。

 それを相棒である自分に相談してくれないことが素直に辛かった。


 辛く厳しい宿命さだめを分かち合えるほどに、自分は男戦士のことを信頼していたというのに。


 どうして。


 溢れる涙を止める方法が分からずに、女エルフはしばしむせび泣いた。

 頬を打たれて、放心していた男戦士は、彼女のその姿にようやくその体を動かした。


 いつだってそうだ。男戦士は第一に、女エルフのことを考えている。


 今回の一件についてもただ純粋に、彼女に余計な心配をかけまいと、それだけの思惑で行われたことだった。

 それが、余計に彼女の気持ちを傷つけてしまったのは、彼にとって本意ではない。

 怒涛のように押し寄せる後悔の念とともに、それでも男戦士は女エルフの前に座り込んで、その肩を掴んだ。


「モーラさん。すまない。俺が馬鹿だった」


「――そんなの、言われなくても分かってるわよ!!」


 つかみかかった男戦士の手を振り払おうと女エルフが体を振る。

 しかし、彼はそれをあえて力をこめて押しとどめた。


 しばらく暴れた女エルフ。彼女がおとなしくなったのを見計らって、男戦士が優しく声をかける。それは、いつも彼が彼女に語り掛けるような、穏やかなものだった。


「俺は君のことを信頼しているつもりで、実のところ、どこかで疑っていたのかもしれない。俺のような呪われた人間が、受け入れられるはずがないと」


「――ほんと、馬鹿ね。馬鹿、大馬鹿よ、ティト、あなたって」


「すまない。けれども、これで隠し事はなしだ。モーラさん」


 そう言って男戦士が女エルフの肩から手を離す。

 はっと、その感触に彼女が顔を覆っていた手をのけた瞬間、男戦士が正面から彼女の体を抱きとめた。


 力強く、息苦しいくらいに、乱暴に、そして彼女のすべての不満を受け止めるように。


「モーラさん。この通り、俺は鬼に呪われた人間だ。それでも君は、俺と一緒にいてくれるかい」


「だから、そんなの、聞くまでもないことでしょう!! わからないの!!」


「――馬鹿だから、ね」


 そう言って、笑って目を閉じる男戦士。

 その耳元でまた女エルフは小さく馬鹿とつぶやいて――そしてその頬に、みずみずしい桃色の唇を押し当てた。


 優しく、まるで軽やかな風のように、自然に、そして彼のすべてを肯定するように。


「当り前じゃないティト。私は貴方の相棒なのよ」


「――モーラさん」


 男戦士と女エルフ、二人の体が離れる。

 女エルフの涙は止まり、いま、彼女の目元と頬は赤く染まりあがっていた。


 ムードもへったくれもない、瓦礫と血糊と土塊で満ちたその場所で、熱い視線が交錯する。ふっと、女エルフが瞳を閉じた。

 男戦士とて、女心がわからないほど馬鹿ではない。

 知能1でも、それくらいはわかる、いや、わからないでか。


 ゆっくりとその顔が近づいていく。

 今まさに、その鼻の稜線が交わった――かと思ったその時であった。


「大丈夫かティト!!」


「静かになったから来てみたが、あの赤鬼は倒したのか!!」


 空気も読まずにやってきたドワーフ男とヨシヲの声に、二人はあわてて顔を離した。

 こういう空気を壊されれば、必然、気まずくなるのが道理である。


 こちらの姿を見つけて、真っすぐに向かってくるドワーフ男たち。そんな彼を眺めながら、女エルフと男戦士は、さきほどまでのやり取りを笑い飛ばすように、息を吐いた。


「まぁ、隠し事がこれでなくなったから、よしとしておいてあげるわ」


「――実はモーラさん、もう一つ、隠していることがあるんだ」


「なによ。まだあるの。この際だから、言っときなさいよ」


 もじもじ、と、気色悪く体をくねらせる男戦士。

 彼は股間を抑えながら、女エルフの視線より逃げるようにして、空を見上げた。


 なんとなくその様子から、いやな予感を女エルフは察した。


「実は俺、仮○なんだ」


「――なんでこう、最後は汚いオチになるかなぁ」


 ぽかり、女エルフが男戦士の肩をたたく。

 ただその緩い動きには、女エルフの不器用な優しさに満ちていた。

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