書店は永遠に天使のものだ

@anttk

解説 平岡比良子

 子供の頃、よくアルバイトの若いお兄さんお姉さんに怒られた気がする。彼らはすごく年上に見えた。いま考えてみれば、たぶんみな、二十歳前後の学生あたりだろう。

 でもいざ彼らと同じ年齢になってみると、どうも自分が「子供」を叱る「大人」になったとは思えない。十歳の幼い「私」が変貌する肉体をまとい、今も長い長い主観映画を見ているかのような――ときどき、ふとそんな感じを覚えることがある。

 さてそうやって小さな私の前に現われた彼らの中で、もっとも印象に残っているのは、ある女性書店員である。

 家から最寄りのその本屋は、私と同じ年に誕生した、いわゆる複合型チェーン店の一部だった。八〇年代半ば最盛期だったレンタルビデオを中心に、CDと文房具とTVゲームとの店が一緒に入った、かなり大きなものだ。。建物のある一角は、居酒屋や写真スタジオなども隣に並び、二百台は優に入る駐車場を背後に備えた、この町ではちょっとした新設の遊興エリアだったのだが、私が高校二年になる二〇〇三年にはそうした施設はすべて閉じられたから、実質十五年ほどの命だったといっていいだろう。

 通学路の途中にあったものだから、近所に住むわれわれ少年少女にとっては、ほぼ毎日立ち寄る一種の社交場だった。九〇年代の後半、そこで見かけた話題の出版物として覚えているものを順不同に上げると、『脳内革命』、『不夜城』、『買ってはいけない』、『BATTLE ROYAL』、『五体不満足』、『隣の家の少女』、『本当は恐ろしいグリム童話』、『itと呼ばれた子』、『レディ・ジョーカー』、『空想科学読本』……そうしたベストセラーは入り口前の平台にうずたかく積まれていた。もちろんまだ買うような年齢ではなかったけれど、日々横目に(時には立ち読み)しながら、――この社会にはどこかいかがわしいところがある、そしてそれを反映する本というモノにもまた――親も学校も、書店の外では誰も教えてくれないそんなことを学んだ子供は当時、日本列島のいたる場所にいたのではないか。


 ある夕方、私は母親に言いつけられ、何か文房具をお使いで買いに行くことにした。出がけにこっそり、当時大流行していたゲームボーイの『ポケットモンスター』を持ち出した。ハマりすぎて家の中でプレイするのが憚られたために、親の目の届かないところで遊ぼうと思ったのだ。

 気づくと、レジの前に立っていた。精算のタイミングなのに、画面の中はいいところにさしかかって、目が離せなくなっていた。すると頭上から、

「おーい、ヒラオカヒラコちゃん」

 と名前を呼ぶ声がかかり、思わずビクッと身をふるわせた。

 カウンターをはさんで若い女の人がいた。よく見かける店員さんだった。

「あのさ、ちゃんと前見てないと危ないから、帰ってやりなよ」

 なぜ私の名前がわかったのだろう……そんな表情を読み取ったのか、

「いやほら、前にお友達がそう呼んでるのを聞いたから」

 ――記憶力のいい人だ。それから、すみません、とかなんとか言ったのかどうか……あまりにも恥ずかしすぎて覚えていない。

 ともかく、それがその人と言葉を交わしたきっかけだった。子供は少し注意を受けただけで、ムッとしたり、逆に畏縮したりしてしまう。だから私も彼女に対して当初は(こわい人なのかなあ)などという印象を抱いていたものの、しだいにそうでもないことがわかってきた。

 たとえば万引きというのは書店にとって昔から続く大問題である。その店では一時期、中高生の客には鞄をレジへ預けるよう警戒していた。私もそんなルールがあることを、中学に上がり制服を着て初めて知った。もちろん盗む気などない者にとって良い気はしない。しかしある時、彼女が店番の際はそんな注意を受けないことに気がついた。どういう考えがあるのかは知らないけれど、若干の好感は持った。

 しばらくして私はミステリ的自我というものに目覚め、新刊のミステリ小説を読むようになる。当時、ノベルスが非常に人気があって、棚二つ分をミステリ系のノベルスだけで占めていた。その担当が彼女で、よく新刊について尋ねると、詳しく教えてくれた(ミステリ系ノベルスコーナーの隣にはBL系のノベルスがこれも棚まるまる一つ分ありその担当としての見地からもやがて薫陶を受けるようになるが、ここでは割愛する)。


 先述したように、私が高校二年の頃、その複合店はなくなった。

 いったいどれだけの人間が、どれだけの時間を潰したのだろう。自動ドアが開き、入ってすぐは書籍、角の方は文房具で、そこを過ぎるとTVゲームとレンタルCDが両脇に連なり、さらに過ぎれば背の高い什器がVHSと採用され始めたばかりのDVDを抱え、その横には二階へつながる大理石風の重々しい階段がゆるいカーブを描いて、上るとセルCDが派手にディスプレイされている。インターネットはまだマイナーで、やがて始まるデータ配信など想像さえできず、台風の前夜には映画が根こそぎ消え、CDとDVDはリリース日に並んでも書籍は数日遅れ(なぜ?)、地域振興券を持った小学生がゲーム屋に並び、そしてこうした数々の楽しげなものを送り込んでくるのはどうも東京という日本の「中心」らしいのだ……。

 気づくと、遊興エリアから居酒屋や写真スタジオといった周りの店はすべて無人となり、ただ一つ残った複合店の一隅になぜか回転寿司屋が出現していた。書籍コーナーの端を単にベニヤ板で仕切っただけの簡素なもので、天井付近の隙間から魚介特有のにおいがうっすら漂ってくる。〈県内一安い寿司を目指します!〉との貼り紙に、もう長くないのか、と思った三ヶ月後、実際に閉店が決まった。

 彼女を最後に見たのは、店が閉まる少し前、駐車場脇の喫煙スペースをたまたま通りがかった時だ。下校する夕方だった。吸殻入れのそばにひとりたたずみ、


 ぷかーっ


 と煙をふかしている姿が目に映った。若い女の人がそんなふうに煙草を吸うのを見るのは初めてだった。私には気づかずに、横顔は空を見ていた――薄暗く透きとおった蒼と金色に燃え上がる赤のまじりあう暮れた空を。私はそのまま気づかれないよう、足早に過ぎ去った。


 いくらかの年月が経って、上京して学生になった私はなぜか書店でアルバイトをはじめ、あまつさえそのまま就職までしてしまった。夢の国にも労働組合があるように、仕事としての書店はとうぜん毎日が、現実的な問題とぶつかりあうことの連続である。

 ある日、ひとりの作家が店を訪れた。自著にサインを入れたいという。

 対応に出て、私はすぐに気がついた。それから、自分の名前を名告った。

 二〇一九年に第1311回メフィスト賞を受けた本書『書店は永遠に天使のものだ』の著者・間うつろとしての彼女と、私はそうして再会した。

 前世紀末の書店を舞台にした(しかもこういう小説には珍しい複合型チェーン店だ)ミステリ連作短篇集である本書には、これまで述べてきたような著者の経験が生きていて、今から約二十年前の猥雑でいかがわしく懐かしい空気が、読むたびに蘇ってくる。おそらくは澁澤龍彦のエッセイに倣ったのだろうタイトルの意味が明らかになる結末にたどり着けば、誰もがきっと、近くの書店に通いたくなるはずだ(そういえば一昔前の文庫解説はよく「まだ買ってないならさっさとレジへ行け」などと宣伝も兼ねていましたが、最近は解説自体、減りましたね)。

 著者がそれまで何をしていたのかは知らないし、サイン以後も一度も会っていない。私は早、三十代半ばを迎えたのに、当時のあの風貌――少し長い黒い髪を後ろに束ねなんだかいつもぶっきらぼうそうな顔をしてたまにオジサン店長を叱りつけている――に全然勝てる気がしない。凹むことの多い日々であるが、ああいう偶然があったりすると、まだ闘えるかな、と思う。

 だから今回、解説指名をいただいて驚いた。あれから三年、次回作はまだ刊行されていない。オカルトと陰謀論に通じた探偵役・村八分とその相棒・小林の二人はあれから、どうなるのか? 気になって仕方がない読者も多いのではないか(BL読みも可能だろう)。続きをいつかきっと完成されるものと信じている。

 間さん、そしたらまたサインしてくださいね。ご来店をお待ちしています。

                     (ひらおか・ひらこ 書店員)

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