きちがい食堂

giara

きちがい食堂

 水谷亮哉のマーチは国道を南に走っていた。

 直線と緩やかなカーブが続くだけの退屈な道だ。街中はとうに抜け、すれちがう車も民家もほとんどない。空と山と畑ばかりでたいして見る景色もない。たまに農家の家だろうか大きな家が出てくる。冬がきて、雪が積もったらこのあたりはどうなるのだろう。買い物はまず無理だよな。子供たちはどうやって学校に行くのか。そんなことを考えながら車を走らせていた。

 三連休の初日。天気がよかったので洗車をした後、軽く流すつもりで運転していたらついつい遠くまできてしまった。これといってなにも予定のない連休だったので、適当な町で温泉に入り、ビジネスホテルにでも泊まろうと成り行きで決めた気楽なドライブだった。

 やがて、T字の分かれ道にでた。

 カーナビを見ると左に進めばあと80キロほどで町に出る。

 右に進むと延々と道が続くようだ。

 分かれ道に立ててあるさびた看板に目が留まった。

 赤いペンキで生々しく書かれた「このさき食堂」の文字と右方向の矢印だけの看板だ。

 さっきから小腹が空いていた。

 このあたりの食堂なら地元の新鮮な野菜を使った天ぷらや山菜そばといった田舎ならではの料理を食べることができるかもしれない。

 陽が暮れるにはまだ二時間ほどある。食堂に寄ってから道を引き返して、町に行けばいい。水谷はハンドルを右に切った。


 少し進むと、また食堂の文字と矢印が書いた看板があった。

 矢印の通り脇道に入る。道は次第に細くなり山道に変わっていった。

 背の高い木々が生い茂り、日暮れ前なのに暗い。どこからかカラスの声が聞こえてきた。本当に食堂があるのか次第に不安になってきたが、引き戻すにも道幅にUターンする余裕がない。

 仕方なく先に進み、急な登り坂を越えると民家の灯りが見えた。分かれ道からここまで10キロは走った。

 民家は古い木造の二階建ての家だった。

 大衆食堂と書かれたボロボロの看板と動いていない自動販売機がある。三角屋根の上に登れるように木のはしごがかけてあり、屋根には日の丸の国旗と銅の鐘があった。

 営業中の札が引き戸にかかっている。水谷は少し躊躇したがせっかくここまで来たので入ってみることにした。雰囲気がよくなさそうなら道を聞くふりをして帰ればいい。

 車から降りると犬の激しい吠え声が聞こえた。電柱につながれている黒犬が水谷を見て、吠えている。犬はなにかの病気なのか体毛がところどころ抜けてまだらになっていた。衛生的に大丈夫なのかと不安になったがやかましい吠え声から逃げるように食堂の引き戸を開けた。


 誰もいない。空気の入れ換えをしていないのかすえたような臭いが鼻につく。

 薄暗い店内は木のテーブル席が2つとカウンター席が6つ。

 カウンターの上に雑誌が置いてあった。

 少し前のアイドルが表紙で、発行年を見ると8年前だった。

「すみません」

 奥のすりガラスに何度も声をかけた。

 本当に誰もいないのか。そう思った頃ひきずるような足音と共にガタガタと戸がきしみながら開き、はげた老人が出てきた。

 黄ばんだ白いシャツと汚れたふんどしにサンダル。薄闇に浮かぶ唇がやけに赤い。

 老人は水谷を見るときええええええええと奇声をあげた。

 それは威嚇するような、喜んでいるような――狂人のような声だった。

 ダメだ、この人。水谷はまわれ右をして逃げようとしたとき、視界の隅に黒いものが見えた。

 老人の後ろから射るような視線――黒髪の女がこっちを見ていた。

 乱れた髪の下に見える顔はまだ少女のように見える。水谷の顔を見ているというより顔の裏側を見ているような気味の悪い眼だ。整った顔だけに余計に気味が悪い。

 だらしなく着崩れた浴衣の下から胸のふくらみと足がむきだしになっている。浴衣の下は裸だ。乳房とふとももにひっかいたような傷や歯形がある。

 マトモじゃない。

 ここはよくわからないけどマトモじゃない。

 早足で店を出ようとしたとき、後ろから声をかけられた。

「お客さん、ご注文は」

 動きが止まった。その落ち着いた声の主が奇声をあげた老人のものだとはすぐにはわからなかった。

「お客さん、なにを食べなさるね」

「あ、いや、道に迷ってしまって。食事に来たわけではないんです」

 そう応えた途端、腹がぐうと大きく鳴った。老人の顔がさらに嬉しそうに歪んだ。

「それは、それは。メシを食べてからお出かけなさい。ここはうまいメシが食えますぞ。さ、なにを食べなさるね」

 いつのまにか老人は右手に中華包丁を手にしていた。脂がこびりついた包丁が目から離れない。

 断れそうにない。

 水谷は諦めて壁のメニューを見た。

 ラーメン、うどん、そば、かつ丼、A定食(肉)、B定食(魚)。メニューは少ないがいたって普通だ。

「じゃ、あの、A定食を」

「ほおおおおおおおお。A定食を食べなさるか! お客さん! そうか、A定食か! それはいい! それはいいぞおおお!」

 老人は包丁をテーブルにガンと突き立てると、頭を振りながら外に飛び出した。

 猿のように素早くはしごを登り、屋根の鐘を鳴らしはじめた。

「定食じゃああああ。A定食じゃああああ!」

 鐘の音に呼び寄せられたようにカラスの大群が山の向こうからやってきた。

「ひいいいいいいい! 今日はいいぞおおお!」

 屋根から興奮気味に降りてきた老人は厨房に入り錆びた鍋を洗いだした。

「めぐる! 湯を沸かせ! 定食ができるまでお客様に湯をいただいてもらえ!」

「あ、いえ、そんな食事だけで……」

「湯をわかせえええええ」

 黒髪の女――めぐるはすっと奥に消えた。

「あれはああ見えて器量よしでさあ。へへ、お客さん、あたしゃあね、こう見えてインテリなんですよ」

「そう……ですか」

「公文式をね! 公文式をやってたんだ! あんた公文式知ってるか!」

「ええ、まあ、知ってます」

「まあ、知ってます。知ってますだと」

 老人の眼がギラリと光った。

「おまえが何を知ってると言うんじゃああ! わしをバカにするな!」

「いえ、べつにバカになんて」

「いや、おまえはわしをバカにしておる。おまえもか! おまえもなのか!」

 老人は急に膝を落として泣き出した

 ここはよくない。ここにこれ以上いるのは非常によくない。

 水谷は後ずさりしながらそっと食堂を出た。

 

 食堂を出るとめぐるが赤い舌を垂らした黒犬に犯されていた。いや、黒犬に自ら貫かれていた。浴衣を尻までめくりあげ、頭を振りながら電柱にしがみつき、か細い声を上げている。 

 狂っている。

 水谷は込みあげてくる嫌悪感と恐怖に吐き気をもよおした。

「見てくれ、ウチの娘を! 自慢の娘じゃ! 犬畜生とまぐわう少女! さだまさしに見せてやりたかったわい!」店から出てきた老人は水谷の横に立つと、汚れたふんどしをゆるめ、赤黒く勃起した陰茎をしごきはじめた。

「あんたも娘とやるか? いいぞお、あんたならいい。一目見たときからわしにはわかっておった。あんたはめぐるを嫁にもらいにきたんじゃろ。A定食を頼むやつは見所があるんじゃ」

「いや、ぼくは――」

「不満か」老人の声が別人のように低くなり、陰茎をしごいていた手の動きが止まった。

「いや、不満とかそういうことじゃなくて、ぼくは、その、ちょっと話が急すぎてよくわからないんです」

「めぐるじゃ嫁に不満か。犬とまぐわうような娘は嫁にできないというか。だったら――」老人はくわっと目を開いた。

「わしが、おまえの嫁になる」

 水谷は逃げた。待てと叫ぶ老人の声をふりきるように林の中を全力で走った。

 途中、何度も躓きながら走ると目の前に川が流れていた。

 久しぶりに走ったせいで胸が痛い。息が苦しい。足が震えている。

 顔を川に突っ込んでそのまま水を飲んだ。冷たくてうまい。満足するまで水を飲むと、そのまま座り込んだ。

 いったいなんなんだ。あそこはいったいなんなんだ。

 川底になにか茶色いものが見えた。近くにあった木の枝でそれを突いてみた。

 ブヨブヨとした感触が枝から伝わる。

 手前に引き寄せてみた。

 それは腐乱した犬の死骸だった。

 目玉がドロッと飛び出している顔を見て、水谷は吐いた。泣きながら吐いた。飲んでしまった水を全部吐きだそうと指を奥まで突っ込んだ。吐き疲れて、木の根本に座った。

 もう限界かもしれない。110番に電話しようとしたが、携帯は圏外になっている。

 夕日は山の陰に隠れつつある。このまま陽が暮れるのを待つことにした。

 夜になって食堂にこっそり戻り、隙を見て車に乗り込んでしまえば逃げることができる。そのときまでここでおとなしくしていよう。

 小一時間ほど過ぎ、薄闇に包まれた頃、鐘の音が聞こえた。老人が鳴らしていたあの鐘の音だ。

 まさか他の客がきたのか。水谷は食堂の方を見た。

 黒い煙が上がっている。何かが燃えているようだ。

 あのジジイ、今度はなにをしやがった。

 胸騒ぎのレベルを超えた悪い予感。なにかわからないが、とてもよくないことが起きている。それは間違いない。

 水谷は武器のかわりに手頃な太い枝を手にすると、食堂へ向かった。

 

 車が燃えていた。

 黒い煙を上げながら水谷のマーチは炎上していた。

 老人が燃えている車の前で立っていた。足下には灯油缶がある。老人は背中に袋を背負い、天を仰ぐように泣いていた。

 水谷の恐怖の感情が怒りに変わった。

「ジジイ、なにしてくれてんだ!」

「わしにはわかっとる。おまえ、生命保険の勧誘だろ! この保険屋! ウチの店を燃やして保険金をぶんどるつもりじゃろ! だから、おまえの車を燃やしてやったのじゃ!」

「バカヤロウ! まだ半年しか乗ってないんだぞ!」

「それとも、おまえあのババアのとこの若いのか」

「あのババアって誰のことだ」

「しらばっくれるな! 久想婆じゃ! あのクソババアついにわしとやる気になったか!」

 クソウバ? なんの話だ。

「だとしても、もう遅いわ! すでに電車は動いとる!」

「電車の話なんか誰もしてねえだろ!」

「わたし、クレープ屋さんでバイトをしたいの。ねえ、クレープ屋さんってどうやったらなれるの?」屋根の上で座っていためぐるが歌うように訊いた。

「うるせえ、バカ女! 黙ってろ!」水谷は木の枝をめぐるに向かって投げた。木の枝はめぐるの足にあたり、めぐるは水谷をキッと睨んだ。

「もういい! ウチの娘はおまえにはやらん! だが、おまえが頼んだA定食は食っていけ!」

 老人は背中に背負った袋から黒いものを取り出した。

 黒犬だ。頭から血を流して死んでいる。

 老人は腰にさした鎌で黒犬の首を落とした。頭を高くかかげ流れる血を飲みだした。

「これが命じゃ! 命を食らって人は生きるのじゃ! わしらはそうやって生きてきたんじゃ!」

 血にまみれた顔で黒犬の首を水谷の足下に投げつけた。

「あんたも生きたかったらわしの命を食らえ! それがウチの定食じゃ!」

 そう言うと、カマを振りかざして老人が奇声を上げて向かってきた。

 脚が動かない。

 脳天を狙ってカマが振り下ろされた。

 とっさに防いだ右腕にカマが刺さり、骨が痺れる。

 激痛に顔をゆがめ、伸ばした指先が老人の左眼に触れた。

 反射的に腕を引っ込めた勢いで、目玉がえぐれた。

「ぎゃあああああああ」老人は左目を押さえ、カマを振りまわしている。

 周りが見えない老人は燃えさかっている車の方に向かっていた。

 水谷は老人の背中に思い切り体当たりをくらわせた。

 老人はゴムマリのようにぶっ飛び、炎の中に頭から突っ込んだ。

 ボロ服に火がつき、熱い熱いと転げまわった老人は車のそばに置いてあった灯油缶にぶつかり、またたくまに火だるまになってしまった。

 老人は喉も焼かれたのか叫ぶこともなく、虫のようにグルグル動いていたが、やがて、動かなくなった。黒く焦げた死体と灯油の臭いと肉の焼ける音だけが残った。

 

 水谷は体育座りをして、車が燃え尽きるのをぼんやり見ていた。

 周りはすでに夜に包まれている。

 この数時間で大切な物をたくさん失った気がする。もういままでの暮らしにはもどれないような気がしていた。なにもなかった顔をして仕事をすることも友達と遊ぶこともできない。俺は人殺しになってしまったのだから。

 いや、あの女さえ始末すれば――。

 水谷は食堂に入った。

 右腕はまだ痛むが出血はたいしたことはない。

 キッチンにあった汚れたコップを手に取ると、片手で蛇口をひねり軽くコップを洗ってから水を飲んだ。

 体が冷たい熱をもっているかのように震えている。

 よろけるようにいすに座ると一気に汗が出た。

 テーブルに中華包丁が刺さっている。

 ここで起きたことはあの女さえ黙らせてしまえば誰にもわからない。

 犬とやるようないかれた女だ。いなくなったところで誰も問題にしないだろう。

 包丁の柄を握り、外を見た。

 老人のそばに落ちているはずのカマがない。

 そのことに気がついたとき、冷たい衝撃がこめかみを貫き、飛び出す右目がめぐるの姿を見た。

「ねえ、クレープ屋さんってどうやったらなれるの?」

 めぐるは中華包丁を奪うと横に降った。

 水谷の首が裂け、血が天井まで噴き出した。

 ゆっくりと倒れながらめぐるの後ろにカラスを見た。それが水谷が見た最後の景色だった。 


 誰もいなくなった食堂に一匹のカラスが入ってきた。

 カラスは動かなくなった水谷の背中に咥えていた切符をのせて、かあと鳴くと山の向こうに飛んでいった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きちがい食堂 giara @takaya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る